血路の先の魔人達 25
ゴクロウの両膝から力が抜けて地に突く。
危険な倒れ方。気付けば、交差する不可視の斬閃が巨軀を突き抜けていた。
背にしていた馬車まで罰点が刻まれ、直後、爆裂四散。
「あ、アハハ、ああ、また斬っちゃった」
悪神の大笑が血河の地獄に轟く。
飛び散る木っ端の中、朦朧と意識を繋ぎ止めるゴクロウは前のめりとなってそのまま血溜まりに沈んだ。
此処で斃れるとは。救いなどない。
(心臓は、まだ、動いてる。呼吸もできる。左腕も、両脚の指も、まだ動かせる)
まだ残喘に留まっている理由は、死に届く致命傷を受けていないという事。身体がばらばらになっていないのならば、不死身に近しい偽王の肉体ならば、起死回生はあり得る。
眼を閉ざし、隠密と呼吸を繰り返す。
「アハハ、斬り足りない。もっと私に喝采の血を、手応えのある肉をッ」
紅い暗闇の中、鳴り止まない哄笑を意識から排除する。
(アサメ、お前の笑う声なら、いつだって聴きたい。が、こんな狂った雑音は、ごめんだ)
痛覚がいまさら機能しだす。
思い出したかのような激痛に苛まれ、だが逆に思考はみるみると冷めていく。
風が吹くたびに皮膚がくすぐったい。血臭から尿素や塩素に似た成分すら嗅ぎ分けられる。口の中はえぐみ、塩辛く、舌が腫れ上がったように麻痺していた。
生きているという実感が、生へと向かっていく。
全神経が暴走めいた覚醒を引き起こしている。
だからこそ、聞こえてはならない音を拾った。それは左腕の中から、握る柄から伝わっていた
『ろす。ころ、す』
刀身がかたかたと震えている。
筋肉がひきつるような痙攣とはまるで異なる、もがくような震え。長刀自体が、目覚めようとしている。悪しき感情が、骨を伝って頭蓋に響く。
もう一つ、不穏な気配がした。
引っ掻くような、這いずるような醜い水音。
うつ伏せるまま細く瞼を開けば、ばらばらに断たれた腕や脚が、芋虫かと見間違えるように蠕動して転がっていた。
それも全ての部位がだ。
六十余名ものばらけた死肉が、散らばる馬車の残骸や得物を取り込みながら一つところに凝集していく。
「いや、はや」
死骸が、転がる生首、その殆どが喉を震わせた。
「も」
「う」
「少しごゆ」
「っくり」
「致」
「しませんか、アサメ様」
身の毛がよだつ亡者の合唱。
わずかに身動いで悪神アサメを見上げれば、へらへらと薄ら寒い笑みを浮かべていた。
常ならば即座と飛びつき、死骸の集合体を蹴散らそうとするだろう。だが、佇んだまま地獄絵図をただ鑑賞するのみ。
「アサメ、止め、るんだ。今なら、まだ間に合うッ」
ゴクロウはなんとか声を絞り出した。
だが、アサメは返事どころか身動ぎすらしない。死骸の肉人形が創造されるのを嬉々として見届けていた。
血と塵で汚れた切断面が出鱈目に繋ぎ合っていく。剥き出しの骨に血管や腱が軟体生物の如く伸びて巻きつき、数珠繋ぎに連動。聞くに耐えない不快な水音がついに止む。
巨大な異影が差し込んだ。
それは鎌首をもたげ、こちらを見下していた。
「まだ用件は済んでおりませんので、このような醜い姿で失礼」
醜悪な声が幾重と響く。
腕と脚、刀剣や車輪などが乱雑と生え、その背面に六十もの人頭を埋め込んだ蜈蚣の化け物。
(最悪だ。悪夢なら覚めてくれっての)
足掻くゴクロウは一刻も早くこの最悪な状況から脱したかった。
瀕死の身体、目覚めんとする悪魔、何もかも読めない敵と味方の立ち振る舞い。
最も信頼を置くはずのアサメは、ただ小首を捻る。
「はあ、失礼。さて」
ようやく四刀を構え、二つの刃尾をくねらせた。
上段の悪神、中段のアサメ、下段の刃尾。全てにおいて隙がない。
「斬れるんなら、どうでもいい」
消えた。
次の瞬間には時間差で突風が発生。爆発的な跳躍の痕跡は凄まじく、硬質な床材に亀裂が走る程。ただでさえ強力な瞬発力が、悪神を体現した事で更なる高みへと昇華していた。
ごどりと重鈍な落下音。
何とか身をよじって上半身を起こしたゴクロウ。みれば化け蜈蚣の悍しい肉頭が転がっていた。
(真身化状態ほどじゃないにしろ、影を追うのも一苦労だ。速過ぎる)
アサメの斬撃による断頭。
視認した頃にはまるで遅い。まるで一秒先の世界に生きているかの様な速度。次の瞬間には周囲の馬車を蹴り込んで立体的な軌道、そして高速移動。化け蜈蚣の体節に不可視の刃を刻み込んでは離脱、その繰り返し。
「はは、御転婆に磨きが掛かりましたねえ」
ユクヨニ操る化け蜈蚣は余裕そうに、むしろ遊びに付き合っているかの様な態度。
頭を失っても当然の様にのたうち回って暴れる化け蜈蚣は、それが唯一届き得る攻撃手段だろう。
腕や脚、巻き込んだ刀剣を滅茶苦茶に薙ぎ回す。肢体が斬り飛ばされようがお構いなしだ。いくらでも生えている上に、勝手に這いつくばって元に戻る。
不死身を有するからこそ為せる、生命を冒涜した戦法であった。
精細の欠片もない攻めなど、そもそも殺気すらない破壊的な児戯が剣鬼に当たるはずがない。
(まずいな)
だがその認識も違うことにゴクロウは気付いた。これだけの戦力差があってなぜすぐに決着がつかないのか。
一瞬だけ過ったアサメの凶相、痩躯にいくつかの切創を見つけ出す。
(アサメも自身の俊敏性を制し切れていねえ。別人格の本能のままに暴れてやがる。話が通じねえのも余計に厄介だ。そもそもユクヨニの野郎、何の用件で俺達に)
不意に腹の底から迫り上がる不快感。
たまらず、ごぼ、と血の塊を吐く。ぶるりと寒気。上半身全体が砕けて今にも折れそうな激痛。自身の上半身に視線を落とせば黒衣はずたずたに裂かれ、屈強な上半身は赤黒色に淀んでいた。四条に交差する罰点の傷が露わになっている。
刀疵、というよりかは痣だ。
体表は薄らと血が滲む程度で、内臓や骨格に斬撃の衝撃波が突き抜けていた。背中にも同様の、いやこれよりも痛々しい痣が浮いている。
損傷部位が壊死せずに済んでいるのは偽王としての頑強性によるところが大きい。
『ザマあみろ。もっと苦しめ』
駄目押しとばかりに長刀の怨嗟がはっきりと腕に伝わった。