死闘宗の殺戮手 21
壁紙や木床があちこちと老朽化した古びた宿坊だが、不自由は何一つない。
平家家屋の一角に設けられた温泉。長い銀髪を丸く束ねたアサメは返り血と汗を洗い流す。敵か味方か曖昧な連中の寝ぐらでゆっくりと湯船に浸かるほどの無頓着さは持ち合わせていないアサメはさっさと旗装に着替えて刀を二振り携えた。
(案外、悪くないかも)
鏡に映る褐色肌の旗装娘を見つめて、いや、と首を傾げた。
長裾の切り込みがあるおかげで刃尾の取り回しが容易いという一点のみである。
美麗なる容姿など、必要ない。
束ねた銀髪を解き、寝不足気味な鋼の瞳に喝を入れるよう睨みつけ、脱衣所から出た。
中途半端に温まった身体が底冷えする冷気に晒され、より寒気を催す。半身の強靭な肉体がすぐに体温を調整するので問題はない。
食欲を唆る匂いが漂っている。一週間飲まず食わずでも生きていけそうな身体だが、欲求は別だった。ぎしぎしと床板を軋ませながら匂いの元を辿っていく。
人気がする。襖から覗くと、長広い仏間。
正面の奥には厳つい仏像と、部屋を二分する長い食卓、等間隔に並ぶ座布団。そして昨晩の給仕娘がせっせと三人分の配膳を整えていた。
一瞥を向けてきた栗色の眼と一瞬だけ合う。
「食べてって。長くなるから」
素っ気ない態度だが、食事を振る舞うだけの礼節は持ち合わせているらしい。
周囲を見回すアサメだったが、まだゴクロウは風呂にでも浸かっているのだろうか。のんびりしていないで早く出てこいと腹の中で文句を呟く。
(どいつもこいつも、呑気すぎでは)
昨晩、散々と殺し合った者と二人きりというのはまるで落ち着けない。
アサメが警戒心を露わにしたまま顔を半分を覗かせていると、また給仕娘と眼が合う。訝しむ視線は、すぐに小馬鹿にするような目つきに細められた。
「立ったまま食べるんなら、そこまで持っていこうか」
余裕綽々。
随分と小馬鹿にしてくる相手にアサメは眉を顰めた。斬り合いで負ける気はしないが、舌戦は絶望的である。人見知りらしく覚悟を決めるとずかずかと畳の上を蹴って歩き、片膝を立てて座布団に腰を落とした。
これならばいつでも刀を抜き放てる。
「はい。どうぞ存分に毒味していただいて」
ちらりと御膳を見下す。雑穀混じりの茶飯に味噌汁、漬物と卵が一つ。仏のついでに振る舞う朝餉にしては充分だろうとアサメは鼻で笑う。
箸にも触れない。
「部下を斬った相手に、よくもへらへらと食事を振る舞えますね」
一瞬、解らないという顔した給仕娘ナガサはすぐにああ、と口火を切った。
「あんた達に強襲を仕掛けた奴のことなら、あれは私の部下じゃないよ。顔も知らない」
鋼の瞳がじっと栗色の眼を睨む。
「殺戮手は自己中心的な主義者ばかりだから、最下層の無銭衆はあたしみたいな血銭手、上位者にくっついておこぼれを貰うんだよ。あたしはほら」
ナガサは手品よろしくと掌に緋色の硬貨を出現させた。ゴクロウ曰く、死闘の中でしか死ねない呪いの証。
言い得て妙だ、とアサメは硬貨から視線を栗色の瞳の戻した。
「こいつはね、莫大な利益を齎した者に贈られる名誉の賞牌なのに。それを呪いだなんて、失礼じゃない」
「失礼も何も、疫病神が呪いを振り撒くのは当然だと思いますが」
してやったりとアサメは毒舌鋭くと一蹴。
対するナガサは口端が不気味に吊り上がる。目は笑っていない。
「知ってるかな。疫病神は不健全な人が大好きなんだよ。特に鼻が曲がりそうな血臭のする奴はね、闇に引き摺りやすいからさ」
「不躾な腕と首を斬り飛ばされたければ、どうぞご勝手に」
「こちらこそ、また灼かれたいのなら、好きなだけ狙えば」
ばちばちと女傑らの視線に不可視の火花が散る。
いや、卓上のお碗をみれば味噌汁の表面が波紋に震えていた。かちかちかちと箸が鳴る。濃密と立ち込める殺気の粉塵に、今にも引火しそうであった。
ごくりと二つ、生唾を呑み込む音。
「可愛い顔してんのにやっぱ怖えな、お前の相方」
「お主の半身こそ」
こっそりと仏間を覗くゴクロウと巨狗スカヤは、いつの間にか意気投合していた。一人と一匹は仲良くほかほかと湯気を上げている辺り、裸の付き合いを通じて絆を結んだらしい。
ぐう、とゴクロウの腹が大きく鳴る。
ぞろりと殺到する視線、刃の鋒の如し。
思わず気圧されるゴクロウ。その迫力に思わず口を突いた。
「飯、食おうぜ。美女に挟まれても冷めるだけだ」
我ながら上手いことを言ったと称賛するゴクロウだったが。
「意味不明なんですが」
「うん。二点」
容赦ない罵倒をまともに受け、乾いた笑いしか出ない。
アサメとナガサはふんとそっぽを向く。ゆっくりと殺気が収まっていくが、尾を引きそうな執念が蟠っていた。
「場を落ち着かせたという意味では満点だな、うむ」
「良い奴だな、お前」
「ふん」
穏やかではない雰囲気の中、ゴクロウとアサメは食卓を挟んでナガサと向き合った。その背後にスカヤが丸まって座る。
妙な食事風景だった。食器が擦れる音のみ。実に険悪である。黙々と箸を手繰るナガサはともかくアサメは一口も食べようとしない。
「おかわりいいかい」
ゴクロウといえばいつも通りの旺盛な食欲と遠慮のなさ。ナガサがどうぞと掌で釜を指したのをいいことに、これでもかと茶碗に飯を盛っていた。