血路の先の魔人達 15
幸か不幸か生き逃れた殺戮手どもは憎悪と憤怒を剥き出しに吹き矢を放つ。
宙を横切るアサメはやはり銀髪の蠍尾で防御。そのまま着地し、路面上を滑りながら走行姿勢を取り戻す。
飛び回る刀を手繰り寄せ、把持、即納刀。
泥底乃銀次のみを手にしたまま即座と路面を蹴り込み、騎手を失った赤馬へと飛び移った。
上下左右と滅茶苦茶に揺さぶられるが、感覚的に全ての力を受け流す。
むせ返る血臭を嗅ぎ取り、野性の本能で暴れ狂う馬を見事に乗りこなしながら一呼吸。さすがに全力疾走は体力の消耗が著しい。過熱気味の心臓をどくどくと感じながら敵を睨む。
前方にはゴクロウ駆る黒馬の背後。
次の交差点にも差し掛かろうとしている。
(一瞬で終わらせる)
刀を振りかぶる。身構えた殺戮手のほんの微かな隙を鋭く見つけ。
不意に体勢が失調。
急激に失速した馬体が傾いでいく。このままでは下敷きに遭うと離脱。
自身は無事。高速でたたらを踏みながら、アサメは強引に後方を振り向く。
不可解な光景に、鋼の瞳が驚愕と見開かれた。
「馬鹿なッ」
思わず叫びを漏らす。
そう遠くない後方。
片腕を失い、胴体を半分以上も斬り断たれた死骸が、残った腕で吹き矢を構え終えていた。虚ろな眼は散大したままどこか彷徨い、殺気らしい殺気が一つも伝わってこない。
(殺したはず。仮に生きていたとしても、生身の人間が背骨を断たれて立てるはずが無いッ)
それも一つや二つではない。
斬り捨てたであろう死骸が失った身体を求め、ずるずるともがき立ち上がっている。それも切断面が少しでも合わさればなんでも構わないのか、首の無い馬に上半身を擦りつける死骸までもが蠢いていた。それも有り得ないことに、四肢を震わせながら立ち上がろうとしている。
背筋に這う悍しい寒気。
アサメは逃れる様に全力で走りながらも、半人半馬と化した化け物が手に刀を取る様を見届けていた。
(何が起こっているの)
放置した死骸に精素が宿って立ち上がる、という話をかつて聞いた覚えがある。
夜光族と共に行動する中で初めて泥暮らしと遭遇し、殱滅させた後に聞いた話だ。その口振りからはある程度の時間を掛けて生じる存在だと認識していた。
だかどうだ。
蹄を掻き立て、今にも走り出そうとしている三体の半人半馬は。
これほどの短期間で肉体活動を再開させるとは、想定の範疇を逸脱している。
災厄はそれだけに留まらない。
起き上がった死骸の向く先。腹から腸を垂らしながらよたよたと歩道へ。異常な存在を前に怯えて腰を抜かす通りすがりの老婆へと向かい、覆いかぶさろうとして。
飛び込む影。死骸人は真横へ吹き飛んだ。
「先に市民の安全確保を優先しろッ」
蹴りを突き込んだ警兵が鬼の形相で檄を飛ばす。続々と集結する隊員らは俊敏かつ規則的な動作で包囲網を形成。車道へ飛び出していく者は他の警兵の装いと異なり、銃と剣で武装した特殊部隊であった。
死闘宗、警兵隊、死骸人、そして大動脈たる街道を掻き乱すアサメ達。
煤湯に、混沌が現出していた。
その場の誰もが冷静さを保つのに必死。だが殆どは平和慣れした町民ばかりで、ろくに働かない思考を放棄せんとただただ焦燥感に駆り立てられていた。
(早くゴクロウと合流しないと)
前方は停止する馬車や馬で列を成している。
対応が迅速だ。警兵隊の権限か、煤湯の主の意思か。車道は緊急的な交通規制が敷かれ、交差点の両方向は停止を示す形代の列に阻まれていた。
だが虚しいことに、多くの者が車両や馬にしがみついてその場から離れようとしない。後方から悍しい化け物が迫っているとも知らず、不満ばかり叫んでいた。
(人垣のせいで退路の邪魔にならない私達にとっては、むしろ好都合だけど)
ゴクロウや逃した二騎の殺戮手は既にその隙間を縫って交差点を突っ切っている。アサメも例外なく強引に渋滞を擦り抜け、躊躇なく規制線を飛び越えて障害物も何もない交差点を駆け抜けていく。
騒然たる気配、不穏な視線。
誰も彼もが怒鳴り声を張り上げ、或いは苛立ちを無法者へとぶつけていた。
「止まれ止まれ止まれッ」
前方へ躍り出た警兵隊らが拳銃を構えて警告を叫ぶが立ち止まる理由にはならない。
地を蹴る足音が怒号を掻き消し、跳躍。
軽々と頭上を飛び越え、追跡を振り切るべくあえて対向車線へ。馬車の屋根上へ乗り移ると次の馬車の上へと跳躍を繰り返し逆走していく。
眉間に皺を寄せ、混雑する車道を見据える。
百米ほど前方、渋滞の列を縫うように抜けるゴクロウを一騎のみ確認。アサメの乗り捨てた馬の姿はすでに何処かへ逃亡していた。
その背後に二騎の殺戮手。
周囲の騎手や御者、乗客といった堅気の人々は心底怯えた顔でようやく散り散りと逃げ惑っていく。素顔の殺戮手が鬼気迫る顔でゴクロウを追っていくのが恐ろしいのだろう。
(性悪女と狗は、いや、とりあえずはどうでも)
上手く姿を隠したらしい。それらしい姿は何処にも見当たらなかった。
道路上の標識をみれば六方郭までまだ十五粁以上。まだかなりの距離がある。やけに遠く感じるのは多過ぎる障害のせいか。
アサメはやや息を切らしながら、忌々しげに上空を向いた。
蠢く蛸墨の塊が五つ遊泳。
予想通り、アサメ達を地上へ追いやった鴉凧の死闘宗が不穏な濡羽を纏ってこちらを監視している。嫌らしいことこの上ない。
後方からは悲惨な絶叫。
風が運ぶは、きな臭い硝煙。
振り向けば死骸人と警兵隊が激突し、射撃音が連続で轟いている。包囲網から逃れた半人半馬が恐ろしく駆けずり回って暴走。もはや標的すら曖昧で、手近の人間に斬り掛かっては次の獲物へと見境なく襲う。
アサメに切断された殺戮手の死骸人らは生前の勘を取り戻した様に俊敏と蠢き、武装した警兵隊を瞬く間に肉塊へと変えていた。銃弾を喰らっても意にも介さない不死の防御性能。ただでさえ強力な僧兵が、デタラメに暴れ狂う。
絶望的な戦力差を埋めきれず、絶望がただただぶちまけられていく。
許されない死が感染するように拡がっていくのだとすれば、あれらも動き出すのだろうか。考えただけでも身の毛がよ立つ。
街道という交通機構は破壊され、一秒経つごとに莫大な損害と死傷者が多数と齎される。
(最悪、だ)
四方八方に地獄が拡がっていく。
混沌が爪弾いた平和の象徴は将棋倒しの如く崩れ落ちようとしている。全てを薙ぎ倒すまで止められない。
それでもアサメはただ前進あるのみと馬車から馬車へ、ゴクロウの援護をするべく一直線で飛び向かっていた。
その先に諸悪の根源があると信じるしかない。そうしなければ自責の念に呑み込まれてしまう。
(さっさとあの殺戮手共を、殺すッ)
闘争心と怒りで己を殺すのみ。