死闘宗の殺戮手 19
呪いの戦闘術、兵眼流そのものと言っても過言ではない。剣魔アサメとの死闘を経験する他、体得は有り得ない。
成る程、感覚的な教え方しか語れない訳である。
「これだけ煽っておいて、俺が恐れ慄くと思うかよ」
思った通りだとアサメはやれやれと盛大な溜息を吐いた。
「はあ、やっぱり話さなきゃよかった」
子供のように目を輝かせるゴクロウを気怠そうに見つめる鋼の瞳。
「頼むぜ、先生」
「先生はやめてください」
アサメ、消失。
「な」
前触れなく歩を詰め、瞬く間もなくゴクロウの胴に拳を添えた。
「兵眼流格闘儀、先の型」
ただの拳打ではない。予測不能の動作に身を引くも。
「散鱗空華」
突如腹部に発生した爆圧に、ゴクロウの巨軀が吹き飛んだ。
「ごっはぁッ」
石畳の上を擦りながら受け身を取り、衝撃の慣性を利用して無理矢理立ち上がる。分厚い腹筋を貫通し、内臓に圧を掛け、背骨にまで響く魔拳。
差し込まれた鈍痛にゴクロウは苦悶の表情を浮かべながら、迫り上がる吐き気を堪える。
右拳を突き出して構えたままのアサメを睨んだ。
「痛ッてえな、逃げてなかったら背骨折れてたぞ」
鋼の瞳は動じない。
負担条件のつもりか、左手には飴色鞘の一振りを握ったままだった。
「気を抜き過ぎです。兵眼流は格上を殺す儀式。戦闘者として私と対峙するのなら、殺し合いは常に行われていると心得てください」
へ、とゴクロウは吐き捨てるように笑った。
踏み均された土の地面にざくりと長刀を突き立てる。片腕では存分に長物を扱いきれない。お互い思わぬ怪我を負う羽目になる。
一つ深呼吸し、精神統一。戦意を高めていく。
「上等じゃねえか」
その覚悟に、アサメは不満そうに小首を捻った。
突き出されたままの右拳がしなやかに回る。
「今の私の力は使いません。容易く殺してしまうので」
くいくい、と挑発的な手招き。
「その余裕、見なかったことにしてやるよ」
拳で語るのみ。
姿勢を下げたゴクロウは牙を剥いて一気に突進を仕掛けた。猪突猛進。地表を掠める勢いで突き上げられた拳は常人では回避不可能の豪速と、防御無視の破壊力。
「先の型と後の型の違いは名の通り」
唸る剛拳を、アサメは外へ蹴って容易く払い退けた。
「先を取るか」
突き上げから変則した肘打ちがアサメの側頭部へ。
「後を取るか」
上腕骨内上顆を弾いて阻止。
神経を圧する電流と精密無比な一本拳に驚愕するゴクロウ。
視界に星が散る。
「ぶッ」
裏拳を顔面に喰らったと気付いた頃にはもう遅い。
人中、顎、首、喉、鳩尾、三日月、肋骨へ雷光の如き致命連撃。
まるで防御が追いつかず。
「これが後の型。八岐乃世呪」
だが持ち前の頑強な肉体はたたらを踏むに留まる。ぼたぼたと鼻血が石畳に散る。本来ならば顎部を破壊し、内臓圧壊及び肋骨を折って心臓に突き刺す殺人技。過剰なまでの致命打を有効打へ抑え込む頑強さにゴクロウは救われた。
ふらふらと千鳥足を踏む。
(前に戯れた時とは段違いに鋭え。人力まで加減してこの威力かよ)
と見せかけた上段後ろ回し蹴り。
丸太の如き脚がアサメの鼻先を擦過。当たらない。
(頑丈さに磨きが掛かったような)
それぞれが交戦の手応えを抱きながら、再度接近。
重い速い鋭い堅い。猛攻と迎撃。
激しい拳打蹴撃の応酬がバチバチと鈍い音を立てて境内に響く。一手一手に込められた必殺の威力が空を圧し、塵が舞う。
素人目には一見、滅茶苦茶にも映る高速戦闘。その実は打倒し得る次の手を瞬時に精選、精密機器の如く繰り返す脳内予測の上で成り立っており、戦闘者から見れば心胆を寒からしめるほどに高められた練武である。
(両腕が揃ってりゃ、もっと暴れられるのによ)
当たりどころが悪く無くとも致命打に至るゴクロウの正拳突きがアサメの顔面へ一直線へと向かう。冷酷な鋼の瞳が愚直と判断。神懸かり的な間が豪速の拳、その側面を人差し指のみで受け流した。
後の型。
(いや、これは)
息を呑む。
罠に嵌る前に右手を引くが遅かった。岩の拳が開いて細い手首を鷲掴んだ瞬間。
アサメの視界がブレた。
強引な引力に咄嗟と首を固め、眼を見開く。抵抗虚しく脚が浮き、肩や腕には千切れんばかりの遠心力。体重差には敵わない。
ゴクロウの馬鹿げた膂力が、アサメの痩躯を大きく振り回した。理屈も理論もない。単純にして絶対的な剛。
瞬間、足裏が青天へ向く。石畳に叩きつける気か。
「うおラアッ」
怒号一発。
「後の型」
は、と間抜けな声。
地面に亀裂は走らない。
アサメは羽根の如く降り立ち、そして何故か宙に浮いて捻転するゴクロウ。
膝を支える力を奪われた瞬間に失敗を悟った。
羅刹の手首を掴んだのが、そもそもの間違いであったと。
(柔術、いや合気も使えるのかよッ)
力の奔流を制してこそ、兵眼流の使い手。
「逆咲菩提」
背中を叩き、突き抜ける地球の圧力。
筋肉が潰れ、骨格に重く重く響く。まともに叩きつけられたゴクロウは肺から空気を失い、数瞬、呼吸を封じられたが。
「さすがは偽王、ですね」
横転受け身で機敏と距離を取り、無理矢理起き上がる。無呼吸だろうが激痛に苛まれようが、意志と骨格さえ無事ならばどうということはない。
再度、相対す。
依然として冷静冷徹を保つアサメ。
びくりびくりと眉間に血管が浮く赤鬼の如きゴクロウの相貌。まだ息を整えられず、言葉を発せない。
死ぬかと思った、とでも言いたげな凶暴な笑み。
(まだ始まったばかりだ。もっと闘おうぜ)
闘気充分なゴクロウはようやく呼吸を取り戻した。深呼吸の後、じりじりと砂利を躙って構え。
「どうぞ」
続行の意志を汲み取ったアサメは不承と鼻息を吐いて手招く。
力の挑戦者は弾け飛ぶように前へ。技の師が毅然と受け止める。
再び激しい拳打蹴撃の嵐が吹き荒れた。
一手でも均衡が崩れた瞬間に生死が決する組み手を、手水舎からぼんやりと眺める女と獣。
しゃこしゃこと歯を磨く場違いな音が聞こえる。
(朝っぱらから魅せつけてくれるねえ)
ある時は給仕娘、ある時は死闘宗の殺戮手。
可憐な顔つきと荒事とは無縁そうなつぶらな栗色の眼。だが、飛び交う一手一足を全て追い、観戦でもするかのようにゴクロウとアサメの組手を見物していた。
「無銭衆では殺せぬわけよ」
後脚を畳んで座す灰色の巨狗が感心したように唸った。その姿、狛犬の如し。
「ん」
栗色の総髪を揺らしながら口一杯に含んだ水を吐き、ぶくぶくと濯いで吐く。ふう、と爽やかな息を吐いた。
「私達もあのままやってたら、二度と闘えなくなってたね」
杓子で掬った水を飲みながら、女は本音を溢していた。
巨狗の黒曜の瞳がじろりと主を見上げる。
彼女は面白いとばかりに笑んでいた。
「らしくない謙遜だな。ナガサよ」
「スカヤ、そこは合理的と言って欲しいね」
女の名はナガサ。巨狗の名はスカヤ。
死闘宗に信仰を寄せる敬虔な殺戮手である。