新しい医療
新章スタート!
少し短いですが投稿します
「……はっ!」
我に返ったカナンは、リューからサッと離れる。そして頬を赤くしながら、1ヶ月半ぶりに会うリューの顔を見上げた。
「改めて……、ただいま、カナン!」
「お、おかえりなさい! リュー! 旅はどうだった?」
カナンが尋ねる。
「上々だよ! 目的も達成できたからね。そうだ! ワルートさんは居る? 2人にお土産があるんだ……」
「うん、居るよ! お父さーん!」
カナンは作業場の奥にいるワルートを呼ぶ。その声に反応したワルートが、手拭いで汗を拭きながら現れた。
「やぁ! リュー先生、それにハッサン先生も! 久しぶりだなぁ、元気だったか!? 何でも異国に行っていたそうじゃないか!」
「ああ、おかげさまで」
リューの後ろに控えていたハッサンは右手をサッと振って言葉を返した。同時に、リューは肩掛けカバンから小さな木箱を取り出す。
「これはカナンに。ラーマヤナ王国の伝統工芸品だよ」
「わあ! ありがとう!」
カナンが箱を開けると、中には精巧な珊瑚細工のイヤーカフが入っていた。
「きれい……! これは?」
「宝石じゃないよ、珊瑚っていう海特有の……まあ岩の様な動物を加工したものだよ。彼の国は海辺の国だからね、そう言った装飾品が多いんだ」
リューはお土産について説明する。カナンは手の中にあるものが、とんでもなく高価なのではないかと不安になってくる。
「本当に、貰って良いの?」
「もちろん、カナンのために買ったものなんだから! 付けてくれると嬉しいな」
リューはそういうと、続けざまにカバンへ手を突っ込んだ。
「それからこれはワルートさんへ。現地の鍛冶技術を学べる機会があって、参考になれば」
「ほう、これは興味深い」
リューは鉄製の道具入れを差し出す。ワルートが目を輝かせる。
「ところで……ワルートさん。ちょっと相談があります。実はまた作って欲しいものがあって」
「ほう、聞こうか」
リューはポケットから取り出したメモ帳を広げた。
「これは俺が考案した『点滴』という装置の設計図です。口から水を摂取できない患者に水分や栄養を与えるもので……ラーマヤナ王国で入手した『ゴム管』を使います。問題はガラス製のバッグと注入針の製作です」
リューはメモのスケッチを指し示しながら説明を続ける。
通常、現代で使われている点滴セットは大きく分けて、製剤が入ったビニールの輸液バッグ、チューブ、そして患者に刺す針の3点に分けられる。
さらに輸液バッグと患者を繋ぐチューブの途中には、点滴の滴下と速度を確認するための点滴筒と、ローラーを回すことでチューブを意図的に狭くし、速度調整を行うクレンメがある。
まずプラスチックのないこの世界では、輸液バッグと点滴筒はガラス製とするしかない。そして輸液バッグの上部は着脱可能な金属製のフタを被せ、適宜、輸液製剤を注いで追加していく仕組みとする。
19世紀に考案された原初の輸液セットと同じ方式だが、この構造だと輸液の追加時に空気中の塵埃や汚れが混入する可能性が非常に高い。故に、バッグの底には清潔な綿布を一枚固定し、フィルターとする。
そして輸液バッグと点滴筒、点滴筒と針は、鋳型で作ったゴム管で接続する。
「ワルートさんはガラス細工も出来ると聞きました。どうでしょう……?」
彼が描いたイラストを見たワルートの目が見開いた。
「なるほど……この『点滴バッグ』とやらは出来るだろう。この針は……細さと強度が必要だな。いくつか試作品を作ってみないといかんな」
ワルートは頭の中に工程を思い浮かべる。
「ねぇ、リュー。この点滴って何のために使うの?」
カナンは首を傾げながら尋ねてきた。リューは再びスケッチを指し示す。
「基本的には口から水を摂取できない患者が、脱水症状を起こさないために使うんだ。要は口から食べたり飲んだりできない人が、干からびないようにするためのものだね」
彼は指でガラスバッグを示した。
「まずここに水を入れる。それも塩分や糖を人の体液と同じ割合で溶かした特別な水を使う」
「体液?」
カナンが首を傾げる。
「そう。俺たちの体内にある血とかね。それをこの管を介して、血液の中へ投与する。だからこの針は人の血管に直接刺し、固定することになる」
「つまり体の中に直接水を入れるということか」
ワルートが眉を上げた。カナンの顔色が変わる。
「え? 直接血の中に水を入れるの? そんなことしても大丈夫なの?」
「怖がらなくていいよ」
リューは優しくカナンの方を見た。
「確かに血管に液体を入れるっていうのは聞いたことがないかもしれないけど……例えば水やミルクを飲むとき、まず口に入れ、喉を通って胃に入る。それから腸で吸収されて血肉になるわけだけど、点滴はこの過程を飛ばすだけなんだ」
「飛ばす?」
「そう。食べ物や飲み物なら消化して吸収するのに時間がかかるけれど、点滴なら血管に直接流し込むことで即効性があるんだ。もちろん、清潔にはかなり注意を払う必要があるけどね」
リューは説明を続ける。
「よし! このガラスバッグと点滴針の制作、引き受けよう!」
「ありがとうございます!」
リューは深く頭を下げた。
その後、2人はラマーファ郊外に位置する自宅兼診療所へ半年ぶりに帰還した。半年間空き家となっていた診療所兼自宅は想像以上の惨状だった。机には厚く埃が堆積し、窓枠には砂塵が溜まっている。窓も立板で塞いでいたが、隙間から砂や雨が染み込んでいた。
「おいおい、何だこれは」
ハッサンが口元を押さえながら言った。彼の足跡が床にくっきりと印をつけている。
「半年も放っておけばこうなるよ」
リューは肩をすくめた。彼は素早く窓を開け放ち、新鮮な空気を入れる。風に乗って舞い上がる埃に、ハッサンは咳き込んだ。
「まったく……掃除道具はどこだ?」
戸棚から雑巾や箒を取り出し、彼らは無言で掃除を始めた。リューが棚の上の器具を拭き取り、ハッサンが床を掃く。そして一段落ついた後、2人は椅子に座って休憩をとった。
「リュー、……お前はこれから先、どうしたい?」
「どうって?」
「お前の目標だよ。医学学校に行って、エーテル麻酔は認められた。あの『点滴』も、受け入れられれば今まで救命できなかった様な患者も救えるだろう。その先に、お前はどうしたい?」
「……」
リューは言葉に詰まった。元のきっかけは、父であるハッサンの手助けをしたい。そのために、確実な麻酔薬を手に入れたいという思いから始まった。その後、エーテル麻酔を世間に公表する決意をしたのは、シャナに出会ったからだ。
「……俺の世界の知識が、この世界の医療の進歩を早められるのなら、俺は俺の知識や技術を世界に広めたい」
「世界、世界……か!」
リューは初めて、夢の果てを具体的に語った。ハッサンはまるで少年の様に目を輝かせる。
「なら……次に首都へ向かう時は、もうこの街に帰ることはないかも知れないな」
「……え」
リューはキョトンとした顔をする。
「だってそうだろう。お前の知識を世界に広めるためには、首都に拠点を移す方が良い。それにお前はもう国立医学学校の客員助教なんだ。もう、ここに住み続けることは難しいだろう」
「……」
リューは黙ってしまう。ここには父と共に幼少期から過ごしてきた思い出もあるし、こちらの診療所も続けたい。本当はラマーファと首都を数ヶ月で交互に行き来しながら、首都での活動を続けるつもりだった。
「この診療所は気にする必要はない。他にも外傷を診る街医者はいるし、私たちがいなくなっても大丈夫だ。だから、お前は自分の夢に突き進め。私が支える」
「父さん……」
今度はリューが目を潤ませた。血のつながらない2人の間には、確かな絆が結ばれていた。
だが、彼にはもう1つ、ラマーファから離れるに当たって、どうしても気がかりなことがあった。
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「ロラン診療所」は正式に閉院することとなり、翌朝、扉の前にその内容を語る張り紙をつけた。またリューは街に出かけ、これまでの患者たちに、半年間診療所を空け続けたことの詫びと、あと数週間後にはハッサンと共に首都へ引っ越し、正式に閉院することを伝える。
「えぇ! ハッサン先生、いなくなっちまうのかい?」
「さびしいねぇ、嫁が怪我した時、治してもらったのに……」
「リューもいなくなってしまうのかい?」
「残念だなぁ……もし怪我をしたら、他の街医者を頼らないといけないのか」
ハッサンは腕の立つ外科医師として、市井の人々からの信頼を集めている。そんな彼がいなくなることを、街のみんなは口々に惜しんでいた。
「いつ、出発するんだい?」
リューが最後に尋ねたのは、市場で反物を売っている親父だった。ハッサンは彼から、質の悪い布を医療用ガーゼとして安価で買い取っているのである。
「おそらく、1ヶ月後くらいかと思っています」
リューとハッサンはワルートに発注した点滴セットの完成を待ち、それを持って首都へ再び向かう予定だった。ワルートは完成品の影響まで1ヶ月の時間が欲しいと言っていた。
「そうか……、じゃあ『謝肉祭』までは居るんだな」
「謝肉祭」とはこの街に伝わる伝統的なお祭りで、年に1回、豊穣を神々に感謝し、さらに来年の豊作を祈願するために行われる。
「せっかくなら、その日に2人を見送る会でもしたいな! うん、そうだ! みんなに話しておくよ!」
反物屋の親父はハッサンとリューの送別会を思いつく。リューは“ありがとうございます”とお礼を伝え、彼の店先を後にするのだった。




