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死闘宗の殺戮手 16

 薄暗くこじんまりとした酒場の中は肉や香味野菜を(いぶ)す匂いで包まれていた。

 寡黙な男店主が一人と例の給仕娘の二人だけ。他に客は居ない。こうもうらぶれていては客も寄り付かないだろう。温泉に溢れたこの区域ならば他に足を運びたくなる店など幾らでも並んでいる。

 底上げされた座敷に上がり込み、どかりと胡座(あぐら)を掻くゴクロウと静かに対面に座るアサメ。暇なのだろう。造りは古いが清掃は隅々まで行き届いており、樫の卓もべたついていない。


「ご注文は」


 努めて朗らかな対応で要件を伺う給仕娘は、戦闘者の眼から見れば隙のない(たたず)まいだった。

 彼女は四肢共に義手義足のはずだが、(たすき)掛けされた割烹着から覗く色白の細腕はどう眺めても素肌そのもの。それに損傷を負わせたはずの左腕は元通りに戻っている。

 ゴクロウがじっと栗色の瞳を見つめ。


「あんただ」


 単刀直入と注文した。


「おあとは」


 どうやら冷やかしを続けてもいいらしい。


「まず腕を治してえ。ゲイトウィンとやらの居場所か、もしくはあんた御用達の伝手でもいいから知りたい。それと、もう禁足域の状況は把握してんだろ。情報共有しよう。あと一つ」


 お品書きにはない滅茶苦茶な料理を頼んでいく。

 それでも給仕娘は、伝票を挟んだ板に強い筆圧で何事か書き込んでいた。


「あんたら、俺ら以外の誰様と見間違えたんだ」


 ぴたりと給仕娘の手が止まる。


舞燈(ぶとう)町であんたらと出会(でくわ)した時だ。裏路地の惨殺死体、最初はお前達の仕業だと思ってた。だが違う」


 ゴクロウもアサメも、既に見抜いていた。


「あんたらの手口と、(ホトケ)さんの傷口。思い返せばまるで一致しねえ。ありゃ強引に捻り切られていた。もし五体を断つなら、あんたらなら斬り飛ばすか、噛みちぎるかのどちらかだろう」


 暗い眼差しがゴクロウを見据える。


「以上でよろしいですか」

「俺らは殺し合った仲だ。俺らのやり方でもねえことくらいは解るだろ。腹割って話そうぜ、血が飛沫(しぶ)かない程度にな」


 がりがりと強い筆圧が響く。

 渡された伝票の紙は無残にも破け。


「二千灯です。お会計、先払いなので」


 おどろおどろしい文字と莫大な金額が、伝票の木板に刻み込まれていた。

 目を見開いたアサメが、給仕娘を睨む。


「払えるわけが」


 続く文句をゴクロウは手で制した。緋色の硬貨(デスコイン)を弾く。

 やはり素人らしからぬ洗練された反射神経をみせた給仕娘は、難なく掴み取った。


「お釣り、渡せませんけど」


 底冷えする声が、ゴクロウを刺す。

 それはつまり、二千灯以上の価値がある代物を渡したという意味である。

 それ自体に貨幣としての価値はない。


「死闘の中でしか死ねない呪いなんざ願い下げだ。そんな物騒なブツはさっさと使い切るに限る」


 死闘宗という煤湯(すすゆ)の闇、つまり二千灯以上もの価値を動かし得る梃子(テコ)を今この場で使っても良いのか、と給仕娘は念を押しているのであった。

 しばし睨み合う。

 重い静寂。食材を刻む小気味良い音だけが淡々と響く。

 先に唇を湿らしたのは、給仕娘。


「詫びの印を呪いだなんて、言ってくれるね。行き過ぎた強者にはそのくらい付きものだよ」


 ついに本性を現した。

 口許はあくまで営業の微笑みを讃えながら、だが目元は暗い感情が漏れていた。

 剣呑な雰囲気の中、アサメが噛みつく。


「散々けしかけておいて、よく言えますね」


 無言のまま、給仕娘は伝票板を指差す。

 刺々しく刻まれた字を黙読する。


『紙デノ筆談不可。仔細ハ明日ノ明ケ。寺ニテ』


 ゴクロウとアサメは互いに視線を合わせた。

 理由はともかく監視の眼を気にしている。寺とは恐らく、巨狗と再会したあの寺だろう。

 判断は任せると鋼の眼差しに頷く。進む道は決まった。


「言い忘れたんだが」


 ゴクロウは自らの懐に手を突っ込んで帯鞄(ベルトポーチ)をまさぐる。


「あんたのおすすめの酒と合う肴をつけてくれ。あと腹に溜まるものも」


 紙幣を一枚、給仕娘に差し出した。

 紙切れを見つめ、続けて睨みを利かせたままのアサメを見つめる。お前は注文しないのか、と栗色の眼が冷静と訴えかけていた。


「私は結構」


 さっと受け取ると、給仕娘は満面の笑みを取り戻した。


「お釣りは」

「俺の舌を楽しませてくれるなら、持っていけ」

「あいよ」


 交渉成立、とみてもいいだろう。

 そそくさと裏方に引っ込んでいった栗色の総髪(ポニーテール)

 アサメは樫の長卓に頬杖を突き、じろりとゴクロウを見つめた。感心と呆れが半々といった様子である。


「まだ食べるんですか。しかも得体の知れない食事処で」

「こんな香ばしい匂いがする毒料理、むしろ食ってみたいね」

「無事で済むのは貴方くらいですよ」


 程なくして運ばれてきた一品を純粋に楽しむゴクロウを、アサメはちびちびと水を舐めながら黙って見つめていた。

 (トレイ)に乗っていた簡素な鍵を摘み上げる。宿坊の部屋鍵だろうか。先に戻っていろという訳である。


(今日はここまで、か)


 限りある一日が過ぎ去っていく。

 アサメはただ黙っていた。今すぐ実行に移せることなどたかが知れている。遅かれ早かれ来たる大戦に、たった二人で挑むなど無謀の極み。流れに乗るしかないことなど弁えていても(はや)る気持ちを言い聞かせられずただただ脳裏を空回る。

 悶々としたまま小一時間ほど過ごしたか。目の前で舌鼓を打つゴクロウだけが今この瞬間を楽しんでいた。


(ゴクロウ。思考を切り替えられる貴方が羨ましいです。私にはとても)


 結局宿坊に戻ってもアサメはあまり寝付けず、独り寝ずの一晩を明かした。


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