血路の先の魔人達 7
裏切り者の姿をした何者かへ飛び掛かろうとするアサメを、ゴクロウが欠けた右腕で抱き寄せて強引に止める。
「離して下さいッ」
「アサメ、見誤るなッ、こいつはシクランじゃねえッ」
叱咤を響かせながら、ゴクロウは本堂の屋上に立ち尽くす壮年の青い幽霊を睨んでいた。
夜光族。
朝は実体が隠れ、夜にのみ青白く朧げな姿を現す人種。平和と家族を愛する穏やかな民族。
だがシクランは違う。
丸刈りの黒髪、迫力ある紫紺の眼、修羅場を幾度も越えた歴戦の面構え。
夜光族唯一の行商隊に付き添い、護衛官として悪しき輩を退けた実績を持つ勇敢な戦士、の筈だった。
「だったらあの憎き面は、あの透けた肉体は、貴方の名を呼んだ奴は、他人の空似とでも言うんですかッ」
雷拝祭の最中、警護するゴクロウの背中を蹴り込んで地獄に突き落とした裏切り者。
「そうだ。よく似た何かだ。落ち着け。夜光族なら、朝っぱらにあんなくっきりと姿を現せられねえだろうが」
「でもッ」
揉めに揉める。
周知の事実と目の前の事実が真っ向から食い違い、思考が混沌と化す。
凡ゆる状況に順応し最適解を導き出す偽王ゴクロウはともかく、怒りに支配されやすいアサメは己の内の矛盾と激しくせめぎ合っていた。
その様を本堂の屋根上から見下す男は、不気味な笑みを溢す。
「勇ましいものよ。あの幼女が、こうも美しく逞しく成長を遂げるとは。神化したのだな」
「黙れッ」
「威勢も良くなった。いや、ゴクロウを蹴落とした時とそう変わらぬか」
シクランらしきこの男は愉快とばかりに哄笑を張り上げた。
ぞっと下がる体感温度に、ゴクロウの総毛が逆立つ。
アサメから発せられる殺気に、剣鬼の闇を垣間見た。欠けた右腕をさらに斬られる様な、憤激一歩手前。奴の挑発術に引き込まれている。
アサメの喉が鳴る。反撃の声を吐き出す前に。
「アサメ、やりたきゃやれ」
ゴクロウが先手を打つ。だが、寄せる肩は手放さない。
「野郎をぶち殺すってんなら好きにしろ。力づくじゃ俺はお前を止められねえ。ろくに使い物にならねえこの腕をぶった斬っていけ」
「それ、は」
息を呑む。
それは決して許容ではない。
敵が齎す言葉を鵜呑みにする己を信じるのか、それとも唯一無二の相方の腹案を信じるのか。
ゴクロウが突きつけた極端な選択に、アサメは二の足を踏んだ。
殺気が鎮まる。
見ようによっては白けつつある気配に、ふんとつまらなさそうに鼻で笑うシクランらしき者。
「成長したな、ゴクロウ。冷静沈着そのものではないか」
ゴクロウはすぐには応じない。目上に佇む敵をただ睨みつけるだけ。
「おい。性悪なてめえの主身に言っとけ。俺達に喧嘩を売りつけるってんなら、くたばる覚悟をしとけってな」
挑発をものともしない謎の敵対者は不気味な笑みを浮かべたまま、ゴクロウの護人杖を我が物のようにして肩で担いだ。随分と気に入った様子。
「罵られる側に立つと実に不愉快な冗談だな。何、まだ舌が回るうちにせいぜいほざいておけ、ゴクロウ」
言い捨てた直後、跳躍。
「待てッ」
アサメの制止を聞き入れる筈がない。
二人はばらばらと剥落する瓦を避けながら、一目散と退いていく後ろ姿をただ目で追うだけに終わった。
もはや追尾不可能と知るや否や、アサメが欠けた右腕を乱暴に振り解く。力加減が荒く、ゴクロウは思わずたたらを踏む。
息苦しいと言わんばかりに面紗を勢いよく脱いだ。三つ編みが揺れる。
「どうして止めたんですかッ」
柳眉を逆立てた鋼の視線を容赦無く突き刺す。
ゴクロウは甘んじて受けながら、静かに長刀を背負った。同じく面紗を剥いで一息吐く。身に付け慣れるまで邪魔臭くて敵わないだろう。
「生き餌だ。これで奴を追える」
懐を弄って傷薬の軟膏を取り出し、刺突傷へ塗り込む。傷はほぼ塞がりかけていた。
「どういう事です」
「俺とあの護人杖は繋がっている。上手く辿れば連中の不意を突けるに違いねえ」
はっとアサメは口を噤んだ。
今までの繰り広げてきた戦闘の中、ゴクロウは武器を奪っては使い捨て、投げつけ、手元に置いていたとしても激戦を潜る度に紛失していた。
だが護人杖だけは常に傍にあり、共に猛威を奮っていた。真身化状態ならば念じれば手元へ引き寄せられる。気配だけならば、今でも追える確信がゴクロウにあった。
「まさか最初から、それを狙って」
溜飲が下っていく。
「いや、偶然だ。お前を止めたのは他にもある」
ゴクロウはおもむろとアサメの額を小突いた。
「むッ」
一層と眉間に皺を寄せて睨む。ゴクロウは肩を竦めて笑っていた。
「怒り散らかしている時のアサメは直線的で読み易いんだよ」
「む、むむ」
図星らしい。本人も気にしている点を手痛く突かれていた。