2、飛んで火に入るなんとやら
真っ直ぐになりたい。
ある日の夜、ソファーでくつろいでいた所に、風呂上がりの妹が後ろから話しかけてくる。私と違ってコミュニケーション能力の塊のようなヤツだ。だからこそ、良い相談相手にもなるのだけど。
「お姉ぇ、モテモテのイケメンに熱烈アタック受けてるんだってぇ? ヒュ〜羨ましいねぇ〜」
「なんで学年跨いで広がってんのよ……噂ってのは本当嫌になるわね。あんなの面倒くさいだけよ。しつこいのよ」
「迷惑なら体良く断ればいいじゃん。お爺様が言ってたでしょ?脅せば良いじゃん、無理難題ふっかけてさ」
お爺様は優秀な人間だ。こと交渉術に関しては神がかっていると思う。多分、妹の柚葉の方がその才能を継いでいると常々考えさせられる。私は肝心な時にミスをする。この間もギリギリだったのに。
でも、それならどうして父さんと喧嘩になったんだろう? まぁどうでもいいか、今が全てよ。
「前に、テストで私に勝ったらデートするって言ったのよ。普通無理でしょ? あの子、中間殆どビリだったのよ?」
「えっ! 負けたの!?」
「まさか! でもビリから学年三位よ三位。意味がわからないわ」
「――――お姉ぇ、幸せものだなぁ」
どこが幸せ者なのか。妹の頭は脳の代わりにソフトクリームでも詰まっているのか。頭大丈夫? 入院する? という言葉をグッと飲み込んで会話に戻る。
「テスト以外で無理難題……なんだろう。かぐや姫みたいな?」
「意外とメルヘンね……ほら、例えばお金とか? 10万持ってこいや! とか?」
「え? 流石に酷くない? あっ、酷いからやるのか。やってみるわ」
柚葉が心配そうな目でこちらを見ているような気がするが、気の所為だろう。今度乾君が来たらバッチリ絶縁状を叩きつけてやるわ。
「お姉ぇ、やっぱり楽しそうね。お爺様が倒れてから笑ってるとこ見るの、久々だもん」
「は?」
「なんでもない! おやすみ〜」
「――――楽しいわけ、無いじゃない」
三日後の放課後、オレンジ色に染まる教室の中、乾君が話しかけてくる。飛んで火に入るなんとやら。迎撃準備は完璧だ。
「桜子さん!今日、予定空いてませんか?」
予定を聞いてどうするというのか。つくづく無駄な足掻きをするやつだ。だが、予想通りでもある。
「私とデートしたいんでしょ?」
「はい! したいです!」
「そうね……なら、五十万円持ってきたら考えてやらないでもないわ。それくらい、もちろん出来るわよね? 」
「――――ッ!」
乾君は、慌てたように駆け出していく。
ため息をつきつつ、乾の後ろ姿を見つめる。ここまで高飛車な態度を取れば、流石に幻滅するだろう。
それに、高校生で50万円も用意できるわけが無い。いくら何でも酷すぎたかもしれない。しかも、演技に熱が入り、うっかり5倍に引き上げてしまった。
柚葉の言った通りかもしれない。何故だか分からないが、最近乾君の反応が楽しくなってきた気がする。もしかして危ない性癖を開きかけているのか……ちょっと怖くなる。
しかし翌日、教室に生徒が集まり出す時間、全く想定外の出来事に出会した。正直彼を舐めていた。まさかここまでするなんて。
「桜子さん! これでデートしてくれますか!」
この男、持ってきたのだ。茶封筒に入っているのは紛れもない諭吉様50枚。全てピン札、その金額ズバリ50万円。
「――――え?」
「どうぞ、お納めください」
「そんな……バカなの……? どうやって……」
「桜子さんの為、そして将来の為にバイトしたり株やったりしたら、そこそこ儲かっちゃって」
コイツ、テストといいその瞬発力といい、今までどうやってその才能を隠していやがったのか。
結城桜子は約束を守る女だ。少なくとも、私はそう信じている。それには理由がある。お爺様から聞いた、我が家の家訓を守っているのだ。
「いいかい桜子、結城家に二言はない。有言実行、これは生きていく上で大切なテクニックだ。でもね、ブラフをかけるなら上手くやりなさい。でないとしっぺ返しを喰らうよ……喰らうよ……喰らうよ……」
彼女の頭の中に渦巻くのは、偉大な祖父の言葉である。結城の人間に二言は無い。約束を守ることがDNAの奥の奥まで刻まれているのだ。
だがこの男。正直いって全く好みではない。真逆、まさに真逆なのだ。私の好きなタイプは男らしく、それでいてメガネの似合う知的な人。チワワボーイの出番は無い。
最早ここまで好意を持っていないと、彼に対して失礼ですらある。そう、失礼だ。つまり、断ることは礼儀を通す事である。いける、やったわ。
礼儀。これは名案だ。ゴメンなさいね、ほんの冗談だったのよ。その一言で終わりだ。ふふっ、グッバイ乾君、私の勝ちよ。
「悪いけど……」
「おいマジかよ、こんな所でカツアゲか?」
「あれマズいんじゃない……笑いながらお金出させてるし……イジメかな……」
「桜子さんが? まさかそんな……」
だが、状況がそれを許さない。常に冷静だったハズの頭が沸騰しているかのように熱くなる。鏡を見ないと分からないが、多分顔もゆでダコ状態だろう。
「お、お金なんて冗談よ! 本当に持ってくるなんて! そんなもの無くてもデートしてあげるわよ! それはもうラブラブにね!」
そして、その事に気がついたのはセリフを吐いた後、文字通り、後の祭りである。
「おいニュースだ! 桜子さんが乾とデートだってよ!」
「号外だぁぁあ! 号外だぁぁぁ! 鉄の女がラブラブデートだァァァァァ!」
「わ、私ったら何を……しまった、そんな……!」
「いやったぁぁぁぁぁぁあああ!」
言ってしまったことは仕方がない。家訓に逆らった罰か、はてまた因果応報か。どちらにしろ罰だが、なにより逃げ場は無くなった。もう後が……いや、まだある。
「じ、じゃあ今日の帰りは!」
「今日も明日も予定があるのよ」
乾君の笑顔、消滅。
「じゃあ金曜日! 金曜日は!」
「明後日も予定があるのよ」
乾君の表情、曇る。
「土曜の帰りは!」
「明明後日も予定があるのよ」
「一体何時なら……」
「――――わからないわ」
そう、先伸ばせば永遠に約束の日は来ない。最早意地である。正直この理屈は小学生レベルのような気がしないでもないが、この際知ったことか。
「あれ……乾の奴泣きそうだぞ……」
「やっぱりお金で……あの桜子さんが……」
「やらかしたわね……桜子……」
「わーっ! わかったわ!日曜日! 日曜日丸一日使ってたっぷりデートしましょ! そうよね乾君! 」
本日二度目の自爆。何故かフルスケジュールで組んでしまった。放課後一回で済ませば即終わった物を、その発想すら吹き飛んでいた。
彼の才能は『桜子さん』