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血路の先の魔人達 33

 未だ脱気を拭い切れていないアサメを揺り動かす。返ってくる力は弱々しく、見た目通りのか細い娘相応だった。

 うっすらと開いた鋼の瞳と眼が合う。

 抱えられている状態を察知して自力で立ち上がろうとするがうまく力が入らないらしい。アサメは諦めて小さく溜息を吐いた。


「どのくらい、寝てましたか」

「寝たうちに入らない程度だ。あと五分なら横になってても大丈夫」


 アサメは横に首を振った。

 ゴクロウの肩を支えにし、細い脚をぷるぷると震わせて強引に立ち上がる。装束の裾を摘まんで引けば容易く転んでしまうだろう。


「もう、歩けます」


 よたつく膝裏。


「ほい」


 無防備なそれを、ゴクロウはなんとなしに小突く。アサメは声も上げずに崩れ落ち、為されるがままに抱え寄せられた。

 普段なら睨み返してくるところだが、随分と大人しい。腕の中、表情に陰を落として口惜しいとばかりに沈黙するアサメを、やれやれと見下ろす。


「迷える子羊の方がまだ健気ってもんだ。最強喰らい(アヴァミネーター)さん」


 ゴクロウのへらず口に、だが返事はない。

 ただ堪え難い感情だけが震えるほど伝わってくる。

 再び静けさに包まれた。


(このまま黙ってるだけなの)


 青空の下、遠くからは怨嗟(えんさ)にも似た噪音(そうおん)(こだま)となって微かに響いてくる。こうして一息吐く合間にも、民衆の命は死骸人によって蚕食(さんしょく)されている。止まってなどいられない。さりとて不用意に立ち上がるわけにもいかない。弱った身で無理を働けば今度は自らの命が魔の手に毟り取られてしまう。


(私は)


 よじ登るには無理がある程の高い塀の頂上。周囲は物言わぬ遮蔽物に囲まれているおかげか、幸いにも身体を休められてはいる。宿主の居ない怪鳥の巣をひっそりと間借りしている居心地の悪い気分。それが余計にアサメの焦燥感を煽る。

 傍には手に負えない魔剣。長刀から伸びるマルドバの人影は地上を見下す形でぴたりと佇み、企みは窺えない。


(覚えている)


 悪神を背負っていた時の記憶は鮮明だった。

 あれはもう一人の自分だ。

 隠れていた人格が精素を糧にし、不安定ながらも自我を宿した。今もまだ、心の片隅に囚われている。

 自制心で作られたその檻はきっと脆く、アサメの怒りを嗅ぎつけて容易く格子を破壊するだろう。

 刹那的に蘇る記憶。

 刃を重ねた時の手応え。

 斬り刻めるという確信。

 戸惑い見つめ返す金眼。

 何度、彼を傷つけたら気が済むのか。斬りたいはずがない。斬ってはならない。絶対に。


『それはどうかな』


 牢の奥、虚な瞳が見開く。


廃棄(スクラップ)場の血臭。四方八方からの殺気。忘れるはずもない。お前は呪物(カーズ)だよ。あらゆる死線を潜り抜けられるという死の呪い(アンデッド)そのもの。お前は絶対に死なない。なぜなら周りの命を代償に』

(うるさい)


 それは写し鏡の世界の如き無間。

 映り込む無量大数の己、全ての鋼の視線を一身に受け、身動きは取れず。


『同胞なんか要らない。そうだろう。お前のちっぽけな人の心が、お前を弱くした。不快(ダーティー)な姿に成り代わった。この男の味に占めなければ、お前は永遠に(モンスター)どもを殺戮(キル)し』


 反響する雑音。他ならぬ己の声。


(黙れ、黙れ)


『手を伸ばせ。私を取り戻せ。復讐(ペイバック)しろ。闘争心以外の感情(エモ)を全て捨てて、私を取り戻』

「いいから、黙れッ」


 そして現実の声が、(ことごと)く打ち破った。

 ハッと我に返って思わず見上げる。

 やや驚いた様子のゴクロウと眼が合って、居た堪れずに視線をすぐ逸らした。


「ごめんなさい。違うんです。貴方に言ったわけでは」


 おろおろと言い淀みながら弁解する。

 今更ながら介抱されている自分に羞恥心を覚えた。顔が熱い。一瞥をくれたマルドバの視線が妙に生ぬるかった。

 今更ながら気付いたが、密着した状態のままでいるのは好ましくない。ゴクロウの分厚い胸板に手を添えてやんわりと押し返す。離して欲しい、とできるだけ優しく伝えたはずだった。

 ゴクロウはその手を握り返した。

 アサメはびくりとほんのわずかに跳ねた。

 主身と半身を隔てる心の壁は希薄で、触れていればその気持ちを容易に伝えられる。それを彼は無視した。


「わかってる」


 いや。


(私の方が、気付いていなかった)


 掌から、火傷しそうなほど熱い体温。


「アサメの意志じゃないのも、得体の知れない自分に苦悩してんのも、わかってる」


 視線を見つめ返せない。


「大丈夫だ。答えは見つかる。今すぐじゃなくていい。辛ければ好きなだけ俺にぶつけろ」


 優しい言葉と口調。慰める彼は、どうにも彼らしくない。

 アサメはようやく唾を飲んだ。


「ゴクロウ。何度も貴方を傷つけたくありません。私は性懲りも無く貴方を殺しかけてしまって、なんて言葉をかけたら、いいのか」


 ふ、と笑いを漏らす息が降る。


「この通り生きてんだ。外道の業だろうが悪魔だろうがなんだって来い。ま、ありゃ本気(マジ)で効いたが、手加減してくれたしな。だいたいどんな原理だよ」


 死にかけたというのに、どうしてそう嬉しそうなのか。だが何となく解ってしまうのが妙に可笑しい。


(落ち着く、なんて思っちゃダメなのに)


 意に反して伝わってくるゴクロウの熱に、騒つく心が近寄る。

 振り解けば簡単に払える大きな手を、(うつむ)いたままのアサメは受け入れていた。


「アサメ。あと五分だけ、眼をつぶって一緒に休もう。俺が数えるから。ゆっくりな」


 ついにこくりと小さく頷く。

 アサメにとって彼の温かさが、救いの手になるような気がした。



次回 血路の先の魔人達 34


更新予定日


11月13日(金)

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