血路の先の魔人達 36
ゴクロウは皺の寄った襯着の袖をきつそうに通し、その上から墨色の詰襟を羽織る。
防弾防刃を兼ねた鉄板が仕込まれており、その割にあまり重量を感じさせないという上等品だ。防御面に優れる故、軽量を重視する死闘隊の黒衣よりも上だろう。
上半身はかっちりとした警兵隊の制服。下半身は膨らみのある死闘隊のズボン。
ちぐはぐで奇妙な出立ちであるには違いないが、半裸のまま戦闘地域へ突っ込むために美意識など不必要である。
「拳銃でもありゃ心強いんだが」
「こんな安物の収納箱に放り込んでおくほど雑多な組織とは思えません」
ゴクロウのぼやきにアサメがすかさず返した。
だろうな、と鉄扉を毟り取られた憐れな収納箱の群れを見渡す。武器に使えそうな品はこれといって見つからなかった。これ以上の火事場泥棒は不要である。
二人は早々に更衣室を抜け出し、薄明るい廊下を小走りで通る。
避難経路図に従って脱出口を目指し、目的の部屋へ静かに侵入。内部は広く、窓はない。長い机と椅子の並んだ多目的な部屋だ。余計な物品は一つも無く、部屋奥の片隅に不自然とせり出した四角い柱が設置されていた。これが脱出口だろう。
ゴクロウは簡易な施錠を解除し、外へと続いているであろう緊急扉を開く。
暗闇の中は埃っぽく、無機質な臭い。螺旋を描く急勾配な滑り台が上下に伸びている。
私が先に、とアサメがゴクロウの肩に触れる。
声を掛けずともするりと脇を抜け、銀髪を靡かせながら軽快に滑り込んで行った。
頼もしい背中を見送る。
「なあマルドバ」
「あンだよ」
ふと思いついたゴクロウの問いかけに共鳴する長刀からは、柄の悪い返事。
「俺とお前も、死線を潜り抜け続けりゃ以心伝心できるようになるもんかね」
「キモチワリィこと考えさせんな。オレとテメエの立ち位置は永遠に敵同士だ。肩を組み合う気なんざサラサラねえ」
ふ、とゴクロウは笑いながら滑り出た。
「と言いつつも腕は貸してくれるマルドバくんであった」
「テメエが勝手に引きずり出してんだろうがボケッ」
「デレちゃってまあ」
デレてねえッ、と甲高い叫びが高壁の暗い虚に響いた。
制動を掛けず、螺旋の滑り台を一気に滑り降りる。加速する摩擦を背に感じながら放り出されるように最下層へ到達。ゴクロウは埃を舞い上げながら着地するとすぐに周囲を見回した。
最低限の灯りが点々と暗闇に浮かぶ狭い一室。
外へ続くであろう重厚な鉄扉の前には既にアサメが両腕を組んで待っていた。
静寂だ。
城砦の壁やこの分厚い鉄扉は外界からの騒音を完全に遮断している。だが、伝わってくる怨嗟や死の気配までは断てない。
「開けられそうか」
「恐らく。ただ」
アサメは頷きながらも取手を指差す。
判読不可能の文字で埋め尽くされた御札で封を施されていた。
脱出のみを想定した避難用の扉だ。その特性上、鍵を必要とする施錠孔はない。誰もが手ぶらで開けられる代わりに常用厳禁、緊急時用を意味するであろう印が粛として貼られていた。
精神的な抑止力でしかないただの紙を破って開けるなど容易いだろう。そしてそのまま一歩を踏み出せば最後、次の安息は無いものと考えてよい。
迷うことなどあるはずもない。今がその時。
開けてもいいかと訴えかけてくる鋼の瞳。取り戻した力強い意志。
充分に休んだ。ゴクロウは頷いて応える。
「勢い余って壊すなよ」
「善処します」
アサメは取手を掴み、押し込んだ。
想像通り簡単に破れる御札。途端、壁の奥から耳障りな警報音が鳴り響く。
長居は無用。重厚な金切音を上げながら鉄扉が押し開いていく。隙間から容赦なく流れ込んでくる鋭い外気。何もかもが焦げている臭気がむっと押し寄せ、否応にも激戦の予感を思わせた。
アサメは高揚する戦意を胸に灯し、街路の茂みへ飛び出す。
後に続くゴクロウはすぐに非常扉を閉め込む。
「酷い、ですね」
アサメの呟きだけが人の気配を発した。
誰も居ない。
無数の馬車が乗り捨てられ、散乱する広い道路。等間隔に並ぶ枯れた街路樹に突っ込んだのか、半壊した荷馬車に折れた木が突き刺さっている。建ち並ぶ高層建造物群は均一で競うようにひしめき合い、あるいは灰煙を吐き出し、意思無き警報を延々と掻き立てていた。
一切の人気の消え失せた、不気味な静けさ。
どこからか聞こえてくる細かい爆ぜ音や大小の塵が風に弄ばれる雑音。目視する限り、敵性存在も抵抗する部隊も、無害な市民すら見当たらない。
「鎮静化しつつある、とは考えにくいな」
「この辺りの避難がどこよりも早かったのでは。城砦の中からは間違いなく大勢の人が喚いていましたし」
アサメの意見は一理ある。
だが響いていた怨嗟の声はどこから聞こえていたのだろうか。
ゴクロウは腑に落ちないまま長刀を地に刺し立て、緋色の硬貨を取り出す。
(どこにいる。ナガサ、スカヤ)
爪弾こうとした時だった。
轟く爆撃。
大地を揺るがし、彼方此方からみしみしと嫌な音が響く。続く倒壊音の強大さに、ゴクロウの脚が竦みかけた。地をどよもす震動は止まる気配をみせない。
近い。
どこかの高層建造物が崩壊していく。外的要因以外にあり得ない大爆音だ。
ゴクロウとアサメは顔を見合わせ。
「震源地まで行くぞ。ナガサ達がいる、そんな気がする」
「私も同じことを考えてました」
二人は頷き合い、瓦礫散らばる道を横切る形で同時に駆け出した。
次回 血路の先の魔人達 37
投稿予定日
12月4日(金)