第一話
本日より、新連載スタートです!
初日は三話、時間を空けて投稿します。
お時間のあるときに、ぜひ第三話までお楽しみください!
少しでも楽しんでいただけましたら嬉しいです。
私は、目立ちたくない。
できることなら、誰の記憶にも残らず、教室の隅で静かに過ごして何事もなく学園を卒業したいと思っている。だから、できるだけ人の多い場所には行かない。授業中も必要以上に発言しないし、休み時間も親しい友人と過ごす以外は本を読んでいる。
目立つような髪型にすることもない。服装だって校則の範囲内で、できるだけ簡素に。
そして――
魔法も、使わない。
「暑い……」
夏の午後。
王立アルヴァリア魔法学園の廊下は、窓から差し込む強い日差しと生徒たちの熱気で、少し息苦しいほどだった。
外では蝉が大合唱をしている。
そんな中、前を歩いていた男子生徒が面倒そうに片手を振った。
すると、彼の周囲を涼しい風が吹き抜ける。
「いいなぁ……」
思わず呟いた。
風魔法。
この国では、特別珍しいものではない。
暑ければ風を起こし、喉が渇けば水を生み出し、服が濡れれば温風で乾かす。
魔法は生活の一部だ。
だからこそ、私がそれを使えないことは少しだけ肩身が狭い。
私は手にした扇子をぱたぱたと動かした。
小さな風が起こる。
けれどこの気温では焼け石に水、という言葉がぴったりだった。
「エリス」
背後から声がした。
振り返ると長い金茶色の髪を揺らしながら、こちらへ歩いてくる少女がいた。
伯爵令嬢クラリス・フェアフィールド。
こんな私でも仲良くしてくれる、数少ない友人の一人だ。
「クラリス」
クラリスは私の隣まで来ると、私の顔を覗き込んだ。
「暑そうね」
「暑いもの」
「だったら魔道具くらい使いなさいよ」
「帽子と扇子で十分よ」
「十分じゃないでしょう。顔が真っ赤じゃない」
「それは……暑いから」
「もう」
クラリスは呆れたように息を吐いた。
それから、私の頬を撫でるように、そよ風を送ってくれる。
ひんやりとした風が首筋を抜け、張りつきかけていた栗色の髪がふわりと揺れた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
私は風の気持ちよさに、思わず目を細めた。
クラリスはそんな私を見て、少しだけ笑う。
「魔法が使えないからって、変なところで意地を張らなくてもいいのに」
「意地は張ってないわ」
クラリスは呆れたようにため息をついた。
けれど、私に向けていた風魔法は止めない。
「まったく。こんなに暑いんだから、魔道具を使えばいいんじゃない?」
「魔力を使う魔道具は使えないもの」
「知ってるわよ。魔石を使う方よ」
「あれは重いし、燃費も悪いし……」
「難儀なものね」
クラリスは当然のように答えた。
男爵令嬢エリス・アシュフォード。
私も一応貴族ではあるが、貧乏男爵家。極力負担はかけたくないし、自分で出来ることは自分でしたい性格だ。
私が魔法を使えないことを、クラリスは知っている。
もちろん、私が目立ちたくないことも。
だから、私の前で「どうして使わないの?」なんて野暮なことを聞いてくることはない。
「扇子があれば十分よ。軽いし、経済的だし」
「はいはい」
クラリスは笑った。
「でも、そういうところが好きだから、あなたのこと放っておけないのよね」
「……それ、褒めてる?」
「もちろん」
「なら、ありがたく受け取っておくわ」
「素直でよろしい」
そう言って、クラリスは満足そうに頷いた。
私たちはそのまま廊下を歩く。
しばらくすると、クラリスが足を止めた。
「私はこのあと用事があるの」
「そう。じゃあ、また明日」
「うん。あなたは?」
「図書館に行くわ」
「やっぱり?」
「やっぱり」
「本当に好きねぇ」
「クラリスだって本、好きでしょう?」
「私はあなたほどじゃないわよ。私は人並みに本が好きなだけ。あなたは私から見たら完全に本の虫よ、本の虫!」
「褒め言葉として受け取っておくわ♪」
そう言って笑うと、クラリスは呆れたように手を振った。
「じゃあ、また明日ね」
「うん。また明日」
クラリスは別の廊下へと歩いていった。
私は一人になり、図書館へ向かう。
実は私が図書館を好きなのは、本が好きだからという理由だけではない。
学園の図書館には、貴重な書物が数多く保管されている。
そのため、本を傷めないように一年を通して温度と湿度が一定に保たれているのだ。
夏は涼しく、冬は暖かい。
魔法を使えない私にとって、これほど過ごしやすい場所は学園内にそう多くない。
扉を開けると、外の暑さが嘘のように消えた。
「……涼しい」
思わず小さく呟く。
静かな空間。
整然と並ぶ本棚。
紙と古い本の匂い。
それだけで、心が落ち着く。
「こんにちは、エリスさん」
「こんにちは」
司書の女性に挨拶をして、私はいつものように本棚へ向かおうとした。
けれど、ふと思い立って足を止める。
なんとなく……なんとなく、今日はいつもと違った本が読みたくなった。それも、自分では絶対に手に取らなさそうな本。
「……あの」
「はい?」
「何か、普段とは違う本を読んでみたいんですけど……おすすめってありますか?」
「んー、普段とは違う本ねぇ」
司書は少し考えるように顎へ手を当てる。
「それだったら……」
しばらくして、彼女は一冊の本の題名を告げた。
聞いたことのない題名だった。
「どこにありますか?」
「一番奥の通路よ。ここを通って……って、あなたに説明はいらないわね」
「奥……」
「その通路の、一番奥の棚にある赤色の本よ。金色の文字で書いてあるからすぐ見つかるわ」
「分かりました。ありがとうございます」
本の場所を教えてもらい、私は奥へ向かった。
いつも利用している棚とは反対方向。
普段なら、ほとんど足を踏み入れない場所だった。
一つ目の通路を抜ける。
二つ目。
三つ目。
通路を進むにつれ、だんだん人の気配が少なくなっていく。
やがて、図書館の一番奥にある通路へ辿り着いた。
「ここね」
目的の本棚を探す。
けれど。
「……あれ?」
足が止まった。
通路の奥に、誰かがいる。
窓枠の下の壁に背を預けるようにして座り込み、そのまま眠っているらしい。
どうやらここは「この眠っている誰か」の昼寝スポットになっているようだった。
用途外使用はいただけない。
もっとも、自分も涼みに来てはいるが、あくまでもメインは読書である。
そう自分に言い聞かせる。
長い脚が伸びていて、通路を塞いでいた。
私は思わず立ち止まる。
正直言って、かなり邪魔である。よりによってお目当ての本棚の前で足を伸ばしているせいで脚立すら置けない。
これでも貴族令嬢だ。
いくら眠っているからといって、男性の目の前でピョンピョンと飛び跳ねるなんて、そんなことはできない。
でも、起こしたくない。絶対に。
というより、関わりたくない。
この手の人が優等生なわけがない。そんな人とは関わらないに限る、と十七年の人生経験が語っている。
そう思いながらも、私は眠っている人物の顔を見て、固まってしまった。
無造作な黒髪。
整った顔立ち。
長いまつ毛。
学園指定の制服を着崩した姿。
見間違えるはずがない。
公爵令息レオン・ヴァレンシュタイン。
名門、ヴァレンシュタイン公爵家の嫡男。
そして、この学園で一、二を争うほど有名な人気者。
明るくて、誰とでも気さくに話す。
いつも友人たちと騒いでいて、教室でも廊下でも人に囲まれている。
特に仲の良い男子生徒がもう一人いて、二人が揃うと大抵どこかで笑い声が聞こえてくる。
女子生徒からの人気も高い。
もちろん、私とは住む世界が違う。
そんな彼が――
「……なんで、ここに?」
思わず呟いてしまった。
レオン・ヴァレンシュタインが、図書館の、それも一番奥で昼寝をしている。
どう考えても似合わない。
いや、絵にはなっているが彼と本の組み合わせが似合わない。
私はそっと後ずさった。
よし、今回は別の本を探そう、本は逃げない。
そう思って踵を返しかけた。
けれど、せっかく司書さんがおすすめを教えてくれたのだ。
せっかくここまで来たのに。
読みたい。
気になる。
私はもう一度、本棚とレオンを見る。
「……」
自分の好奇心を恨む。
だって読みたいんだもの。仕方がない。
私は小さく息を吸った。
「あ、あのー……」
返事はない。
「すいませーん……」
やはり返事はない。
すやすやと寝ている。
ものすごく気持ちよさそうに寝ている。
この図書館が昼寝に向いていることは、私もよく知っている。
私も何度か……ゲフンゲフン。
温度も湿度も快適。
静かで、人も少ない。
昼寝には最適だろう。
多分、きっと、Maybe。
だからといって、通路で寝るのはどうなのだろう。
さすがの私でも椅子に座って……ゲフンゲフン。
「あの……!」
私は少しだけ声を大きくした。
「すいません!」
すると。
「……ん」
レオンの眉が僅かに動いた。
私は反射的に一歩下がる。
ゆっくりと、彼が目を開けた。
鋭い瞳が、私を捉える。
「……何?誰なの?」
「え?」
「俺を起こしたの、君だろ?」
「はい」
「誰?」
「エリス・アシュフォードです」
「エリス……」
レオンは眠そうに目を細めた。
「……悪い。聞いといてあれだけど分からない」
「……」
なんとなく傷ついた。
私は小さく眼鏡を押し上げる。
「えーっとですね。一応、同じ学年で」
「……」
「同じクラスなんですけど?」
「え?」
レオンが僅かに眉を寄せた。
「同じクラス?」
「そうです」
「……マジで?」
「マジです」
私は少しだけ無い胸を張った。
目立ちたくないのは本当だ。だからといって、存在まで否定(そこまでは言ってない)されたいわけではない。
「四月からずっと同じ教室にいますけど?」
「……マジか」
レオンは本気で驚いた顔をした。
それから、なぜか少しだけ笑った。
「ごめん。全然気づかなかった」
「いや、いいんです。話したこともないですし、話すことも特にありませんし」
思わず即答してしまった。
「……」
「……」
しまった。
つい本音が。
けれど、レオンは怒るどころか、少し面白そうに笑った。
「君、面白いね」
「褒められている気がしませんが?」
「褒めてるって」
「なら、ありがたく受け取っておきます」
私はそう言って、本棚を指差した。
「それで……そこにある本を取りたいんです」
「本?」
レオンが私の指差した先を見る。
「これ?」
「はい」
彼は立ち上がった。
長身の彼が立ち上がると、改めて身長差を感じる。
私は自然と顔を上げることになった。
「どれ?」
「あの赤い本です。金色の文字がある……」
私が説明するより早く、レオンは何冊か並んだ本の中から、目的の一冊を簡単に抜き取る。
「あ、ありがとうございます」
差し出された本を受け取る。
ずっしりとした重みが手に伝わった。
「これ、結構面白いよ」
「……え?」
思わず顔を上げた。
「読んだことあるんですか?」
「まぁね」
短く答えて、レオンは本の表紙を眺めた。
「俺は結構好き……かな!」
「……」
意外だった。
いや、かなり意外だった。
レオン・ヴァレンシュタインといえば、友人たちと笑いながら廊下を歩いている姿のほうがずっと印象に残っている。
図書館に来ることすら意外なのに。
まさか、図書館で本を読んでいたなんて←
「じゃ、じゃあ……これを読んでみます」
「うん」
レオンは再び壁へ戻る。
そして、何事もなかったかのように座り込んだ。
「……え、また寝るんですか?」
「寝る」
「本を読むんじゃなくて?」
「さっきまで読んでた」
そう言って、彼は目を閉じる。
「じゃあ、おやすみ」
「……お、おやすみなさい?」
私は本を抱えたまま、その場を離れた。
少し歩いてから、思わず振り返る。だがすでにレオンは眠っていた。
私は首を傾げる。
学園で一番目立つ公爵令息で、いつも友人に囲まれている人気者。
そんな彼が、誰も来ない図書館の一番奥で、一人で本を読んでそのまま昼寝をしている。
「……変な人」
そう呟いてから、私は借りた本を胸に抱え直した。
そして少しだけ、彼のことが気になった。
もちろん――
恋愛感情なんて、このときの私には一切なかった。
ただ、目立ちたくない私と、学園で誰よりも目立っている公爵令息。
そんな正反対の二人が、図書館の一番奥で出会った。
それが、私たちの最初の出会いだった。
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