第92話 【策謀の傀儡】犬山城主の生捕りと生駒の歓喜
俺がまさに刀を振り下ろし、信清の首を撥ね飛ばそうとしたその時だった。
「待つのじゃあぁぁぁぁぁぁッ!」
上空から響き渡る叫び声と共に、眷属の饗談が焦り切った表情で滑空してきた。
「ん? なんだ、饗談。邪魔をするな」
「信秀様から『信清は生かして捕縛せよ』と強い言伝があったのじゃッ!」
「なんでお前が親父の命を伝えるんだ?」
「海野棟綱経由で緊急の伝令が飛んできたのじゃッ!」
「ふーん……解せぬ部分は残るが、まあ親父の命令なら仕方ないか」
「信じて欲しいのじゃあぁぁぁ! 我は無実じゃ、信長様の忠実な眷属じゃぞッ!」
親父の言伝を信じてもらえず、必死に無実を訴えて嘆く饗談を素気なく無視し、俺は引き抜いた刀をサッと鞘に納めた。そして、すぐ後ろに控えていた直子を呼ぶ。
「直子、このバカを絶対に逃げ出せないように強力に拘束してくれ」
「承知いたしました、信長様」
直子の指先から吐き出された頑丈な超繊維の蜘蛛の糸が、瞬く間に信清の全身を包み込み、身動き一つ取れないグルグル巻きのミノムシ状態にした。これなら指一本動かすこともできまい。
そして、俺は控えていた二人の名将に視線を向けた。
「昌豊、勘助! 謀叛の主犯は捕らえた。これ以上の無駄な流血は避ける。信清の兵たちを即座に投降させ、退却させろ」
内藤昌豊と山本勘助は、幾多の死線を潜り抜けてきた百戦錬磨の戦術家だ。兵の動揺を煽り、戦意を挫く指示を格好良くこなしてくれるはずだ。
「信清を捕縛したぞぉぉぉぉぉッ! すでに合戦は終わりだぁぁぁぁッ!」
「これ以上、織田に刃を向ける者は容赦なく信清ごと討ち取るぞぉぉぉぉッ!」
腹の底から響く昌豊と勘助の大音声が、血臭漂う陣内に木霊する。
もとより、集められた五百の兵たちも信清に無理やり動員されただけで、信長軍の化け物じみた強さを前に戦意などかけらも残っていなかった。一人、また一人と武器を捨て、脱兎のごとく街道へ向かって逃げ出していく。
家臣たちは時折、俺の周囲を強固に包囲するように陣形を組み、まだ往生際悪く残っている敵兵の動きに鋭い警戒の目を光らせていた。
俺は糸で緊縛された信清の前にしゃがみ込み、冷ややかな視線を投げかけた。
「信清、なぜこんな無謀な謀叛を起こした? 正直に話せ」
「うう……知らん、俺だって知らんのだッ! 信長に吉乃を奪われて悔しがっていたら……気がついたら、いつの間にかこんな大事になっていたんだよぉぉぉッ!」
はあ? 気がついたら大事になっていた、だと……?
「嘘をつくなッス! そんな下らん私怨のために……どれだけの大勢の武将や領民が命を落としたと思ってるんだぁぁぁッ!」
恒興が激昂し、糸で縛られた信清の胸ぐらに詰め寄る。
「信清、仮に謀叛を成功させて、この後どうするつもりだったんだ?」
「生駒家の小折城を襲撃して……」
「その先は?」
「な、何も考えていなかった……」
「そんなの絶対におかしいッス!」
恒興の言う通りだ。実に不可解極まりない。
もし俺が信清の立場なら、美濃国の斎藤道三や岩倉織田家、清洲織田家、さらには駿河の今川義元と密かに内通し、挟撃の体制を整えてから盤石の構えで挙兵する。単独で挙兵したところで、尾張の覇者である父・信秀の軍勢に勝てる見込みなど万に一つもないからだ。
だが、当事者の信清自身が「分からない」と錯乱している以上、裏で糸を引く黑幕がいるのかどうか、今の俺には探りようがなかった。
「よし、一度引き上げるぞ。家長、吉乃! 生駒家の小折城へ向かい、安全を確かめてから帰還する!」
生駒家でも信清の挙兵に伴い、決死の籠城準備を進めているはずだ。早く無事を知らせて安心させてやらねばなるまい。古渡城の親父も後詰めの軍勢を動かしている頃だろう。
「饗談、父・信秀に『信清の謀叛を完全に鎮圧した』と急報を届けろ!」
「承知したのじゃッ!」
俺は蜘蛛の糸で縛られた信清を神馬ニルの下部に頑丈に吊り下げると、優雅に空中へと飛び立った。家臣たちもその後を追って空を駆ける。
「ひぃぃぃぃぃッ!? た、たすけてくれぇぇぇぇッ! 高いッ、高すぎるッ! もう二度と謀叛なんてしませぇぇぇんッ!」
上空数百メートルで宙吊りにされ、泣き叫びながら許しを請う信清の悲鳴が空に響き渡った。
やがて、生駒家の居城である小折城が見えてきた。城内では矢倉に弓兵を配置し、完璧な籠城の構えで厳戒態勢を敷いていた。
「な、なんだあれはッ!? 空から何か降ってくるぞッ!」
「あ、あれは……尾張の主様だぁぁぁぁッ!」
「信長様が救援に駆けつけてくださったぞッ!」
「助かった……! 助かったぞぉぉぉッ!」
俺は吊り下げている信清が壁に激突しないよう、配慮してゆっくりと小折城の中庭へと舞い降りた。
着地するやいなや、生駒家当主・生駒家宗とその重臣たちが感極まった表情で駆け寄ってきた。
「信長様ッ! 早急なるご救援、誠にありがとうございますッ!」
家宗が地面にひざまずき、深く頭を下げる。俺の両脇には、息子の家長と娘の吉乃が誇らしげに立っていた。
「うむ。見ての通り、主謀者の信清を捕縛し、謀叛は完全に鎮圧した。もう心配はいらんぞ」
「流石は信長様……! 重ねて拝謝申し上げますと共に、その神速の用兵に深く感服いたしましたッ!」
家宗はさらに深く、地面に額を擦り付けるようにして礼を尽くした。
「苦しゅうない。それより、俺の指示通り日頃から城の防備と戦力を充実させていたな。この完璧な備えであれば、仮に敵が押し寄せていても一ヶ月は余裕で籠城できただろう。天晴れな手際だ」
その後、家長と吉乃は数日間実家で家族と過ごしてから那古野城へ戻ることになり、俺たちは古渡城へと向かって父・信秀に身柄を渡してきた。
結局、過ちを認めて泣きついた信清は父・信秀の寛大な処置によって許され、犬山城主のまま据え置かれることになったのだった。




