終章 教育係りを終えて
事件の翌日、リズは幼獣達の世話係りへと戻った。
どうやら昨日落ちた穴は、かなり前に作られていた罠の一つであったらしい。生け捕り用だったらしく、奇跡的に少しの擦り傷と筋肉痛で済んだ。
そのおかげか、獣騎士団の特性薬草ジュースという、かなり個性的な激まず栄養ドリンクを飲んで、一晩ぐっすり寝たら体調も戻っていた。
暴れ獣だった新入り白獣のカルロは、無事にジェドの相棒獣になった。昨日付けで獣舎に部屋を与えられ、彼の相棒として共に仕事にあたっている――らしい。
「今朝、副団長様達に話を聞いただけだから、なんだかまだ実感がないわねぇ」
朝一番の幼獣達の世話がひと段落したところで、リズは、幼獣舎の中で思わず呟いた。
昨日はそのまま休みを頂いてしまったので、あの後カルロの姿は見ていなかった。教育係りも終了し、今日からは幼獣達の世話係りだけだ。
とはいえ、しっかり獣騎士達から話は聞いていた。
あのカルロは、なかなかジェドともいいコンビであるようだ。なんと他の密猟団に関しても、昨日いっぱいで全部片付けてしまったのだとか。
「カルロが、自由に出入り出来るようになって何よりね」
これで目的達成、それでいて一件落着だ。
リズは朝から、獣騎士団内に穏やかな空気が戻っているのを感じていた。なんだかコーマックは、プライベート関係なのか、胃が痛そうにしていたけれど。
もう自分は教育係りを卒業した。
あとは、この子達の成長を見届けるだけだろう。
「あなた達も、無事に元気になって良かったわね」
リズはしゃがむと、昨日は大変な目に遭った二頭の幼獣を呼んだ。すっかり元気になった彼らが、もふもふと楽しげにやってきたので「可愛い!」と抱き締める。
白獣の治療には、獣騎士の魔力操作が一番効くらしい。
昨日、治療室で専用の薬で解毒した後、体内の魔力を調整して治癒能力を上げたのだと、リズは日記を付けてくれていたトナーに話を聞いた。
「はぁ。すっかり温かくなって、今日も素敵なふわふわねぇ」
ぎゅっと抱きしめていたリズは、思わず頬ずりする。
すると幼獣達が嬉しがって、ペロペロと顔を舐めてきた。もふもふで柔らかい、温かい。やっぱり可愛い。
「ふふっ、私も大好きよ」
嬉しくなってぎゅっとしたら、周りにいた他の幼獣達も一斉に「みょん!」やら「みゅーっ」やらと鳴いて、身体をぐりぐりと擦り付けてきた。
ブラッシングを終えた毛並みは、とてもふわふわとしている。綺麗にした口許からは、先程あげたミルクごはんの匂いがほんのりと漂っていた。
「ああ、なんて癒されるのかしら」
このまま、もふもふに浸っていたい……。
彼らは、これから一回目の食後の仮眠の時間だ。一緒に少しだけ横になってしまってもいいかしら、と、リズは今日からの再び専属な世話係りライフを思った。
緊張感皆無の微笑みを浮かべて、心から癒されて幼獣達に額を付ける。
「ふふっ、ほんとに可愛いわねぇ。大好きよ」
その時、不意に、後ろの襟首をバクリとくわえられた感触がして、身体が持ち上げられた。集まっていた幼獣達が、ころころっと落ちていく。
「一体何事!?」
びっくりして目を向けてみると、そこには、何故かカルロがいた。服の後ろを、口で掴まれて持ち上げられている状態である。
ジロリと見下ろしてくるカルロの紫色の目は、なんだかちょっと不機嫌だ。
「え……、もしかしてまた野生に返っちゃったの?」
この傍若無人な光景には覚えがあって、リズは混乱した。昨日、最後に会った時は相棒獣デビューですごく嬉しそうだったのに、何かあったのだろうか……?
すると、疑問の声に答えるように知った男の声がした。
「そんなわけないだろ」
そう聞こえてようやく、リズは、カルロの背にジェドがいることに気付いた。腕を組んだ彼の、夜のような深い紺色の髪が、形のいい青い目にかかってさらりと揺れている。
「さすが相棒獣だ。ここも俺との考えが一致したらしいな」
そう口にするジェドの笑みは、切れる五秒前といった様子で引き攣っていた。見目麗しい彼の顔には、どうしてか小さな青筋が立っている。
なんだか、機嫌が悪い……?
昨日、仕事では大成功を収めたと聞いている。ここ連日続いていた密猟団の件も済み、あとは少しの書類処理などのやりとりだけだと耳にしたばかりだ。
「……えっと、団長様、昨日ぶりですね」
リズは、理由が分からなくて恐る恐る声を掛けた。
そうしたらカルロとジェドが、揃ってフッと鼻で笑ってきた。
「相変わらず幼獣達に大人気で何よりだ。昨日降ろした以来だというのに、俺のところに来ないで、真っ先にこっちに来て時間を使っているとはな」
「あの? そもそも、団長様のもとへ行く理由がないのですが……」
報告についても、いつも通り副団長のコーマックに行った。リズの立ち場からすると、彼を飛び越して獣騎士団のトップに会うこともない。
「えぇと、教育係りだって無事に終わりましたし、私は今日から、この子達だけの世話係りですから」
リズは、よく分からなくて戸惑いがちにそう答えた。
すると、ジェドとカルロが、揃って不機嫌なオーラを出して黙り込んだ。待たされているリズは、そろそろ持ち上げるのをやめて欲しい、と少し思った。
その時、彼が「ふうん」と美しい思案顔で言った。
「この子達だけ、ね――」
そう物思いに呟いたかと思うと、ジェドが途端に不敵な笑みを向けてきた。気のせいか、逃がすわけねぇだろ、と出会い頭に言われた一件が頭をよぎった。
反射的にリズがビクリとすると、彼が美しい顔を近づけてきた。
奥まで見透かすような、ジェドの鮮やかな青い目に息を呑んでしまう。
「――残念ながら、お前は今日から幼獣の世話係り兼、俺の相棒獣の助手だ」
唐突に、彼が決定事項のように強く告げてきた。
リズは「は……?」と呆気に取られた。瑞々しい果実を思わせる、綺麗な赤紫色の目を瞬かせる。
「世話係り、兼、相棒獣助手……? って、え、――ぅええええ!?」
少し遅れて理解したところで、リズは思わず反論の声を上げてしまった。
「ちょ、待ってください、獣の助手っておかしくないですか!?」
「一体どこがおかしいと?」
ジェドが背を伸ばして、しれっと言う。
そんな鬼な上司を見たリズは、我慢出来なくなって怖くて涙目になりながらも言い返した。
「相棒獣の助手って……わ、私、カルロより以下扱いじゃないですかッ」
ひどい、鬼だ、というかそんなことってあっていいの!?
信じられない。そう思って騒ぐリズをくわえたカルロが、幼獣達を見下ろし――「ふんっ」と優越感に鼻を鳴らして動き出した。
「あっ、カルロ止まって。何連れていこうとしているのっ」
「喜べ。今日からカルロの助手として、この俺の直属だ。つまりこれからは、何よりも俺を優先にしろ」
「直属!?」
持ち上げられて運ばれながら、リズはぷるぷるした困惑の涙目を向けた。その口から「嘘でしょ」「信じられない」「え、一体なんで」と疑問がこぼれ落ちる。
「そんなに喜んでもらえたようで良かったよ」
なんだか、やけにいい顔でジェドがにこっと笑みを浮かべた。
キラキラと眩しい美貌の笑顔だった。これ、まさか女性達をとりこにして『理想の上司ナンバー1』にさせているやつか、と察してリズは一瞬言葉が遅れた。
「い、いやいやいや、私は喜んでません。そもそも団長様の直属とか、一体どうしてそんなことになっているんですか!? 普通そんなの認められるはずがな――」
「先日の活躍での昇進おめでとう、リズ・エルマー」
「えっ、嘘、昨日のせい!?」
結局のところ、カルロのおかげで助かったようなものなのでは。
そう思ったリズは、どんどん幼獣舎から離れていくことに焦りを覚えた。すると相棒獣に乗った獣騎士二人が、入れ違いで向かっていく姿が目に留まった。
「リズちゃん、おめでとー」
「うん、俺的にまずはこうなるパターンは予想してた。おめでとー」
彼らが、呑気にそう言ってきた。
リズは「えぇぇ」と二人の獣騎士に、わたわたと手を動かしてこう返した。
「そもそも私、軍人じゃないんですけど!?」
「ほら、こっちにおいで」
ジェドがにこっと笑って手を伸ばす。その柔らかな眼差しと口調に、リズは昨日の一件を思い出してうっかり見惚れてしまった。
カルロがタイミング良く寄越し向け、ジェドがリズを両手で抱き上げて自分の前に座らせる。
男一人とオス一頭は、なんだか揃ってとても楽しそうだった。




