血路の先の魔人達 17
出会った中で過去最強の客人、六仁協定の魔女ロスヴァーナ、闇鎧ガルセリオンの姿を見つめながら、ゴクロウは腕の中でぐったりとするアサメに耳打ちする。
「ありゃマズい。バレねえようにズラかるぞ。動けるか」
胸の中で、微かだが頷く感触。
さすがと評するべきか、アサメはゆっくりと体勢を取り戻してゴクロウから離れると落とした二振りの刀を鞘に納める。受けた損傷は深く残っているだろうが、気力の回復が早い。
幸いなことに魔人らは最も騒々しい東方面、つまりゴクロウ達が通ってきた後方を眺めていた。
移動するなら今しかない。アサメに肩を貸そうとして。
「バレてんだよ、ボケ」
ジュド、と鋭い射出音がゴクロウの右頬を擦過。熱い鮮血が飛散する。
激痛、よりかは何をされたのか全く掴めない。殺気すら見当たらない。思わず硬直していた。
(殺す気なら今の一発で殺せた筈だ。背後を見せるのはマズいッ)
瞬時に状況判断。
反射的に飛び出そうとしたアサメの前へ太腕を差し出し、制止を伝える。逃走という選択肢を即座に捨てた。
怒りに満ちた琥珀色の瞳と見つめ合う。
いつの間にかこちらを振り向いていた魔女ロスヴァーナがこちらへしなやかな右腕をゆるく差し出していた。よくみれば人差指の先が欠けている。先程までは五指共に揃っていた、筈。
(こいつも腕に何か仕込んで)
ぎりぎりぎりと張り詰める音。
陽光が極細の糸をほんの微かに浮かび上げていた。
ゴクロウが何か気付いた瞬間、ロスヴァーナが跳躍。
引っ張られるかの様な不自然な挙動で一直線と跳び詰めてきた。
魔女の軽い着地。だが干し草まみれの馬車は軋んで揺れる。
ロスヴァーナの御姿が間近で佇んでいる。雪、というよりかは白磁の肌はやけに人工的な質感。アサメよりかは高く、ゴクロウよりかは低い身長。その圧力はただの美女が放っていい威圧ではない。
びしりと背後から割れる音。
糸が鋭く巻き上がり、欠けた人差し指がロスヴァーナの掌にばしりと再装着される。
「大切なボクの睡眠を邪魔し腐りやがったボケ共が」
己以外の何者も認めないという絶対的強者の意志。待ったを掛ける間もなく。
ロスヴァーナの人差し指が、上を向いた。
「天までブッ飛べ」
爆圧。
白い。重い。冷たい。熱い。煩い。
共に舞う馬車の残骸。
ばたばたと乱暴な空圧が全身を揉みしだく。
巨大な何かに突き上げられたゴクロウとアサメは、気付けば乱回転しながら上空まで吹き飛ばされていた。
「ガ、あ」
爆圧をゴクロウで間に挟む形で損傷を免れたアサメが、間際で意識を保っている。全身の筋肉、骨、関節、内臓が圧壊せんばかりの衝撃。今、なぜ無事である理由かが一つも思い浮かばない。
回転する世界の中、一瞬見えた真下には巨大な靄が生えていた。
拳だ。冷気の塊。
巨人の、恐ろしく冷たい腕。
(なんて精素の質量。馬鹿げてるッ)
現にアサメは、その姿を黄金の豊かな髪と琥珀色の瞳に染め上げられていた。恐らくは魔女ロスヴァーナの有する精素の性質。強大な力を前にして、アサメの特異な能力が防御反応を引き起こしていた。
そんな事など気にも留めず、金髪琥珀眼のアサメは空中で必死に足掻き、千切れんばかりに腕を伸ばし、だが気を失ったゴクロウまで届かない。
ならばと黄金の金髪を操作し、巻き込んで掴み寄せた。
(まずいッ)
ゴクロウは耳、涙腺、鼻、口から血を溢し、真っ赤に充血した金眼をかっ開いたまま気絶している。分厚い胸に手を添え、強い心拍を確認。まだ死んではいない。
アサメの眼が下方の街道を望む。
ずらりと規則的に並ぶ屋根群。六方郭までひたすら伸びる馬車の渋滞。これまで辿った道のりは虫けらの如き人々が暴れ、逃げ惑っていた。
一際高い五階建て家屋よりも上まで打ち上げられ、あとは落下死するのみ。
「こんな、ところでッ」
ぎりりと食い縛る歯が軋む。
絶望の地上が待ち構えていようとアサメは生を諦めない。筋肉人形と化したゴクロウを片腕で抱えながら、回転する姿勢を制御。墜死せずに生き延びられそうな地点を一目で探し当てる。
大量の白布が整然と並んで揺れている。煤湯の都医院だろうか。間近に迫る、あの広い屋上しかない。
悍しい浮遊感に耐えながら時機を見計らい、今。
(届けッ)
ゴクロウを一瞬だけ手放し、二刀とも抜刀。
右手で投擲、即座と持ち替え。左手で再度、ゴクロウの襟首を鷲掴む。
投げ放った刃が屋上の巨大な貯水槽に突き刺さる。一瞬にして張り詰める銀糸。つんのめるアサメは刀の柄を手離さずに膂力で手繰り寄せる。
落下軌道が巻き込まれる様に大きく逸れ、一気に迫る白い屋上。
激突。
「が、はッ」
呼吸、困難。
遠心力に振られて滅茶苦茶に転げ跳ぶゴクロウとアサメ。幾度と襲来する鈍痛と巻き込む洗濯物。ただ身を任せながら屋上の縁へ衝突。
白布の芋虫と化した二人はようやく停止した。
「あ、ぐう」
布の中で悶え蠢くアサメ。
時間差で押し寄せる激痛。五臓六腑をしごき上げられる様な酷い圧迫感。耐えられずに胃液をぶちまける。白布に広がる鮮血の染み。口内が鉄臭いのだから内容物は当然の様に赤い。
ここで気を失う訳にはいかない。
「ゴ、クロウ」
痛みに震えるアサメは布の塊と長刀を払い退けてゴクロウを仰向けに転がすと胸に耳を当てた。強い鼓動が耳朶を叩く。
まだ生きている。
目に見える外傷は穴という穴から垂れ流れる血液のみ。深刻なのは体内の方である。
「起きてッ」
起きない。どうすれば。
たまらずゴクロウの分厚い胸板を叩いた。
掌に走る朱い電流。
「痛ッ」
思わず手を離すアサメ。
「ガハアッ」
覚醒する金眼。
血の飛沫を吐きながらゴクロウは飛び起きた。巨軀が悶絶しながら布地の上で蹲るがその耐久力は凄まじく、転がる長刀をすぐに探り当てて杖代わりにし、強引に立ち上がる。