3話 有名人。だが、名前は知らない。
「一旦...お互い落ち着くために座りましょうか?」
魔王は俺に行動を促すかの様に目線を動かし、それと同時に川辺へ移動し腰を落とした。
俺は一先ず砂利に深く食い込ませた脚を泥を啜る様な音と共に引き抜く。
そして少し考えた後、自発的に魔王の隣へ腰を落とした。
正直、何にも応じたくはなかった。
敵と話す気など俺には毛頭無い。恥だ。だが、俺は応じた。
それは、魔王の言動から歩み寄る様なこちらに対する気遣いを感じたからだ。
歩み寄ろうとしている相手に然るべき対応をしないのは戦士とか兵士とかでは無く、狭量というか、偏狭というか、只の性悪だ。
「綺麗な所でしょ」
魔王がポツリと呟いたのに反応し、周りを見渡す。
確かに、綺麗な森だ。葉の音やせせらぎが心を落ち着かせてくる。こんな状況じゃなければ水浴びをしたい。
「綺麗なところではあるけど、何も無い場所よ。...私が此処に居ること知ってたの?」
「...いや」
「じゃあどうして此処に?」
「......海を見たかった」
魔王がキョトンとした顔でこちらを見つめる。
「海?どうして?」
「...戦争に疲れたからだ。人を殺すのが...嫌になってしまったから、少しだけ休みたかった。」
「そう...海を見たらどうするつもりだったの?」
「...戻ってまた魔族を殺す。魔族を...敵を殺さなければ仲間が死ぬ。」
「そう...」
魔王が俯く。
「...逆に聞くが、何故お前がここに居る?護衛は?」
「...いえ。一人で、ここに住んでるの。」
...?
「...なんで?」
「戦争を...終わらせるため。」
顔付きが変わる。それは覚悟と同時に口をつぐむ様な表情で、《《何か》》があるのだろうと感じさせた。
俺はそれに感動した。
能力による威圧感は感じても、こんな少女から王としての矜持を感じるとは思ってはいなかったのだ。それと同時に初めて『同じではないか?』と、俺と同じ『責務』に囚われているのではと、そう思った。そしてこの予想は、非情にも当たる事になる。
いや、俺にとっては都合の良い事ではあったのだが、問題は20は越えていると思っていた彼女が16歳の少女だった事だ。年齢を勘違いした原因は身長が160程と女性の中では高い方だった事もあるが、『色気』を...どことなく、色気を感じてしまっていたからかも知れない。
◇◆◇◆
目の前には巨大な風呂桶。中には溢れんばかりに湯が注がれている。縁を跨ぎ、まず足先を入れて温度を確かめる。熱くもなく、冷たくも無い良い塩梅。まあ俺はもう少し熱い方が好みだが、申し分ない。
全身を湯に浸け、落ち着くと五感が研ぎ澄まされ、風の音、葉が揺れる音、そしてやはり川のせせらぎも聞こえ、仕舞いには鳥の鳴き声まで聞こえて来る。本当に、心が落ち着く環境だ。もはや憎たらしいレベルで気持ち...なんで俺は風呂に入ってんだ?
確か魔王の勧めで...そうだ、そうだった。
戦争が終わるんだ。
サイズを確かめながら、新しい服に着替え始める。サイズが一回り程小さい様で、腕の筋肉を袖に通すのに苦戦しながらなんとか着終えると湯を川に流し、風呂桶を持って魔王が指していた方向へ向かう。
木々の隙間から木漏れ日の様に現れたのは、只の小さな家。いや、家と言うよりも小屋に近かった。その横には、魔王が運んでいった俺の鎧が置かれていた。風呂に入る際魔王に預けた物だ。魔法で浮かせて運んでいた。その後ろ姿が小ガモを連れる親ガモの様だったのを覚えている。
窓もあるが、日差しが強く中は見えない。テントか、下手したら野宿でもしているのかと思っていたが少し安心した。だか魔王の棲家として見るとやはり質素で、違和感がある。
扉に向かい風呂桶を下ろしドアノブに手を掛け、少し警戒しながらゆっくりドアを開ける。窓の様子から分かっていたがやはり中は暗く、日差しが入っている部分しか見えない。おそらく魔王は中にいるのだろうが、少なくとも姿がまだ見えない。
「あ、おかえり。」
魔王の声が聞こた。その先にうっすら人の影と、特徴的なピンク色の髪が見える、
身を屈めてドアをくぐると、それと同時に日差しから暗闇に入った事で一気に部屋内が見え、魔王の姿をハッキリと捉える。
本を腿に、その本に両手を乗せて椅子に座っている。肌は白く、露出は少ないが、首元には一対の骨が彫られたかの様にハッキリと浮き出ている。それと脚を閉じているからだろうか?体が川で見た時よりも細く、華奢に見えた。
そして家の天井の高さは標準的らしく、直立は出来ないので俺は腰を少し曲げた。
...おかえり?
「おかえりではないか、初めてだもんね。お風呂どうだった?」
「ああ...良かったよ」
「そういえば...あなた身長どれぐらいあるの?この家の天井じゃ高さ足りないだろうと思って椅子用意しておいたから。どうぞ座って。」
そう言われ部屋を見渡すと、確かに大きな椅子が部屋内にある。おそらく魔法で作り出したのだろう。先程の大きな風呂桶も、新しい服も、魔王が生成した物だ。
「ありがとう」と礼を言いそれに座ると「ギシリ」と音が鳴ったが、まあ...耐久性に問題は無さそうだ。
「確か身長は...230ぐらいだ」
「にひゃ...そ...そう、どうして...そんなに大きくなったの?」
魔王が俺の身体を舐め回すように見る。そんなにサイズが合っていない服が気になるか?
「それは俺も分からん。」
こいつはやはり情報を集めているのでは無いか?と思いつつも問答に応じる。だが、俺も本当に分からんのだ。何故身長がここまで大きくなったのか、何故この身長で歩けるどころか俊敏に戦えるのか、全く。
だがそんな事よりもこれからの事だ。
「...それよりさ」
「なに?」
「本当に...戦場には帰してくれないのか?」
魔王の顔から笑みが消え、複雑そうな表情になる。
「あなたは戻ったら...魔族を殺すんでしょう?...仲間のために。気持ちは分かるけど、それは看過出来ない。私は魔族を守る為にここに来た。」
「...そうか。」
風呂に入る前に魔王から俺に告げられたのは4つ。
『魔族を守るため俺を戦場に帰す気は無い事。』
『魔王は無理な戦争を終わらせるため、兵士の士気を下げるためにこの森に隠れ住んでいる事。』
『既に魔族が降伏の準備を進めている事。』
そして、
『魔王は死ぬつもりである事。』
魔族の方では魔王は死んだ事になっているらしい。詳しい事はまだ聞いていないが、魔王自ら偽装工作をしたと。
それを聞いた時、この女はどんな心持ちで今を過ごしているのだろうか?死ぬのが怖くないのか?そう思った。
普通の奴なら怖くて仕方が無いだろうが、魔王はそれを、『自分が死ぬ事』を、将来の夢を語るかの様に俺に伝えて来たのだ。彼女が何を思っているのか分からず、俺は言葉が出す事が出来なかった。
俺の国は魔法の新たな可能性を信じ、求め、魔族の領域へと進攻を続けた。そして自然を、魔族の幸福を、そして今彼女の生を奪おうとしている。俺は皇帝に寵愛され今まで戦ってきたが、これで良かったのだろうか?進む道はこれで良かったのか?それとも、正しい道など無いのだろうか?
そして思考が交錯し、もつれ、気が付くと魔王に促されるまま風呂に入っていた。
...そう言えば、まだ名前すら聞いていない。
『魔王』は『魔王』であり、その名称以外を聞く事など今まで一度も無かった。ずっと、魔王という存在の重要な部分は『魔王』である事だけだった。せめて知っておくべきだろう。これから死に向かう彼女の名を。
「そう言えばお前、名前は何て言うんだ?」
「ああ...そういえば自己紹介まだだったわね。ユリヤ。『ユリヤ・ネストルヴナ・ラジンスカヤ』」
「そうか、ユリヤ...俺は」
「レオ。レオ・ティレステムでしょ?知ってる。あなた有名人だもの。」
キャラクター造形の再考により、魔王『ユリヤ・ネストロヴナ・ラジンスカヤ』の年齢を17歳→16歳へ変更しました。投稿済みのエピソードに影響はありません。何卒ご了承ください。
用語解説
『ツァーリ』ロシア語で皇帝と言う意味で、最も強力な爆弾として有名なツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝)にも同じ意味で使われている単語です。




