第85話 【前田家の誓い】大将の金言と未来の豪傑たち
前田利春は膝を崩すと、後ろに控えていた三人の息子たちを手招きした。
「ほら、お前たち、何を呆けておる。信長様にご挨拶を申し上げなさい」
父親に促され、三人の少年たちが緊張した面持ちで俺の前に出てきた。
「前田利玄、十七歳にございます! 信長様、これから何卒よろしくお願い申し上げます!」
最年長の青年・利玄が、非常に礼儀正しい所作で綺麗に頭を下げる。長兄らしい落ち着きを感じさせる好青年だ。
「安勝、十三歳ですッ! 信長様のために一生懸命頑張りますッ!」
二番目の安勝が、元気いっぱいに声を張り上げて深々と頭を下げた。ハキハキとしていて実に気持ちがいい。
そして最後に、一番背の低い少年が、胸をどや顔で大きく張って前へ出た。
「前田利家、八歳ッ! 俺は滝川慶次様のような『天下御免の傾奇者』になる男だッ!」
利家が大きな目を輝かせて豪語した瞬間――ごつんッ! と重い拳の音が響いた。
「この戯けがッ! 主君の御前で調子に乗るなッ!」
「あでぇぇぇッ!?」
父親の利春に即座に頭を殴られ、利家は両手で頭を抱えて涙目になっている。
(おお……! この少年が、後に『槍の又佐』の異名で戦国最強の武将へと登りつめる、あの前田利家か……! 子どもの頃からめちゃくちゃ元気でいい度胸してるじゃないか)
「みんな良い顔をしているな。これからよろしく頼むぞ」
俺は微笑むと、利玄、安勝、そして頭をさすっている利家の三人一人一人と力強く握手を交わした。現代式の握手に、子どもたちは驚きつつも嬉しそうに目を輝かせる。
ふと、俺は前田家の家族構成を思い出し、違和感を覚えた。
(あれ……? そういえば前田慶次を後に養子として迎える長男の利久がいないぞ?)
「利春、そう言えば嫡男の利久はどうした? 今日は一緒に来ていないようだが」
俺の問いかけに、利春は少し表情を曇らせ、申し訳なさそうに肩を落とした。
「……ほう、病弱な長男・利久のことまでご存知でしたか。実は利久は生まれつき体が弱く、武士としての過酷な鍛錬に耐えられませぬ。戦場での働きが一切期待できぬ身ゆえ、本日連れてくるのは控え、城に置いてまいりました」
利春の言葉を聞き、俺は静かに首を振った。
「利春、戦場で槍を振るうだけが武士の役割ではなかろう? ここにいる沢彦宗恩、快川紹喜、海野棟綱の三人も、直接刀を持って戦場を駆け巡るわけではない。だが俺が最も重宝し、頼りにしている重臣たちだ。合戦というのはな、槍を交える以前の段階から始まっているんだよ」
「えっ? 戦場に出ないでどうやって戦うの……?」
首をかしげた利家が、不思議そうに俺を見上げて尋ねてきた。俺はフッと笑い、自分の頭を指先でトントンと叩いた。
「ここを使うんだよ、犬千代(利家)」
「えっ……? 頭? どういう意味?」
「戦場に出る時にはな、すでに八割方勝負が決まっているんだよ。戦が始まる前にどれだけ緻密な戦略や戦術を練り、完璧な装備と情報、準備を整えておくか。それが最も重要なのさ。『準備八割、戦場二割』だ。極端な話をすれば、戦わずして敵を屈服させ、勝利を得ることだって可能なんだ」
「ふ〜ん……!」
利家は分かったような分からないような顔をして腕を組んでいたが、父親の利春と長男の利玄の二人は、雷に打たれたような衝撃を受けた顔で俺を見つめていた。
「利春、この過酷な戦国の世だ。体が弱いからといって安全な場所にいられる保証などどこにもない。むしろ政略の標的として狙われる危険性の方が高いはずだ」
「た、確かに……戦からは逃れられませぬ……」
利春が苦々しく呟く。
「前田家にも優れた人材はいるだろうが、我が那古野城には、この五人をはじめ政略・戦略・内政・軍事に長けた超一流の英豪たちが集まっている。これから合戦はますます増える。生きた学問と経験を積むには、これ以上ない環境だ。それに、若いうちから優れた武人や参謀たちと誼を通じ、親交を結ぶことは、利久にとって将来の大きな財産になるはずだぞ」
「……なるほど。若い頃に多種多様な傑物と交わり、智謀を深めること……それこそが利久の生きる道……!」
「利春、俺はな……『人は宝』だと思っているんだ」
俺の言葉に、大広間の空気がピリッと張り詰めた。
「人間は使い捨てのコマや道具じゃない。武器や資材は時間が経てば錆びて古くなり、価値が落ちていく。だが人間という宝石は、鍛錬と経験によって磨けば磨くほど、時が経つにつれて燦然と眩しく輝く本物の宝になるんだ」
「人……人は宝……! むむ……ぐぬぬっ……ッ!」
俺の言葉を聞いていた前田利春の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。老将の大きな身体が、激しい感動で震えている。
「信長様ぁぁぁッ! 感服……感服いたしましたぞッ! 元服直後のお歳とは到底思えぬ凄まじい大局観と金言の数々……ッ! 先ほどの不遜な言動、どうかお許しくだされぇぇッ!」
ドスンッ! と音を立てて、利春は大広間の畳に激しく額を擦り付け、感涙を流しながら深く平伏した。
「わっ!? 親父殿ッ!?」
「な、なんで急に土下座なんて……!?」
あまりの父親の変貌ぶりに、利家たち息子三人が目を丸くして驚愕している。
「利春、頼むから頭を上げてくれ!」
俺が慌てて声をかけるが、利春は額を床につけたまま、涙声で熱弁を続けた。
「儂は……長年、病弱な利久の将来を憂い、夜も眠れぬほど悩んでおりました……! ですが、信長様の温かいお言葉で、目から鱗がボロボロと落ちましたぞ! 利久も信長様のもとで薫陶を受ければ、必ずや立派な将として大成いたしましょう! ぜひ利久のこともよろしくお願い申し上げます! ここに前田家は、織田信長様に生涯変わらぬ絶対の忠誠を誓いますッ! これッ! お前たちも信長様に忠誠を誓わんかッ!」
利春の雷のような一喝を受け、利玄、安勝、利家も慌てて正座し、揃って床に頭を擦り付けた。
「信長様より賜りました『常在戦場』『準備八割、戦場二割』『人は宝』の三つの金言……! 直ちに前田家の家訓に刻み込み、末代まで子々孫々に伝えてまいりますぞッ!」
(いやいやいやッ! それ現代の名言とか格言のパクリだから! 家訓に刻まれると後でめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!?)
「そ、そうか……。ありがとな……」
熱狂する前田親子の猛烈な忠誠心を前に、俺はひたすら苦笑いを浮かべて引きつるしかなかった。




