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死闘宗の殺戮手 17

 早朝。

 払暁(ふつぎょう)の薄明が境内(けいだい)の闇を払い、鬱蒼と茂る竹林に鎮座する本堂の古ぼけた色を浮かび上げていく。

 相変わらず天には一片の曇りがない。街人の声を聞いていた限り、雷拝祭(らいはいさい)以降であっても二日以上ものあいだ曇天郷に一片の曇りがないのはやはり異常事態であるらしい。

 こつこつこつと刀の目釘(めくぎ)を叩く音。

 身を切る冷風が長い銀髪を揺らす。妙に眼が冴えたままのアサメは本堂正面のささくれた階段に腰掛け、二振りの刀と長刀に手入れを施そうとしていた。

 アサメは腹の底を開くような深呼吸をする。吸い込む冷気が心地良い。だが素直に喜べないでいる。


(今日こそ、手掛かりを探らないと)


 悶々(もんもん)としながらも、刀の(こしら)えを分解する手捌きは慣れたものであった。

 柄を持つ手首を何度か叩き、金属音を響かせながら刀身を浮かせる。(つか)を外し、切迫(せっぱ)(つば)切迫(せっぱ)鏡面(ミラー)加工の(はばき)と小気味良く順番に外して刀身を丸裸にした。

 こちらは飴色鞘の方。

 今頃、持ち主ははらわたが煮えくり変える思いで犯人と刀を探しているだろう。執着する程に美しい刀身である。見つかるまで借りよう、と後ろめたい気持ちをうやむやと頭の奥へ押しやる。

 やはり業物らしく、“金喰梓(かなぐいあずさ)”という銘が刻まれていた。


(きん、かな、喰う。読めないけど、漢字だ)


 鋒から(なかご)の尻まで普段から手入れが施されている。昨晩に付着した血痕を除けば、(さび)一つ見受けられない。丁寧に拭き上げた後は逆の手順で金具を元に戻し、柄を納めて柄頭を叩き上げていく。通った穴を留めようとして目釘を摘み上げ、おや、と首を傾げた。


(少し、(ひび)が)


 竹で造られた太めの目釘(めくぎ)に、ほんの微かな(ほころ)び。行き届いた手入れの具合から(おもんばか)るに、昨晩の連戦時に傷が走ったのだろう。

 どうしたものかと竹林を見回すが、適した竹は見受けられない。肝心な場面で使い物にならなくなったり、使い捨てるという選択は考えられなかった。

 アサメは困ったと一息吐きながら、さらさらと流れる長い髪を何気なく手で払った。

 ふと考え直す。よくよくと自らの銀髪を指で()く。

 今は柔らかな質感と煌びやかな光沢を(たた)えた瑞々しい髪。


(使える、かも)


 一度アサメの怒りに呼応すると、一本一本が鋼の如き硬度と操作性を有する銀糸と化す。

 直感を信じる。物は試しだ。一本抜き取り、ぐるぐると目釘(めくぎ)をきつく巻き上げたものを目釘穴に挿し直した。

 黒色の鞘も手入れし、同じ様に髪を一本、目釘に括り付けておく。こちらの銘は“泥底乃銀次(でいていのぎんじ)”とあった。

 もう一振り。アサメは満を持して(いわ)く付きの長刀を取り出した。

 憎き紅柑子(べにこうじ)の狂人、リプレラが持っていた得物である。ゴクロウとアサメはこの刃に貫かれ、縫い(まと)められ、死の淵へと堕ちようとしていた記憶が痛々しく蘇る。

 鬼神となって覚醒し、長刀を紅蓮の炎で纏うまではリプレラの子供が悪霊となって住み着いていたらしい。その名はマルドバ。

 ゴクロウに聞かされた時にはそんな馬鹿なと一蹴したが、この生命溢れる時代には悪性霊という精素の怪異が何処かに潜んでいるのである。あながち間違いではない。

 思わず固唾を飲み込む。じっくりと観察するのは初めてだった。

 打刀をそのまま上下へと延伸(えんしん)させた様な、いわゆる物干し竿。

 鞘を失った重花丁子(じゅうかちょうじ)の刃紋は滴る血を連想させる。半身の膂力(りょりょく)だからこそ片手で把持(はじ)し続けられるが、本来であれば両手で用いるもの。

 見た目以上の重量に気を遣いながら、慎重に目釘を抜く。堅く締まったそれを外し、(つば)周りの金具をぞろぞろと金属音を上げながら取り出していく。

 穢土(えど)の潜む谷に落ちてから激戦を何度も経て、今の今までまともな手入れは無かった。それでもまるでへこたれた様子はない。


「これ、は」


 驚愕の声をアサメは思わず漏らしていた。全身の産毛が粟立ち、背筋が凍る。

 刀身の(なかご)に刻まれた、(おびただ)しい数の英単語が細かくびっしりと刻まれていた。

 初めは呪いの言葉か何かと目を疑う。恐る恐る眺めていると文章として読めることに気付いて、内容に再び瞠目(どうもく)した。


『三月の初め。今日もマルドバは元気良くお腹の中を蹴った。耳を澄ませると笑い声が聞こえて来る。腰の痛みが少し和らぐ気がした。六月が始まる。母乳の代わりに血を飲ませたら泣き止んだ。口の周りをべたべたにして寝ている。可愛い。九月の終わり。蒸し暑い中、よく走り回る。今日は二匹、(うさぎ)の首を仕留めてきた。美味しいところだけを私達にくれるって。マルドバ、貴方の将来が楽しみ』


 生身の刀身を持つ手が不快に汗ばむ。

 あの狂人は母子の観察日記を、どういう訳かこの長刀に刻みつけていたのだ。

 誰々を殺しただの、それをみて喜んでいただの、もっと血の化粧をさせたいだの、凄惨極まりない内容が隙間なく刻まれている。

(信じられない。何なの)

 ゴクロウはなんと言っていた。このマルドバという子供を、悪霊と呼んでいた。

 既に死んでいるのか。だが読み進めても死が訪れるのは旅人か賊、小動物ばかり。愛する我が子が死んだという表現や言葉は見受けられない。

 直近の日記を探す。


『ご馳走を逃した。年明けから一ヶ月以上、誰も殺していないのに。客人は絶対に仕留めたいけど、サガドはあのデカブツを味方として迎えたいらしい。近いうちに珍しい血を飲ませてやるから我慢しろといわれた。夜光族、どんな味がするんだろう。マルドバも楽しみそうな顔』


 瞬間的に怒りが沸く。茎を握る拳に力が籠り、がたがたと震える。

 ここ一ヶ月以上前に記されたこの記録は、アサメやゴクロウと深く関わりのある陰謀の一部。

 悲劇は既に過ぎ去り、大勢の死を以て遂げられ、今なお続く災厄。

 昂る感情をぶつけても意味が無いかもしれない。

 風斬音。


「お前達のせいでッ」


 だが気付けば立ち上がって長刀を振りかざし、石畳に叩きつけようとしていた。

 脳裏に、紅柑子(べにこうじ)(はしばみ)虹彩異色(オッドアイ)


(動けな、いッ)


 直後、金縛りに遭う。

 不可視の束縛を振り解こうともがく。己の身体に抑えつけられる感覚はすぐに解けた。長刀が手から擦り抜ける。がらんがらんと重い金属音が境内(けいだい)中に喧しく響いた。

 心臓がどくどくと煩い。

 荒い呼吸を繰り返すアサメは項垂(うなだ)れるように階段に座り込む。(なかご)を握っていた掌には一直線と走る赤い跡。鋭く(うず)く。

 呪いという認識は、間違いではなかった。


「アサメ、どうした」


 騒音を聞きつけたゴクロウが来るまで、アサメは柄無しの長刀を黙って睨みつけていた。



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