外伝.サーキットの狼
「先輩! 見てくれました?」
「見てたぞぉー。よくやった。褒めてやるぞ、聖子」
レミが聖子のベリーショートの黒髪をウリウリと力強く抱いてやった。レミが大きな笑顔でニッコリと出迎えてくれた聖子はその腕の中で涙を流しながら泣いていた。
「やったんですよね? 私、頑張りましたよね?」
「そうだ! 聖子は勝ったんだ! 聖子もこれで大空の覇者の仲間入りだぞ」
木津聖子のデビュー三年目の初勝利。
トップレーサー、レミエル・ストンリーに公私にわたって妹のように可愛がられてきた彼女もこれで、レーサーとして一皮剥けたことになる。
「わぁーーーーーーーーーー!」
感極まったようにブルブルと震えていたが、急に手を羽のように広げると空に向かって大声で吼えた。
吼える聖子の腰をレミがグッと持ち上げてクルクルと回る。
空に吼える聖子、そして彼女の成長を祝福するレミ、ふたりを囲んで無数のフラッシュが飛んだ。
「おめでとー聖子ぉー!」
サーキットという場所はあたりまえであるがレースがないときにも人はいる、秘密主義な部分も多いため、外部からは人が見えないだけで関係者たちはちゃんと仕事をしているのだ。
レースに使用しているマシンは軍用の最新鋭ジェット機を軽く超えた性能を秘めている。なにしろ、稼働率やコストパフォーマンスなど計算せずに組まれているのだからそれも当然といえた。
しかし、だからこそ、その柔で繊細な飛行機には献身的なまでのケアが必要となるのだ。
優秀なメカニックと、それを上手く飛ばしてやれるレーサーたちの存在が。
「おっ。レミ先輩が写ってる」
ロビーで新聞を読んでいた若手の選手が少し嬉しそうな声を上げた。
「え。どここど?」
「あっほんとだー、へぇ、聖子ちゃん勝ったんだぁ。よかったなぁ先輩付きっきりで練習してたもんなぁ」
聖子を抱き上げて心から祝福しているレミの姿が三面記事の端に載っていた。
「……いいなぁ、聖子ちゃん。俺も先輩のファミリーに入れてくれないかな?」
「無理だろうなぁ。先輩、女には優しいけど男には優しくないもん」
といっても、レミが特殊に男に厳しいわけではない。ただ、女の子に甘いだけだ。
「そっか、そうだよなぁ。くっそぅ、母さんなんで俺を女の子に産んでくれなかったかな?そしたら、レミ先輩のとこにいけたのに」
「だな。男で近づけるのは中年以上だからなぁ……なんで二十代の人だと近づけないんだろ?もしかして、レミ先輩ってジジコン?」
レミの近くにいつだっているのは、親衛隊長との異名も取る巨漢メカニックチーフにしてレミのバックボーンたるレットカンパニーの社長、レットとその部下たち。
それ以外といえば、レミ専属のマネージャーをしているハックマンという男だけだ。
他は、レミが可愛がっている女子選手たちばかり。
いつだって、だけかがレミの周りにはいる。
その中で際だって、光っているレミという女性。
女の子たちが憧れるのは十分な容姿と格好良さと実績をもっているが、当然男の子だって憧れる要素としては十分だ。
「かっけぇーよな、先輩」
「綺麗で格好良くて、笑っているとこ見るとさ、ほんとに嬉しいんだなってこっちにも伝わってくるんだよな」
「笑顔が暖かいんだよ。先輩はさ」
うんうん、と頷く若手たち。高嶺の華とはいえ、憧れるだけなら彼らの自由だ。好きなだけ憧れるがいいさ。
「しかし、先輩って男いないのかな?」
何気なく言った新聞を呼んでいた一人の男の言葉。
彼は、なにげなーく言ったのである。
ただ、なんとなく頭の端っこで思ってしまったことを口から漏らしてしまっただけ。
レミ先輩ってすっごく綺麗だし、ものすごく充実して見える。・・・・これで独り身って変だよな。
男の言葉はこの時、静かにロビーを走った。いや、ほんとうに走り抜けたのだ。
一気にシーーーーーーーーーンっと静まりかえったロビー。
あちこちに備えられたリクライニング用のソファーから数人の男がスクッと立ち上がったのはこの時だ。
ベリサンス・エイゼン。
今期、賞金ランキング一位の今もっとも飛べる男。三十二歳と油の乗りきった彼は男性としての魅力を余すところなく開花させていた。
リュック・ギアス。
男性人気ランキング一位。レミの後を引き継ぎ、飛び競艇男性人気ランキング一位の座を守り続ける男。その洗練された物腰と優しい眼差し、そしてそれらを裏切るレース時の獰猛なプレイスタイル。そのギャップが素晴らしくそそられる。
アドリア・クレイス。
元空軍エース。野性味のあるワイルドな微笑みは女性を虜にするフェロモンを絶えず放出している。
ルーサー・ホイットニー。
若手の出世頭。レミに憧れてこの世界に入ったという彼はプレイスタイル、普段の生活スタイルにいたるまでレミを真似ている筋金入りのレミフリークだ。
そして、狼たちは視線を合わせ、不出来な笑みを作る。
「「「「そうか、あんたたちは敵なんだな?」」」」
飛び競艇、ビッグ選手を十人選ぶならまちがいなく入っている男たちが恋いの火花を散らした。
すべてを賭けるに相応しい街、ラスベガス。
フライングサーキットの裏側で熱い恋が燃え上がる。美しき黒い華レミを射止めるのはいったいだれか?
そんなもんは、決まっているが、だれもそのことは知らない。なぜなら彼はこの国に、いや、この世界には存在しないのだから。だからこそ、恋は暴走し男たちは度胸で勝負する!!
「次にストンリーがレースに出てくるのは、いつだ?」
「女王杯には出るだろうが……それは私たちにとっては意味がないですしね」
「ああ、俺たちも出られるレースじゃないと意味がねぇな」
「まったくだね。レミ先輩と飛べないレースじゃ意味がない」
なぜか、全員が最上階のラウンジで杯を酌み交わしていた。
とりあえず、フェアにいこうぜ。と言った意味合いだろう。
ガキが競り合うように、杯を空けていく四人。だれが一番呑めるか?などということにまったく意味はないだろうが、もっともたくさん呑めたアドリアが得意げにニヤリとすると三人は悔しそうに顔を歪めた。
「となると……あれだな。四月のファミリー戦が一番速いな」
ファミリー戦。
つまるところ飛び競艇のチーム戦だ。あまりにも強すぎる選手の存在により賭けのなりたたなくなったコミッショナーが急遽として作り上げた新レース。
出来た切っ掛けとなった選手の名はレミエル・ストンリー。飛び競艇の現場から一度は姿を消していた彼女だが、戻ってきた彼女は強かった。
それはもう、神懸かり的な強さで、その年の勝率9.86、獲得賞金にいたっては2800万ドルと二位以下を大きく引き離して勝ちまくった。
これは、年間の飛び競艇に掛けられる賞金の三分の一だった。
つまり、レミは選手が奪い合う賞金の三分の一を掻っ払ってしまったのだ。
最初は「さすがはスター選手だ」などと言って呑気に笑っていたコミッショナーだったが、レミの調子は次の年も落ちなかった。
出れば勝ち、人気通りに賞金を稼いでリップサービスたっぷりに去っていくのだ。
そのときになって漸くではあったがこれは、拙い!っと運営サイドも気づいたわけである。
そこで、できたのがファミリー戦。
簡単に言うと襷リレーのようなレースをやるわけである。これなら、レミ一人がいくら速かろと勝てるわけがない。
しかも、レミは男と組みたがるわけがないということは誰もが知っている事実。レミに続く女子選手と彼女が組んだとしても、トップ選手たちから見ればどう見ても見劣りするのは分かり切っている。
つまり、レミチームは勝率が下がる!と考えられたわけである。そして、その目論見は当たっていた。
しかし、それでもレミの勝率は7.5以下に下がることはなかった。間違いなく第一戦級の成績だった。
「プレシデントカップ……ふふ、決めましたよ。ボクはそこで彼女に勝利し、この恋を打ち明けます」
リュックがその涼しげな顔で言い切った。
「けっ何が恋だ。気取るなよ、リュック。俺たちはあのイイ女が欲しいだけだろ?」
アドリアのあけすけな物言いにリュックは苦笑するが、それに噛みつく男が一人。
「なにいってんだ? レミ先輩が女性だってことにも気づかなかった癖してよ」
せせら笑いながらルーサー。
「それを言ってくれるなよ。坊や。あの時のレミエルと今の彼女とはまったく別物なんだぜ」
「その通りだな。彼女は年齢を重ねるほどに女性として魅力的になる。三年前、女性だと教えられたときはまだ青年のようだったが、今じゃとても美しくなった。
ベリサンスがグラスの中の氷をくるりと回転させながら言った。
レミはロックを意識しだしてから女性的な部分を成長させ、いまでは素晴らしく美しい女性に存在していた。
もちろん、レース中の彼女は今まで通りだが、そこは女のそれ。周りへの細やかな気配りと仕草が今までとは違った。
それに今までどこか、挑み掛かるようだった視線がとても丸くなったのだ。
「確か、彼女は今年で二十代の半ばだろ? 女が魅力的になるのはこの辺からなんだぜ?」
喉を焼くウイスキーを流し込みがらアドリアが同意する。
「時間が女を育てんだよ。この酒みたいになぁ」
「ふん、まぁその意見はともかくレミ先輩がすごい美人だってのは頷いといてやるぜ。……だけどな!!」
バシッと叩きつけるようにグラスをテーブルに叩きつけた。
「レミ先輩に告白するのは、この俺だぜ!」
「いやいや、その役をやるには君じゃまだ若すぎる。このボクに任せておきなよ」
リュックがそう返せば
「なに言ってやがる」
「そうだ。ランキング一位のこの私こそがその役に相応しいよ」
「ふん、一発の爆発力なら俺だって負けてねぇよ。極限に強いのが軍人だぜ」
「いやいや、この役は譲れないな」
互いにまったくゆずる気のない四人。いや、最初から譲る気なんてあるはずがない。
彼らは獣だ。得物を狙う狼だ。
それも得物は最上の天女。
「すべてはプレシデントカップで決めよう。勝者と敗者、私たちの大空にはこの二者しか存在できない」
ニヤリと笑いながら言うベリサンスに三人が物騒な笑みで答えた。
そしてレース当日。
「って何でだーーーーー!!」
レース前に急に飛び込んできた情報に絶叫をあげる男が四人。その情報に驚いた人たちはそれこそたくさんいただろうが、彼らほどガックリと来た者はいないだろう。
エントリーナンバー65レミファミリーそこに書かれたレーサーの名前にレミエル・ストンリーの名前はなかった。
そして、その理由は?!!
「みなさーん、発表しまーーす。私、レミエル・ストンリーは昨日、おめでたが発覚しました。今日より産休をとらせていただきまーす」
ニッコリと母親の顔でお腹を撫でるレミは幸せそのものだった。