25話 兄の矜持
「なあ叔母さん。うちの家系って何か特殊だったりする?」
朝食を済ませた俺は、キッチンで洗い物をしている叔母さんに質問をしてみた。
それとなく聞いたつもりだったけど、叔母さんは眉をひそめている。
「なによ、急に」
「いや、神無戯って名字についてなんだけど……」
「あー……真央さんの姓だから、私は詳しく知らないわよ」
「……父さんの」
あの人は……あの人達は俺たちを置いてどこかに行ってしまった。
俺はいいけどそれで、どれだけ芽瑠が……。
「どこかのお寺? 神道家の傍系だったとかで、真央さんの代じゃそういった関わりもほとんどないって言ってたし」
「……できればこんな姓を名乗りたくないな」
「……勇真くん」
「行ってきます」
俺はそそくさと叔母さんに背を向け、高校に行く準備をする。
叔母さんは何か言いたそうだったけど、俺はあの人たちを許すつもりはない。
だってあの人たちは……芽瑠の足が動かなくなった途端、俺たちを見捨てるように家を出て行ったんだ。
あの人たちがいなくなって、芽瑠はどれだけ苦しんだか。
芽瑠は思ったはずだ。
自分のせいで両親がいなくなった、と。
両親に拒絶されたと。
幼い芽瑠の心に、深い傷跡を残したのは言うまでもない。なにせあの人たちがいなくなってから、しばらく芽瑠は自分の存在を否定し続けたんだ。
『負担をかけてごめんない』
『迷惑をかけてごめんなさい』
『1人でできなくてごめんなさい』
『生れてごめんなさい』
いつもなら仕方ない、で済ませる俺もこの時ばかりは腹が煮えくり返る思いだった。
そしてその火種は今もなお燻り続けている。
あの人たちが芽瑠から奪った自信、自己肯定感をどうにか取り戻したくて……最近はやっと『ありがとう』と言ってくれるようになったからこそ、あの人たちの話題は避けるべきだった。
「芽瑠が自信を持てるなら、俺は何だってやれる」
芽瑠は唯一無二の妹で、存在しているだけで素晴らしい。俺と叔母さんを笑顔にしてくれる大切な家族だ。
「お兄ちゃん、何か言った?」
「お? 芽瑠は今日も可愛いなって」
いつの間にか芽瑠が玄関まで見送りに来てくれていたようだ。
「私、自慢の妹?」
「ああ。芽瑠は誰よりも可愛くて、頑張り屋の最高の妹だ」
「じゃあ、私も特別支援学校、がんばる、運命」
「ああ。お兄ちゃんも学校とバイトをがんばってくる」
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
今日も俺の妹は、誰もが見惚れる笑顔で送り出してくれた。
◇
俺のバイト先はカラオケとボーリング場が併設されたアミューズメントパークだ。正直、お客様が混む時間帯はかなりキツイ。
なにせ店舗には正社員が1人のみで他は全員バイトで回っているような、従業員がギリギリまで削られている職場だったりする。
「おい、おっさん! しっかりボウリングシューズは片付けておけって、さっき言ったよな!?」
声を荒げて俺を注意するのは今年で24歳になる男性、力原剛さんだ。彼は全国展開している大手アミューズメント施設『ラウンド2』の正社員を立派に務めている上司だ。
「え、や……シューズなら先ほど、確かに片付けておきましたけど……」
「実際には片付いてないだろ? これじゃお客様がサクサク使えないだろーが。それと3番レーンの酒とフード注文もつっかえてるから、さっさとしてくれ若ハゲ」
侮蔑のこもった苛立ちの目線を向けてくる力原さんに、これ以上言い訳をするのは悪手にしかならないと判断。任された仕事をそそくさとこなす。
「おつっす、神無戯くん」
「いやー、ほんとおつかれだねー」
「神無戯くんはもう河童じゃないのに未だにハゲ呼ばわりって、力原さんもひっでえ……」
「神無戯くんのハゲが治ったのは普通に嬉しいよな。あれ以上ハゲ散らかったら、厨房に髪の毛落ちて汚れるからさww」
俺が急いで注文されたドリンクを作っていると、同じアルバイトの尾多さんと非戸さんが話しかけてくる。一つ上の高校二年生の2人は、妙にねばっこい視線を向けてニヤニヤと口元を歪めていた。
「おつかれさまです。尾多さんと非戸さんは、5番レーンのオーダー処理中ですか?」
「そうだよ。あいつらほんと酒飲みすぎ、席ちらかしすぎ。帰ったあとの掃除がクソだる。そういえば神無戯くん、ボウリングシューズの消臭が甘かったから全部ケースから出しておいたよ」
「自分はおっさんキャラだから体臭とか気にしないのかもしれないけど、お客様は気にしますから。特にシューズは。しっかりやってねー」
「あ……え……。それならそうと、言ってくれれば……」
力原さんに厳重注意されることもなかったのに。セットしたシューズをわざわざ全部だすなら、せめてその旨を伝えてさえしてくれれば……。
なんてそんな不満をグッと堪えて、ちゃんと消臭スプレーを入念にかけていなかった自分が悪いと反省をする。
「俺らも神無戯くんに逐一報告できるほど暇じゃないから」
「暇だったら、こんなクソ忙しいバイトなんかしてないでYouTuboでヒカリン見てますもん」
「それな」
「ヒカリンちゃんガチで尊すぎて辛い」
「あああああー! 俺は早く家帰って『ゆめみるぼっち』の配信見てええええー」
「最高ミル!」
おおう……ここにも彼女たちのリスナーがいるのか。
あの2人は本当に知名度が高いというか、人気者なんだな。
「ハゲおじ! 7番レーンの客に注意してこい! ボール投げて遊んでるだろうが、転がすもんだって教えてやれ! さっさとしろ!」
「は、はいっ」
夜に来る若いお客様はみんな元気があって、俺がペコペコ頭を下げながら注意してもなかなかその態度を改めてくれない。それでも必死に店の営業方針を訴えれば、最後は不快そうな顔でしぶしぶ了承してくれる。
そんな風に迫り来るストレスを祓い続け、バイトの終了時刻がもう少しといったところで事件は起きた。
「なんかカラオケの15号室で揉め事らしいってさ」
「力石さんが対応してるけど、あの人は基本上から目線だしな~」
フロントから尾多さんと非戸さんが戻ってくると、不穏な発言をし始めた。
「あのクソガキども……! 何度、注意しても聞きやしねえ!」
厨房に顔を出した力石さんは苛立ちで顔がはち切れそうだった。その形相は、彼の方こそ頭髪がハゲ落ちないか心配になるほどだ。
「おい、ハゲ! 15号室の客、お前んとこの高校と同じ制服だったぞ! 再三に渡って注意しても改めないから強制退店してもらう。おら、ハゲも来い!」
「え?」
「あのガキども、ドリンクバーのアイスやジュースを出しっぱなしにして汚しまくるんだわ。見てみろ」
確かにひどい惨状だった。
というかコレはわざとしたのではないか? と疑いたくなるレベルでひっちゃめっちゃかだ。
アイスクリームは床にべっちゃりと落ちてるし、ドリンクなんて流しっぱなしでジョボジョボとこぼれ続けている。
「失礼いたします。お客様————」
「おっ、カツラギじゃーん!」
「よっ、カツラギのバイト先って聞いたから遊びにきてやったぜー」
15号室のドアを開けると、同じクラスの黒井くんと差部津くんのねばついた笑みが目に飛び込んでくる。さらに学校で一度や二度ぐらいは見かけたことのある男子生徒が5人ほど、誰もが俺と力原さんをニヤニヤ見詰めていた。
「口うるさい店員もいるじゃん」
「おまえさっきから何度も何度も俺らが歌うの邪魔してんじゃねえよ」
「ドリンクバーがどうのって、そっちの機械の問題じゃんな?」
力原さんをディスる同級生たちに、俺はどうすればいいのか一瞬躊躇する。
すると力原さんが後ろからズイッと身体を割り込ませ、淡々と営業方針を伝えはじめた。
「お客様の使い方の問題でございます。当店の方針といたしまして、再三の迷惑行為は営業妨害に繋がると判断いたしました。ですので即刻、ご退店くださいませ」
「は?」
「なにこの店員」
「逆キレってやつですかー?」
「やばいやばい、こいつマジで頬がピクピクしてやがるww」
「おーい、カツラギィ。払った金は戻ってくるってわけ?」
「まだ俺ら1時間しか遊んでないんだけど」
俺は同級生に頭を下げて事情を説明する。
「申し訳ありません。フロントで事前にご説明があったと存じますが、当店の営業方針に著しく逸脱したお客様に関しては返金せずにご退店していただく場合がございます。今回はそちらに該当いたします」
「はーふざけんなよ?」
「この店員のせいか?」
「カツラギのせいじゃね?」
「俺らお客様だろ? こんな接客でいいのかよ?」
「おい、せめて半額ぐらいは返せよ」
急に殺気立つみんなだったけど、限界を迎えていたのは力原さんも同じだったようだ。
「いい加減にしろガキどもが! 営業妨害で警察呼ぶぞ!?」
「は!? ぼったくってんのはそっちだろうが!」
「ふざけんな、このやろう!」
「店員如きが調子にのんなっての! お客様は神様だろーが!」
「ひぃッ!?」
3人がかりで胸倉を掴まれた力原さんは、いつもの横柄な態度から豹変して押し黙ってしまう。
「黒井くん、差部津くん、これはいくら何でもやりすぎ、です」
俺がどうにか場を治めようとするが、2人の不機嫌オーラはおさまらない。
「じゃあこのまま遊ぶってことでOK?」
「申し訳ありませんが、このような事態になっては承服いたしかねます」
「じゃあこのまま帰るとして、全額返金できんの?」
「そちらもお断りするほかなく」
俺が一辺倒で2人の提案を断り続けていると、周囲の同級生たちが圧をかけてくる。
「ノリ悪すぎ」
「つかえねー」
「あれもできない、これもできないって、お前は障がい者かよ」
「そういやコイツの妹って障がい者なんだっけ?」
誰かが口にしたその一言は————
「確か足が動かないとかで歩けないんだった気がする」
「どおりで! コイツも使えないバイトなら妹も社会のお荷物ってわけだ! 遺伝は怖いねえ」
「こいつも妹も兄妹そろって無能、無価値、存在する意味ねーじゃん」
「生きる廃棄物、生ゴミ兄妹ってやつ~!」
「ぎゃははははははっ」
俺にとって絶対に許せない言葉へと変わった。
いつも通りの俺に対する軽い侮辱だったら、笑って流して呑み込んだ。でも今回は、強烈に熱された煮え湯だ。
黙って呑み込めるわけがない。
きみたちに芽瑠の何がわかる? 何を知っている?
一生懸命歩く練習をして、諦めきれずにもがいてもがいて、諦めたくないのに諦めるしかなった芽瑠の気持ちが理解できるのか?
日常生活に支障をきたさないよう、筋力の衰えをどうにか抑えるために日々励む妹は、存在する意味がないって?
————できる事を増やそうと努力する人間をゴミと嘲るのか?
「一発どつけばカツラギも立場ってもんがわかるんじゃね?」
「おっ、いいねー! カラオケ屋のバイトとスキンシップってか!」
「じゃあ客が満足できる接客を俺らが教えてやるかね~。俺らなりの接待でさ?」
鼻息も荒く、自身たっぷりな彼らは静止する間もなく殴りかかってきた————
はずだった。
拳をふりかぶる彼らに強い違和感を覚える。
遅いのだ。
いや、遅すぎる。
襲い掛かかってくる同級生の動きは亀のようにゆったりと感じ、それらすべては容易にかわせる。けれど俺は敢えてその拳をこの身に受けてみる。なぜなら正当防衛、いわゆる反撃の名目を得られるからだ。
繰り出されたパンチはどれも軽かった。
「いっ、痛ってえ……!」
「なんだよ、こいつ」
「殴ったのに……反応がない?」
「もうちょっと、しっかりわからしてやる必要があるな!」
何度か顔や肩を殴られたけど、驚くほど痛みはない。
沸き起こる激情のせいなのか、それともステータスが上昇した恩恵なのか定かではないけれど、一つだけわかった事がある。
「ご自分たちの御立場、おわかりになりましたでしょうか?」
迫り来る同級生の攻撃全てがひどく鈍く感じるのは、俺の動きが彼らより遥かに早いからだろう。
頬へと伸びた拳をかわし、同時に頭を狙った肘撃ちもしゃがんでやりすごす。そして膝に放たれたローキックに合わせて手を伸ばし、そのまま脚を握って勢いのままぶん投げてやる。
「ぎゃっ…………」
壁へと打ち付けた同級生を眺め、人間一人の体重とは思えないほどの軽さに少し困惑する。しかしそんな動揺も怒りによって一瞬で消え、俺は彼らに告げた。
「さて、お客様がお望みのスキンシップとやらを始めましょう。大サービスいたします」
「は?」
「はあ~~!?」
「ふざ、カツラギィイ!」
「いっぺん死ねや!」
一斉に襲い掛かかってきた同級生の相手をしたのは、時間にしてほんの数秒。
俺が4人のみぞおちに拳をめり込ませると、彼らは苦しみもがきながら床に伏した。続けて顔を蹴り飛ばしてやろうと思ったけど、これ以上したら殺しかねない。
だから代わりに、茫然とした顔で俺を眺める黒井くんと差部津くんに問いかける。
「俺、言ったよね。こういうノリは嫌だって」
「や……俺らはそのっ、べ、別にそういうつつつもりじゃなくて」
「か、カツラギ、じゃなくて神無戯、落ち着けって」
「じゃあクラスメイトのよしみってことで、仲直りの握手で許すよ」
「ほ、ほんとか? だ、だよなー、こんなんちょっとしたイジりだしなー!」
「ガチギレするほどのことじゃないもんな? いや、俺たちもやりすぎたっていうか、さ!」
まるで心のこもってない平謝りを聞いた俺は、差しだされた2人の手を握り徐々に力を強めていく。
「これで仲直り——痛ッ」
「か、神無戯ッ!? いだっいだっ」
無言をつらぬきながら、2人の手を握ったまま上へと持ち上げてゆく。
「あっ、いつっ、いでえ」
「離して、してくだっ、放せ!」
とうとう吊り上げられてしまった魚のようにジタバタする2人は、自由な片手と両足で俺に殴る蹴るの暴行を加え始めた。
これは都合がいい。
「あー、人がせっかく仲直りしようとしてるのに。じゃあ、俺も正当防衛するしかないですよね? 力原さん?」
俺が笑顔で縮こまったままの力原さんに問えば、コクコクコクと何度も頷いてくれた。
よし、証人はゲットしたわけだし、この2人にも軽い腹パンをお見舞いしておく。
「かはぁッ」
「げほッ……」
ボゴォッとか、メキョッて何かが壊れる音がしたけど、どうでもいい。
これでようやく黙ってくれたようだ。
俺はそのまま2人の顔を掴み、持ち上げた状態でしっかりと自分の意思を伝えてやる。
「次はさ、俺の妹を侮辱したその口ごと握り潰すそうか」
ギリギリと顎ごと鷲掴みにしながら締め上げてゆくと、彼らの目は涙で歪む。
「————ご満足いただけましたでしょうか? お客様」
ニコリと笑みを向ける。
すると、2人はようやく心の底からの謝罪をしてくれた。
「ふぉ、ふゅ、ゆ、ゆるじで……」
「ご、ごべんあさい……」
この後、めちゃめちゃ力原さんは働いてくれた。
警察やらに説明と状況報告をしてくれ、防犯カメラの映像から先に暴力を振ったのは相手側であり俺が取った行為は正当防衛であると認められる。ちょっと過剰防衛気味だと指摘されたが今回は不問にするそうだ。なにせ彼らは痛みに悶えるだけで目立った外傷や致命的なダメージを負ったわけではなく、骨折した者もいない。
ものすごく加減しておいてよかったと思う。
そして黒井くんや差部津くんらは傷害未遂と暴行罪が適用され、30万円以下の罰金が課せられた。
ブクマ、☆、いいね、など、いつもありがとうごいざます!
すっごくモチベになってます!




