第十二話 馬車の中は針の筵
今、エリザベスはアーノルド・コゼットと名乗る男と、コゼット伯爵家の馬車に同乗している。
もちろん、横並びではなく向かい合わせでだ。いくら婚約者の役を演じると言っても、仲良く並んで座る気持ちには到底なれなかったから。
「あの、アーノルド様」
「なんだい? エリザ」
漸く胸の動機をおさめた彼女が、男の様子を窺うように声をかけると、彼はニッコリと美しい笑顔で返事をする。エリザベスはイラッとしつつ、それを顔に出さずに質問を続けた。
「アーノルド様は、伯爵家のご子息様ですよね?」
二年もメイサの街で暮らせば、流石に領主やその息子の名前ぐらいは彼女も知っている。変わり者と言われるコゼット伯爵は50歳に手が届こうかという歳で、そろそろ嫡男のアーノルドがあとを継ぐだろうと言う噂だ。
もっとも、嫡男の方もこれまた変わり者らしいと噂をされていた。恋人も婚約者もいないのに女物のドレスを誂えたことがここ最近何度かあるそうで、実は女装癖があるのだろう……などなど。
エリザベスはその噂を話半分で聞いていた。裕福な伯爵家の長男なら、秘密の恋人や愛人の一人や二人いてもおかしくはないからだ。
だが、今となってはその考えが間違っていたのだと思う。
おそらくこの男は、女装癖ではなく変装で使うために女物のドレスを用意していたのではないか? 旅商人の姿をしていたのと同じように……そのほうがしっくりくる。
「うん? そうだねぇ。僕は確かに伯爵家の人間だが……それが何か?」
彼の榛色の瞳がエリザベスを鋭く射抜く。彼女は自分の考えが見透かされたような気がして、思わず目を逸らした。ゴニョゴニョと小さな声で言い訳をする。
「いえ、身分のある方だと聞かされていたのですが、想像より凄い方がいらしたのでびっくりして……」
「凄い人? 僕が? そうでもないさ。そんなに緊張しないでよ」
くすくすと笑むアーノルド。明らかにこちらの緊張を解そうという態度に見える。
変な話だが、もしも彼女がエリザベス自身でなかったなら彼の見目麗しさや優しい雰囲気に心を許してしまったかもしれない。
だが、彼女にとっては余計に胡散臭さを感じるだけである。……しかしながら大変もどかしいことに、それを態度に出すことはできないのであった。
エリザベスは改めて自分に言い聞かせた。
(今の私は、ただの栗色の髪に青い目の女だわ。それ以上は何も知らない!)
自分がエリザベス・シェーンバーグ本人であるとはもちろんバレてはいけないのだが、エディットのフリをして店に立っていた女だともバレてはいけない。あの時は変装をしていたし店も薄暗かったから、見た目では気づけないだろう。
だが、目の前のアーノルドが旅商人の男と同一人物だと知っている素振りを見せてしまえば、自分の正体もさらけ出すことになる。故に彼女は、いかにも彼とは初対面です、という態度を貫くことにした。
アーノルドから目を逸らし馬車の車窓から外を望む。後方にはもう少し地味な馬車と、遠くの空に太陽がみえた。つまり、馬車は太陽とは反対の方向に向かって走っている。方角としては北西を目指していることになるだろう。
「この馬車は、どこに行くのですか?」
エリザベスはわざとなにも知らないふりをしてアーノルドに質問をしてみたが、行き先はすでに頭のなかにある。コゼット伯爵領の西隣はメルトバレー子爵領なのだ。領地内に鉱山を含む山があり、鉱山から採れた鋼玉の宝石が主な特産品となっている。
あちこちから商売人が集まってくるメイサの街ではメルトバレー産の宝石も多く扱っていて、そういったことからも両家の仲は悪くないはずだ。
「ああ、昔から交流のある貴族の家でね。今夜ちょっとしたパーティーに招待されているんだ」
「パーティー、ですか?」
エリザベスは思わず眉をひそめ、自分の着ている服に目を落とした。夜のパーティーであれば、今身に着けているデイドレスではふさわしくないからだ。
アーノルドの眉が一瞬上がったが、すぐもとのにこやかな顔に戻る。そして彼は後ろを指さした。
「心配しなくても大丈夫だよ。後ろの馬車にメイドが控えてるしイブニングドレスも積んであるから。向こうで着替える手筈になってる」
「ああ、そうなのですね」
エリザベスの小さめな口からほっと息が漏れる。が、次の瞬間、彼女はハッと激しく息を吸うことになるのだ。向かいのアーノルドの笑顔が、見慣れた皮肉げなものに変わったために。
「……ふーん。あのエディットさんは優秀だね」
「は、はい?」
「いやぁ、確かに僕は貴族のフリができる女性を望んだけれど」
彼は背もたれに身体を預けた。目はしっかりとエリザベスに据えたまま。
「夜のパーティーにイブニングドレスが必要だってことをちゃんと知っている人を用意してくれるとはね。これはマナーの心配もしなくて良さそうだ」
「……!」
彼女の背中にたらり、と冷や汗が一筋流れる。が、またもエリザベスはそれを表情には出さぬよう必死に抑え込んだ。




