第二話 旅商人の男
彼はキョロキョロと店内を見回し、心配そうに話しかけた。
「あの……あんたがエディットさんかい? 離婚相談所の」
「違うよ。私は確かにエディットだ。けれどうちは小間物屋さ」
「でも女たちの間ではそうだって噂じゃないか」
店主は無言で薄くニヤリと笑う。ローズの夫はその笑みを肯定と受け取り、用件を切り出した。
「エディットさん、女房の勘違いを止めてくれ。俺は、浮気はしていない!」
「へぇ、そうかい。ローズを落ち着かせてほしいとでも?」
「ああ頼むよ」
「じゃあ出すもん出さないとねぇ」
「……は?」
「ローズはうちに来た時、あんたの浮気を確信していたよ。私はもう調査のために金を貰っちまったんだ」
それまで下手に出ていた男は顔を歪め、懐から金の入った袋を取り出す。チャリ、と貨幣同士がぶつかる音を聞いた店主はニマリ、と人の悪い笑みを見せた。
「おや、いい音がするねぇ。小銀貨をくれるなんて羽振りがいいこと」
「なっ!?」
「そこに入ってるんだろう」
「ふざけるな! 小銀貨なんて大金……」
「じゃあその大金を何に使うために持ってるのかい?」
エディットの切り返しに男はぐっと一瞬言葉に詰まるが、すぐに言い返す。
「も、もちろんローズのためさ!」
「じゃあ私にくれればローズに良い報告ができるんだから、ローズのため、だね?」
「……」
男はギロリとエディットを睨むと、カウンターの上に小銀貨を置いた。
「約束は守れよ」
「私は商売人さ。頂いたお代の分は働きましょ」
ローズの夫が乱暴に扉を閉めて出ていった後、エディットは心の中で付け加える。
(ま、約束なんてしていないけれど。私はローズを落ち着かせて、良い報告をするとしか言ってないわ。それに嘘つきはお互い様よね)
男は「俺は、浮気をしていない」と一拍置いて言った。その一拍に「まだ」という言葉を隠していたのだろう。この二年間、様々な人間を見分けてきた彼女には、男の焦りようを感じることができたのだ。
彼女は手元の引き出しを開け、今貰った小銀貨と店の釣り銭で両替をする。小銀貨一枚は銅貨二百五十枚相当だ。彼女は素早くそこから三十と十枚とを取り分けると、店の奥、客から見えないところに声をかけた。
「ハンク、今の客を尾けとくれ」
奥から少年が現れ、金を受け取る。
「三人?」
「それくらいがいいねぇ」
「……わかった」
少年は音もなく店の裏口から立ち去った。エディットは再び前を向くとまたも心の中で呟く。
(あの男、「黒」ね。まだ深い仲にはなっていないようだけれど)
小銀貨は浮気相手への贈り物というより、春の代金と思えば丁度相場くらいだ。だが、下町の娼館では甘く刺激的な香など焚かない。
だから下町の孤児をまとめているハンクに金を渡し、孤児三人に男を尾行させることにした。おそらくモグリの売春婦か、今東方から来ている踊り子のところにでも行くに違いない。まあ、肝心の金が無いのだから相手にされないだろうが。
エディットは手元の銅貨から更に二百枚を選り分ける。
ローズの子供は、もう匙を使い自分で食事ができるほど成長している。夫と別れて新生活を始めるなら、この金は足しになるだろう。
元々彼女が働き者で金も稼ぐから、夫がこんな馬鹿なことを仕出かすのだ。別れたほうが身軽になるではないか。
彼女に結果を報告し、慰め、落ち着くまで相談に乗ってやれば銅貨十枚の仕事としては充分。
それに孤児たちの腹も少しは膨れる。モグリの存在を娼館の元締に報告すれば別に謝礼が出るだろうし悪い結果ではない、とエディットは考えた。
そこへ。扉がコココ、コンと特徴のあるリズムでノックされる。ノック音を聞いた彼女の身が緊張で引き締まった。ひたと扉に目を据える。
間もなく扉がギィと悲鳴を上げ、隙間から一人の男が滑るように入りこんだ。
「お久しぶりです」
入口に居た旅商人の姿は酷いものだ。顔こそ整っているがボサボサの髭と小汚い身なりである。その男は大股でカウンターまでさっと近寄ると、右手を差し出した。
エディットは握手に応えるが油断はしない。この男を見た目通りに受け取ってはいけないのだ。彼女はずっとそう思っていた。ハンクと同じように店の奥で息をひそめ、様子を伺っていたころから。
――――油断はしていなかったのに。既に手遅れだった。
「おや、どうやらエディットさんは貴女を後継者とは認めていないようですね。こんな簡単なことも教えていないとは」
男は握手をした手を離さないまま、にっこりと笑う。
「は」
彼女の背中に怖気が走る。先代の変装は完璧だったはずだ。顔のシワ、姿勢、話し方に声。全てを真似ていたのに……
「いいですか。爪の縦線はね、描いちゃダメです。やすりで削って凸凹にしなきゃあならない。でないと老人のフリはできないんですよ」
彼は彼女の親指の爪をそっと撫でて、そう言った。




