四章 リズ・エルマーの頑張り(8)
「ここか!」
こちらを覗き込み叫んでくるのは、獣騎士団長のジェドだった。彼は軍服のロングジャケットの裾を揺らし、空中に浮く大きな白獣にまたがっている。
パチリと目が合った途端、ジェドが強張っていた表情を解いた。
「ああ、良かったリズ! 今すぐ引き上げてやるからな」
「だん、ちょうさま……?」
リズは、もう色々は驚きで言葉がうまく出てこなかった。しかもジェドを騎乗させている大型級の白獣は、見間違えるはずもないあのカルロだ。
一体どうなっているんだろう? どうしてジェドとカルロが?
そう戸惑っている間にも、カルロがジェドの指示合図に従い、まるでずっとそうであったかのような見事さで、宙を駆けてリズのある穴の底まで降りてくる。
「どうして……? 一体いつの間に……?」
混乱して見つめていると、ふわりと降り立ったカルロが普段の調子で「ふんっ」と鼻を鳴らした。安堵とも、小馬鹿にしたとも取れない様子だ。
すると、その背からジェドがすぐに降りてきた。
彼はリズの前で片膝をつくと、自然と手を伸ばして指先で涙を拭う。温かさに触れられて、リズは一瞬ぴくっと反応してしまった。
「泣いていたのか?」
初めてジェドが、弱った様子で秀麗な眉を下げる。
そのまま目尻をなぞられて、リズはなんだかドキドキしてしまった。直前まで震えていたことも頭から飛んで、彼の美しい青い目と見つめ合っていた。
「安心しろ、密猟団の方へはコーマック達が向かっている。すぐに片付く」
宥めるように両手で頬を包み込まれた。
頬から、じんわりと伝わってくる熱にリズも緊張が解けた。どうして、そんならしくないことをしてくるの――そんな言葉も思い浮かばない。
「………………もう、大丈夫なの……?」
気付けば、リズは彼の一つの手の上に自分の手を添え、今度は安堵からハラハラと涙をこぼしていた。
初めて見るリズの大粒の涙に、ジェドが青い目を少し見開く。
「私、この子達のこと、守れた?」
「ああ。お前は、この子達のことを守ったんだ。よくやった」
「でもっ、団長様この子達、まだ目覚めなくて」
涙が次から次へと溢れて、言葉も途切れ途切れになる。
そうしたらジェドが、「大丈夫。大丈夫だから」と両手で顔を撫で、弱ったようにリズの髪を後ろへと梳いて、自分なりに懸命に宥めてきた。
「落ち着けリズ、大丈夫だ。うちに連れて帰れば、すぐに治療も出来る。だから泣くな、大丈夫だから」
どうしてか、彼の言葉にとても安心出来た。
いつの間にかリズは、混乱も収まってしおらしく頷き返していた。すると不意に彼が目を熱くして、頬を撫でていた手を止め、そのまま顔を近付けてきた。
「団長様……?」
不思議に思って見つめていたら、――ぐっとこらえるようにジェドが止まった。悩ましげな眉を寄せた彼に、胸に抱いている幼獣ごと抱き締められる。
「無事で良かった」
あまりの力強さに、一瞬息が詰まりそうになった。
たくましい腕が、リズをぎゅぅっと抱き締める。自分よりも高い体温がじんわりとしみてくるのを感じていると、安心させるみたいに背をポンポンと撫でられた。
「帰ろう、リズ。怪我の治療もしないと」
そう言われて、リズは自分が落下したことを思い出した。少し乱れてしまっている足元へ目を向けてみれば、白い肌の上に小さなかすり傷も見えた。
ジェドに手を取られて、立ち上がらされた。
まるでエスコートされている気分で、とても不思議な感じがした。軍人というより貴族みたいに見えて、彼の美貌をぼうっと見つめてしまっていた。
「おいで、リズ」
気遣うような優しげな微笑で、彼が随分柔らかな口調で言う。
こんな彼を見たのは初めてだ。普通に笑える人なんだな……そう思いながらも、気付けばリズは、促されるまま彼に導かれてカルロの方まで来ていた。
ジェドの手が、離れていく。なんだかそれを夢見心地で目で追ってしまっていたリズは、高い位置からじっと向けられているカルロの視線に気付いた。
リズは思い出して、驚きと感心がない混ぜになった目で見上げる。
「カルロ、いつの間に立派な相棒獣になったの?」
「ふんっ」
尋ねて即、相変わらず反抗的な吐息を返されてしまった。
おめでたいことなのに、喜びの言葉も受け取ってもらえそうにない。どうしてだろうと首を捻ったリズは、そこで「あっ」と気付いた。
「そうよね……。団長様の相棒獣になれたのだから、名前も変わったのよね。ごめんなさ――」
「こいつは『カルロ』のままだ」
不意に、さらっと口を挟まれて言葉を遮られた。
リズは「え?」と目を丸くした。目を向けてみると、ジェドが慣れたようにカルロの背に飛び乗ってまたがるのが見えた。
「名前は、お前が名付けた『カルロ』だ」
こちらを見下ろしてジェドが言う。
つまり自分が付けた名前のままであるらしい。リズは、幼獣達を胸に抱えたまま、おろおろと戸惑って少し返答に遅れてしまった。
「あの、でも、私、相棒でも獣騎士でもないですし、その名前は勝手に付けたニックネームで――」
「そんなの知るか」
お前の意見など知ったことか、とジェドがいつもの偉そうな調子で告げる。
「いいか。俺は、お前が付けたカルロのままで行くと決めていたし、カルロだって、元より変更する気は毛頭ない――と俺に伝えてくるぞ」
下のカルロへと指を向けて、ジェドがそう教えてくる。
リズは、そういえば相棒騎士と相棒獣は、意思疎通が出来るのだと思い出した。魔力が繋がっている間は、心の中で会話が出来るのだとか。
でも、名前については本来、相棒騎士が相棒獣へ贈る一番目の大切なもの、であるとリズは聞いていただけに戸惑いも大きかった。
そのままでいい、とは一体どういうことだろう。
本人達がそれでいいというのだから、いい、のだろうか……?
するカルロが、「ふん」と鼻息をもらして少し四肢を屈め、ジェドがこちらに手を伸ばしてきた。
「ごちゃごちゃ煩いな。いいから、とっとと乗れ」
「え? 乗る? ――あッ」
前触れもなく持ち上げられ、そのまま彼の前に座らされてしまった。
尻の下が柔らかい。それでいてすぐ後ろには、支えてくれているジェドの身体の体温を覚え、どうしてか更に緊張してしまい、リズは幼獣達をぎゅっとした。
「あ、あの、団長様……?」
おずおずと声を出して確認する。
「私、両手でこの子達を抱えているので、しがみつけないのですけれど――」
「俺が支えるから平気だ。お前はただ、俺に身を任せていろ」
言いながら、彼の手が腹に回ってきた。
リズはふと、先程の騎乗光景を思い出して嫌な予感を覚えた。そういえば、今、カルロは空を駆けられるのだ。
「あ、あの、私いきなり空を飛ばれるのは、ちょっと無理かもしれな――」
「よし。カルロ、なら遠慮はいらん。勢いを付けて上昇だ」
「ぅえ!? あっ、ちょ、ま――っ」
直後、カルロが勢いよく跳躍した。ぐんっと身体が揺れ、急上昇していく感覚にリズは下を噛みそうになって、びっくりして慌てて口をつぐんだ。
そのままカルロは穴から飛び出すと、木々を超えてぐんぐん上空を目指して空を駆けて行った。
眼前に広がる青空、どんどん小さくなっていく下の山の木々。
リズは、とうとうこらえきれなくなって「きゃーっ」と悲鳴を上げ、背中を後ろのジェドにぎゅっと押し付けてしまっていた
リズを後ろから見下ろしたジェドが、色鮮やかな青い目を「ふうん?」と瞬かせる。
「――ふはっ、これはこれで悪くないな」
珍しく彼が上機嫌な笑いをこぼした。それを聞いたカルロが、ほら見ろやっぱりな、と言わんばかりに、同じ様子で口許を引き上げて尻尾を機嫌よく振った。
リズは風の音がすごくて、よく聞こえなかった。
眼下には、山の緑、目の前には青い空が広がっている。
なんて高いのだろう、落っこちたらひとたまりもない……心臓もドキドキしていて頭の中の感想も煩かった。おかげで、下の方では何やら密猟グループの身柄確保の騒動が続いているようだったが、怖くて目を向けられない。
その時、リズは、上空に自分達以外にもいることに気付いた。三頭の相棒獣と三人の獣騎士がいて、そのうちの一人は副団長のコーマックだった。
「リズさん! 無事だったんですね! 良かったです」
視線を返してきたコーマックが、そう大きな声で言いながらぶんぶん手を振ってくる。他の二人の獣騎士達も、平気そうに手を振ってくる。
それを見たリズは、高いところで片手離し……と、ふらりとした。
「良くない良くないんですよ高いんです!」
リズは、思わず一呼吸で言い切った。
普通にしている彼らが信じられない。そんな目で見つめ返していると、ようやく察してくれたようにコーマックが「あ」という顔をした。
「そういえば、リズさんは初騎乗でしたね……」
「つか、考えてみりゃ、獣騎士以外が騎乗するなんてねーしなぁ」
別の騎士が言って、もう一人の騎士も「確かに」と今更のように相槌を打つ。けれど彼らは揃って、まぁでもありかな、となんとなく察した表情だった。
「団長って領主でもあるし、……その相手となると、良かったりするんですかね副団長?」
「僕に訊かないでください……自覚前に、誤解で殺されかけた心的ダメージの余韻がまだ残っているんです……」
「団長の場合、これからが大変だと思うんだけどなぁ。まず、素直に想いを伝えることからハードルがありそうじゃないっすか?」
え、とコーマックが部下達を見る。部下達も、自分達より団長と付き合いの長い彼が、忙しさもあって思い至っていないのが驚きで「え」と見つめ返した。
会話が途切れ、三人の間にしばし微妙な沈黙が漂う。
少し距離も離れているし、風の音も強くて話し声がうまく聞き取れない。
「何か喋っているようではあるのだけれど、何かしら……」
つい、リズは理想の優しい上司像であるコーマックを見つめてしまっていた。
と、不意に、腹に回されている腕に力が入るのを感じた。耳元に吐息を感じるくらい、もっとジェドの方へ引き寄せられる。
ぎゅっと密着されたリズは、「へ?」とすぐそこにあるジェドの顔を見上げた。その美貌には、どこか意地悪げな笑みが浮かんでいる。
「えっと、団長様……? どうかしたんですか?」
「よそを見ているとは、余裕だなリズ?」
「あ、いえ、余裕は全くないのですが、どうして私はもっとぎゅっとされているのでしょうか……?」
「これから少し揺れるからな。だからお前は、しっかり幼獣達を抱えておけ」
ニヤリとして彼が見下ろしてくる。
こういう顔をするのを見て、ろくなことがあった試しがない。なんだか機嫌が良さそうな彼を前に、リズは反射的に警戒してピキリと固まってしまった。
と、カルロが優雅に動き出した。相棒達が目を戻すと、コーマック達が揃って目を向けてきて手を振ってこう言ってきた。
「リズさん、お疲れさまでした!」
「もう立派な獣騎士団の一員っすね!」
「ほんとお疲れ様です! また後で会いましょうね~」
そんな部下達の言葉に、ジェドが片手を上げてフッと応える。
「――よし、行くか」
直後、彼は自分の相棒獣の背に合図を送った。カルロが、よしきたと言わんばかりに、大きな白い身体をしならせ、解放感たっぷりに四肢を動かす。
一気に空を駆け出されてしまったリズは、胸の幼獣達をぎゅっとし「きゃぁあああああっ!」と声を上げて、ジェドの方へ身を寄せた。
「一気に降下するとか怖すぎるいやあああああッ」
「ははっ、大丈夫だ。カルロも俺も絶対に落とさない」
「人が半泣きしているそばで、なんですごくいい笑顔なんですか!? あっ、待ってカルロ急に方向転換するの無し! やだ団長様もっとぎゅっとして!」
「ははは、いいぞカルロ。今日が初めてにしてはいい飛行だ」
なんだかジェドが上機嫌で告げ、カルロも「ふんっ」と楽しげに鼻を鳴らした。
けれどリズは、とにかく怖いし速いし風もすごいし――相棒獣になったカルロのデビュー飛行を楽しむ余裕なんてなかったのだった。




