第34話 永遠の庭園 前編 「クリスタルレイクの休暇と蝋人形の館」
志賀桜を仲間に迎えてから一週間が過ぎた。
桜は、俺たちの家での生活に少しずつ慣れてきている。最初は緊張した面持ちで、おどおどとしていた彼女も、今では自然な笑顔を見せるようになった。
朝、俺はいつものようにダイニングに降りていく。
階段を降りると、美味しそうな香りが漂ってくる。焼きたてのパンの香り、ベーコンの香ばしい匂い、そして淹れたてのお茶の香り。
「おはようございます、悠真さん」
桜が、エプロン姿で出迎えてくれる。その手には、温かいお茶の入ったカップが握られている。白いエプロンには、小さな花の刺繍が施されており、シルヴィア
が桜のために作ってくれたものだ。
「おはよう、桜。もう起きてたのか」
「はい。シルヴィアさんと一緒に、朝食の準備をしていました」
桜が嬉しそうに微笑む。その笑顔には、一週間前にはなかった明るさがあった。
その笑顔は、一週間前とは全く違う。
あの時の彼女は、怯えた目をして、震えていた。奴隷として扱われていた過去が、心に深い傷を残していた。でも今は――。
「悠真さん、こちらにどうぞ」
桜が俺を席に案内する。その仕草は、以前の怯えた様子とは打って変わって、自信に満ちていた。
テーブルには、すでに朝食が並んでいた。
焼きたてのパン、ふわふわのオムレツ、カリカリのベーコン、新鮮なサラダ。そして、色とりどりの果物。テーブルには白いクロスが掛けられており、食器も丁
寧に配置されている。
「すごいな。桜も手伝ったのか?」
「はい!シルヴィアさんに教えてもらいながら、オムレツを作りました!それから、パンも焼くのを手伝いました」
桜が誇らしげに言う。その目は、達成感で輝いている。
「そうか。楽しみだな」
俺が席に着くと、次々とみんなが集まってくる。
リナリア、エリア、リリィ、エリーゼ、シルヴィア。
リナリアは、いつものように優雅な立ち居振る舞いで席に着く。エリアは分厚い帳簿を抱えており、朝からすでに仕事モードだ。リリィは元気いっぱいで、「お
はよう!」と大きな声で挨拶する。エリーゼは、朝の鍛錬から戻ってきたばかりで、少し汗ばんでいる。シルヴィアは、エプロン姿で最後の料理をテーブルに運
んでくる。
「おはようございます、旦那様♪」
アイが可愛らしい声で挨拶する。その体は、温かくて柔らかい。
「ああ、おはよう」
俺がアイの頭を撫でると、アイは嬉しそうに目を細めた。
「それでは、いただきます」
全員で手を合わせ、朝食を食べ始める。
「美味しい!」
リリィが笑顔で言う。オムレツを一口食べて、その目を大きく見開いた。
「本当ですね。桜さん、上手に作れましたね」
エリアも微笑む。フォークでオムレツを切ると、中からチーズがとろりと溶け出してくる。
「ありがとうございます……でも、シルヴィアさんが丁寧に教えてくださったおかげです」
桜が照れながら答える。その頬が、ほんのり赤く染まっている。
「いえいえ、桜さんの飲み込みが早いからですわ。特に火加減の調整が素晴らしかったです」
シルヴィアが優しく微笑む。
俺もオムレツを一口食べる。
ふわふわで、中からチーズがとろりと溶け出す。絶品だ。卵の優しい味わいと、チーズの濃厚な風味が絶妙にマッチしている。塩加減も完璧だ。
「本当に美味いな。桜、才能あるんじゃないか?」
「え……そんな……」
桜が顔を赤くする。
「本当だよ。このオムレツ、すごく美味しい。シルヴィアのオムレツに負けてないぞ」
「桜ちゃん、すごいね!わたしも料理、教えてもらおうかな」
リリィが嬉しそうに言う。
「……ありがとうございます」
桜が小さく微笑む。その笑顔は、心からの喜びに満ちていた。
その笑顔を見て、俺は心から安心した。
桜は、確実にこの世界での生活に適応している。そして、笑顔が増えている。あの暗い過去から、少しずつ解放されているのだ。
「桜さん、パンもとても美味しいですわ」
エリーゼが言う。クロワッサンを一口食べて、満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。パン生地を伸ばすのが、少し難しかったですけど……」
「でも、とても上手にできていますよ。この層の出来方、素晴らしいです」
シルヴィアが褒める。
朝食を食べ終えた後、リナリアがお茶を淹れてくれた。
カップに注がれる紅茶の香りが、部屋中に広がる。リナリアが淹れるお茶は、いつも絶妙な温度と蒸らし時間で、最高の味わいだ。
「悠真さん、少しお話があるんです」
リナリアがお茶を俺の前に置きながら言う。その表情は、いつもより少し真剣だ。
「ん?どうした?」
俺がティーカップを手に取りながら尋ねる。
「実は……桜さんが仲間になったことですし、みんなで旅行に行きませんか?」
リナリアが提案する。その目は、期待に満ちて輝いている。
「旅行……?」
「はい。最近、色々ありましたし、たまには遠出をして、のんびりしたいなと思いまして」
リナリアが微笑む。
確かに、ここ数ヶ月は本当に忙しかった。魔王討伐、その後の報告、政略結婚の問題、そして桜の救出。休む暇もないほどだった。
「それはいいな」
俺も賛成する。
確かに、最近は魔王討伐や政略結婚の問題など、大きな出来事が続いていた。たまには、のんびりとした時間を過ごすのもいいだろう。みんなでリラックスして、楽しい時間を過ごすことも大切だ。
「わたくしも賛成です」
エリアが言う。帳簿を閉じて、メガネを外した。
「最近、帳簿とにらめっこばかりでしたから、気分転換が必要です」
「わたしも行きたい!どこに行くの?海?山?」
リリィが手を挙げる。その目は、子供のように無邪気に輝いている。
「私も賛成よ。たまには、剣を置いて休暇を楽しむのもいいわね」
エリーゼも微笑む。いつもは厳しい表情の彼女だが、今は穏やかな笑顔だ。
「わたくしも、みなさんとご一緒できれば嬉しいです」
シルヴィアも頷く。
そして――。
「桜さんは、どうですか?」
リナリアが桜に尋ねる。
「え……わたしも……いいんですか……?」
桜が不安そうに尋ねる。その声は、まだ少し震えている。
「もちろんです。桜さんも、大切な仲間ですから」
リナリアが優しく微笑む。
「そうですよ、桜さん。わたしたちは、もう家族なんですから」
エリアも優しく言う。
「家族……」
桜が呟く。その目に、涙が浮かぶ。
「……はい……ありがとうございます……」
桜が嬉しそうに微笑む。その笑顔は、今まで見た中で一番輝いていた。
「それじゃあ、決まりだな。みんなで旅行に行こう」
俺が言うと、みんなが「はい!」と元気よく答えた。
「それで、どこに行くんですか?」
エリアが尋ねる。
「そうだな……」
俺が考えていると、アイが提案した。
「旦那様、『クリスタルレイク』はいかがですか?」
「クリスタルレイク?」
「はい。ルストニア王国の北部にある、美しい湖です」
アイが説明する。その小さな手で、空中に地図のようなものを描き出す。魔法の光で描かれた地図には、王都から北へ延びる道と、その先にある湖が示されてい
る。
「湖の水が非常に透明で、まるでクリスタルのように輝いているから、そう呼ばれているんです」
「へえ……それは綺麗そうだな」
「はい。それに、湖の周辺には小さな町があって、温泉や美味しい料理も楽しめます。特に、湖で獲れる魚料理は絶品だと評判です」
アイが続ける。
「温泉!」
リリィが目を輝かせる。飛び上がりそうな勢いだ。
「それは良さそうですね。帳簿の疲れを温泉で癒したいです」
エリアも興味を示す。本を読むときなどに使用しているメガネを拭きながら、嬉しそうに頷いている。
「わたくしも、温泉には入ってみたいです」
桜が小さく言う。その声は、期待に満ちている。
「それじゃあ、決まりだな。クリスタルレイクに行こう」
俺が宣言すると、みんなが拍手した。
「それでは、準備をしましょう」
シルヴィアが立ち上がる。
「はい!」
「何を持っていけばいいですか?」
桜が尋ねる。
「そうですね。着替えや日用品、それから……」
シルヴィアが説明し始める。
「お菓子も持っていこう!」
リリィが言う。
「それから、本も持っていきたいわ。旅の途中で読めるように」
エリーゼも言う。
みんなが、旅行の準備について話し合う。その様子は、本当に楽しそうだ。
こうして、俺たちの旅行が決まった。
翌日、俺たちは早朝に出発することにした。
前日の夜、みんなで荷造りをした。着替え、日用品、お菓子、本、そして武器。念のため、武器も持っていくことにした。
「これで、全部ですね」
シルヴィアが荷物を確認する。
「ああ。それじゃあ、明日は早めに起きよう」
俺が言うと、みんなが頷いた。
翌朝。
太陽がまだ完全に昇りきっていない、少し薄暗い時間。俺たちは起床した。
「ふあ……眠い……」
リリィが眠そうに目をこする。
「リリィ、しっかりして」
エリーゼが苦笑する。
「はーい……」
リリィが返事をする。
簡単な朝食を取った後、俺たちは出発の準備を整えた。
馬車に荷物を積み込む。大きな荷物は《アイテムボックス》に入れたが、すぐに使うものは馬車に積む。
「それじゃあ、出発するか」
俺が言うと、みんなが馬車に乗り込んだ。
御者台には、シルヴィアが座る。シルヴィアは馬車の操縦が得意だ。
「それでは、出発します」
シルヴィアが手綱を握る。
馬車がゆっくりと動き出す。
自宅を出て、王都の大通りを進む。
まだ早朝なので、人通りは少ない。でも、パン屋や市場の準備をしている人たちがいる。
「おはようございます!」
パン屋の主人が手を振ってくる。
「おはようございます」
俺たちも手を振り返す。
王都の北門に到着する。
門番が、俺たちを見て敬礼する。
「一ノ瀬様、お出かけですか?」
「ああ。ちょっと旅行にな」
「お気をつけて」
「ありがとう」
門が開き、俺たちは王都を出た。
街道を北へ進む。
窓の外には、緑豊かな森や畑が広がっている。農民たちが、朝早くから働いており、俺たちに手を振ってくる。
「いってきます!」
リリィが元気よく手を振る。
馬車の中は、和やかな雰囲気だ。
リナリアは窓の外を眺めており、エリアは本を読んでいる。エリーゼは目を閉じて瞑想しており、桜は緊張した面持ちで座っている。リリィは、お菓子を食べな
がら外を眺めている。
「いい天気ですね」
リナリアが窓の外を見ながら言う。
「ああ。本当にいい天気だ」
俺も同意する。
青い空、白い雲、暖かい陽射し。
旅行には、最高の天気だ。
「悠真さん、クリスタルレイクまで、どれくらいかかるんですか?」
桜が尋ねる。
「そうだな……普通に行けば、丸一日くらいかかるけど……」
俺がアイを見る。
「でも、アイがいれば、もっと早く着けるよな?」
「はい♪座標を把握すれば《空間転移》を使えば、すぐにたどり着けます」
アイが微笑む。
「でも、せっかくの旅行ですから、途中の景色も楽しみましょう」
「そうだな。それがいい」
俺が頷く。
「それでは、旦那様。途中で休憩を挟みながら、ゆっくり向かいましょう」
「ああ、そうだな」
こうして、俺たちの旅は始まった。
馬車は、のんびりと街道を進む。
窓の外には、様々な景色が広がっている。
緑豊かな森、黄金色の麦畑、青々とした牧草地。
牧草地には、牛や羊が放牧されており、のんびりと草を食んでいる。
「わあ、羊だ!」
リリィが嬉しそうに叫ぶ。
「可愛いですね」
桜も微笑む。
街道沿いには、小さな村が点在している。
村人たちが、畑で働いたり、井戸で水を汲んだりしている。
俺たちの馬車を見て、手を振ってくる人もいる。
「のどかな景色ですね」
エリアが本から目を離して、窓の外を眺める。
「ああ。王都とは違う、静かで穏やかな雰囲気だ」
俺が答える。
数時間が過ぎる。
太陽が高く昇り、暑くなってきた。
「そろそろ休憩しましょうか」
シルヴィアが提案する。
「そうだな」
俺が同意する。
ちょうど、街道沿いに小さな村があった。
村の広場に馬車を停め、俺たちは下車した。
「ふう……」
リリィが伸びをする。
「少し歩きましょうか」
リナリアが提案する。
「はい」
俺たちは、村の中を散策することにした。
村の広場には、市場が開かれており、様々な商品が売られている。
野菜、果物、布、工芸品。
「わあ、色々ありますね」
桜が目を輝かせる。
「せっかくだから、見て回ろうか」
俺が提案すると、みんなが頷いた。
市場を歩きながら、様々な店を見て回る。
野菜や果物を売る店には、新鮮な野菜や果物が山積みになっている。
トマト、キュウリ、ナス、ジャガイモ。
リンゴ、梨、ブドウ、イチゴ。
「どれも新鮮で美味しそうですね」
エリアが言う。
「ああ。村で採れたばかりの野菜だからな」
店主が笑顔で答える。
「少し買っていきましょうか」
シルヴィアが提案する。
「そうだな」
俺が同意し、シルヴィアがいくつかの野菜と果物を購入した。
次に、布や衣類を売る店を見て回る。
色とりどりの布が並んでおり、美しい刺繍が施された服もある。
「これ、可愛いですね」
リナリアが、淡いピンク色の布を手に取る。
「お嬢さん、それはこの村で作られた特別な布ですよ。とても柔らかくて、肌触りがいいんです」
店主が説明する。
「素敵ですね」
リナリアが微笑む。
次に、工芸品を売る店を見て回る。
木彫りの人形、陶器、アクセサリー。
「これ、可愛いですね」
桜が、小さな木彫りの人形を手に取る。
それは、ウサギの形をした人形で、とても可愛らしい。耳が長く、丸い目がチャーミングだ。細かい彫刻が施されており、職人の技術が光っている。
「欲しいのか?」
俺が尋ねると、桜は慌てて首を横に振った。
「い、いえ!そんな……お金を使わせるわけには……」
「気にするな。これくらい、安いもんだ」
俺が店主に代金を払うと、店主は人形を桜に手渡した。
「ありがとうございます……」
桜が人形を大切そうに抱きしめる。その目には、涙が浮かんでいる。
その笑顔を見て、俺も微笑んだ。
「大切にしてくださいね、お嬢さん。その人形は、わたしの息子が一生懸命彫ったんですよ」
店主が優しく言う。
「はい……大切にします……」
桜が深々と頭を下げる。
市場を一通り見て回った後、俺たちは村の食堂で昼食を取った。
小さな食堂だが、清潔で温かみがある。木製のテーブルと椅子が並んでおり、壁には花の絵が飾られている。
「いらっしゃいませ」
女性店主が笑顔で迎えてくれる。
「昼食をお願いしたいんだが」
「かしこまりました。今日のおすすめは、野菜のシチューとパンです」
「それで頼む」
「はい。少々お待ちください」
俺たちはテーブルに着いて、料理を待つ。
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
大きな器に入った野菜のシチュー、焼きたてのパン、新鮮なサラダ、そしてフルーツ。
「いただきます!」
全員で手を合わせ、食事を始める。
シチューを一口食べる。
温かくて、野菜の甘みが口の中に広がる。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、キャベツ。どの野菜も、丁寧に煮込まれている。スープは、野菜の旨みが凝縮されて
いて、とても美味しい。
「美味しいですね」
桜が笑顔で食べる。
「ああ。田舎の料理は、素朴だけど温かみがあっていいよな」
俺も同意する。
パンも焼きたてで、外はカリカリ、中はふわふわだ。バターを塗って食べると、さらに美味しい。
「このパン、本当に美味しいです」
エリアが言う。
「ありがとうございます。朝焼いたばかりなんですよ」
店主が嬉しそうに答える。
サラダも新鮮で、野菜のシャキシャキとした食感が心地よい。
フルーツは、甘くてジューシーだ。
「ごちそうさまでした」
全員で手を合わせる。
「美味しかったです」
リナリアが店主にお礼を言う。
「ありがとうございます。またいらしてくださいね」
店主が笑顔で見送ってくれる。
食堂を出ると、俺たちは再び馬車に乗り込んだ。
「それじゃあ、次はクリスタルレイクまで一気に行くぞ」
「はい!」
アイが《空間転移》を発動する準備をする。
「みなさん、準備はいいですか?」
「はい」
全員が頷く。
「座標を把握しました。それでは、《空間転移》!」
アイが魔法を発動する。
周囲が光に包まれる。
一瞬、浮遊感を感じる。
そして――。
目を開けると、景色が一変していた。
目の前には――。
「わあ……!」
桜が感嘆の声を上げる。
目の前には、美しい湖が広がっていた。
湖の水は信じられないほど透明で、まるでクリスタルのようにキラキラと輝いている。太陽の光を受けて、湖面が宝石のように煌めいている。
湖の周りには、緑豊かな森が広がっており、遠くには雪を頂いた山々が見える。山々の雪が、太陽の光を反射して、白く輝いている。
空は青く澄み渡り、白い雲がゆっくりと流れている。
「本当に……綺麗……」
リナリアが呟く。その目は、湖の美しさに釘付けになっている。
「ええ……こんな美しい場所、初めて見ました……」
エリアも感動している。メガネを外して、目を拭いている。
「すごい!お水が透き通ってる!」
リリィが湖に駆け寄る。湖畔に着くと、水に手を入れてみる。
「冷たくて、気持ちいい!」
「確かに、これは見事ね」
エリーゼも感心している。いつもは冷静な彼女も、この景色には心を動かされたようだ。
「本当に、クリスタルのようですね」
シルヴィアが微笑む。
俺も湖を眺める。
確かに、これは素晴らしい景色だ。
湖面には、空と山々が映り込み、まるで絵画のような美しさだ。水は透明で、底まで見える。小さな魚が泳いでいるのが見える。
「さて、それじゃあ町に行こう」
俺が言うと、みんなが頷いた。
湖畔には、小さな町が広がっている。
石造りの建物が立ち並び、人々が行き交っている。建物の壁には、ツタや花が這っており、とても美しい。町の中心には、大きな噴水があり、水が勢いよく噴き
出している。
石畳の道を歩いていくと、様々な店が見える。
お土産屋、レストラン、宿屋、工芸品店。
「賑やかな町ですね」
桜が言う。
「ああ。観光地だからな」
俺が答える。
町の中心には、大きな宿屋があった。
三階建ての立派な建物で、看板には「クリスタル・イン」と書かれている。
「ここに泊まるか」
俺が宿屋に入ると、受付の女性が笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。クリスタル・インへようこそ」
若い女性で、とても愛想がいい。
「部屋を頼みたいんだが」
「かしこまりました。何名様ですか?」
「七人だ」
「それでしたら、大部屋が二つございます。そちらでよろしいでしょうか?」
「ああ、それで頼む」
「ご宿泊は、何泊のご予定ですか?」
「二泊で」
「かしこまりました。お一人様、一泊2,000ルスになります」
俺が代金を払うと、女性が鍵を二つ渡してくれた。
「お部屋は二階になります。201号室と202号室です。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
「ありがとう」
俺たちは二階の部屋に向かった。
階段を上がり、201号室のドアを開ける。
部屋は広く、清潔で、窓からは湖が見える。
ベッドが四つあり、テーブルと椅子も置かれている。壁には、湖の絵が飾られている。
「素敵な部屋ですね」
リナリアが微笑む。
「ああ。それじゃあ、荷物を置いたら、町を散策しようか」
「はい!」
みんなが元気よく答える。
荷物を置いた後、俺たちは町を散策し始めた。
町には、様々な店が並んでいる。
お土産屋、レストラン、工芸品店、そして温泉。
「わあ、温泉がありますね!」
リリィが温泉の看板を見つける。
大きな看板には、「クリスタル温泉」と書かれており、湯気のイラストが描かれている。
「後で入ろうな」
俺が言うと、リリィは嬉しそうに頷いた。
「絶対に入ろうね!」
町を歩いていると、お土産屋が目に入る。
「ちょっと、覗いてみましょうか」
リナリアが提案する。
「ああ」
俺たちは、お土産屋に入る。
店内には、様々なお土産が並んでいる。
クリスタルレイクをモチーフにした置物、手作りのアクセサリー、地元の特産品。
「これ、綺麗ですね」
桜が、小さなクリスタルのペンダントを手に取る。
透明なクリスタルが、光を受けてキラキラと輝いている。
「お嬢さん、それはこの湖の水をイメージして作ったペンダントなんですよ」
店主が説明する。
「素敵ですね……」
桜が見つめる。
「欲しいのか?」
俺が尋ねると、桜は慌てて首を横に振った。
「い、いえ!さっき人形を買っていただいたばかりですし……」
「気にするな」
俺が店主に代金を払うと、店主はペンダントを桜に渡した。
「ありがとうございます……本当に……」
桜が涙を浮かべる。
「いいんだ。お前が喜んでくれるなら、それでいい」
俺が微笑むと、桜は嬉しそうにペンダントを首にかけた。
お土産屋を出た後、俺たちは湖畔に向かった。
湖畔には、小さな桟橋があった。
そこには、手漕ぎボートが並んでいる。
「あ、ボートだ!」
桜が嬉しそうに言う。
「乗ってみるか?」
俺が提案すると、みんなが賛成した。
「はい!」
桟橋の管理人に話しかける。
「ボートを借りたいんだが」
「かしこまりました。何艘必要ですか?」
「二艘で」
「はい。お一人様、一時間500ルスです」
俺が代金を払うと、管理人がボートを用意してくれた。
「こちらです。気をつけて乗ってくださいね」
「ありがとう」
俺たちはボートに分かれて乗る。
一艘目には、俺とアイ、リナリア、桜の四人。
二艘目には、エリア、リリィ、エリーゼ、シルヴィアの四人。
「それじゃあ、出発するぞ」
俺がオールを漕ぎ始める。
ボートが静かに進む。
湖の水は本当に透明で、底まで見える。
小さな魚が泳いでいるのが見える。光を受けて、魚の鱗が虹色に輝いている。
水草も見える。ゆらゆらと揺れている。
「綺麗ですね……」
リナリアが湖面を見つめる。
「ああ。本当に綺麗だ」
俺も同意する。
湖面には、空と山々が映り込んでいる。まるで、二つの世界が存在しているかのようだ。
「悠真さん、ありがとうございます」
桜が突然言う。
「ん?何が?」
「こんな素敵な旅行に、連れてきてくださって……」
桜が微笑む。
「わたし……奴隷だった時は、こんな日が来るなんて思ってもみませんでした」
桜の目に、涙が浮かぶ。
「あの時は……毎日が辛くて……苦しくて……」
桜の声が震える。
「暴力を受けて……食事もまともに与えられなくて……」
「でも、悠真さんが助けてくださって……みなさんが優しくしてくださって……」
「桜さん……」
リナリアが優しく微笑む。
「わたし……本当に幸せです……」
桜が涙を流す。
「こんな美しい景色を見て……こんな美味しい料理を食べて……こんな素敵な人たちと一緒にいられて……」
「夢みたいです……」
「桜……」
俺は、桜の頭を撫でる。
「お前は、もう自由だ。これからは、好きなことをして、好きなように生きればいい」
「……はい……」
桜が涙を拭う。
「ありがとうございます……」
その時、アイが桜の手を握った。
「桜さん、わたしたちは家族です。だから、これからもずっと一緒ですよ」
「アイさん……」
「はい♪」
アイが微笑む。
「わたしたちは、桜さんが笑顔でいてくれることが、一番嬉しいんです」
「……ありがとうございます……みなさん……」
桜が心から微笑んだ。
その笑顔は、本当に幸せそうだった。心の底から、喜びに満ちていた。
俺たちは、しばらく湖の上でのんびりと過ごした。
太陽が傾き始め、空がオレンジ色に染まる。
湖面も、オレンジ色に輝く。
「綺麗……」
リナリアが呟く。
「ああ……」
俺も、その美しさに見とれる。
夕日が山に沈んでいく。
空が、オレンジから赤へ、そして紫へと変わっていく。
「そろそろ、戻ろうか」
俺が言うと、みんなが頷いた。
ボートを返却し、俺たちは宿屋に戻った。
「ふう……」
宿屋の部屋に戻り、俺はベッドに座る。
「いい一日だったな」
「はい。本当に楽しかったです」
リナリアが微笑む。
「それでは、夕食を食べに行きましょうか」
シルヴィアが提案する。
「そうだな」
俺たちは、宿屋のレストランで夕食を取ることにした。
レストランは、一階にある。
「いらっしゃいませ」
レストランに入ると、ウェイトレスが笑顔で迎えてくれた。
若い女性で、清潔な制服を着ている。
「こちらへどうぞ」
案内された席に座ると、メニューを渡された。
「この町の名物は、湖で獲れる魚料理です」
ウェイトレスが説明する。
「特に、クリスタル・トラウトという魚が有名で、とても美味しいんですよ」
「それじゃあ、それを頼もうか」
俺が言うと、みんなが賛成した。
「クリスタル・トラウトのグリルを七人分、お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
ウェイトレスが厨房に向かう。
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
湖で獲れた魚のグリル、野菜のスープ、パン、そしてサラダ。
魚のグリルは、大きな皿に盛られており、レモンとハーブが添えられている。
「いただきます!」
全員で手を合わせ、食事を始める。
魚を一口食べる。
「美味しい!」
リリィが笑顔で食べる。
「本当ですね。魚が新鮮で、とても美味しいです」
エリアも微笑む。
「この魚、本当に美味しいわね」
エリーゼも満足そうだ。
俺も魚を一口食べる。
ふっくらとした身に、レモンの酸味が効いていて、とても美味しい。皮はパリッと焼かれており、中の身はジューシーだ。ハーブの香りも絶妙で、魚の風味を引
き立てている。
「この魚、本当に美味しいですね」
桜が笑顔で食べる。
「ああ。さすが、この町の名物だな」
俺も同意する。
野菜のスープも、魚の出汁が効いていて美味しい。
パンも焼きたてで、温かい。
サラダも新鮮で、シャキシャキしている。
食事を楽しんでいると、隣のテーブルの客が話しているのが聞こえた。
「なあ、聞いたか?」
中年の男性が、仲間に話しかける。
「ああ、あの蝋人形の館のことだろ?」
もう一人の男性が答える。
「そうそう。最近、また夜になると動き出すらしいぞ」
「マジかよ。怖えな」
蝋人形の館……?
俺が耳を澄ますと、会話が続く。
「あの館、昔は貴族の別荘だったんだろ?」
「ああ。でも、何十年も前に廃墟になってな。今は、森の中に放置されてる」
「それで、夜になると人形が動き出すって噂があるんだよな」
「ああ。実際に見たって奴もいるらしいぜ。友達の友達が見たって言ってた」
「怖いな……近づかない方がいいな」
「そうだな。あそこは呪われてるって話だし」
二人はそう言って、話題を変えた。
「旦那様、聞きましたか?」
アイが小声で尋ねる。
「ああ。蝋人形の館……か」
俺が呟く。
「面白そうですね」
アイが微笑む。
「お前、怖いもの知らずだな」
俺が苦笑すると、アイはクスクスと笑った。
「わたしは、旦那様と一緒なら、どこでも怖くないです」
「そうか……」
俺も微笑む。
食事を終えた後、俺たちは温泉に向かった。
温泉は、宿屋から少し離れた場所にある。
石畳の道を歩いていくと、大きな建物が見えてきた。
「クリスタル温泉」と書かれた看板が掲げられている。
「着いたな」
俺が言うと、みんなが頷いた。
温泉の受付で料金を払い、中に入る。
男湯と女湯に分かれる。
俺は一人で男湯に入る。
脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入る。
浴室は広く、大きな湯船がある。
湯船からは、湯気が立ち上っている。
「おお……」
俺が湯船に浸かる。
「ふう……」
温かいお湯に浸かり、一日の疲れが癒される。
「気持ちいいな……」
俺が呟くと、アイの声が聞こえた。
『旦那様、わたしも入りたいです~』
「お前は女湯に行ってこいよ」
『えー、でも旦那様と一緒がいいです~』
「ダメだ」
俺がきっぱりと断ると、アイは少し拗ねた。
『むー……』
「我慢しろ」
『はーい……』
アイが女湯に向かう。
しばらく温泉に浸かった後、俺は上がった。
脱衣所で服を着ていると、女湯から笑い声が聞こえる。
みんな、楽しんでいるようだ。
俺は部屋に戻り、ベッドに横になった。
「ふう……」
今日は充実した一日だった。
明日は、どうするかな……。
そう考えていると、眠気が襲ってきた。
俺は、そのまま眠りについた。
しばらくして、女性陣が部屋に戻ってきた。
「あ、悠真さん、もう寝てるんですね」
桜が小声で言う。
「そうみたいですね。今日は疲れたんでしょう」
リナリアが微笑む。
「それじゃあ、わたしたちも静かにしましょう」
「はい」
女性陣も、静かにベッドに入った。
こうして、初日の夜は静かに過ぎていった。
翌朝、俺は鳥のさえずりで目を覚ました。
窓の外を見ると、太陽が昇り始めている。
湖が、朝日を受けてキラキラと輝いている。
「おはようございます、旦那様」
アイが俺の隣で目を覚ます。
「おはよう、アイ」
俺がアイの頭を撫でると、アイは嬉しそうに微笑んだ。
「今日は、何をしますか?」
「そうだな……」
俺が考えていると、ドアがノックされた。
「悠真さん、起きていますか?」
リナリアの声だ。
「ああ、起きてるぞ」
俺がドアを開けると、リナリア、エリア、そして桜が立っていた。
三人とも、すでに服を着替えており、準備万端のようだ。
「おはようございます」
三人が挨拶する。
「おはよう。どうした?」
「実は……桜さんが、昨日の話を聞いていたみたいで……」
リナリアが説明する。
「昨日の話……?」
「はい。蝋人形の館のことです」
桜が言う。その目は、期待と不安が入り混じっている。
「ああ……あれか」
俺が頷く。
「それで……行ってみたいんです」
桜が目を輝かせる。
「え?本当に?」
俺が驚く。
「はい。なんだか、面白そうで……」
桜が微笑む。
「でも、夜になると人形が動き出すって話だぞ?怖くないのか?」
「……少し怖いですけど……でも、興味があります」
桜が正直に答える。
「それに、リナリアさんとエリアさんも一緒に行ってくれるって言ってくれたので……」
「え?お前たちも?」
俺がリナリアとエリアを見る。
「はい。桜さんが行きたいと言うので、わたくしたちも一緒に行くことにしました」
リナリアが微笑む。
「確かに、少し興味はありますね。蝋人形の館なんて、初めて聞きましたし」
エリアも頷く。
「でも……危険かもしれないぞ」
俺が心配すると、アイが言った。
「旦那様、わたしが一緒に行けば大丈夫ですよ」
「アイ……」
「それに、リナリアさんもエリアさんも、今までの戦いで強くなっています。少しくらいの危険なら、問題ないはずです」
アイが説明する。
確かに、リナリアもエリアも、魔王討伐を経験している。あの激戦を乗り越えた二人なら、並大抵の敵なら問題ないはずだ。
「……そうか」
俺は考え込む。
「わかった。それじゃあ、行ってみるか」
「本当ですか!?」
桜が嬉しそうに笑う。その笑顔は、子供のように無邪気だ。
「ああ。でも、危険だと思ったら、すぐに逃げるんだぞ」
「はい!」
三人が元気よく答える。
「それじゃあ、朝食を食べたら、出発しよう」
「はい」
俺たちは、レストランで朝食を取った。
焼きたてのパン、オムレツ、ベーコン、サラダ、そしてフルーツ。
「いただきます」
全員で手を合わせ、食事を始める。
朝食を食べながら、俺はリリィたちに説明した。
「今日は、桜たちが蝋人形の館に行くことになった」
「え?蝋人形の館?」
リリィが驚く。
「ああ。昨日、隣のテーブルの客が話していただろ」
「聞いてなかった……」
「そうか。まあ、桜が興味を持ってな」
「ふーん。わたしも行きたい!」
リリィが言う。
「いや、お前は宿屋で待ってろ」
「えー、どうして?」
「人数が多すぎると、動きにくいからな」
「むー……」
リリィが拗ねる。
「大丈夫だ。桜たちが無事に帰ってきたら、お土産話を聞かせてもらおう」
「……わかった」
リリィが渋々承諾する。
朝食を終えた後、俺たちは宿屋の主人に蝋人形の館の場所を尋ねた。
「ああ、あの館ですか……」
主人が困った顔をする。
「あそこは、行かない方がいいですよ。夜になると、本当に人形が動き出すって噂ですから」
「それは本当なんですか?」
エリアが尋ねる。
「わかりませんが……実際に見たって人もいますからね。わたしの知り合いの息子さんが、冒険心で夜に行ってみたそうなんですが、人形に追いかけられて、命
からがら逃げてきたそうです」
主人が真剣な表情で答える。
「場所は、町の北にある森の中です。森に入って、まっすぐ進めば、廃墟が見えるはずです。道は一本道なので、迷うことはないでしょう」
「ありがとうございます」
俺が礼を言うと、主人は心配そうに言った。
「本当に、行くんですか?」
「ああ。ちょっと興味があってな」
「……気をつけてくださいね。できれば、夜は避けた方がいいですよ」
「ありがとうございます。気をつけます」
俺たちは宿屋を出て、町の北にある森へと向かった。
町を抜けると、すぐに森が見えてくる。
緑豊かな森だが、どこか不気味な雰囲気が漂っている。
森に入ると、木々が鬱蒼と茂っており、少し薄暗い。
太陽の光が、木々の間から差し込んでいるが、それでも暗い。
「ちょっと不気味ですね……」
桜が不安そうに言う。
「大丈夫だ。俺たちがいるから」
俺が励ますと、桜は頷いた。
森の中を進んでいくと、やがて開けた場所に出た。
そこには――。
「あれが……蝋人形の館……」
リナリアが呟く。
目の前には、古びた洋館が建っていた。
三階建ての大きな建物で、石造りだ。
所々が崩れており、窓ガラスは割れている。ツタが壁を覆っており、屋根の一部も崩落している。
門は錆びており、庭は荒れ果てている。
「本当に廃墟ですね……」
エリアが言う。
「ああ。でも、昼間だから人形は動いてないはずだ」
俺が答える。
「それじゃあ、中を見てみましょうか」
リナリアが提案する。
「ああ」
俺たちは館に近づく。
正面の扉は、半分開いている。
「入るぞ」
俺が扉を押し開けると、ギィィィ……と不気味な音がした。
蝶番が錆びているのだろう。
館の中は、埃まみれだった。
床には、枯れ葉や埃が積もっており、天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がっている。
壁紙は剥がれており、家具は壊れている。
「うわ……汚い……」
桜が顔をしかめる。
「何十年も放置されていたんだから、当然だな」
俺が答える。
「それにしても……本当に不気味ですね」
エリアが周囲を見回す。
館の中には、いくつかの部屋がある。
リビング、ダイニング、寝室、そして――。
「あ……」
桜が立ち止まる。
その先には、小さな部屋があった。
部屋の中には、たくさんの人形が置かれている。
「これが……蝋人形……」
リナリアが呟く。
人形は、精巧に作られている。
大人の女性、男性、子供……様々な人形がある。
その表情は、まるで生きているかのようにリアルだ。
目は、ガラスで作られており、まるで本物のように見つめている。
髪の毛も、本物の人間の髪のように見える。
服装も、細部まで作り込まれている。
「すごい……本物みたい……」
桜が感心する。
「ああ。でも……ちょっと不気味だな」
俺が呟く。
確かに、人形たちは美しい。だが、どこか不気味な雰囲気が漂っている。
まるで、今にも動き出しそうな……。
「昼間だから、動いてないみたいですね」
エリアが人形を観察する。
「そうだな。それじゃあ、一通り見て回ったら、戻ろうか」
「そうですね」
俺たちは館の中を見て回った。
様々な部屋があり、それぞれに人形が置かれている。
どの人形も、精巧に作られており、まるで美術館のようだ。
リビングには、家族の人形が並んでいる。
父親、母親、そして二人の子供。
まるで、かつてここに住んでいた家族を再現しているかのようだ。
ダイニングには、食事をしている人形がある。
テーブルには、料理の模型が並んでおり、人形たちは笑顔で食事をしているように見える。
寝室には、ベッドで眠る人形がある。
その人形は、まるで本当に眠っているかのようだ。
「この館、昔は貴族の別荘だったって話だけど……」
リナリアが言う。
「ああ。相当裕福な貴族だったんだろうな。この人形たちを作るのに、かなりの金がかかったはずだ」
俺が答える。
「それにしても、なぜ廃墟になったんでしょうね」
エリアが疑問を口にする。
「さあな……何か事情があったんだろう」
一通り見て回った後、俺たちは館を出た。
「それじゃあ、戻るか」
「はい」
俺たちは森を抜け、町へと戻った。
町に戻ると、もう昼過ぎだった。
「お腹空きましたね」
リナリアが言う。
「それじゃあ、昼食を食べよう」
俺たちはレストランで昼食を取った。
湖で獲れた魚のサンドイッチ、スープ、そしてサラダ。
「いただきます」
全員で手を合わせ、食事を始める。
食事をしながら、桜が言った。
「あの……悠真さん」
「ん?」
「今夜……もう一度、あの館に行ってもいいですか?」
桜が恥ずかしそうに尋ねる。
「え?夜に?」
俺が驚く。
「はい。夜になると、人形が動き出すって話じゃないですか。それを見てみたいんです」
桜が目を輝かせる。
「でも、危険だぞ」
「大丈夫です。リナリアさんとエリアさんも一緒に来てくれるって言ってくれましたし」
桜がリナリアとエリアを見る。
「はい。わたくしも、少し興味があります」
リナリアが微笑む。
「わたくしも、魔法の研究として興味深いです。どのような魔法で人形が動いているのか、調べてみたいです」
エリアも頷く。
「……わかった。でも、本当に危険だと思ったら、すぐに逃げるんだぞ」
「はい!」
三人が元気よく答える。
こうして、夜に蝋人形の館に行くことが決まった。
午後は、町でのんびりと過ごした。
湖畔を散歩したり、お土産を買ったり、カフェでお茶を飲んだり。
桜は、ずっと楽しそうにしていた。
夕方になり、俺たちは宿屋に戻った。
夕食を取り、準備を整える。
夜。
月が空に昇り、町は静かになる。
再び森へと向かう。
ただし、今回は桜、リナリア、エリアの三人だけだ。
俺とアイ、そして他のみんなは、宿屋で待機している。
「本当に大丈夫か?」
俺が心配すると、リナリアが微笑んだ。
「はい。わたくしたちなら、大丈夫です」
リナリアが剣を腰に差している。
「何かあったら、すぐにテレパシーで連絡してください」
「わかりました」
リナリアが頷く。
「それじゃあ、行ってきます」
三人が森へと入っていく。
俺は、その背中を見送った。
「旦那様、本当に大丈夫ですか?」
アイが心配そうに尋ねる。
「ああ。リナリアもエリアも、強いからな。それに、お前も一緒に行くんだろ?」
「はい。わたしは姿を消して、三人を見守ります」
アイが頷く。
「それなら安心だ。頼んだぞ」
「はい♪」
アイが姿を消し、三人の後を追う。
俺は、宿屋の窓から月を見上げた。
「……無事に帰ってこいよ」
志賀桜は、リナリアさんとエリアさんと一緒に、夜の森を歩いていた。
月明かりが、木々の間から差し込んでいる。
昼間とは違い、夜の森は本当に不気味だ。
木々の影が、まるで化け物のように見える。
風が吹くたびに、木々が揺れて、ザワザワと音を立てる。
「少し怖いですね……」
わたしが呟くと、リナリアさんが優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ、桜さん。わたくしたちがいますから」
「はい……」
わたしは頷く。
エリアさんが、《ライト》の魔法を発動する。
小さな光の玉が現れ、周囲を照らす。
「これで、少しは見やすくなりましたね」
「ありがとうございます、エリアさん」
わたしたちは、森の中を進んでいく。
足元には、枯れ葉が積もっており、踏むたびにカサカサと音がする。
時々、小動物の鳴き声が聞こえる。
フクロウの鳴き声、コウモリの羽音。
やがて、開けた場所に出る。
そこには――蝋人形の館があった。
昼間見た時とは違い、夜の館はさらに不気味だった。
月明かりに照らされた館は、まるでお化け屋敷のようだ。
窓ガラスの割れた部分から、暗闇が覗いている。
「……行きましょうか」
リナリアさんが言う。
「はい」
わたしたちは、館に近づく。
正面の扉は、昼間と同じように半分開いている。
「入りますよ」
リナリアさんが扉を押し開ける。
ギィィィ……
不気味な音が響く。
館の中は、真っ暗だった。
エリアさんの《ライト》の魔法が、唯一の光源だ。
「昼間と同じですね……」
エリアさんが周囲を見回す。
わたしたちは、館の中に入る。
床を踏むたびに、ギシギシと音がする。
「この音……不気味ですね……」
わたしが呟く。
「ええ……でも、大丈夫ですよ」
リナリアさんが励ましてくれる。
わたしたちは、昼間見た人形の部屋へと向かう。
部屋のドアを開けると――。
「あ……」
人形たちが、そこにいた。
昼間と同じように、人形たちは静かに立っている。
「動いてませんね……」
エリアさんが言う。
「そうですね……でも、もう少し待ってみましょうか」
リナリアさんが提案する。
「はい」
わたしたちは、部屋の中に入る。
人形たちを観察しながら、待つ。
時間が経つのが、とても遅く感じる。
一分、二分、三分……。
数分が過ぎる。
すると――。
「……あれ?」
わたしが違和感を感じる。
人形の一つが、少し動いたような……。
いや、気のせいかもしれない。
でも……。
「リナリアさん、今……」
わたしが言いかけた時――。
カチャ……
小さな音がした。
振り返ると、一体の人形が――首を動かしていた。
「!」
わたしたちが息を呑む。
人形が、ゆっくりと顔をこちらに向ける。
その目が、わたしたちを見つめている。
「動いた……本当に動いた……」
エリアさんが驚く。
すると、次々と人形たちが動き始めた。
カチャ、カチャ、カチャ……
機械的な音が、部屋に響く。
人形たちが、一斉にこちらを見る。
その目は、じっとわたしたちを見つめている。
まるで、生きているかのように。
「ひっ……」
わたしが思わず声を上げる。
「落ち着いてください、桜さん」
リナリアさんが剣を抜く。
「まだ、攻撃してきているわけではありません」
確かに、人形たちは動いているが、攻撃してくる様子はない。
ただ、こちらを見つめているだけだ。
でも、その視線が……怖い。
「……不気味ですね」
エリアさんが呟く。
その時――。
ふっ……
エリアさんの《ライト》の魔法が、突然消えた。
「え?」
エリアさんが驚く。
「どうして……?」
真っ暗になる。
月明かりだけが、窓から差し込んでいる。
「エリアさん、もう一度を!」
リナリアさんが言う。
「はい!《ライト》!」
エリアさんが魔法を発動しようとする。
だが――。
「あれ……?魔法が発動しない……」
「え?」
「どうして……?魔力は十分にあるのに……」
エリアさんが焦る。
「まずいですね……」
リナリアさんが警戒する。
その時――。
「リナリアさん?エリアさん?」
わたしが二人に声をかける。
だが、返事がない。
「リナリアさん!?エリアさん!?」
わたしが大きな声で呼ぶ。
だが、やはり返事がない。
「嘘……どこ……?」
わたしは焦る。
さっきまで、すぐ隣にいたのに……。
手を伸ばしてみるが、誰もいない。
「リナリアさん!エリアさん!」
わたしは必死に呼ぶ。
だが、誰も答えない。
真っ暗な部屋の中、わたしは一人になってしまった。
「どうしよう……」
わたしは震える。
その時――。
カタ……カタ……
足音が聞こえた。
「!」
わたしは振り返る。
月明かりの中、人形たちがゆっくりと歩いてくる。
「ひっ……」
わたしは後ずさりする。
人形たちが、わたしに近づいてくる。
その目は、じっとわたしを見つめている。
「来ないで……」
わたしは叫ぶ。
だが、人形たちは止まらない。
カタ、カタ、カタ……
機械的な足音が、どんどん近づいてくる。
わたしは部屋を飛び出した。
廊下を走る。
後ろから、人形たちの足音が聞こえる。
カタ、カタ、カタ……
「嫌……!」
わたしは必死に走る。
廊下を曲がり、階段を駆け上がる。
足が絡まりそうになるが、必死に踏ん張る。
二階に着くと、わたしはとある部屋に飛び込んだ。
ドアを閉め、鍵をかける。
「はあ……はあ……」
わたしは息を整える。
心臓が、ドキドキと激しく鼓動している。
廊下からは、もう足音は聞こえない。
「……逃げ切れた……?」
わたしが安堵した時――。
「大丈夫?」
可愛らしい声が聞こえた。
「!」
わたしは振り返る。
月明かりの中、一体の人形が立っていた。
その人形は、他の人形とは違って、とても可愛らしい。
小さな女の子の人形で、フリルのついたドレスを着ている。
金色の巻き毛に、大きな青い瞳。
陶器のような白い肌に、バラ色の頬。
「あなた……誰……?」
わたしが尋ねると、人形は微笑んだ。
「わたしは、エミリア。この館に住んでいるの」
「エミリア……」
わたしは、その人形――エミリアを見つめる。
エミリアは、他の人形たちとは違って、優しい雰囲気を持っている。
「怖かったでしょう?他の人形たちに追いかけられて」
「うん……とても怖かった……」
わたしが答えると、エミリアは優しく微笑んだ。
「大丈夫。わたしが守ってあげる」
「本当に……?」
「うん。一緒に来て。あなたのお友達がいる場所に案内してあげる」
「リナリアさんとエリアさんを知ってるの!?」
「うん。二人は、別の部屋にいるわ。案内してあげる」
エミリアが手を差し出す。
わたしは少し躊躇する。
でも、エミリアの優しい笑顔を見て、わたしは手を取った。
「ありがとう、エミリア」
「どういたしまして」
エミリアがわたしの手を握る。
その手は、冷たかった。
蝋人形だから、当然だろう。
でも、不思議と安心する。
「それじゃあ、行きましょう」
エミリアがドアを開ける。
廊下には、もう人形たちはいない。
「他の人形たちは……?」
「大丈夫。わたしが追い払ったから」
エミリアが微笑む。
わたしたちは、廊下を歩く。
エミリアが先頭に立ち、わたしを案内してくれる。
その歩き方は、まるで本物の人間のようだ。
「エミリア、どうしてわたしを助けてくれるの?」
わたしが尋ねると、エミリアは少し寂しそうな表情をした。
「わたし……ずっと一人だったの。この館で、ずっと……」
「一人……?」
「うん。だから、あなたみたいな優しい人が来てくれて、嬉しかったの」
エミリアが微笑む。
「エミリア……」
わたしは、エミリアの手をギュッと握る。
「大丈夫。わたしが、あなたの友達になるから」
「本当に!?」
エミリアが目を輝かせる。
「うん。本当だよ」
「ありがとう……」
エミリアが嬉しそうに微笑む。
わたしたちは、館の中を進む。
階段を降り、廊下を曲がり、また階段を上がる。
まるで迷路のようだ。
「もうすぐよ」
エミリアが言う。
わたしたちは、とある部屋の前で止まった。
「ここよ。あなたのお友達は、この中にいるわ」
「本当に?」
「うん」
わたしは、ドアのノブに手をかける。
そして、ドアを開けようとした時――。
気がつくと、わたくし――リナリアは、見知らぬ部屋にいた。
「……ここは……?」
わたくしは周囲を見回す。
小さな部屋で、窓はない。
壁は石造りで、床には埃が積もっている。
天井は低く、圧迫感がある。
「エリアさん?桜さん?」
わたくしが呼びかけると、すぐ隣からエリアさんの声が聞こえた。
「リナリア様……?」
「エリアさん!無事ですか?」
「はい……でも、ここは一体……?」
エリアさんも困惑している。
「わかりません……気がついたら、ここにいました」
わたくしが答える。
「さっきまで、人形の部屋にいたはずなのに……」
「《ライト》を発動しますね」
エリアさんが魔法を発動する。
今度は、ちゃんと発動した。
小さな光の玉が現れ、部屋を照らす。
すると――。
「!」
わたくしたちは、思わず息を呑んだ。
部屋の壁には、無数の絵が飾られていた。
それは、すべて女の子の絵だった。
様々な年齢だけど同じ女の子。
幼い子供から、思春期の少女まで。
どの絵も、とても精巧に描かれている。
油絵で描かれており、まるで本物のように見える。
だが――。
どの絵も、どこか不気味だった。
女の子たちの目が、こちらを見つめているような……。
まるで、生きているかのような……。
「なんだか……不気味ですね……」
エリアさんが呟く。
「ええ……」
わたくしも同意する。
絵をよく見ると、どの女の子も同じような表情をしている。
無表情で、目だけが生きているような……。
「それより、桜さんは……?」
「そうですね。桜さんとは、はぐれてしまいました」
エリアさんが心配そうに言う。
「早く、見つけないと」
わたくしは、ドアに向かう。
ドアのノブを回そうとする。
だが――。
「あれ……?」
ドアが開かない。
「どうしたんですか?」
「ドアが……開きません……」
わたくしは、何度もノブを回す。
だが、ドアはびくともしない。
鍵がかかっているわけではない。
でも、何か見えない力で、固定されているような……。
「まさか……閉じ込められたんですか……?」
エリアさんが焦る。
「そのようですね……」
わたくしは、ドアを押してみる。
だが、やはり開かない。
「くっ……」
わたくしは剣を抜く。
「リナリア様、どうするんですか?」
「ドアを破壊します」
「え?でも……」
「こんな場所に閉じ込められているわけにはいきません。桜さんも心配ですし」
わたくしは、剣を構える。
魔力を剣に込める。
「はあっ!」
剣をドアに叩きつける。
ガン!
大きな音が響く。
だが、ドアにはわずかな傷がついただけだ。
「硬い……!」
わたくしは、さらに何度も剣を叩きつける。
ガン、ガン、ガン!
だが、ドアは壊れない。
まるで、魔法で強化されているかのようだ。
「くっ……こんなに硬いなんて……」
わたくしが息を切らせていると、エリアさんが言った。
「リナリア様、わたくしの魔法を試してみます」
「お願いします」
エリアさんが杖を構える。
魔力を集中させる。
「《エクスプロージョン》!」
爆発魔法がドアに命中する。
ドォン!
爆発が起こる。
煙が部屋に充満する。
わたくしたちは、咳き込む。
煙が晴れると――。
「やった!」
ドアに、大きな穴が開いていた。
「さすがですね、エリアさん」
「いえ……それでは、出ましょう」
わたくしたちは、穴から外に出る。
廊下に出ると、真っ暗だった。
「《ライト》」
エリアさんが再び魔法を発動する。
光が周囲を照らす。
「桜さんを探しましょう」
「はい」
わたくしたちは、廊下を進む。
館の中は、まるで迷路のようだった。
様々な部屋があり、廊下が複雑に入り組んでいる。
「桜さん!どこですか!」
わたくしが叫ぶ。
だが、返事はない。
「桜さん!」
エリアさんも叫ぶ。
だが、やはり返事はない。
その時――。
カタ、カタ、カタ……
足音が聞こえた。
「!」
わたくしたちは立ち止まる。
前方から、人形たちが現れた。
数えると、十体ほど。
人形たちは、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
その目は、じっとわたくしたちを見つめている。
「来ましたね……」
エリアさんが杖を構える。
「ええ。でも、わたくしたちなら大丈夫です」
わたくしは剣を構える。
わたくしたちにとって、この程度の敵は恐れるに足りない。
人形たちが襲いかかってくる。
手を伸ばし、わたくしたちを掴もうとする。
「はあっ!」
わたくしは剣を振るう。
ズバッ!
人形の腕が切り落とされる。
人形の中身は、木と布だった。
「《ウィンドカッター》!」
エリアさんが風の刃を放つ。
シュパッ!
人形が真っ二つに切り裂かれる。
「弱いですね」
「ええ。わたくしたちには、敵ではありません」
わたくしたちは、次々と人形を倒していく。
今までの戦いで鍛えられた剣技と魔法で、人形たちは簡単に倒される。
数分後、すべての人形を倒した。
床には、人形の破片が散らばっている。
「ふう……」
わたくしは息を整える。
「さあ、桜さんを探しましょう」
「はい」
わたくしたちは、さらに奥へと進む。
館の中を捜索していると、突然――。
「きゃあああああ!」
桜さんの悲鳴が聞こえた。
「桜さん!?」
わたくしは声の方向に走る。
「リナリア様、待ってください!」
エリアさんも後を追う。
廊下を走り、階段を駆け上がる。
二階のとある部屋の前で止まる。
「この中です!」
わたくしは、ドアを蹴破る。
ドガァン!
ドアが吹き飛ぶ。
部屋の中を見ると――。
わたしがドアを開けようとした時――。
突然、エミリアの雰囲気が変わった。
「えへへ……」
エミリアが、不気味な笑い声を上げる。
「え……?エミリア……?」
わたしが戸惑う。
エミリアが、ゆっくりとわたしを振り返る。
その目は――。
真っ赤に光っていた。
人間の目ではない。
まるで、悪魔のような……。
「ひっ……!」
わたしは後ずさりする。
「やっと……やっと見つけたわ……」
エミリアが、低い声で言う。
さっきまでの可愛らしい声ではない。
もっと低く、不気味な声だ。
「新しい体……」
「新しい……体……?」
「そう。わたしは、この人形の体から出たいの」
エミリアが近づいてくる。
その動きは、さっきまでとは違って、ぎこちない。
まるで、本性を現したかのように。
「だから……あなたの体を……もらうわ……」
「嫌……!」
わたしは逃げようとする。
だが、エミリアが素早く動き、わたしの腕を掴む。
その力は、小さな体からは想像できないほど強い。
「離して!」
わたしは必死に抵抗する。
でも、エミリアの力は強く、振りほどけない。
「離さないわ。あなたの体は……わたしのものよ……」
エミリアの手が、わたしの首に伸びる。
冷たい手が、首に触れる。
「嫌……!やめて……!」
わたしは必死に抵抗する。
でも、エミリアの力に敵わない。
「きゃあああああ!」
わたしは悲鳴を上げる。
その瞬間――。
ドガァン!
ドアが吹き飛ぶ。
「桜さん!」
リナリアさんとエリアさんが飛び込んでくる。
「リナリアさん!エリアさん!」
わたしが叫ぶ。
リナリアさんが、素早くエミリアを突き飛ばす。
剣の柄で、エミリアの腕を叩く。
「きゃっ!」
エミリアが床に転がる。
わたしの腕から、手が離れる。
「桜さん、大丈夫ですか!?」
リナリアさんが心配そうに尋ねる。
「はい……間一髪で……」
わたしは、リナリアさんに抱きつく。
温かい。
生きている人間の温もりだ。
「よかった……」
リナリアさんが、わたしを優しく抱きしめてくれる。
エリアさんが、エミリアの方を見る。
杖を構えて、警戒している。
「あなたは……一体……」
エミリアが、ゆっくりと立ち上がる。
その目は、まだ赤く光っている。
でも、さっきまでの殺気は消えている。
「わたしは……エミリア……この館の……娘……」
エミリアが言う。
その声は、さっきの低い声ではなく、元の可愛らしい声に戻っている。
「娘……?」
リナリアさんが尋ねる。
「そう……ずっと昔……わたしは……この館で暮らしていた……」
エミリアが語り始める。
その目から、赤い光が消えていく。
代わりに、悲しみの色が浮かぶ。
「でも……ある日……病気になって……死んでしまった……」
「……」
わたしたちは黙って聞く。
「母は……悲しんで……わたしを人形にした……」
「人形に……」
「そう……わたしの魂を……人形に宿らせた……」
エミリアが悲しそうに言う。
その声は、震えている。
「母は……魔法使いだった……だから……死んだわたしを……人形として蘇らせることができた……」
「でも……人形の体では……外に出られない……」
エミリアが膝をつく。
「なぜ……?」
エリアさんが尋ねる。
「人形の体は……太陽の光に弱いの……太陽の光を浴びると……魂が消えてしまう……」
「だから……夜にしか……動けない……」
エミリアが説明する。
「だから……生きている人間の体が……欲しかった……」
エミリアの目から、涙が流れる。
「わたしは……母を探したいの……」
「お母さんを……?」
わたしが尋ねる。
「そう……母は……わたしを人形にした後……どこかに行ってしまった……」
「わたしは……母を探したい……でも……この体では……外に出られない……」
エミリアが泣き出す。
その涙は、本物だった。
人形の涙。
魂の涙。
「だから……あなたの体を……奪おうとした……ごめんなさい……」
エミリアが泣き続ける。
わたしは、エミリアを見つめる。
この子は……悪い子じゃない。
ただ、お母さんに会いたいだけなんだ。
わたしも……日本にいる両親に会いたい。
だから……この子の気持ちが……わかる。
わたしは、エミリアに近づく。
「桜さん!危ないです!」
リナリアさんが止めようとする。
でも、わたしは構わず、エミリアの前にしゃがむ。
「エミリア……」
「……」
エミリアが顔を上げる。
その目は、涙で濡れている。
「わたしたちが……お母さんを探してあげる」
「え……?」
エミリアが驚く。
「わたしたちが、エミリアのお母さんを探してあげる。だから……もう、悪いことはしないで」
わたしが優しく言うと、エミリアの目から、大粒の涙が溢れた。
「本当に……?」
「うん。本当だよ」
「でも……わたしは……あなたを……襲おうとした……」
「大丈夫。許すよ」
わたしが微笑むと、エミリアは泣き崩れた。
「ありがとう……ありがとう……」
エミリアが泣きながら、わたしに抱きつく。
冷たい体だけど、温かい涙が流れている。
わたしは、エミリアを優しく抱きしめた。
「大丈夫。きっと、お母さんは見つかるから」
「うん……」
エミリアが頷く。
リナリアさんとエリアさんも、優しく微笑む。
「桜さんは、本当に優しいですね」
リナリアさんが言う。
「そうですね。わたくしたちも、協力しましょう」
エリアさんも頷く。
「ありがとうございます」
わたしが微笑む。
「それで、エミリア。お母さんのこと、覚えてる?」
わたしが尋ねると、エミリアは少し考えた。
「あまり……覚えてない……」
「わたしが人形になった時……記憶の多くが……消えてしまった……」
エミリアが悲しそうに言う。
「でも……母の名前は……覚えてる……」
「お母さんの名前は?」
「セシリア……セシリア・ローゼンバーグ……」
「セシリア・ローゼンバーグ……」
わたしたちは、その名前を記憶する。
「この館は……ローゼンバーグ家の別荘だった……」
「母は……貴族だった……」
エミリアが説明する。
「なるほど……それなら、王都で調べれば、何かわかるかもしれませんね」
エリアさんが言う。
「はい。明日、王都に戻って調べましょう」
リナリアさんが頷く。
「本当に……ありがとう……」
エミリアが涙を流す。
「どういたしまして」
わたしが微笑む。
その時――。
窓の外が、少し明るくなってきた。
東の空が、薄く明るくなっている。
「あ……朝が近い……」
エミリアが言う。
「朝になると……わたしは動けなくなる……」
「え?」
「人形は……夜にしか動けないの……」
エミリアが説明する。
「朝になったら……また元の場所に戻る……」
「そうなんだ……」
わたしは少し寂しくなる。
「でも……また夜になったら……会える?」
「うん……会えるわ……」
エミリアが微笑む。
「それじゃあ……また夜に来るね」
「うん……待ってる……」
窓の外が、どんどん明るくなっていく。
太陽が昇り始める。
エミリアの動きが、徐々に遅くなる。
まるで、時計の電池が切れるように。
「……ありがとう……桜……リナリア……エリア……」
エミリアが最後にそう言って――。
カタン……
動きを止めた。
人形に戻ったエミリアは、ただの可愛い人形になった。
赤く光っていた目も、元の青い目に戻っている。
「エミリア……」
わたしは、エミリアを優しく抱きしめる。
「必ず……お母さんを見つけるからね……」
わたしがそう誓った時、朝日が部屋を照らした。
長い夜が、ようやく終わった。
わたしたちは、エミリアを人形の部屋に戻した。
他の人形たちと一緒に、エミリアを丁寧に置く。
そして、館を出る。
外は、もう完全に明るくなっていた。
鳥がさえずり、爽やかな朝の空気が漂っている。
太陽の光が、森を照らしている。
「ふう……」
わたしは、深く息を吐く。
「本当に……怖かったですね……」
エリアさんが言う。
「ええ。でも、エミリアに会えて……よかったです」
わたしが微笑む。
「そうですね。あの子を助けてあげましょう」
リナリアさんも微笑む。
わたしたちは、森を抜けて町へと戻った。
町は、すでに活気づいている。
店が開き、人々が行き交っている。
朝市も開かれており、新鮮な野菜や果物が売られている。
宿屋に着くと、悠真さんたちが心配そうに待っていた。
「桜!無事だったか!」
悠真さんが駆け寄ってくる。
その顔は、本当に心配していたことがわかる。
「はい。ご心配おかけしました」
わたしが謝ると、悠真さんは優しく微笑んだ。
「無事でよかった」
「旦那様、三人とも本当によく頑張りましたよ」
アイさんが微笑む。
「そうか。それで、どうだった?」
悠真さんが尋ねる。
わたしたちは、昨夜の出来事を説明した。
エミリアのこと。お母さんを探していること。
すべてを話した。
「なるほど……そういうことか……」
悠真さんが頷く。
「それで、セシリア・ローゼンバーグという人を探すんだな」
「はい。お願いできますか?」
わたしが尋ねると、悠真さんは力強く頷いた。
「もちろんだ。みんなで協力して、探そう」
「ありがとうございます」
わたしが微笑む。
「それじゃあ、朝食を食べたら、やるか」
「はい」
そして、新たな目的ができた。
エミリアのお母さん、セシリア・ローゼンバーグを探すこと。
わたしは、必ずエミリアとお母さんを再会させてあげたい。
そう、心に誓った。
朝食を食べた後、わたしたちは宿屋をチェックアウトした。
「お世話になりました」
宿屋の主人にお礼を言い、外に出る。
「ありがとうございました。またいらしてくださいね」
主人が笑顔で見送ってくれる。
「それじゃあ、王都に戻るぞ」
悠真さんが言う。
「《空間転移》を使えば、すぐに戻れますね」
アイさんが微笑む。
「ああ。頼む」
アイさんが《空間転移》を発動し、わたしたちは王都へと瞬間移動した。
周囲が光に包まれ、一瞬浮遊感を感じる。
目を開けると、そこは王都の自宅の前だった。
「ふう……戻ってきたな」
悠真さんが呟く。
「はい。それでは、早速調査を始めましょう」
リナリアさんが言う。
「ああ。セシリア・ローゼンバーグ……貴族なら、記録が残っているはずだ」
悠真さんが頷く。
「わたくしが、王城の資料室で調べてみます」
リナリアさんが提案する。
「それがいいな。頼む」
「はい。それでは、行ってきます」
リナリアさんが王城へと向かう。
わたしたちは、自宅でリナリアさんの帰りを待つことにした。
自宅に入ると、懐かしい雰囲気に包まれる。
少しの間の旅行だったが、なんだか長く家を空けていたような気がする。
「お茶を淹れますね」
シルヴィアさんが言う。
「ありがとうございます」
わたしたちは、リビングでお茶を飲みながら待つ。
「桜ちゃん、怖くなかった?」
リリィが尋ねる。
「うん……正直、とても怖かった……」
わたしが答える。
「でも、エミリアに会えて……よかった」
「エミリアって、その人形の子?」
「うん。可愛い女の子の人形だよ」
「へえ……会ってみたいな」
リリィが興味深そうに言う。
数時間後、リナリアさんが戻ってきた。
ドアが開き、リナリアさんが入ってくる。
その手には、古い書類が握られている。
「どうだった?」
悠真さんが尋ねる。
「はい。セシリア・ローゼンバーグという人物の記録を見つけました」
リナリアさんが資料を広げる。
古い羊皮紙に、細かい文字が書かれている。
「セシリア・ローゼンバーグ。ローゼンバーグ家の令嬢。魔法使いとして知られ、特に人形に関する魔法に長けていたとされています」
「約五十年前、娘のエミリアを病気で亡くした後、行方不明になったと記録されています」
「行方不明……」
わたしが呟く。
「はい。それ以降、彼女の消息は途絶えています。財産は親族に分配され、別荘も放棄されたそうです」
リナリアさんが説明する。
「五十年も前か……」
悠真さんが考え込む。
「でも、まだ生きている可能性はありますよね?」
わたしが尋ねる。
「ああ。可能性はある。貴族なら、魔法で寿命を延ばしている場合もあるからな。特に、魔法使いなら、その可能性は高い」
悠真さんが答える。
「それなら……探せば、見つかるかもしれません」
わたしが希望を持つ。
「ああ。みんなで協力して、探そう」
悠真さんが微笑む。
「記録には、他に何か書かれていますか?」
エリアさんが尋ねる。
「ええと……セシリアさんは、娘を亡くした後、人形作りに没頭したそうです。娘を人形として蘇らせようとしたという記録もあります」
リナリアさんが続きを読む。
「そして、ある日突然姿を消した。親族が探したが、見つからなかったそうです」
「なるほど……」
悠真さんが頷く。
「それで、他に手がかりはないのか?」
「そうですね……ああ、ここに興味深い記述があります」
リナリアさんが資料を指差す。
「セシリアさんは、よく『永遠の庭園』という場所について語っていたそうです。そこに行けば、愛する人と永遠に一緒にいられると」
「永遠の庭園……?」
わたしが繰り返す。
「はい。でも、その場所がどこなのかは、記録されていません」
リナリアさんが残念そうに言う。
「永遠の庭園か……」
悠真さんが考え込む。
「アイ、何か知ってるか?」
「少々お待ちください、旦那様」
アイさんが目を閉じる。
しばらくして、アイさんが目を開けた。
「わかりました。『永遠の庭園』は、伝説の場所です」
「伝説の場所?」
「はい。時間が止まっている場所と言われており、そこにいる者は歳を取らず、永遠に生き続けると伝えられています」
アイさんが説明する。
「そんな場所が、本当にあるのか?」
悠真さんが驚く。
「存在の真偽は不明ですが、古い文献にはその記述があります。ただし、場所は秘密にされており、誰も知らないとされています」
「なるほど……」
悠真さんが頷く。
「でも、セシリアさんがそこについて語っていたってことは、何か知っていた可能性があるな」
「そうですね」
リナリアさんが同意する。
「それじゃあ、『永遠の庭園』を探せば、セシリアさんが見つかるかもしれない」
わたしが言う。
「ああ。でも、どうやって探すんだ?」
悠真さんが尋ねる。
「そうですね……エミリアに聞いてみるのはどうでしょうか?」
エリアさんが提案する。
「エミリアに?」
「はい。エミリアさんは、セシリアさんの娘です。もしかしたら、何か覚えているかもしれません」
「なるほど……それはいい考えだな」
悠真さんが頷く。
「それじゃあ、今夜また館に行こう」
「はい」
こうして、わたしたちは再びエミリアに会いに行くことになった。
その夜、わたしたちは再び蝋人形の館へと向かった。
今回は、悠真さんとアイさんも一緒だ。
《空間転移》で、一瞬にして館の前に到着する。
「ここが、蝋人形の館か……」
悠真さんが館を見上げる。
「ああ。本当に不気味な場所だな」
「でも、エミリアは可愛い子ですよ」
わたしが言う。
「そうか。それじゃあ、入るか」
わたしたちは、館に入る。
人形の部屋に向かうと、エミリアがそこにいた。
まだ、人形の状態だ。
「まだ、完全に夜じゃないからかな」
わたしが呟く。
しばらく待つと――。
カチャ……
エミリアが動き始めた。
ゆっくりと目を開け、わたしたちを見る。
「あ……桜……」
エミリアが微笑む。
「エミリア!」
わたしは、エミリアに駆け寄る。
「来てくれたのね……ありがとう……」
エミリアが嬉しそうに言う。
「うん。約束したからね」
「それに……お母さんのことを調べてきたよ」
「本当に!?」
エミリアが目を輝かせる。
「ああ。エミリア、『永遠の庭園』って知ってるか?」
悠真さんが尋ねる。
「永遠の庭園……?」
エミリアが考える。
「……聞いたことが……ある……」
「本当に?」
「うん……母が……よく話していた……」
エミリアが思い出そうとする。
「どんな話だった?」
「母は……『いつか、わたしたちは永遠の庭園で一緒に暮らすのよ』って……言ってた……」
「そこなら……時間が止まっているから……ずっと一緒にいられるって……」
エミリアが語る。
「やっぱり……セシリアさんは、『永遠の庭園』に行ったのかもしれませんね」
リナリアさんが言う。
「でも、その場所がどこなのか……」
悠真さんが考え込む。
「エミリア、お母さんが『永遠の庭園』の場所について、何か言ってなかったか?」
「えっと……」
エミリアが一生懸命思い出そうとする。
「……庭園かは分からないですけど……『湖の底』って……」
「湖の底?」
「うん……『湖の底に、秘密の入口がある』って……」
エミリアが言う。
「湖……クリスタルレイクのことか?」
悠真さんが言う。
「そうかもしれませんね。あの館は、クリスタルレイクの近くにありますから」
リナリアさんが頷く。
「それじゃあ、明日、クリスタルレイクの湖底を調べてみよう」
「はい」
こうして、わたしたちは新たな手がかりを得た。
エミリアのお母さん、セシリア・ローゼンバーグ。
彼女は、『永遠の庭園』にいるかもしれない。
そして、その入口は、クリスタルレイクの湖底にあるかもしれない。
わたしは、必ずエミリアとお母さんを再会させてあげたい。
そう、改めて心に誓った。
今回は、桜さんを迎えての初めての旅行となりました。クリスタルレイクは本当に美しい場所で、みなさんと過ごした時間は、とても幸せなものでした。
ですが、まさか蝋人形の館で、こんな出会いがあるとは思いませんでした。
エミリア……あの小さな人形の少女は、五十年もの間、ずっと一人でお母様を待ち続けていたのです。その想いを知った時、わたくしたちは必ず彼女を助けようと決意しました。
桜さんの優しさが、エミリアの心を開きました。あの場面を見て、わたくしは改めて桜さんの強さを感じました。辛い過去を乗り越えてきたからこそ、他者の痛みに寄り添えるのでしょう。
次回は、『永遠の庭園』の謎に迫ります。クリスタルレイクの湖底には、本当に秘密の入口があるのでしょうか?そして、セシリア様は、そこにいらっしゃるのでしょうか?
エミリアとお母様の再会――わたくしたちは、必ずその願いを叶えてみせます。
次回もどうぞお楽しみに。
リナリア・エルディア=ルストニア




