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叩き直す

 シェイドは、大きな木の幹に埋まっているイセの前に立った。


 イセは沼のように濁った目でシェイドを見ていた。

 その目からも開いたままの口からも、腐乱臭がしたたり落ちていた。


 タタは少し離れた木の根元から、シェイドとイセを見ていた。

 イセの様子を見てタタは、お預けを言い渡された犬がよだれを垂らしているようだと思った。



 ミカエルとハシマも、シェイドとイセを見ていた。

 ハシマはイセへの転移禁止の魔術を解除していた。その必要がなくなったことが明らかであったからだ。


 その分、膝をつくミカエルのわき腹の傷の手当てに力を注いだ。

 ミカエルが咎めるような目でハシマを見てきたが無視した。


 ミカエルは起き上がれないハシマを庇うように、片膝をつきながらハシマの前にいた。

 わき腹の傷がふさがりつつあることに眉をひそめながら、シェイドとイセの動向を注視していた。




 シェイドは上を見た。

 木々の葉の隙間から、繭玉のような月のような黄土色の球体が窺われた。

 シェイドは少し目を細めた後、視線を落とした。


 イセの埋まる木の根元にミカゲが倒れていた。

 シェイドはまばたきをしてから、イセを見た。




 オオオオオン オオオオオン

 シェイドの眼差しを受け、叫ぶような鳴るような響きが生じた。

 イセから生じているようでもあり、黄土色の世界全体から生じているようでもあった。



 オオオオオオ

 突然、イセの埋まる大木を始めとするあらゆる黄土色の木々の枝が、その切っ先をシェイドに向けた。

 空気を震わす響きとともに、全方向からシェイドを抱き込むように枝々が鋭く伸びた。



「うわ!」



 タタは、バサバサと伸びる枝葉を素早い体さばきでかわした。

 ミカエルは防御壁を展開し、ハシマと己の身を守った。




 シェイドの背中に突き刺さるように、上下左右からあまたの枝がなだれ込んだ。


「シェイド!」


 タタは叫んだ。

 視界からシェイドが消えた。

 シェイドは伸びてくる枝に、隙間なく埋め尽くされて見えなくなった。



 ミカエルは短剣を握りしめ、立ち上がった。


「行くな」


 ミカエルは、その声に驚き振り向いた。

 ハシマが首を振っていた。

 ミカエルは言葉を継いだ。


「しかし、シェイドが」

「必要、ない」


 ハシマは眉間にしわを寄せながら、言外の意図も伝えようとミカエルの目を見た。

 ハシマの薄緑がにじむ薄茶色の瞳は、危機を訴えはしなかった。

 ミカエルは、ハシマの言わんとすることを理解した。


 ミカエルは短剣を持つ手の力を緩め、視線を前に戻した。



 シェイドを飲み込んだ枝は、動きを止めていた。

 シェイドもイセもミカゲも、四方八方から集まり束になった枝に隠され、姿を消していた。


 広場に静寂が訪れた。









 シェイドは、自分を取り込もうとする薄曇りの暗さの中に飛び込んだ。

 すでに呑み込まれてしまったミカゲを取り返さなければならず、そうする必要があったため、シェイド自ら身を投じたのだ。


 そこは一面、黄土色に塗りつぶされた世界だった。

 黄土色は奇妙に蠢き、シェイドをなでた。

 空間でありながら、ぺちゃりと音を立て物理的に触れてくるような奇怪な様子があった。




 シェイドは人差し指を唇に当てた。

 小さく呪文を唱えると、その人差し指にドーナツ状の黒い光が現れた。


 シェイドは人差し指をスッと天に向けた。

 黒い光のリングが天に昇り、時計回りに回転を始めた。


 リングはどんどん大きくなり広がっていき、色を失くした。

 シェイドだけはそのままに、その他のすべてに激しい回転の力が作用した。


 ただひたすらに黄土色の空間がぐるぐると渦巻いた。

 広い空間は強大な力によって、どこまでも振り回された。


 速度を増し、あるはずのない空間の裾を引きずるような回転を見せたのだ。強引な黒い力に振り回され、ひと色に見えた空間は、重さによって隔てられるように層を分けていった。



 中心にいるシェイドは腕を伸ばした。

 シェイドの手の中に、黒い光が集まった。

 シェイドは引っこ抜くように、腕を引いた。





 黒い光はシェイドの腕の中でミカゲとなった。





 年齢そのままのミカゲである。ミカゲに注ぎ込まれた薄曇りの暗さは、シェイドの力によって、分けられ振り落とされたのだった。

 ミカゲはまばたきをしながら、いまだ正気には至らない様子でぼんやりとしていた。


 シェイドは続けざまに腕を伸ばした。

 シェイドの手の中に集まった青い光には、黄土色がこびりつくようににじんでいた。

 シェイドは乱暴な仕草で腕を引き、手の中の青い光を空間に投げ捨てた。





 青い光はイセとなった。





 回転が止まった。

 黄土色の空間は、潤沢な力を失い、パサパサとかさついていた。



 破れそうな古紙にも似た不安定な空間の中に、ミカゲを抱くシェイドと横たわるイセがいた。



 シェイドはミカゲをそっと空間に下ろした。

 ミカゲはぼんやりとした顔でその場に座った。


 シェイドは歩いてイセの元へと行った。




「起きろ」




 シェイドはイセの腹を蹴った。


「んぐッ」


 イセはうめいて腹を押さえた。

 シェイドは冷たい声で言った。


「さっさと起きろ」


 刺すような声を受け、イセのまぶたが開いた。


「まことの黒、シェイド」

「ああそうだ。宵闇の青イセ」


 シェイドとイセは互いの顔を知っていた。

 憎むべき宿敵の長として、それぞれの一族から情報を伝えられていたからだ。




 まことの黒シェイドと宵闇の青イセは、ここで初めて顔を合わせた。




 一族の怨念を背負う二人の長は、出会った瞬間に雌雄を決していた。

 力量差は歴然としており、勝敗は明らかであった。



 イセは失った力を引き寄せようとした。

 しかし、薄曇りの暗さは、イセの呼びかけに応えなかった。

 イセは、薄曇りの暗さがシェイドを前に、イセをもはや認識すらしていないことに気がついた。



 イセは震えた。

 虫けらに戻るのなら、死んでも同然。むしろ死を与えられるなら僥倖。そう思った。

 しかしそれでも体は震えた。

 痛みも消失も、死にまつわるあらゆる苦痛は、やはり恐ろしかった。

 早く通り過ぎてくれと願い、イセはまぶたを伏せた。



「お前はフロウを元に戻せるか」



 シェイドに話しかけられて、イセは目を閉じる訳にはいかなくなった。

 死までの苦痛を長引かせる会話にいら立ちをおぼえながら、イセは答えた。


「フロウはミカゲが望んだ。だから、できるだけ生かすように保存した。だが、宵闇の青の魔術で切り離された魂は、血を流し続けるがごとく弱り続ける。再統合して生きた例は知らない」


 シェイドは再びイセの腹を蹴った。


「グホッ!」


 イセは腹を抱え、七転八倒した。

 早く死んでしまいたいと願った。

 苦痛を手離したかった。


 腹を押さえ顔を上げたイセの目の前に、黒い切っ先が突き付けられていた。

 シェイドが一振りの黒い剣をイセに向けていた。


 イセにはそのシェイドが、死神のごとく美しく見えた。

 諦めることには慣れきっていた。

 頂上に立つ黒き神に首を狩られるなら本望だとさえ思えた。



 イセはようやく手に入れられる静寂に思いを馳せながら、震えるまぶたを閉じた。









「ダメ!」









 悲鳴のような強い声とともに、イセは横ざまに衝撃を受け、突き飛ばされた。

 衝撃を与えられた二の腕が、ジンジンと痛んだ。イセは何事が起きたのかと、まぶたを開けた。



 両手を広げた細い背中があった。それは、イセとシェイドとの間に立っていた。


「殺さないで!」


 叫び声が、イセの心に突き刺さった。


 ミカゲ。


 イセは声を発することもできなかった。



「ミカゲ、そこをどけ」

「お願い! イセを殺さないで!」



 怒りに目をつり上げるシェイドは、まとう力の大きさも相まって、非常に恐ろしい威圧感を放っていた。

 イセは、ミカゲの指先も震えていることを見てとった。



「そこをどけ、と言っている」

「イヤだ! 絶対にどかない! 殺させない!」



 ミカゲは引かなかった。

 イセの胸は突き刺されるように痛んだ。しかし、頭は綿を詰め込まれたかのように働かなかった。



 痺れを切らしたシェイドが、左手をミカゲに伸ばした。

 ミカゲはクルリと踵を返し、イセを見た。


 涙を溜めた目をして唇を噛むミカゲは、数歩でイセに歩み寄った。


 イセは茫然とミカゲを見上げた。




 ゴキンッ




 星が飛んだ。

 イセは空間に伏した。

 何が起きたかすぐには理解できなかった。

 凄まじい力がイセの頭に落ちてきたのだ。

 イセの頭はガンガンと痛んだ。


「何」


 思わずつぶやきながらイセが目を上げると、ミカゲが右の拳を握り込んでイセをにらんでいた。

 その拳は震えていた。

 イセは、ミカゲにゲンコツを落とされたのだと分かった。



「反省しろ! お前は反省しろ! あれもこれも何もかも、反省しろ!」



 ミカゲが泣き叫びながらイセに殴りかかって来た。

 イセの頭にも背にも、ミカゲの渾身の拳が降り注いだ。

 痛くてたまらなかったが、イセには避ける術もなかった。


 ミカゲは急に手を止めると、振り向いて叫んだ。


「シェイド! こいつはバカだけど、本当に悪いことはしてない!」

「ミカゲ、しかし」

「俺、こいつと記憶を共有したんだ。嘘じゃない。こいつは頭首とは名ばかりのみそっかすだ。何にもしてない! 急に発生した薄曇りの暗さを取り込んで、強くなったと思いこんで、バカみたいに浮かれてただけだ!」

「ミカゲをさらった宵闇の青だろ?」

「さらわれてない! 同じくらいバカな俺が自分で勝手に飛び込んだ!」

「フロウのことは」

「イセは何も知らない! むしろ、死にそうなフロウを保存したんだろ? そうなんだろ? おい、さっさと返事しろ!」


 強いミカゲの意思に釣り込まれるように、イセはコクリと頷いていた。

 シェイドの眉間にしわが寄った。

 泣き濡れた顔でミカゲは畳みかけるように言った。


「こいつの腐った性根は、俺が叩き直すから! 確かに、敵対してる宵闇の青だけど、シェイド、そういうので判断されるの、すっごくイヤがってたじゃないか! 頼むから! お願いだから!」


 イセの何も考えられなかった頭が、わずかに動いた。

 己がミカゲにしでかした所業がありありと浮かんできた。

 手酷くミカゲを傷つけた。

 傷ついているミカゲをさらに切り裂いた。



 死んだ方がいいだろう、こんな腐った存在。



 それなのに、ミカゲは言うのだ。



「バカ! お前も簡単に諦めて死んで終わらそうとするな! このバカ!」



 イセの頭がゆっくりと動き出した。


 ミカゲは、俺が叩き直す、と言った。

 それは、ともに生きる、ということと同義ではないのか。

 今もなお、そう言ってくれるのか。


 イセの目は光を取り戻し、徐々に見開かれた。


「本当に…」


 イセの口からつぶやきがもれた。

 ミカゲが命をかけて叫んでいる。

 まっすぐな声がイセの魂の奥まで届いてくる。


 ミカゲとイセが本当に、ともに生きようとするならば、厳しい現実が立ちふさがるだろう。

 しかし、イセは瞬間的に信じた。




 ミカゲは抗うに違いない。

 命懸けで、イセとともに生きる道を選び続ける。




 その直感は、イセをガツンと打ちのめした。

 身体中の痛みがミカゲの叫びを肯定した。

 生きて苦しめ、と言われている。

 ともにいる、と言われている。



 ミカゲは、何に救われると言った?

 イセは今、何に救われようとしている?



 イセはミカゲを見た。

 泣きながらくしゃくしゃの顔で叫ぶミカゲは、みっともなくて、情けなくて、小さかった。



 美しい。



 イセの目には、そのミカゲこそ、この世でもっとも美しく、尊く、かけがえのないものに見えたのであった。










 シェイドが二人に背を向けた。

 ミカゲはハッとした。



 シェイドの構えた黒い剣に、今まで見たこともない強大な魔力が燃え立った。



 ミカゲとイセは、あまりの輝きに言葉を失った。

 シェイドはおもむろに、剣を振るった。

 大きな力が、力を失いつつあった空間を、盛大に切り裂いた。



 シェイドにしてみれば、今回の薄曇りの暗さは、宵闇の青とまことの黒の力を退けてしまえば、四ツ辻の肉屋にはまったく届きようもない、未熟な力なのであった。



 オオオオオオオ

 薄曇りの暗さの断末魔のような響きがあった。

 黄土色の空間の終末だった。


 薄曇りの暗さの力は破壊され、3人を元いた世界へと連れ出す力が働き始めた。

 大河の奔流に似たその渦の中で、ミカゲは無意識にイセの首をかき抱いた。






 叩き直せ。






 空間からの移動に翻弄される中で、ミカゲとイセの耳に、シェイドの声が届いたのであった。

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