破綻
美しい花々が咲き誇る庭園を、突如として激しい振動が襲った。
ドドンという揺さぶりは数回続いた。
フロウはシェイドと手をつないだまま、しゃがみこんだ。
塔の作用によって研ぎ澄まされたシェイドの感覚は、センターエリア0への侵入者の存在を感知した。
終劇。
その時、シェイドの頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。
それは、とうにほころびていた理想の世界に、終わりを告げる知らせが来たのだという直感に他ならない。
侵入者が何者であるのか、シェイドはすでに認識していた。まるで実際に目にしたかのように、把握できてしまった。
シェイドは、手をつないだまましゃがみこむフロウを見下ろした。
フロウは表情を失くしていた。
今まであったフロウらしさが消えていた。命が抜け落ちたようであった。
シェイドはそんなフロウからチューブに視線を移した。
「行ってくる」
シェイドはチューブを見たまま、フロウの手を離した。
その瞬間、フロウが超人的な速さで立ち上がり、手を振り上げた。
シェイドはそれを越えるスピードで、フロウの腕をつかんだ。
フロウの手には、ナイフが握られていた。
フロウは苦しそうな表情で眉を寄せていた。
荒い呼吸を繰り返し、泣きそうな顔をしたフロウは、今は確かにフロウだった。
シェイドも苦しい顔をした。
シェイドはフロウのナイフを奪い取り、遠くに放り投げた。
シェイドは、尚も襲いかかろうとするフロウの両手首を握って、その動きを止めた。
フロウの目から涙がこぼれ落ちた。
シェイドは絞り出すように言った。
「必ず助ける」
フロウは泣きながらシェイドを見ていた。
シェイドは苦痛をたたえた目で見返した。
二人は眼差しだけで互いを求めあった。
痛いほどの思いがあった。
求めあうその強さにも関わらず、それを断ち切るようにシェイドは目を閉じた。
シェイドは呪文を唱えた。
柔らかな黒い煙がフロウの動きを優しく絡めとった。
フロウは黒い煙に巻かれ、その場に座り込んだ。
シェイドはフロウに背を向け、チューブに向かって走って行った。
置いていかないで。
音もなく、フロウの唇がそう言葉を紡いだ。
言葉は誰にも知られず消えた。
そして、フロウは再び表情をなくし、フロウではなくなったのであった。
シェイドが塔の一階に降りると、そこにはダンテがいた。
ダンテは険しい顔をして、シェイドに言った。
「まことの黒の残党だ。この襲撃はシェイドの指示なのか」
「違う。俺は一人だ。何かを束ねたり、企んだり、そういうのにはてんで向かない」
「そうか」
ダンテの表情が幾分緩んだ。
「シェイド。無益な戦いをしたくない。事を荒立てずおさめることはできないか」
ダンテは探るように言った。
シェイドは答えた。
「話してみる」
「そうか。俺やラナの存在については話すと余計な混乱をきたす可能性がある。慎重を期することをお願いしたい」
「分かってる」
「塔で待つ」
シェイドはダンテに見送られつつ、塔から走り出した。
塔の外に出ると、森の至る所から噴煙が立ち上っていた。
爆発音、剣を打ち合わせる音、怒声、あらゆる争いの音が耳に届いた。
シェイドは塔の正面にまっすぐ伸びる道を選び、木々のアーチをくぐった。
シェイドは走った。
やがて、戦場に突き当たった。
そこでは、宵闇の青の死神人形たちと黒装束の男たちが、激しくぶつかり合っていた。
アーチは途切れ、焼け落ち、切り出された木々が散らばっていた。
黒い魔術攻撃が、死神人形を吹き飛ばした。
魔法剣を手にした男たちが、死神人形を鮮やかに斬った。
魔力の乗った砲撃が、森に隠れる死神人形を叩き伏した。
勢いのある見事な攻撃により、多くの死神人形が瞬く間に地に沈んでいった。
シェイドが現れたと知ると、残っていた死神人形は森の木々に紛れて姿を消した。
ひときわ大きな魔法剣を手にした黒装束の男が、シェイドの元へと歩み寄ってきた。
男は闘気をたぎらせ、ぎらつく目をして笑った。
「ここにいたか、シェイド」
男は振り向き、黒装束の男たちに相対し、剣を天に向けた。
「まことの黒が、センターエリア0に立った!」
おおおおおという、地鳴りのような男たちの声が応えた。
「真の王シェイドの帰還である!」
再び激しい咆哮が響いた。
シェイドの目の前だけではなく、森の左右からも聞こえてきた。
シェイドは眉を潜めた。
「デンジさん、これはどういうことだ」
大きな魔法剣を手にした男デンジは、シェイドに言った。
「祖霊の眠るこの地を我々の手に取り戻す時が来たのだ」
「一体、どれだけ一族の人間が来てるんだ。これほどの人数」
「皆、この時を待っていた。俺が一声かけたら、世界に散っていた勇士たちはすぐに立ち上がった。爪を砥ぎ息を潜めていた本当の獅子たちだ」
シェイドは戸惑いを隠せなかった。
シェイドを見る男たちの目は、希望と闘志、それだけではない暗い情念をも含み込んで燃え上がっていた。
シェイドは言った。
「デンジさん、サイゴの塔にダンテとラナとフロウがいた」
デンジのこめかみがピクリと動いた。
憎々しげに歪んだ唇が動いた。
「宵闇の青の人形だ」
シェイドは小さく声をもらした。ああ、と。
ひび割れていた何かがパキリと割れたように感じられた。
分かっていた。
いくつもつじつまが合わないことがあった。
それでもシェイドは信じたかった。
理性を越えた思いだった。
デンジが言った。
「宵闇の青のやり口は解き明かした。血の通った人間を人形に仕立てているのだ」
「何だって」
「オリジナルによく似た人間を選別し、人形に仕立てる。宵闇の青の魔術は、さらに、人形を見ている人間の思考や記憶を写し取るのだ。それを人形に照射し、よりその人形をオリジナルらしく見せつける。破廉恥で卑劣な魔術だ」
デンジはシェイドに説明をし始めた。
デンジらは、シェイドによって動き始めた事態を受けて、ニア国に潜入した。
宵闇の青も総力をもって立ち向かって来た。
デンジたちの準備は周到だった。
この日を待ち、志を同じくする者たちと緊密に連携をとってきた。
すべての装備を整え、襲来したのだ。
宵闇の青も、まことの黒の残党に警戒していなかった訳ではない。
しかし、まことの黒同様、宵闇の青もかつてとは違ってしまっていた。
頭首不在。ゆえに指揮系統も複数に分裂。
常春の華とは足並みがそろわない。
シェイド、またキングの屋敷への対応に注力しており、それ以外は手薄。
デンジたちのまとめ上がった動きの前に、宵闇の青は成すすべがなかった。
デンジたちは宵闇の青の拠点の一つを落とした。
そして、宵闇の青の中枢にいる人間の一人を捕獲した。
あらゆる手段を駆使した尋問が行われた。
そうして、短い時間で初めて、宵闇の青の魔術の詳細が明らかになったのだった。
ゴードンとダンテは、宵闇の青の魔術の前に敗れ去った。
しかし、これまで、ゴードンとダンテがどのように討ち取られたのか、明確になってはいなかった。
真相は次のようなものだった。
ゴードンは、幼くして失った両親を模した人形に命をとられた。
破綻寸前のゴードンを魔術に落とし込むのは、宵闇の青にとって状況さえ整えばさほど手を焼くことではなかった。
ダンテはそうはいかないはずだった。
ゴードンの両親と同じレベルの人形であれば、ダンテの敵ではなかっただろう。
しかし、ダンテに差し向けられたのは、単なる人形ではなかった。
それは、宵闇の青頭首リグレンの手による最高傑作だったのである。
デンジは憤怒の表情で言った。
「シェイド。話を聞けば、我らの怒りを理解できるだろう。ダンテの妻、シェイドの母であるラナは、生きながらにして魂を抜かれたのだ」
シェイドの血の気が引いた。
デンジは怒りと共に話を続けた。
宵闇の青、常春の華の波状攻撃により、まことの黒の一族はバラバラに散った。
ダンテも傷を負った。ラナはシェイドを連れて逃げた。
やがてラナが捕まった。シェイドは行方不明だった。
宵闇の青は、ダンテを釣り上げる餌、また、その命を奪う最強の罠として、ラナを利用した。
ラナの魂は、ラナによく似た女に移植された。
ダンテがラナの魂を宿した人形に出会った時、ダンテの記憶がその人形に写し取られた。
ラナに生き写しのラナ人形の完成であった。
ダンテは、ラナ人形に命をとられた。
操り人形でありながら、ラナ自身は自分がしていることも理解していた。
自分自身として振る舞っているような感触もあるのだ。
人としての統合をほどかれたラナは、長くは生きられなかった。
ダンテを手にかけてしまった苦痛を背負い、ラナは息絶えたのである。
「ラナを操るリグレンは、ラナに回路をつなぎ魔術で指令を出し続けていた。リグレンにとっても命がけの消耗戦であったのだ。ダンテは死に際、真実に触れ、その回路を辿り、遠方で魔術を操るリグレンに到達した。そしてリグレンを道連れにした。ダンテは一矢報いた」
デンジがダンテを語る時は、怒りよりも誇りを感じさせた。
シェイドは青ざめるばかりであった。
デンジはシェイドを見ながら続けた。
「本体が死ねば、抜かれた魂も鮮度を保つことはできない。ダンテもラナもすでに故人である。すなわち、シェイドの会ったダンテとラナは、魂を宿してすらいない人形、まったくの偽者だ」
シェイドは本当のダンテとラナを知らない。
なぜあれが両親だと信じたのか。
前提として、センターエリア0に対するシェイドの身構えがあった。
魔力を高め研ぎ澄ます、この世の不思議を丸飲みしているような地。
そして、まことの黒にとって因縁の地。
どんなことも起こり得るという感触は、警戒心を高めるだけではない方向に働いた。
閃いてしまったのだ。これはもしや、自分の親なのではないかと。
そういうこともあり得るのではないかと。
それは、人形が働きかけてくるよりも先にシェイドの中に生じていた。
後は、シェイドがそう信じたかったということだけだ。
信じれば信じるほど、人形は本物に近くなっていった。
それが宵闇の青の魔術なのである。
だがしかし、シェイドが何よりも青ざめたのは、ダンテとラナの真実ゆえではない。
フロウだ。
フロウは、ダンテとラナとは訳が違う。
シェイドの恐怖を知るように、デンジは言い渡した。
「フロウは死ぬ。シェイド、宵闇の青を許してはならない」
シェイドは踵を返し、猛烈な勢いで来た道を戻り始めた。
デンジたちが後に続いて走った。
あたかも、シェイドがデンジたちまことの黒を率いているかのようであった。
サイゴの塔が立つ、光る小石を敷き詰めた地にたどり着いた時、シェイドは突然足を止めた。
デンジたちも一糸乱れぬ動きで足を止めた。
デンジがシェイドの背に声をかけた。
「どうした」
シェイドは低い声で言った。
「あんたか」
デンジは答えた。
「何のことだ」
シェイドは顎を引き、横を向いた。
デンジをわずかに視界に入れると、シェイドは低い声のまま問いかけた。
「フロウの情報を敵に流したのは、あんたか」
デンジはすぐに答えた。
「そうだ」
シェイドは猛然とふり返って踏み込み、デンジの襟首を締め上げた。
「貴様!」
デンジは息を詰まらせながら、シェイドを睨みつけて言った。
「俺のことも殺すがいい、シェイド。甘さを捨てるのだ。宵闇の青が行った仕打ちを忘れるな。この地を奪還し、恥辱を拭い去り、再び王として君臨せよ。俺も含め、あらゆる命はそのためにある」
シェイドの激しい怒りに反応し、魔力が暴れ、シェイドの髪が逆立った。
シェイドはデンジを睨み返し、歯を食いしばった。
数秒後、シェイドはデンジから手を離した。
そして猛然とサイゴの塔へと向かったのであった。




