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死闘宗の殺戮手 15

 暗い境内(けいだい)に足を踏み入れた瞬間、体感温度が下がる。冷たい闇が身体にぴったりと纏わりついて離れない。


「清々しいなあ。空気が澄んでいる」

「全く。寒気しかしません」

「冗談だよな」

「そっちこそ」


 互いに首を傾げ合いながら石畳の道をにじり歩く。手水舎からぴたりぴたりと水音が滴る音が聞こえるほど静寂な境内。仏殿に灯りはなく、横合の宿坊にぼんやりと灯りが浮いていた。

 人の気配はない。灯りが付いているのだから誰かが居るには違いないが、生者の息遣いを感じないのは何故なのか。留守にでもしているのだろうか。

 本堂の前に立つ。青銅製の香爐(こうろ)からは線香が消えて久しく、ごくわずかな香木の気配。

 外陣は厳重と閉め切られ、中は窺えない。

 残す手掛かりは宿坊か、と振り向いて。


「かような奇術で我等を探り当てるとはな」


 巨狗。

 闇夜に佇む黒曜の双眸が、こちらを睨みつけていた。


「いつの間にッ」


 肩をびくつかせながらも鞘に手を掛けたアサメ。人外の身体機能を有する彼女ですら、察知しきれないほどの静粛性にゴクロウも戦慄する。

 いつから監視されていたのか、見当もつかない。


「牙を剥くというのなら立ち向かうまでだが、次こそはどちらかが地に伏すぞ」


 腹の底まで響く重低音に、だが殺気はない。

 この知性ある獣に仕留める気が有れば既にゴクロウかアサメのどちらかは致命傷を負っていたか、最悪の場合はどちらも事切れていただろう。

 深手を負ったはずの巨狗を見つめるゴクロウ。やはり半身の回復力は凄まじい。傷はすっかり癒えているが、生々しい血痕だけが灰色の体毛にこびりついていた。

 隣を護るアサメに構えを解くよう手振りで制する。


「さすが、聞きしに勝る死闘宗というわけか」

「我らの正体を知って自ら踏み込むとは。腕に覚えがあるというのも問題だな」

「俺はゴクロウ。こっちはアサメ。訳有りなんだ。話がしてえ」

「事の次第では、無事では済まんぞ」

「いいさ。殺し合いには慣れてる」


 冷風がきりきりと身を締め上げていく。

 (しば)し睨み合う金眼と黒曜の瞳。


「ついてこい」


 先に折れたのは、巨狗の方だった。巻き毛の尻尾を振って闇に紛れ込んでいく。

 本堂と宿坊に挟まれた狭い内庭を抜け、裏手の木戸を潜って石墓群を横切っていく。静謐(せいひつ)とした死者の寝床。巨狗はまるで墓守か己の庭かのように曲がりくねっていく。

 右を一瞥(いちべつ)すると、アサメは妙に殺気立って必要以上に辺りを警戒。


「アサメ、兵眼流(へいがんりゅう)は幽霊も斬れちまうもんなのか」


 無言で睨み返してくる鋼の瞳。

 鬼をも気圧す迫力だが、小突いてくるわけでもない。


「聞いてみただけじゃねえかよ」

「おちょくって聞こえます」

「能天気な奴らだ」


 この巨狗、意外と喋る。ゴクロウは面白そうな話し相手を見つけたとほくそ笑んだ。


「で、誰の墓参りをすりゃいいんだ。御犬殿」


 ぐるる、と巨狗は太い犬歯を剥き出して振り向いた。


「我は獅子(ライオン)ぞ」


 後姿だけならば見えなくもない。

 狼よりも大柄な体躯に、しなやかと波打つ四肢の筋肉。灰色の滑らかな体毛は確かに獅子らしい。だが、この突き出した口吻や丸々とした瞳孔は犬そのものである。


「悪い悪い。名札(ネームプレート)でも付いてりゃ、その名で呼ぶんだが」

 巨狗は怒気を(にじ)ませたままそっぽを向き、細道をのしのしと歩いて墓地を突っ切った。

 提灯の灯りが点々と灯る薄暗い裏路地。少しずつ喧騒へと近付いていく。表の通りに出るのかと思いきや、巨狗は立ち止まった。


「入れ」


 ゴクロウとアサメは二人して口を半開きにした。

 薄汚い暖簾(のれん)と穴の空いた赤提灯がぶら下がった食事処である。

 古ぼけた引き戸の向こうから食欲を刺激する煙が中から漂ってくる。どうやら毒を料理している訳ではなさそうであった。


「乙なもんだ。ついさっきまで殺し合った奴と酒酌み交わそうってか」

「嫌なら構わん。去れ」


 きっぱりと言い返すと、巨狗は置物の如く店前に鎮座した。


「お前さんは入らないのか、お獅子殿」

「それぞれの務めというものがある」


 話しかけるなという雰囲気にゴクロウは適当に返事をし、アサメと目を合わせた。


「私は入りますよ。(ネギ)くらい、別になんともありませんし」


 ちくりと刺すアサメに、巨狗は黙っていられなかった。


「この小娘、もう一度でも我を(イヌ)畜生扱いしてみろ。骨ごと喰ってやるぞッ」

「思い込みが激しいようで。(ネギ)を嫌う者だっているでしょうに」


 いつもゴクロウに揚げ足を取られて鬱憤(うっぷん)が溜まっている分、ここぞとばかりに言いたい放題のアサメは油断なく柄に手を掛けた。

 牙と刃尾をぎらつかせ合う。犬猿の仲とはまさにこのこと。珍しく蚊帳(かや)の外に立ったゴクロウはといえば、引き戸の向こうからの気配を察知。


「本当に気に食わん小娘だ。その舌、二度と回せんように燃やしてやる」

「できもしない事を言葉にする者を何というか教えてあげましょうか。嘘つきと言うんですよ。知りませんでしたか」


 そっと引き戸の前からずれるゴクロウ。


「抜いてみろ。嘘かどうか思い知らせてやるッ」

駄狗(だけん)の初動はもう見切ってるんですよ。どうぞお先に」

「貴様あッ」


 ぴしゃりと引き戸が勢いよく鳴った。


「うるさいッ」


 凛とした女声と水飛沫。

 攻勢を取り続け余裕綽々だったアサメは避け切った。お獅子殿だけが見事に引っ被る。

 びちゃびちゃとした犬の臭い。やはり。


「冷やかしなら帰って」


 鋭い剣幕で飛び出した若い女は、亜麻色の瞳でじろりと三者を睨み回す。

 三角頭巾から栗色の総髪(ポニーテール)を覗かせた、どう見ても堅気の給仕娘。


「いや、客だぜ。大人二人」


 ゴクロウは人差し指と中指を立てる。

 指の間には、緋色の硬貨(デスコイン)

 闘の字を見せつける。


「まさかそんな可愛い顔をしてるとはな、忍者野郎」


 背丈、体型。間違いない。

 硬貨(デスコイン)を睨み、続いてゴクロウを見上げた給仕娘はしばらく見入ったあと。

 にこりと満面の笑みを浮かべた。


「お二人様、ご案内」


 あくまで表の顔を貫く彼女に、ゴクロウとアサメは案内されるがまま暖簾(のれん)を潜った。


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