番外編 ベニス案内前夜の大聖堂
「マルティーナ、聞きましたよ。トキン様とのデートを取り付けたと」
大聖堂の一室で、この場に似つかわしくない、高い声が響きます。
「そんな、おかあさま。デートだなんて、街の甘味処をいくつか案内するだけです」
「それをデートと言うのです。こんなチャンスは最初で最後です」
「まあ、そうなのですか。どうしましょう」
今年、七歳になる小さな女の子は困惑します。
「いいですか、マルティーナ。よく聞きなさい。女である貴方に、大司教となる目はありません」
「はい」
「それならば、次善の策として、良い嫁ぎ先を探す事になるのは理解してますね」
「はい」
「カイン王国内において、一番条件が良い嫁ぎ先は、お隣の公爵家です」
「そうなのですか、王家ではないのですか」
「私が言うのもなんですが、今の王家は教会関係者と役人どもに骨抜きにされ、何の力も持たないお飾りです」
「そんな」
「泥舟に乗る王家の事など、どうでもいいのです。それよりもマルティーナの嫁ぎ先のことです」
「はい」
小さな女の子は困惑します。
甘味を紹介する楽しいはずの約束が、どうしてこんな話になっているのかと心の中で嘆きます。
「トキン様には、伯爵家ご令嬢という婚約者がいます。回復魔法の使い手で【トツカーナの聖女】と呼ばれています」
「そうなのですか」
自らも【ベニスの聖女】と呼ばれる小さな女の子は、少しの親近感をおぼえます。
「当家は身分は高くとも爵位はありません。正妻の道は無いと言えます。そこで第二、第三夫人を狙います。理解できますね」
「はい」
「しかしヴェネート公爵様は、下心を持ってトキン様に近づく者を絶対に許しません。ですから今回のデートで、態度や言葉で好意を示してはいけません」
「難しいものですね」
「その点、マルティーナは心配ありません。誰に似たのか、お淑やかで素直な性格です。そのままの貴方で接すればいいでしょう」
「それは、よかったです」
小さな女の子は、心からホッとします。
「マルティーナ、貴方がトキン様を案内しようと考えている店はどこですか」
小さな女の子は、頭に描く五軒のお店を伝えます。
「その五軒なら、遠回しに「店名」で想いを伝える比喩となり得ますね。順路はこの順番になさい、いいですね」
「はい、おかあさま」
小さな女の子は、ふぅ〜とため息をつきます。
「大変じゃのう、まあマルティーナをおもってのことじゃ。あまり気にせず明日は楽しみなさい」
「おじいさま、ありがとう。おやすみなさい」
小さな女の子は、やっぱり明日が楽しみです。
訂正
甘味所→甘味処




