009
「ダメだよ~月島君。ちゃんとカギ返してくれないとさ。戸締りもしてなかったでしょ?」
翌日の朝イチ。吉良先生に会うため、私は職員室へ来ていた。予想通りではあるが、私は先生に軽く叱られ、今回は厳重注意ということで事なきを得た。
「それにしても、めずらしいね。君がカギを忘れるなんてこと今までなかったのに」
それはそうだ。貸してもらっている身でいい加減なことはできない。
「すみません。昨日は色々面倒な感じになりまして……」
私は坂田さんのことは伏せつつ、説明を試みた。
「あぁ~坂田さんか」
試みた意味がなかった。なぜ知っているのか。
「どうしてわかるんですか?」
「いやーだって、昨日『シャーペンを返したい』っていって君がいそうな場所を聞いてきたからさ。そうかなぁーって」
そういえば、吉良先生に場所を聞いたと言っていた気がする。それにしても、別に翌日返せばよかったものを、なぜ彼女は当日に意地でも返そうとしたのだろうか。それに、対して親しくもないであろう私の絵をなぜあれほどまで見たがったのだろうか。なにより、なぜ帰り道までついてきたのだろうか。
結局、昨日の帰り道で特別なことはなにもなかった。
時折、適当に話をした気がするが八割は無言。最終的に、彼女が『駅に行くから』と道を分かれるまで、それは続いた。
彼女には謎が多い。
「あの先生。坂田さんって何者なんでしょうか」
「何者って……普通の女の子だよ?」
「あぁ……そうですよね。すみません」
私は吉良先生に軽く謝辞をいれた。それを見た吉良先生は少し微笑みつつ「でも」と言葉を続けた。
「彼女の存在は君にとっていい刺激になるんじゃないかな」
「刺激? どういうことですか?」
私は聞き返す。
「坂田さんさ、自己紹介のときに言ってたでしょ? 絵を描くのが好きって。でもこれが、好きってレベルじゃないんだ」
そう話しながら、吉良先生はなにかの名簿を開いた。
「誠圭コンクール"優秀賞"受賞。天堂展"最優秀賞"受賞。イーヴィル美術館大賞展”大賞"受賞。その他にも七つのコンクールでなにかしらの賞に輝いてる。未来を有望される、正真正銘の高校生画家だよ」
私は幾度も連なるその単語たちに驚きを隠せなかった。
「それは……すごいですね……」
「そうだね。でも面白いのは、この賞のほとんどが高校生になってからとられたってことなんだ。中学でも美術部には所属していたそうだけど、高校になってからなぜかメキメキと力をつけたらしくてね……中学ごろに賞を取りまくっていた君とは真逆の流れだろう?」
「その話はやめてください」
しまった。今の言い方には少しトゲがあった。
「あぁ……そうだったね。すまない」
吉良先生は微笑みながら私に謝った。顔は笑っているが、先生がちゃんと悪いと思ってくれていることは分かる。むしろこういう雰囲気で謝ってくれたほうが、私としては気が楽だ。
「でも、なんでそんな娘がこんな学校に?」
「こんなって……一応君も在籍している学校だろうにっ。……それは、月島君が直接聞いてみたらどうかな? 正直なところ、それは僕も知らないんだけどね」
吉良先生はそう言い終わったあと、「あはは」と小さく笑った。
私は軽く挨拶を交わしたあと、職員室を出ることにした。そして、私が職員室の引き戸に手をかけた瞬間、吉良先生が「あ、あと」と私を呼び止めた。
「言い忘れてたんだけど、坂田さんのお父さんは――」
『職員会議始めまぁすッ!お集りくださぁいッ!』
吉良先生の言葉を遮って、体育教師の無駄に暑苦しい集合がかかった。
「ごめん! この話はあとで!」
吉良先生はそれだけ言い残し、職員室の前方へ移動し始める。続きが気になるところで話を切られた私であったが、ここでまた聞き返しにいくことはできない。私は少しモヤモヤする気分を残しながら、職員室をあとにした。
〇
今日の授業も平凡に終わった。
昨日あれだけ絡んできた坂田さんも、教室内で積極的に話しかけてくることはない。
ただひとつ変化はあった。
昼休みに坂田さんがいたグループが、昨日のワイワイフフー達ではなく、おとなしめのおだやかグループに変わっていたということだ。
私はいちごサンドを食べ終えて教室に戻ってきたときにそれを確認した。だから、どういう経緯でそうなったのかはわからない。だが、そのグループの子たちと話す彼女はとても楽しそうで、彼女の話を聞いているグループの子たちもまた、とても楽しそうだった。
そんな彼女の姿を横目で見て微笑みつつ、私は残り少ない昼休みを存分に活用するため、我が"机"という名の城に突っ伏して重いまぶたを閉じた。
〇
「月島、つきあってくれ」
「ごめんなさい」
「そういうことじゃない」
いつも通り美術室へ向かう俺を聡が呼び止めた。そして言った一言がそれだ。
「お前、頭いいんだから主語抜かしてしゃべるなよな」
「大体わかるだろ言われなくても」
この男、私の友人である。