第五話
恋人になってから、数日が経った。
以前と比べて、私たちの生活が大きく変わったわけではない。
朝になれば教室で挨拶をして、昼にはクラリスやディーン達と一緒に食事をする。放課後は図書館へ行き、同じ本を読んだり、それぞれ好きな本を探したりする。
けれど。
「おはよう、エリス」
「……おはよう」
レオンに名前を呼ばれるだけで、以前より少しだけ胸が騒ぐ。日に日にレオンのことが好きになっている自分がいる。世間のカップル達は皆んなこんな気持ちなのか、と思う。
それに。
「今日も可愛いな」
「……っ」
こんなふうに何気なく言われるたび、私は顔が熱くなる。恋人になる前から、レオンはこういうことを平気で言う人だった。
けれど今は、その言葉を素直に受け取ってしまう自分がいる。
それが少し恥ずかしいやら、嬉しいやらでなかなか馴れそうもなかった。
「そういえばエリス」
「ん?なあに?」
昼休み。
いつものように四人で昼食を取っていると、クラリスがふと思い出したように私を見る。
「パーティーの準備、してある?」
「……うん。一応、ね」
今週末に予定されている貴族向けのパーティー。
学園に通う貴族の子供たちも多く参加するため、私も出席することになっている。もちろん嫌々ではあるが。
「ドレスは?」
「あるよ。いつものだけど」
「……」
クラリスが少しだけ困ったような顔をした。
その視線が、私の横へ移る。
「エリス、今あなたは公爵令息の恋人なのよ?今までは嫌々参加して質素な格好でも良かったかもしれないけど、あなたの評価がレオンの……公爵家の評価に繋がるかもしれないのよ」
「ええ!?……それはさすがに考えすぎじゃ無い?」
「俺はエリスと一緒に参加できるならなんでも嬉しいかな」
「あんた達はホントに……これはもう、リリアに任せたほうがいいかもしれないわね」
「「え?」」
その日の放課後。
私は、その言葉の意味を嫌というほど思い知ることになった。
「お義姉様!」
教室を出たところで、リリアに捕まった。
「パーティーの準備、されるんですよね?」
「うん」
「では、私に任せてください!」
そう言った瞬間には、もう私の腕を取っていた。
「え?こちらの同意は……?」
「では、行きましょう!」
「ちょっと、リリアさん?聞いてます?」
「お義姉様をパーティーで一番に輝かせてみせます!!!」
有無を言わせぬ勢いだった。
連れて行かれた先は、王都でも有名な仕立て屋だった。
「え?ここ……?」
「はい!」
店内には、色とりどりのドレスが並んでいた。
淡い色。
鮮やかな色。
刺繍が施されたもの。
宝石が散りばめられたもの。
どれも私には縁のない世界に見える。
「私は普通のドレスで十分なんだけど……というかこんな高級品、とてもじゃないけど買えないわ」
「ダメです!そしてドレスはお兄様が買うので心配しないでください!」
リリアは即答した。
「せっかくのパーティーなんですから。お義姉様には、もっとご自分の魅力を知っていただかないと」
「魅力って……」
「あります」
また即答。
「ものすごくあります。原石です」
リリアは本気だった。
それからの時間は、私にとって目まぐるしいものだった。
まずドレス。
リリアは何着ものドレスを私の前に並べ、その中から一着を選んだ。
淡い青を基調としたドレスだった。
胸元から腰にかけては細かな刺繍が施され、裾へ向かうにつれて柔らかな色合いへ変わっていく。
派手ではない。
けれど、光を受けるたびに繊細な刺繍がきらめく。
「これにしましょう」
「……綺麗」
「でしょう?生地に宝石が散りばめられているんです」
私は思わずドレスに触れた。
「でも……私には少し華やかすぎない?」
「いいえ。むしろこれくらいでちょうどいいです」
リリアはそう言って笑った。
「お義姉様は、今までご自分を隠しすぎなんです」
次に髪。
いつも下ろしている長い栗色の髪を丁寧に梳かし、顔周りを残しながら後ろでまとめる。
髪飾りには、小さな青い宝石。
それだけなのに、鏡に映る自分の印象が大きく変わっていく。
「眼鏡は……」
私はいつもの眼鏡に手を伸ばした。
けれど。
「今回は、外しましょう」
「……」
「お義姉様」
リリアが優しく笑う。
「今日くらいは、隠さなくてもいいじゃないですか」
「でも何も見えなく……」
「度が入っていないのはお見通しですよ」
「うっ……バレてる」
私は少し迷った。
眼鏡は、私にとって視力矯正具ではない。
少しでも目立たないためのものでもあった。
顔を隠してくれる。
人から向けられる視線を少しだけ遠ざけてくれる。
だから、眼鏡を外すことには抵抗があった。
けれど、今日は……
「……分かった」
私は眼鏡を外した。
鏡の中の自分と目が合う。
いつも見慣れているはずの顔なのに、どこか違って見えた。
化粧も、決して濃くはない。
肌を整え、目元を少し彩る程度。
唇にも淡い色を乗せる。
それだけなのに。
「……」
私は鏡の前で固まってしまった。
長い栗色の髪。
普段は眼鏡に隠れている大きな瞳。
細く整った顔立ち。
華奢な身体を包む淡い青のドレス。
胸元の小さな宝石が、光を受けて淡く輝いている。
そこにいたのは、私が知っている「目立たないエリス」とは、まるで違う少女だった。
「……これ、本当に私?」
「はい」
リリアは満足そうに頷いた。
「とっても綺麗です」
「……なんだか落ち着かない」
「そのうち慣れますよ」
「慣れるかな……」
「慣れなくても大丈夫です」
リリアは楽しそうに笑った。
「今回は、お兄様に思いっきり驚いてもらいましょう」
「……!」
その名前を出されると、急に恥ずかしくなる。
「レオンに……?」
「はい」
「……恥ずかしい、やっぱり元に戻して……「ダメです」」
私は観念した。
そしてパーティー当日。
会場へ向かう馬車の中で、私は何度も自分の姿を確認していた。
大丈夫だろうか。
変じゃないだろうか。
やっぱり派手すぎないだろうか。
そんなことばかり考えてしまう。
「お義姉様」
向かいに座るリリアが笑った。
「大丈夫です」
「……本当に?」
「はい。今日のお義姉様は、とても綺麗です!もっと自信を持ってください!」
そう言われても、私は落ち着かなかった。
むしろ会場に近づくほど、緊張が大きくなっていく。
やがて馬車が止まり、扉が開く。
会場へ続く階段を上ると、大きな扉の向こうから、音楽と人々の話し声が聞こえてくる。
私は一度だけ深呼吸をした。
そして、扉が開いた。
その瞬間。
会場の空気が、変わった。
音楽が流れている。
人々が談笑している。
グラスが触れ合う音。
笑い声。
華やかな衣装。
いつものように、多くの人が集まっている。
そのはずだった。
けれど私が一歩、会場へ足を踏み入れた瞬間。
いくつもの視線が、こちらへ向いた。
「……」
一人。
また一人。
会話をしていた令嬢が口を閉じる。
笑っていた青年が振り返る。
グラスを持っていた男性の手が止まる。
まるで……時間そのものが、一瞬だけ止まったようだった。
「……誰?」
小さな声が聞こえた。
「見たことのない令嬢だ……」
「いや……あれは……」
「ものすごく綺麗……」
「横にいらっしゃるのはリリア公爵令嬢よ……」
「公爵家所縁の方かしら……」
ざわめきが、波のように広がっていく。
私はその異様な空気に戸惑った。
「……?」
どうして。
どうして、みんなこちらを見ているのだろう。
いつも私は知らない人ばかりの会場で、ただ立っているだけなのに。誰とも話さず、誰とも喋らず。
けれど周囲の人々の視線は、私から離れなかった。
淡い青のドレス。
その裾が歩くたびに柔らかく揺れる。
まとめられた栗色の髪。
その一部が肩へ流れ、照明を受けて艶やかに輝いている。
普段は眼鏡の奥に隠れている瞳も、今日は隠されていない。
化粧によって整えられた顔立ち。
決して派手ではない。むしろ、上品で可憐だった。
それなのに視線を奪われる。
そんな不思議な美しさだった。
「……エリス?」
聞き慣れた声に私は顔を上げた。
少し離れた場所に、レオンが立っている。ディーンやクラリスも一緒だ。
いつもの制服姿とは違う、正装姿。
淡い青を基調とした衣装が、長身の彼によく似合っている。
そのレオンが。
私を見たまま、動かなくなっていた。
「えっと……レオン?」
呼びかけても、返事がない。
ただ、私を見ている。
その表情には、驚きがはっきりと浮かんでいた。
そしてレオンが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
一歩。
また一歩。
周囲の人々が自然と道を開けていく。
その視線の先にいるのは、私だけだった。
レオンは私の前まで来ると、しばらく何も言わなかった。
「……」
「……どうしたの?」
ようやく、レオンが小さく息を吐いた。
「……綺麗だ」
その一言だけだった。
けれどその声が、いつもより少しだけ掠れていた。
「……ありがとう」
「いや……」
レオンは困ったように笑った。
「なんて言えばいいか分からない」
「そんなに?」
「うん」
レオンが私を見つめる。
「いつも可愛いと思ってたけど……今日は、その……」
少しだけ視線を逸らす。
「本当に綺麗だと思う」
顔が熱くなる。
周囲には、まだたくさんの人がいる。
なのに今は、その人たちのことが気にならなかった。レオンが私を見てくれている。それだけで十分だった。
「レオン様の隣にいる方って……」
「まさか……」
「エリス・アシュフォード嬢じゃない?」
「嘘……?」
周囲からそんな声が聞こえてくる。
私の名前を知っている人もいるらしい。
でも、普段の私はこんなふうに注目されることなんてない。
だからこそ、余計に落ち着かなかった。
私は小さく俯いた。
「……やっぱり、目立ちすぎたかも。変……じゃない、かな?」
すると。
「いいじゃん」
レオンが言った。
「今日は、ずっと俺の隣にいてよ」
そう言って、手を差し出してくる。
私はその手を見つめた。
そしてそっと、自分の手を重ねる。
「……うん」
「さすが、リリアに任せて正解だったみたいね」
「エリス!変わりすぎて最初誰かわからなかったぞ」
「ディーン、あなたはちょっとダマってなさい」
レオンが嬉しそうに笑った。
【?????】
その光景を、会場の端から見つめている一人の令嬢がいた。
周囲の誰もが振り返るほど美しい女性だった。
整った顔立ち。
艶やかな金色の髪。
上品なドレス。
その立ち姿には、名門貴族の令嬢らしい気品があった。
けれど彼女の視線は、ただ一人に向けられている。
レオン。
幼い頃から、ずっと。
いつか自分が、彼の隣に立つのだと思っていた。
それなのに、それなのに……。
今、レオンの隣にいるのは、自分ではない。
見たことのないほど綺麗な少女。
いや、彼女も、その少女の名前を知っていた。
「……エリス・アシュフォード」
小さく呟く。
レオンが、その少女の手を取と嬉しそうに笑う。
その光景を見つめる彼女の瞳から、ゆっくりと光が消えていく。
「……」
握りしめた手に、力が入る。
そして……彼女は、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……どうして、あなたなの?」
その視線は。
もう、レオンだけを見てはいなかった。
レオンの隣に立つ、エリスへと向けられていた。
その瞳に宿っていたのは。
祝福でも。
羨望でもない。
――明らかな敵意だった。
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