血路の先の魔人達 35
「自己を移し替える、ってか」
ゴクロウは解し難いと小首を捻る。すかさずアサメが頷いた。
「可能なはずです。そうじゃないなら、よく喋るこの青臭い刃はなんだって話ですから」
『やんのかクソアマ』
「何もできないくせに、よく吠える」
アサメは見下したような冷たい視線で長刀を睨んだ。ばちばちといがみ合う両者。敵同士仲良くしろ、というのもどだい無理な話である。
「マルドバ、実際はどうなんだ。儀式みてえなことでもするのか」
『オレが知るかよ』
だよな、とゴクロウは肩を竦めた。
仮に知っていたとしても語りはしないだろう。敵に塩を送る羽目になる。
「使えない」
『オイ、もう一度減らず口を叩いてみろ』
長刀から殺気が膨張。
歪な人影が立体的に浮かび、アサメの目前へと伸びて詰め寄った。針金じみた黒い指先をアサメの首筋に突きつける。
無音だ。そして速い。
だが鋼の瞳に恐れは見えず。榛と紅柑子の虹彩異色の眼を至近で睨み刺す。
「だったら何。口でも縫い合わせてみますか」
手元は既に抜き撃ちの構え。それこそいつの間にか添えられていた。
『斬ろうったってムダな足掻きなんだよ。こっちはテメエの血を見るやり方なんざいくらでもあんだぞコラ』
その通りだろう。
マルドバの魔影は物理的な障壁、この場合であるならアサメの繰り出す斬撃をすり抜け、生身へと直に損傷を与えられる。
優劣の差は歴然。
「そう思えるのならどうぞ」
不利を不利とも思わないアサメの気迫。
打倒するに足る策を持っているのか、それともはったりか。真意を読み切れないマルドバはなかなかに踏み込めないでいた。
殺意と敵意が小競り合い、一触即発の様相を呈する。
「まあ落ち着けよ、お前ら」
ゴクロウがおもむろと漆黒の右手を握った。
「ブギャッ」
マルドバの人影がずるりと長刀へ引き戻される。それも不細工な悲鳴付き。マルドバの一挙手一投足は既にゴクロウの制御下にある。これでもう過ぎた悪戯はできまい。
「口ほどにもないですね」
ざまあみろと言わんばかりにアサメが鼻で笑う。
「アサメ、お前もだ」
ゴクロウは右手の黒い手刀でアサメの額をごく軽く小突いた。
む、と抗議の視線を鋭く向けてくる。
「すぐ挑発に乗る。これじゃどっちがガキか区別がつかねえっての」
『ガキじゃねえ』
「子供じゃありません」
アサメとマルドバは口を揃えて反論。
息が揃っているようでそうでもないな、とゴクロウが居住まいを正した時。
かつん、と。
甲高い金属音が足元で小さく鳴った。
三人ともほぼ同時に足元あたりへ視線を飛ばす。音の正体はすぐに見つかった。
よく目立つ緋色だ。陽光を反射し、ドロドロとした血液色に照る。
「こいつは」
暗殺者の硬貨。
死闘宗の上位者、血銭手たる証。
ナガサから渡された、ある意味において信頼を表す代物である。
それはボロボロに破れたゴクロウの上着からこぼれ落ちていた。アサメの繰り出した絶技の剣を受けて殆どの消耗品を消失したはず。
だが、この暗殺者の硬貨だけは奇跡的なことに衣服の何処かで残留していたらしい。
「闘の文字が」
アサメが呟き、ハッと気付いて顔を上げる。きっと同じ想像をしているのだろう。
どんなに硬貨投げしても頑なに狗の面しか出さない不思議な硬貨が、今は死闘を意味する文字を示していた。
また血生臭い闘いが起こる。
冗談気味に呪いと揶揄していたが、言霊とは恐ろしい。
硬貨を拾い上げたゴクロウも呼応するように頷く。
「まったく便利な呪いだ。ナガサ達が近くにいる。探すぞ」
ゴクロウとアサメがついに動き出す。
見回せば下方へと伸びているであろう昇降口をすぐに見つけ、一目散に走った。
ゴクロウが赤錆びた鉄扉を油断なく開け、アサメが先行。休息の甲斐もあり、どこまでも続く暗闇の階段を勢い良く駆け降っていく。
反響する二人の足音。
二十、十九、十八と階段を次々とすっ飛ばしながらも警戒は最大限に働かせていた。
人気はない。
踊り場から伸びる各階層への通路へ聞き耳を立てるが、嫌な静けさばかりが伝わってくるのみ。
普段ならば人の往来があるのだろう。埃っぽさはなく、適度な清掃が行き届いている。むしろつい小一時間前までは誰かが居たかのような、ある種の臭いさえあった。
どこへ降りても、もぬけの殻。
だが八階の踊り場を勢いよく回り込んだ辺りで、ようやく人の気配がした。
先を突っ走っていたアサメが速度を緩め、注意深く下方へと神経を研ぎ澄ませる。
ゴクロウの耳にも届く。
困惑、焦燥、苛立ち。大勢の人々が発する負の騒めき。
「此処へ逃げ込んだ連中か」
アサメがこくりと頷く。
「みたいですね。この城砦を管理する警兵隊へ恨みつらみを好き放題に言いつけている声がします。少なくとも死骸人ではないはず」
常人離れしたアサメの聴覚が罵詈雑言の内容まで読み取っていた。このまま降っていけば必然的に警兵隊とも合流するだろう。
堅気とは言い難いゴクロウとアサメ。
混迷する一般人らが蔓延る階層へ飛び込むのは果たして得策と言えるかどうか。
ゴクロウは踊り場に立ち止まった。
壁に塗られた表記をみれば六階層。アサメが振り返り、判断を待つ。回答は早かった。
「ただでさえ我を失った化け物が跋扈してんだ。出入り口は封鎖されている筈。正規の道は通れない。人気がなく、且つ飛び降りれそうな階層から離脱しよう」
そうとなれば行動は速い。
二つ分の階層を慎重かつ素早く降り、四階へと続く長い長い通路へ入り込んだ。
緩やかな湾曲を描きながらどこまでも奥へと続く廊下は頼りない光源が点々と灯り、二人と一つの異影を浮き彫りにする。
等間隔に設置された扉。
その最も手前にある鉄扉を静かに、ごく小さく押し開ける。隙間から覗けば男臭い気配。縦に長い金属製の収納棚がずらずらと並んでいた。
ゴクロウは巨軀を滑り込ませるように部屋へと侵入。続くアサメがむっと眉間に皺を寄せた。敏感な鼻には堪えるだろう。
「窓、無さそうですね」
「ああ。だが」
軽く見回したゴクロウが壁掛けの図面をとんとんと小突き、更に奥へと踏み込んだ。
「どでかい建物だ。避難経路の一つや二つはあるさ」
それは室内の構造を示す簡易的な地図。
たしかに、とアサメは注意深く内容を精査する。
一つは先程ひたすら降ってきた昇降階段。此処は使えないと脳内の地図に罰点を付け、別の突破口を探してざっと目を通す。
見つけた。
此処からそう遠くない位置。見たところ常用の通路ではなく、設置場所は室内。緊急用の脱出手段であることが窺えた。
「ゴクロウ。此処から三部屋分先の、って」
ばがん、と音だけは派手な破壊音。
アサメはギョッとしてゴクロウの方を向くと、大胆にも収納棚の戸を強引に剥ぎ取っていた。
大量生産された安物の収納箱だ。多少の力自慢でも容易に破壊できるだろう。施錠などまるで意味がない。
「ちょっと待ってろ。着替えっから」
ゴクロウは薄っぺらく貧弱な扉をぞんざいに投げ捨て、中の物品を我が物顔で漁り、警兵隊の詰襟を引っ張り出しては適当に投げ捨てる。大きさが合わないらしい。
次々と扉を剥いでは捨てを繰り返すゴクロウを冷たい目で見つめるアサメ。またか、と深い溜息を吐いた。
「本当に手癖が悪い人ですね」
「何だよ珍しく褒めちゃって。照れるなあ」
「褒めてませんから」
ケッ、と心底面白く無さそうなマルドバの振動がやけに響いて聞こえた。
次回 血路の先の魔人達 36
投稿予定日
11月27日(金)