幕が開く2
「今すぐ、できる限りの武装をするんだ」
キングがヒルダを迎えに出た後の屋敷で、金庫バアは鋭く指示を飛ばした。
そんな必要があるのかどうか、首をかしげる者たちもいた。しかし、金庫バアの迫力にのまれ、その指示の下、屋敷全体が動き始めた。
金庫バアは屋敷の武器庫に向かいながら、廊下ですれ違う者たちにも声をかけ続けた。
「敵が仕掛けてくるなら今だ。あたしならそうする。必ず来る。総員戦闘配置だ。さっさと動きな!」
かつて金庫バアの組織にいたマッドは、今はキングの屋敷で料理人をしている。
金庫バアの指示を聞きつけ、誰よりも早く厨房から飛んできた。
武器庫に向かう金庫バアに合流すると、マッドは尋ねた。
「シェイドが相手です。あちらは戦力を分散させたりしないのではありませんか」
金庫バアはつかつかと歩き、前を見たまま答えた。
「勝算があってのシェイド呼び出しだ。そこに援護を出されるのが一番面倒だろう。まことの黒はかつてと違い、シェイドに援護する力をほとんどもたない。唯一の拠点がこの屋敷だ」
金庫バアは武器庫に向かう階段を下りた。
集まってきた猛者たちが、わらわらと続いた。
金庫バアは続けた。
「今までこの屋敷が総攻撃を免れてきたのは、ひとえに行方不明のまことの黒直系につながる糸だったからだ。シェイドが見つかった以上、もはや不要。目ざわりこの上ない屋敷を叩き潰したくて、奴らは舌舐めずりしているだろう。シェイドが戻って、また出て行って、こちらが浮足立っているところを狙ってくる」
金庫バアの話を聞くほどに、屋敷の男たちは顔つきを変えて行った。
武器庫の中から次々に武器が運び出された。
金庫バアも、なじみのバズーカ砲を担ぎあげた。
「ふん。よく手入れされてるじゃないか」
マッドは、金庫バアを補助するように、自然と砲弾を持ち上げていた。
外から激しい爆撃音と振動が響いて来た。
「おいでなすった」
続く振動の中、金庫バアは年齢を超越した足取りでバズーカ砲を担いだまま階段を上った。
廊下を走り、正面の庭が見える窓から身を隠しつつ外を窺った。
頑健な門扉が総攻撃を受け、外側から打ち破られようとしていた。
また、門扉の破壊を待たず、高い壁を乗りこえて、次々と人形が侵入してきていた。
加えて、遠方から砲撃と魔術攻撃の両方であろう、炎の大玉がいくつも飛んで来ては、屋敷をドーム状に覆う魔法防御壁に当たって散っていた。
金庫バアは庭に目を移した。
かつてマッドのチームメイトであったペドロやドーブを含む庭師兼警護担当たちが、必死に人形と格闘している様子が見えた。
人形の両手は、鋭い鎌であった。顔がどくろめいていることと相まって、あたかも死神のようであった。
人形の体は赤銅色で、金属製と見られる鈍い光沢があった。服など当然着ておらず、戦闘用と一目で知れた。
金庫バアは、ゴーグルを身につけながらマッドに目配せをした。
マッドは正しく意図を読み取り、外を窺いながらロックを外して窓を開け放った。
金庫バアは庭に躍り出た。
門扉が打ち破られた。
同時に、膝をついて構えた金庫バアのバズーカ砲が火を噴いた。
内側に破壊されたはずの門扉は、外側に向かって吹き飛んだ。
金庫バアは素早く立ち上がり、声を上げた。
「お前ら! この屋敷を絶対に敵の手に渡すんじゃないよ! 全力で死守する! 迎え撃て!」
「オオーッ!」
庭だけではなく、屋敷の中からも雄々しい声が答え、咆哮が重なって空気を振るわせた。
門扉があった場所に、ゴゴゴという震動とともに、地中から立ち上がってくる壁があった。
金庫バアは目を丸くした。
「とんだからくり屋敷だ」
屋敷は再び外界を遮断する壁に囲まれた。
そうは言っても決して安全ではなかった。
侵入する人形は引きも切らず、向かってくる遠距離攻撃も間断なく続いた。
金庫バアの号令のもと、屋敷の猛者たちは男も女もなく武器を手に取り、敵に立ち向かった。
死神人形が、数に物を言わせ、屋敷の壁に取り付き始めた。
強化ガラスのはまった窓を打ち破り、屋敷の中への侵入が始まった。
ミカゲとエリザベスがいる部屋の窓も、外からかち割られた。
死神人形が柔らかい関節をしならせて、部屋に飛び込んで来た。
エリザベスは、靴に仕込んであった小さなナイフを抜き取った。
ミカゲを突き放すと、エリザベスは素早く死神人形の背後に回り、首の根元にナイフを突き刺し、その背を蹴り倒した。
ミカゲは必死に立ち上がり、震える声で呪文を唱えた。
死神人形が体制を整える前に、エリザベスはソファの下から、隠してあった細剣を取り出した。
死神人形が振るってきた鎌を、エリザベスは細剣でいなしながら、口の中で小さく呪文を唱えた。
ミカゲの魔術はいつもの威力を発揮しなかった。
黒い炎は死神人形の体に当たって消えた。
後ずさりしたミカゲに、死神人形が向かった。
ミカゲは目を見張った。
死神人形が鎌を振り上げた。
ミカゲは動けなかった。
死神人形の首を貫いて、赤い光をまとう細剣の切っ先が現れた。
エリザベスが後ろから死神人形の首を突いたのだ。
死神人形は、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
エリザベスはすばやく細剣を抜いた。
ガシャンと音がして、窓から次の死神人形がやってきた。
ミカゲは息をのみ、思わず一歩下がった。
エリザベスは言った。
「戦えないのなら安全なところへ逃げなさい」
ミカゲはハッとした。
エリザベスは死神人形に向かって駆け出した。
ミカゲは戦うエリザベスをわずかな間、見ていた。
やがて背を向け、部屋のドアへと走った。
ミカゲは離脱した。
ミカゲは廊下を走った。
気がつくと屋敷は、振動と爆音と怒声にあふれていた。
どこを向いても戦闘中だった。
ミカゲはしっかりと何かを考えられるような状態ではなかった。
安全なのはエリザベスの懐の中だったはずなのに、そこから逃げろと言われてしまった。
ミカゲはいてもたってもいられなかった。
でも、どうしていいのか分からなかった。
ミカゲは窓から庭に飛び出した。
そして、激しい戦いの間隙を縫うようにして走った。
庭には、ミドリ地区につながる地下道への隠し扉がある。
初めてこの屋敷に来た時、キングに連れられて通った扉だ。
ミカゲは誰にも知られずその扉を開けて、体を滑り込ませた。
ミカゲは灯りもつけず、真っ暗な階段を下りた。
そして、はうようにして地下道を進んだ。
明確な目的があって来た訳ではなかった。
あまりにも無様な自分から逃げているだけのようでもあった。
イヤだ。
このまま最下層に沈んで消えていくのはイヤだ。
前後左右も分からないような暗闇の道を辿る中で、ミカゲに湧いてきたのはそんな思いだった。
おぼれそうなミカゲはあがいていた。
冷静さなどもはや、ひと欠片もありはしなかった。
ミカゲは地下道を抜け、ミドリ地区の山の中に顔を出した。
キングとヒルダのいる王立魔術学院へ。
自分にも何かできることがあるはずなのだという、祈りに似た叫びが胸にあった。
ミカゲは必死に浮かび上がろうとしていた。
苦しみの中で自分を取り戻そうとしていた。
そんなミカゲが、第三者の目には、自己中心的な愚かな子どもにしか見えなかったとしても。
ミカゲは息を乱しながら、王立魔術学院に向けて、駆け出したのだった。