リス少年の初恋
僕はトア。獣人で、尻尾が長すぎてたまに不便。
勘違いされがちだけど、獣人は動物ではない。
僕はリスでも尻尾は切れないし、頬袋は無いよ。
尻尾や耳が揺れるのは緊張してたり、興奮してる時。
それも表情と同じで動かさずにいられるものだ。僕はまだ10歳だから、感情を隠すのが下手なだけ。
僕は将来、伯父さんの跡を継いでこの一帯を治める領主となる。
理由は伯父さんに子供が出来ないから、だった。
だけど伯父さんは愛する女性を迎え、娘もできたと聞いた。
僕が跡継ぎである理由はなくなったが…その娘さんは領主になる気はないらしい。
正直僕は、どっちでもいい。任されたら責任持って受けるだけ。
小さい頃から伯父さんの家には何度も来ているが、今日は奥さんと娘さんに挨拶するって。
どんな子だろう…親戚になるし、変な子じゃなければいいな。そう思っていた。
少し緊張しながら談話室に入ると…雪のように白い髪の女の子がいた。
その子と目が合った瞬間。心臓が大きく跳ねて、頭が真っ白になった。
彼女は肌も白く、とても痩せている。人間は痩せているほうが綺麗、という風潮があるらしいが。少し病的では…?
そう心配になるも、彼女から目が離せない。
無表情だけど青い瞳が宝石のように美しく。
彼女が纏う空気が、なんと言うか…
暖かい陽だまりの中、ぽつんと咲いている1輪の花のような。
儚げだけど確かに存在していて、摘んで帰りたいけど傷付けたくない…
そう、側に寄り添って守りたい、そんな女の子。
僕は適当な格好で来たことを激しく後悔した。
「はじめまして。僕はトア、よろひく」
やってもうた。
恥ずかしい、恥ずかしい…!!誰も何も言ってくれないのが尚更!!
駄目だ、テイク2を希望する!!
という訳で逃げる!!
バタバタバタ…
「誰か!!!今すぐ花束用意して、リボンも忘れずに!!
あと服!僕の礼服出して、着替え手伝って!」
「はーい坊っちゃん!!こんなこともあろうかと、お嬢様にピッタリの花束をご用意してありま〜す!!」
流石領主の使用人、仕事が早い!!
急いで着替え、尻尾のブラッシングは自分で念入りに。
あんまり待たせちゃいけない、走れ僕!!
「はあ、はあ、はあ… ふー…」
談話室の扉の前、呼吸を整えて汗を拭き。
髪をセット…服をビシッと。
よし、第一印象が大事!!(さっきのはノーカン)
「はじめまして、僕はトア。これからよろしく」
噛まずに言えた、完璧!
イグリットさんは一瞬戸惑いを見せたが、優雅に礼をして花を受け取ってくれた。
その時…無表情だったイグリットさんが、僅かに頬を染めて口角を上げた。
僕はその微笑みに目を奪われて、高鳴る胸を必死に抑える。
それでも尻尾はコントロールできず、揺れているのを見られてしまった。
何度も噛んでしまい…恥ずかしい…泣きたい。
しかも父上に癖をバラされた!やめてよ、僕が緊張してるの丸わかりじゃん!!
「兄さん、あの子が…?」
「そう。理由は不明だけど…心を閉ざしてしまった子」
彼女…イグリットさんが出て行き、父上達は消沈した面持ちだ。
「え、どういうこと…?」
心を閉ざしたって、イグリットさんが?
伯父さんと夫人…伯母さんは重々しく口を開いた。
「原因は判らないの、でも…
お医者様が言うには、心に深い傷を負っているのだと。
それで…これまでに何度も自死を試みて、いて…」
「自死…!?」
伯母さんは「うっ…」と涙を流して、伯父さんが優しく肩を抱く。
「本当に、ある日突然だったわ。
前日まで普通だったのに…」
『テオフィル!この新しいドレス、殿下は褒めてくれるかしら?』
『ええ、お嬢様は妖精のように美しいのですから』
『ありがとう!』
『イグリット。淑女がそのように、ドレスをたくし上げて走ってはいけません』
『お、お母様…ごめんなさーい!』
『大声も駄目よ!』
「可愛らしい…婚約者に恋をする女の子でした…」
「婚約、者…?」
あっ。しまった…つい反応してしまった。
両親の視線がうるさいが、続きを聞かせていただきたい!
「朝起きたら…輝かしい銀髪が、あのように真っ白になっていたの。
でも本人は『解ってる』みたいな様子で…
同時に私以外、誰に対しても厚い壁を張ってしまったわ。全部突然のことなの。
そして婚約解消の場で。なんの前触れもなく、4階から飛び降りたわ」
伯母さんの話を聞いて、浮ついていた心が一気に冷えた。
辛うじて助かったけれど…それからチャンスがあれば死を求めている。
「お医者様は…『生きる気力が無いのではなく、生きることを恐れている』のだろうと。
それはまるで『戦争で捕虜になった兵士が、拷問される前に自死を選ぶ』状況と同じだと…
もうずっとイグリットは、喜怒哀楽が極度に薄いの。
笑うのはキーフォの尻尾を撫でてる時くらいで」
なんで…イグリットさんは、そんな。
だから伯父さん達は徹底して彼女から危険を遠ざけ、ここは安全だと示しているらしい。
「無理に話を聞き出しては、イグリットを追い詰めるだけ。
俺達はただ…寄り添うことしかできないんだ」
嗚咽を漏らす伯母さんに変わり、伯父さんが続ける。
2人が知る限りのことは教えてくれた…僕に、何ができる?
「トア」
「……あ、はいっ!?」
いけない、反応が遅れた。
伯父さんが真っ直ぐに僕を見据える。
「お前はあの子をどう思った?」
どう…って。それは…
「イグリットは…イリア以外の人間を拒絶している。エマにすら、完全には心を開いていない。
ただ動物好きが功を奏して、獣人にはやや態度が軟化する。
そして俺の勘で言うと、裏切りを恐れている。
いつか結ばれるなら、獣人がいいなあと呟いていたほどに」
「へっ!?」
上擦った声が出てしまった。
人間は獣人の番になることを躊躇うのが多い。
何せ僕らは良く言えば一途、悪く言えば独占欲が強い。
それを重いと感じてしまうらしい。
「もう1度聞く。さっき…あの子を見てどう感じた?」
「……………」
さっき…僕は…
胸が締め付けられて、目が離せなくて。
彼女の話を聞いて…
「……守りたい。側にいたい。
何より雰囲気や…匂いが、好き…です」
顔が熱い…!それでも僕は、正直な気持ちを伝えた。
伯父さんと両親は微笑んで「行ってあげて」と廊下を指した。
……よし…!
「におい…って?」
僕が出た後、伯母さんは首を傾げた。
「あー…俺らにとって、匂いはかなり重要な要素でね。
フェロモンって呼んでるんだけど…それに強く惹かれてしまうんだ。
だから殆どの獣人は一目惚れをする。フェロモンが全てではないけど…異性に興味を持つ切っ掛けや、最後の決め手になるんだ」
「へえ…(ちょっと変態っぽいわね…)」
「でも…」
「?」
実はイグリットのフェロモンは、かなり特殊なものだった。
稀にいるのだ、そういう人間が。多くの獣人を魅了するフェロモンの持ち主。
理由は分からないのだけれど…その人は太陽のように輝き、僕達を照らしてくれる。
彼女はそんな特別な人。
他者を恐れていると言うけれど。獣人は、決して彼女を裏切らない。
*
ドレスから着替えたイグリットは、活発な印象で可愛い。
というか何をしても可愛い。
生きるのが怖い、なんて言わないで。
僕が楽しいことを沢山教えてあげるから。だから…
まずはみんなで遊ぼう!いっぱい運動すれば、悩みは全部飛んでくから!
「あっははははは!!!あは、んははははっ!!!」
「イ、イグリット…?」
彼女は突然笑い出した。なんで?
遊び友達…キリエ、ターニャ、マイクも呆然としている。
エマとパールは目を見開き、地面に転がるイグリットを見守る。
笑わないって言ってたけど…超笑ってる。
何が君のツボを刺激したの…?
「イグリット…あんなに笑って…っ」
気付けば伯父さん達も玄関からこっちを見ている。
いや伯母さん…感激してないで、どうすればいいのか教えて。
笑いすぎて泣いちゃってるよ…でも。
涙を流して笑う姿に、どうしてか安堵する自分がいる。
彼女はモフモフが好きなようで、僕の尻尾をじっと眺めている。
どうぞ、触っていいんだよ?でもそれは告白と同義…言えない!!
でも事故じゃ仕方ないよね?うんうん。
イグリットは楽しい、僕は嬉しい。みんなハッピー!
生まれて初めて、長く大きな尻尾でよかったと思う。
とか考えてたら、尻尾を彼女に巻き付けてしまった…!
「(小領主様、求愛してら…)」
「(すげえ堂々と…)」
「(でも相手にされてないな…)」
領民の視線が生温い。言いたいことあるなら言えば!!?
ぎろりと睨むも、みんなピューっと口笛を吹き顔を逸らす。もう!!!
やはり彼女は魅力的で、みんなが商品持ってってー!と声をかける。
若く番のいない男は…許さんけど!!!
イグリットは「お父様の人徳のお陰かしら」と納得していた。それもあるけど…ね。
ちなみにイグリット、新しく貰ったホットドッグも当たりだった。
*
それから1週間。僕は家に帰るんだけど…
この数日、僕らは沢山遊んだ。エマもパールも着替えて外で走り回った。
海を見に行って、川で釣りをして。山で木の実を食べて、木登りをして。
だけど人間のイグリットは僕らより体力がない。
室内で本を読んで、カードゲームやチェスで遊んだりもした。その時は町の子はいないけど。
頭を使うゲームでは、イグリットの独壇場…次いでエマ。
その間イグリットは微笑むことが多かった。
多分無意識だろう、と伯母さんは言う。
それに自傷行為もしなかった。
「流石に…子供の前では駄目よね…」
と呟いていたので、僕らが抑止力になっていると思う。
ああ…それでまだ子供のエマ達が専属メイドなんだな、と納得した。
「ふわああぁ…」
カードで8連敗した僕は眠気に襲われ…イグリットのベッドで横になる。
「パール、起こしちゃ駄目よ」
「はい」
そんな会話が聞こえ…身体の上にふわりと何かが…ぐう。
目を覚ませば部屋は薄暗く。結構寝ちゃったかな…
…ん?何かが尻尾を…っ!?
「モフ…うーん暖かい…可愛い…柔らかい…」
イ、イイイイイグリット!?
僕の尻尾に顔を埋めて…匂いをかいで…イヤー!!!けだものー!!!
しかも両腕で抱き締めて…僕らは並んで寝転がっている!?キャー!!夜這いされてるー!!
なので…ちょっと反撃。
「…う~ん」
「わっ」
ごろん と寝返りすると、イグリットが目の前に。
寝惚けたふりをして…彼女の小さな身体に腕を伸ばす。
「ト、ア…」
………ちらり。
イグリットは頬を染めるも逃げはせず…僕の胸に額をくっ付けた。
ああああ~~~、可愛い~~~。
って、なんで耳撫でるの~?もう無理~~~。
僕もうお婿に行けない。
こうなったら…責任を取ってもらうしかないかな!