20 憑き物
「ねえ若菜ちゃん、もしかしてあの石ってまだ持っているの?」
「あの石……ああ」
若菜ちゃんがキッと睨んだ。
「お守りのことを言っている? 捨てるわけないでしょ」
「どうして? あの石捨ててって言ったのに」
「最低、あの日のことを思い出さすなんて本当最低。せっかく忘れかけてたのに。胸糞悪っ。さようなら」
「待って、若菜ちゃん」
追いかけようとすると、凜ちゃんがぼくの法衣を掴んだ。
「海人くん、待って、わたし……」
「ごめん、凜ちゃん。ぼく若菜ちゃんを追わなきゃ。ここまで送ってくれてありがとう。じゃあね」
口早に言うと、凜ちゃんが悲しそうに手を放した。
☆☆☆☆☆
「若菜ちゃん、若菜ちゃん、待って」
ヒールで歩いていた若菜ちゃんにはすぐ追いついた。
かつて若菜ちゃんを包んでいた鮮やかな赤い光は、今はどす黒い血のような色になっている。その色と臭いに眩暈を起こしそうになりながら、必死に隣を歩いた。
「ついてこないでよ」
「若菜ちゃん、よく聞いて。若菜ちゃんはつかれている」
「そうだね。確かに疲れている。毎日、お店終わるの明け方だし」
「その疲れじゃなくて。憑りつかれているんだ」
「はあ?」
若菜ちゃんが立ち止まって睨んだ。その目に思わず身体が硬直する。
「久しぶりに会った幼馴染によくもそんなこと言えるね。冗談だとしても笑えない」
「冗談じゃないよ。若菜ちゃんは憑りつかれてるんだ。頭が痛かったり、眠れなかったりしていない?」
「はいはい、そうですね。でも、だから何? それが霊の仕業だって? それが分かったところで、どうしようもなんないでしょ」
「そんなことない」
若菜ちゃんの腕を掴んだ。
「何よ、この手。何もできないくせに。ほっておいて」
若菜ちゃんが腕を振り払って歩きだした。
全身を黒煙が取り巻いているように見える。
なんとかしないと、このままいけば若菜ちゃんは死んでしまうかもしれない。
でも天徳院に帰って、これから凜ちゃん家にあった呪物をきちんと祓わなければいけない。特に本は! 今は札の下で眠っている悪霊には油断はできない。
今すぐに天徳院に、連城先生の元に戻らなくちゃダメだ。そう訴えかける理性を全部無視して口を開いた。
「若菜ちゃん、待って! ぼくが」
若菜ちゃんは面倒くさそうに振り返った。
「何?」
「ぼくが何とかするから」
「はあ?」
「ぼくが除霊する」
「へえ、面白そうじゃん」
心地の良い低い声に若菜ちゃんがはっとした。振り返ると、20代くらいのスーツを着た背の高い若い男が立っている。
「イズル様!」
若菜ちゃんが甘い声を出した。イズルは微笑むと、若菜ちゃんの方に悠然と歩いていく。イズルがちらっとこっちを見た。
「このお坊さん、若菜の友だち?」
「小学校の頃の同級生です」
「初めまして、川奈イズルっていいます」
イズルが丁寧に頭を下げた。
「楠木、いえ連城海人です」
「連城海人。良い名前だね」
イズルの目がキラっと光った。
「運が良さそうだ。今度遊びにきなよ。祈ってあげるから」
「イズル様、ダメですよ。海人はもう自分の宗教があるから」
「へえ、ずいぶんと仲いいんだね」
イズルが若菜ちゃんの腰をぐいっと引き寄せ、
「妬けるな」
若菜ちゃんの唇をむさぼるようにキスをした。
心臓がどきんと鳴った。ツインテールで、元気で明るい小学生の頃の若菜ちゃんの顔が重なる。胸の奥が悲鳴を上げた。耐えがたい熱気が喉にこみあげてきて、いたたまれなくなって顔を背けた。
「さてと、海人君だっけ?」
イズルの声がする。でも顔を向けることが出来ない。
「俺も教祖って立場上、よく若菜の除霊をするんだけど。君も除霊できるの? 本当なら今回はお願いしたいな」
びっくりして顔を上げた。イズルは魅惑的な目で微笑んでいる。
「若菜も、いいだろ」
若菜ちゃんは頬を紅潮させ、息も絶え絶えって感じで、頷いた。
「イズル様が、そう言うなら」
「なら決まり!」
イズルがにっこりとした。
☆☆☆☆☆
若菜ちゃんは全く乗り気じゃないようだったけど、近くの公園まで一緒についてきてくれた。そこでちょうどいい東屋を見つけた。近くに清らかな小川も流れており、その上、あたりには誰もいない。東屋に入ると、イズルに向かって頭を下げた。
「若菜ちゃんについている霊があなたに憑りつくといけないんで。どこか別の場所にいてください」
「えー問題ないって、自分で祓えるし」
と、しぶられた。代わりにスマホで動画を撮らせてくれというのを断るのはさらに大変だった。そもそも何が飛び出してくるか分からないのに、動画を撮っておくのはよくない。特に電化製品を回しておきたくはない。
「1時間くらいしたら迎えにくるよ」
「1時間で終わるか分かりませんが……」
そう言うと、イズルはあからさまに不満そうな顔をして、
「じゃあ若菜、終わったら連絡して。迎えに来るから」
イズルの言葉に若菜ちゃんがとろけるような笑顔で頷いた。
☆☆☆☆☆
東屋の中のベンチに若菜ちゃんを座らせた。香を焚き、右手に金剛杵、左手に札を握りしめる。室内と違い、清らかな香りが充満してくれない。こんなんで上手く清められるだろうか。やはり天徳院に連れて行って除霊すべきだったんじゃないだろうか。浮かんできた迷いを打ち消すように経を唱える。すると若菜ちゃんがイライラと貧乏ゆすりを始めた。
「ねえ海人、海人の声が耳障りなんだけど。止めてくれない……ねえ止めて」
悲痛な叫び声を無視し、経を唱え続けた。
「止めて……止めろ」
若菜ちゃんが絶叫した。
―若菜ちゃんに憑りついている悪霊よ。若菜ちゃんの身体から出ていけ――
念じながら必死に唱え続ける。すると若菜ちゃんが急に笑い出した。その声は既に若菜ちゃんの声ではない。低い男の声。憑き物が現れた!
「ひどく頭痛がする、念仏は止めてくれ」
若菜ちゃんがこめかみを押さえた。このまま調伏させてやる! 経を唱える声を張り上げた。すると若菜ちゃんが突然キャミソールの肩紐に手をかけた。
「止めてくれるなら、この娘を抱かせてやる」
頭に血が上った。服を脱ぎ去ろうとした手を掴んだ。この悪霊は若菜ちゃんを何だと思っているんだ。金剛杵を若菜ちゃんの額に近づけた。
「おい、それ以上近づけたら、この娘の魂が死ぬぜ」
「嘘だ」
「嘘じゃない。この娘の魂ともう6年も一緒にいるんだ。既に俺の魂と同化し始めている。だから俺が死ねば、この娘の魂も死ぬ」
「嘘だ、そんなの嘘だ」
「そう思うなら、試しにやってみればいい」
若菜ちゃんがぼくの腕を掴んだ。ゾッとするくらい冷たい。
「どうした? 手が震えているぜ」




