幕が開く3
アニヤとアネモネに出会ったフロウは、安堵のあまり号泣した。
やがてフロウは落ち着きを取り戻した。
そうなると、あることが気になってきた。
フロウはアネモネに尋ねた。
「ありがとうございます。みっともなく泣いてしまって。あの、アネモネさん、お体の方は」
「そうだった。きちんと説明しないといけない。妊娠しているというのは嘘なの。騙してごめんなさい」
フロウは目を丸くした。
見ると、アネモネは体にフィットする黒い上下を着ていた。腹部は確かに、少しも膨らんではいなかった。
少し離れた所に立ち、周囲を警戒しているアニヤがフロウに声をかけた。
「俺は便利屋をしてる。今は依頼を受けての人探し真っ最中。君のお兄さんを探してここにいるんだ」
フロウはアニヤを見た。
緩く波打つセピア色の髪は、かろうじて一本に束ねられているが、すでにいくらかほつれて頬にかかっていた。
青色のワークシャツにベージュのチノパンというありふれた服装は、街の便利屋と言われても確かに違和感はなかった。
しかし、手には銃を握っているのだが。
フロウは眉をひそめた。
「お兄さん、ですか」
「君の兄の名はミカエル。ミカエルを探す過程で、さらわれた妹フロウの手がかりも見つかればと思っていたんだが」
「先にフロウを見つけちゃったわね」
アニヤとアネモネは目を見合わせて笑った。
フロウの中で、遠い記憶が揺れた。
まぶたの奥に、白い残像が浮かんで消えた。
正体のつかめない揺らぎにめまいを覚え、フロウはこめかみを押さえた。
アニヤはそんなフロウを見ながら話を続けた。
「ミカエルの痕跡を追うのは簡単すぎて笑えたよ。きみの兄さんは髪の毛がプラチナブロンドで目立つ上、存在感が強すぎるんだ。目撃者がやけに多かった」
「フロウがここにいるってことは、ミカエルはやっぱり、フロウを探してここに来たってことなのよ」
「私を探しに?」
フロウは動揺した。
アネモネは頷いた。
「私があなたに接触したのも、あなたが兄ミカエルをどう思っているのかを探るため。あなたはミカエルをおぼえてはいなかったけれど」
フロウの中の記憶が再び騒いだ。
いくつもの人影が切れ切れに浮かんでは消えた。
フロウは息苦しさを感じて、のどをさすった。
アネモネが先に立ち上がり、フロウに手を差し出した。
その手をとって立ち上がるフロウにアニヤは尋ねた。
「フロウをさらったのは誰?」
「あの。私、何をどこまで話していいのか」
「口止めされてる?」
そう言われてフロウは考えた。
ミカゲ以外には、口止めはされていないようだった。
しかし、ロキは国家機密と言っていなかったか。
「あの。お話しできる範囲でいいでしょうか」
「うん。フロウがさらわれて、ミカエルとフロウ、二人の父さんも心配しているよ」
フロウはハッとした。
ロキは確か、フロウに父と兄がいると言っていた。それと合致した。
「でも、あの、私をさらった人ですが、親切な人で、お世話になったのですが、その、私のお父さんには、心配かけないように連絡しておいたと言ってました」
「実際は心配している」
フロウはひらめいた。
「あの、私、途中から、別の人にもう一回さらわれたんです!」
「お世話になった人とは別?」
「はい。最初に私をさらったのは、その、お世話になった人ですが、私が危険な組織に狙われているので、保護してくれたとのことです。その人が、私には父と兄がいると教えてくれました」
アニヤは目を細めて促した。
「それで?」
「はい。保護されていたんですが、突然、乱暴な人が来て、私をそこから連れ出して、牢屋に閉じ込めました。だから、その時から、もしかしたら、お父さんに連絡ができなくなったのかもしれません。それから、牢屋にまた別の若い人が来て、私に向かって呪文を唱えたんです。そこで、私は逃げました」
「で、俺たちに会ったと」
「はい」
「ふうん。薄曇りの暗さ、ここの異常な状況については何か知ってる?」
「何も分かりません」
アニヤは頷いた。
経験上、うまく話せない人間にも慣れていた。
今の段階でそれ以上は聞くこともなく、アニヤはフロウに手招きをした。
「ミカエルを探す。離れるのは危険だから一緒に行こう」
フロウはおずおずと歩き出した。
後ろからアネモネが付き添った。
「アニヤ、どこから探す?」
「おそらくミカエルは、フロウの所在について何らかの情報を得てここに来た。だとしたら、フロウが閉じ込められていた部屋か牢屋、そのどちらかを目指している可能性が高いんじゃないか」
「フロウが怖い思いをしたところに、戻らないといけないのかしら」
「そうだな。薄曇りの暗さがこんなことになってなければ、一旦、フロウを安全なところに預けて戻ってくるんだが」
アニヤは申し訳なさそうな顔でフロウを見た。
アニヤたちがミカエル目撃情報をたどり、王立魔術学院に到着した時、学院は今しも封鎖されるところであった。
薬品の実験中、危険なガスが発生したので念の為、という話だった。
すんでのところで裏口から忍び込んだが、その後、正門も裏門もすべて厳重に封鎖されてしまったのだった。
学院を進んでいくと、ガスではなく薄曇りの暗さが発生しているのだと分かった。
学院封鎖はこれのせいかと納得した。
アニヤたちは薄曇りの暗さの経験者である。
アニヤとアネモネ、そして、ともに訪れたもう一人は、そろってため息をついた。
「何が起こっているか一目で分かるなんて。何でも経験ってしておくものね」
「この経験だけは、いかしたくなかったっす」
そのもう一人であるタタは、アネモネがしみじみ言った言葉に対し、ひ弱なつぶやきで返したのだった。
タタは現在、アニヤとアネモネとは別行動をしている。
アニヤとアネモネとフロウは、タタとの合流予定ポイントを経由してから、フロウが逃げてきた建物を目指すことにした。
タタはぼやいていた。
「助けるんじゃなかった。何でこんなことに。助けるんじゃなかった」
「うるせえ! さっさとキングのとこに連れてけ!」
タタの後ろを歩くヒルダが、ふてぶてしく言った。
タタは、今回の件でアニヤに声をかけられた時、すぐにその舞台に乗ることを決意した。
カラカラと同様、タタの中でもあの夜にけりをつけたいという思いがあったからだ。
何もできなかった無力な子ども時代を、自分の中で終わらせたかった。
今の自分に何ができるのかは分からない。
再び己の無力に直面し絶望するか。それどころか絶命するか。
タタには、命をかけても立ち向かうべきものがあった。
「帰ってくんの待ってるから」
タタの伝えた決意に対し、カラカラはぶっきらぼうにそう言った。
カラカラの目の中にたまる涙を見た時、タタは思わずカラカラを抱きしめていた。
カラカラが両腕をつっぱって、タタの胸と顎を押し返した。
タタはまさかの反応にムッとした。
「おめえ、そこは黙って抱かれろ」
「いやだ」
「かわいくねえな」
「うるさい。帰って来てからにして」
「はあ?」
「帰って来てから、全部して」
タタは固まった。
普段はクールなカラカラの頬がわずかに染まっていた。
タタとカラカラの関係は、以前のアニヤとアネモネではないが、大変微妙なものになっていた。
かけがえのない仲間、チームメイト、そして、それだけではない何か。
「全部。全部って」
「バカ」
「全部って?」
「バカじゃないの! さっさと行け!」
タタはカラカラに追い出されるように出発した。
カラカラが放り込んできたものは、じわじわとタタに効いてきた。
男になって帰らねば。
タタは妙な汗をかきながら、決意をもう一つ、上乗せしたのであった。
アニヤとアネモネと訪れた王立魔術学院、裏口を入ってすぐのところに、敷地の案内図があった。
アニヤとタタは、めっぽう地図に強い。
優れた方向感覚と相まって、二人は敷地全体を把握した。
3人で移動中、それまで人の気配が途絶えていたところに、初めて人間が現れた。
エプロン姿の女が、学生風の男に追いかけられていた。
タタは、早速、俺の出番だとはりきった。
アニヤとアネモネに本筋を任せ、合流地点を決めた。
薄曇りの暗さが発生しているので、無理はしないことを確認し合い、別行動となった。
タタは見事に女を救出した。
「おめえ、何でこんなとこいるわけ?」
タタは話をする気もしなかったが、一応、聞いてみた。
「愛するキングに頼まれたからに決まってんだろうが、バーカ!」
記憶と変わらないヒルダの不愉快さに、タタは会話したことを後悔した。
ヒルダの方は、なぜかタタが嫌な顔をするほどに、元気になっていくようだった。
キングが迎えに来るまでどうのこうの。お札を無駄遣いせずどうのこうの。
ヒルダはしきりに言っていたが、タタは聞く気も考える気もなくした。
さっさと合流ポイントに行って、ヒルダのことはアニヤさんに考えてもらおう。
それがタタの結論だった。
周囲を警戒しながら、ヒルダを引き連れてタタは歩いていた。
黄土色の気配は、先に進むほどに色濃くなっていった。
目の前の建物の裏手から、激しい爆音と奇声が聞こえてきた。
「何?」
「しっ!」
タタはヒルダの言葉を制した。
「ちょっとここにいろ」
「う、うん」
灌木の陰にヒルダを座らせ、タタはすばやく動いた。
建物を回り込み、騒ぎの起こっている現場をそっと覗き見た。
タタは驚いた。
「ミカエルじゃねえの、あれ」
思わず口に出た。
写真で見ていた成長後のミカエルが、短剣を振るって大きな蜘蛛と戦っていた。
フロウの師匠ハシマもいる。
加えて、見知らぬ美人も魔術を使って参戦していた。
タタは、唖然とした。
目の前の状況にいろいろ思うことがありすぎて、どう行動するべきか迷ってしまった。
少しの間、タタはその戦いを見続けたのだった。




