タタであること
イセとミカエルの中間地点に現れた歪みの中心が裂けた。
転移によって空間を割り、現れたのはシェイドだった。
タタは、足を滑らせて木から落ちた。
そして、突き出た木の根に尻を打ち付けた。
痛みを口にすることもできないほど驚いていた。タタは尻餅をついたまま、ポカンと口を開けてシェイドを見ていた。
久しぶりである。しかし、タタには見間違えようもなかった。
シェイドは、白いシャツに黒いズボン、そして黒いブーツというシンプルな格好をしていた。
乱れた黒い前髪の隙間から覗く傷口の赤さと、シャツの肩口に広がる血の色が鮮やかで目を引いた。
その姿は、シェイドも戦いの最中から駆けつけたのだと知らせるものでもあった。
血の赤色の痛々しさまでもその存在感に一役買っていた。
シェイドは戦場にあって美しかった。
その身に宿る真っ黒で艶やかで強大な魔力が、何もかもを圧倒した。
「動くな」
そのシェイドがイセを一瞥し、一言そう命じた。
イセはシェイドの眼差しを受け、ブルリと打ち震えた。
「黒い力」
イセはわななきながら、あえぐように言った。
とてつもない興奮があった。
シェイドは、薄曇りの暗さが愛してやまない、純度の高い強大なエネルギーそのものなのである。
シェイドはミカエルに一瞬の目配せをした。
ミカエルはしかと受け止め返した。
二人の再会は、静かな視線の往来で果たされた。
目の前を行き過ぎるシェイドを、ハシマは茫然と見送った。
胸に去来する思いは膨大過ぎて、むしろそうする以外にハシマはどうすることもできなかった。
シェイドはまっすぐにタタに向かった。
座り込むタタの前にしゃがむと、シェイドは言った。
「タタ。お願いがある」
久々に再会しての第一声がこれである。
タタは開きっぱなしになっていた口を、そのまま動かした。
「シェイド。ご挨拶だな」
タタの目に涙が浮かんだ。
シェイドは苦しい顔を見せた。
タタは即座にそれを読み取った。
「何でも言え。俺はおめえの家族だ」
タタはにじんだ涙を拭い、きっぱりと言い切った。
シェイドは時を越えて尚、揺るがないタタの信念に触れた。
シェイドは視線を下げ、一度目を閉じた。それからすぐに顔を上げ、タタをまっすぐに見て言った。
「無理を押して頼む。大切なものを預かってほしい」
「何だ」
「タタという器の中に、置かせてほしい。おぼえているか。四ツ辻の肉屋が言っていたことを」
タタは、何の話かと首をかしげた。
それから、はたと気がついた。
それは、タタを苦しめ続けた古い記憶である。
鳥かごに入れられた。
なぜなら、タタは入れ物として最適であったからだ。
四ツ辻の肉屋は、黒い力かあるいは自分自身がタタに収まるのだと言っていた。
「四ツ辻の肉屋が言ってたな。俺を入れ物にするとか何とか」
「うん。成長した今のタタなら、タタ自身を追い出すことなく、曲げて収めておけると思う」
「あの気色悪い感覚か。俺の中に別の何かを置くわけか」
「フロウの一部だ。魔力で保護しているけれど、俺の中に置いておくとフロウは死んでしまう。タタは希有な器なんだ」
四ツ辻の肉屋の件で、後々タタを脅かした悪夢の一つが、己を器にされたときの不気味な感触であった。
タタには今もって理解不能な己の特性である。
それは特に役に立つこともなく、二度と味わいたくはない苦痛として記憶に刻まれていた。
そうでありながら、少しのためらいもなくタタは言ったのだ。
「何でもやってくれ」
シェイドは即座にタタを抱きしめた。
恩に着る、と小さくつぶやくと、後は何の説明もなく突然タタの耳に口づけた。
たび重なる驚きがあったが、丁寧に自覚する時間はタタには与えられなかった。
耳元からシェイドが唱える呪文とともに、何かが流れ込んできた。
「うわ」
タタはそれだけ言った後、何も言えなくなった。
忘れかけていた奇妙な感覚が、タタに再び訪れたのだった。
容赦なさ過ぎだろ!
タタの抗議は頭をよぎっただけで消え失せた。
そんなことを悠長に考えることもできなかった。
「!」
反射的に身をよじるタタを、シェイドは押さえ込んで詠唱を続けた。
タタの体は、陸にあげられた魚のように跳ねた。
シェイドはそんなタタを離さなかった。
タタはシェイドに強く抱きこまれ、内側に異物たるフロウを注入された。
身の内の何もかもを圧迫される違和感がタタを襲った。
あまりの不快にタタは呼吸を忘れた。
タタには永遠のように長く感じた数十秒が過ぎた。
「タタ、タタ?」
今更のように、タタを気づかうシェイドの声があった。
タタは朦朧とする意識を引き寄せた。
「おう」
「ああ、タタ、よかった。無理をさせた」
シェイドはタタの返事を聞き、心底安心したという顔をした。
タタには、不安と文句と身に宿る奇妙な窮屈さがあった。
しかし、どれも耐えきれないものではなかった。
そして、それらとは別にひとつの満足があった。
「俺、やっただろ」
「タタ、最高」
タタはシェイドの本心からの賛辞を受けた。
わずかに閉じてから開いた黒曜石の瞳が、言葉にならない感謝と信頼をタタに伝えた。
それは、昔と変わらない眼差しだった。
「ここにいてくれて、ありがとう、タタ」
タタにだけ聞こえる声で、シェイドはささやいた。
タタは、懐かしの薄気味悪い身体感覚を抱えながら、不思議な直感を得ていた。
今この瞬間のために、自分はここへ来たのだ。
やるべきことを果たしつつある自分を、タタは理解した。
このタタでよい。
今のことだけではない。むしろ、最初からあったものだ。
それを無価値にしてきたのは、他でもないタタ自身であった。
そうだ。
いつだって事が無事にやり遂げられたのは、シェイドなりの配慮はしたのであろう無茶な役割分担に、タタが応えてきたからなのだ。
他でもない、タタの力によるものだ。
シェイドに及ばない非力な自分がいた。周囲からそう見なされることも我慢ならなかった。そんな風に考える己の卑屈さも厭わしかった。
タタを見てほしかった。そんなタタ自身こそ、タタを見ていなかった。
タタの欲しいものは、すでにタタの手の中にあったのだ。
人のみならず異形の目までも釘づけにするシェイド。
そうでありながら、不完全で不器用なシェイドが今のタタには見える。
同時に見えたのは、足りないばかりではない自分だ。
シェイドの張りつめた苦悩の色が和らぐのを目にした瞬間、タタに走った確信だった。
俺はタタ、この自分自身でよいのだ、と。
タタは短く言った。
「行けよ」
「うん」
シェイドも短く答えた。
シェイドはタタに背を向け、立ち上がった。
もはや平らな所などない、大小の瓦礫が覆うようなかつての広場をシェイドは歩いた。
凹凸のある地を歩いているとは感じさせない、滑らかな動きだった。
ミカエルとハシマは、固唾をのんでシェイドの動向を見ていた。
そして、とうとうシェイドはイセの前に立ったのであった。




