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小さな黒い石のある丘

 オウド地区にある小高い丘の上に、小さな黒い石が半分顔を出して埋まっていた。


 丈の短い草に覆われたその丘は、子どもの遊び場にちょうど良いような印象を与える場であった。

 しかし、そこに行き着くまでには険しい森の道を抜けねばならなかった。


 整備されておらず凹凸の激しい道なき道である。

 突き出た岩の鋭さは言うまでもない。

 棘のある藪がどこまでも行く手を阻む。

 無秩序に木々が伸びている。


 特筆すべき資源もないその森は、あるがまま自然そのものであった。

 放置されたその森の奥にある丘に、わざわざ足を踏み入れようとする者はいなかった。




 金庫バア以外には。






 8年前、ギルが没してから、金庫バアはこの丘に日参していた。

 小さな黒い石は目印として金庫バアが埋めた。


 その日も金庫バアはやって来た。

 いつも通り小さな黒い石の横に腰を下ろし、空や風や大地に心で語りかけていた。

 快晴の丘は明るく、空気は澄み渡っていた。







「金庫バア」

「とうとう戻ってきたか」







 突然の呼びかけにも金庫バアは動じなかった。

 振り向きもせず、相手を察知していた。


 声の主シェイドは、キングと共に丘に姿を現した。

 金庫バアは日の光を遮るように手をかざし目を細めた。


「背が伸びた」

「はい。18歳になりました」


 金庫バアは、そうかと言って空を見上げた。

 灰色の髪を団子に束ね上げた恰幅のよい姿は、シェイドの記憶と違わぬものであった。


 シェイドは頭を下げた。


「ギルさんが亡くなったと聞いた時、何もできずに申し訳ありませんでした」

「ずいぶんと過ぎたことを」

「ギルさんともっと話したかったです」

「無茶な力の使い方をし続けた。あれは、生きとし生けるものとしての限界だ」







 8年前、結局ギルは、組織の金庫バアのベッドから離れることができなかった。

 ギルの歩く力は衰え、眠る時間は増えていった。







 ある夜ギルは、あなたと酒が飲みたいと金庫バアに言った。

 金庫バアは黙って酒を用意した。


 ギルはベッドの背中側につめこんだクッションを背もたれにして、半身を起した。

 やせ細った手が、小さなグラスを受け取った。

 ギルは、ほんの1滴2滴と、なめるように少しずつ酒を口に含んだ。


 金庫バアは、ベッドサイドのイスに腰掛けて酒を飲んだ。


 しばらくそうして過ごした。


 やがてギルは、小さなグラスをなでながら、実にしみじみと言った。




「私は無事、果てにたどり着いた」




 金庫バアは、そうかと小さく言うに留めた。

 衰えた今も不思議と黒く澄むギルの瞳が金庫バアを見た。

 



「だが、あなたの果てはここではない」




 金庫バアは呆れた声で言った。


「まだこの老体に働けというのか」


 ギルは笑った。




「私は、かけらでもあなたのそばにいたい」




 ギルは、どこからともなく指輪を取り出した。

 金庫バアは、ぽかんとした。

 世話をしているのに、そんなものを隠し持っていることなど、まるで気がつかなかった。


 ギルは義手でグラスを支え、左手で指輪を金庫バアに差し出した。




「これは、あなたと私をつなぐ最後の糸」

「縁起でもないね」




 金庫バアは受け取った。


「まるで形見じゃないか」


 ギルは、かすかに笑って目を閉じた。







 そして、そのまま目を開くことはなかった。







 金庫バアはクッションを取り除き、ギルをベッドに横たえた。

 受け取った指輪を握りしめ、ギルの顔を見続けた。


「最後まで勝手な男だ」


 金庫バアは誰に言うともなくつぶやいた。






 時が過ぎ、朝の気配を感じた。

 カーテンを開けると朝日が目に眩しかった。

 金庫バアが目をしばしばさせる中で、次の変化は起こった。






 ギルが灰になった。






 金庫バアは目をむいた。

 なんたる魔術。


 金庫バアを除いて、誰一人、ギルの遺体に対面できなかった。

 何もかも押しつけて、という怒りが最初に浮かんだ。

 金庫バアは首を振った。


 敵の手に落ちた時にその首を利用されないためか。

 あるいは自分を見送った近親者の手を煩わせないためか。




 金庫バアは、もはやギルの形も成さない灰をしばし見つめた。


 それから布団をはがし、シーツの中心に灰をまとめた。

 なかなかの量だと思いながら、シーツを器用にまとめ結び、その中に灰を収めた。


 金庫バアはシーツに包まれた灰を背負った。


 金庫バアは一人、朝日に照らされながらオウド地区の道を歩いた。

 背負ったシーツから、ギルであった灰がパラパラとこぼれ落ちた。


 やがて、人に見向きもされない森に分け入った。

 よく見通せる目を失って尚、金庫バアは歩き進んでいける足場を探し出し、森の奥へと進んで行った。


 そして、草原に抜けた。

 金庫バアは、小高い丘の上に立つと、背負っていたシーツを下ろし、結び目を解いた。


 ギルであった灰は、風に吹かれて飛んで行った。


 金庫バアは灰が去るのを見届けた。


 シーツを畳んだ。

 それから辺りを見回し、黒い小石を拾い上げた。


 丘の上に、目印として埋めた。





 ギルの墓とも言えない場であるが、金庫バアは以来、ここに通い続けていた。

 オウド地区の家に住み、アネモネの相談を受け、ここで語らう。

 それが金庫バアの日常となっていた。


 







 キングが顎をさすりながら、ううむと唸った。


「ギルさんが言ったんですか?金庫バアの果ては、まだここじゃないと」

「ああ、そう言った」


 キングは感慨深い様子で言った。


「あの人の言葉は妙に実現性がある。ギルさんは、何というか、特殊な世界を生きていた。金庫バア、覚悟した方がいい」

「ぬかせ」


 金庫バアは、座ったまま手を振って否定した。

 シェイドが言った。


「金庫バアは、俺の祖母、ソフィアに会ったことがあるんですよね」

「ああ。ギルが場を設けて1度か2度。まさかお前がソフィアの孫とは驚いた」

「ソフィアが言っていた。ギルさんはまことの黒の中でも異端だと。愛する人を求めてやまない血を色濃く持ちながら、金庫バアの手を離すことができた、特別な人間だと」



 金庫バアは目をぱちくりとさせた。


「愛する人?あたしの手を離す?何の話だ」


 シェイドもその場に座った。

 疑問符を浮かべる金庫バアに、シェイドは正面から言った。


「ギルさんは結ばれて以来、生涯、金庫バア一筋だった。他に誰もいなかった。大きな力を持ちながら、よく正気でいられたものだとソフィアが」


 金庫バアは目を見開いた。


「子がいるのでは?」


 シェイドは首を振った。


「いない。望みもしていない」


 金庫バアの口があんぐりと開いた。


 キングもシェイドの横に腰を下ろした。

 口が開きっぱなしの金庫バアに、キングは言った。


「敵はまことの黒の本体を狙ってギルさんを泳がせていた。そうは言っても危険なことが多かった。金庫バアを巻き込みたくなかったんだろう。最後の最後、ギルさんは見事に敵の目を欺いて、金庫バアの懐に入り込んだ。1年後、我が家で盛大に葬式をしたから、敵は今でもギルさんの死を1年勘違いしている」


 金庫バアは首から下げた指輪を手に取った。

 ギルからもらった指輪は小さくて、金庫バアの指には入らなかった。

 鎖を通して身に付けていた。


「あの男は本当にバカだ」


 金庫バアはつぶやいた。

 黒曜石の指輪が、太陽の日差しを受けて深い輝きを示した。


 キングは言った。


「今の屋敷はギルさんから引き継いだもの。金庫バアがギルさんと住んでいた屋敷とは別だけれど、よかったらうちで暮らさないか」

「どうしたもんだか」


 金庫バアはため息をついた。

 シェイドが金庫バアに手のひらを向けた。


「金庫バア、その指輪、ギルさんからもらったもの。もう少し見せてもらえませんか」


 金庫バアは鎖を首から外して、指輪をシェイドに手渡した。

 シェイドは黒曜石の指輪を覗きこんだ。


「奥に紋様が刻まれている。まことの黒の魔術だ。なんて入念な。読み切れないほど複雑な層を成している」


 金庫バアは、再び目を丸くした。

 キングが畳みかけるように言った。


「実は家に開かずの間があります。ギルさんからは、時が来れば開くと言われているいわくつきの間なんですが」


 一体、何の話をし始めたのか。

 金庫バアは、キングとシェイドが話すたび、交互に話し手を見ることしかできなかった。


 シェイドが今度は口を開いた。


「俺も、キングさんの屋敷にある開かずの間を見ました。この指輪の紋様とよく似た構成で、扉に封印がかかっています。まことの黒直系に引き継がれる最大の魔術がそこにあるのは知っています。その指輪はおそらく、扉かその中にあるものと共鳴する」


 金庫バアは徐々に事態を把握し始めた。

 身を引き気味にして二人に言った。


「あたしはいい年のババアだ。隠居の身だ」


 金庫バアは、突然立ち上がった。

 気配を感じた。

 金庫バアの目は、一瞬にして鋭さを増した。



 金庫バアは腰元の銃を抜き、振り向きざまに連続で撃った。



 木々の中で、グアッという幾人かの声と倒れ伏す音が続いた。






 金庫バアは、くわっと目をむいた。


「巻き込んだね!」


 金庫バアに怒鳴られたキングとシェイドはそろって両手を上げた。

 最初にキングが口を開いた。


「お見事です。現役でいけます。シェイドがニア国に入ったことはいずれ知られる話だ。それが今でもどうってことはない」


 金庫バアは、シェイドに向かって怒鳴りつけた。


「お前!お尋ね者のくせに堂々と!真昼間にノコノコ出歩いてここまでつけられたのか!」


 シェイドは申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。俺も昼日中に出歩くのはどうかと思ったのですが、キングさんが、金庫バアへまっさきに礼を尽くすべきだと」

「言うな。俺が怒られるだろ」


 金庫バアは、わなわなと震えた。


「8年も経って何なんだ!ギルの差し金か!死んでもまだ、あたしをこき使うのか!」


 金庫バアは怒りのままに怒鳴り続けた。


「お前ら!いらないところばかりギルに似てくるとは!間違ってもギルを尊敬だの見習うだの、絶対にするんじゃない!不幸な女が増えるだけだ!」


 キングは苦笑いをしながら言った。


「金庫バア。今のシェイドに女の話は禁句だ」


 シェイドが気まずい様子で顔を伏せた。

 金庫バアはシェイドに言った。


「なんだ、フラれたのか」

「いえ、そういうわけでは」

「金庫バアもおぼえているだろう?フロウだ。シェイドは、フロウにすっかり忘れられた。存在まるごと」

「なんだい。シェイドも大したことないね」

「魔術です。フロウには魔術がかけられているんです」


 シェイドは苦しそうに言った。

 金庫バアは呆れた。


「面倒なことになってるね。シェイドがニア国に戻った理由は、フロウだろう」


 キングは頷いた。

 収まるところに収まらなかったのだ。

 シェイドとフロウとの関係が露わになって、ミカゲが盛大に失恋し、終わる話のはずだったのだが。







 フロウに会った後のシェイドはひどい状態に陥った。

 説教を受け終えたミカゲが眠ると、抑えがきかなくなった。



 魔術がかかっているのだ。

 背景は分からずとも、フロウがシェイドを忘れている事情は、そういうことだと一目で理解できた。

 それにもかかわらず。





 何もかも壊してしまいたい。

 全部、焼き尽くしたい。

 すべてを破壊しつくしたい。





 自分が何に衝撃を受け、何に腹を立て、何に傷ついたのか。そういったことを省みる間もなく、シェイドはただひたすら爆発的な怒りに翻弄された。

 まるで子どもの癇癪のようであった。

 しかしながら、シェイドはその衝動を果たす力を持っている。

 危険だった。


 制御を失いかけたシェイドを持ちこたえさせたのは、ソフィアの言葉だった。

 あらかじめ、わずかな覚悟があった。



 思い通りにならなくても、恨んではならない。



 繰り返し、そう言い聞かされてきたのだ。








「どうするつもりだい、シェイド」


 金庫バアの問いかけに、シェイドは我に返った。


「俺は、ギルさんのようにはなれません」

「それには大いに賛成するが」

「俺は、相手もそう思ってくれるなら共に生きたい。そして、何もかも守り抜く」


 金庫バアは、銃を腰のホルダーに戻しながら言った。


「大した覚悟だ。ニア国は行きはよいよい、帰りは怖いの世界だ。入国は楽だが、出国はさせないつもりの布陣が敷かれているよ」

「今回をもって二度とニア国には来ないつもりです。ニア国でのまことの黒の復活を願う人々もいますが、多くの血が流れる事態は避けたい。ニア国を離れたら、まことの黒の遺伝性が失われるのではないかとデンジさんは危ぶんでいますが、そうであるなら、それまでのことです」


 シェイドも立ち上がった。

 金庫バアは、ズボンについた土や草を払いながら尋ねた。


「どうやって出国する?」

「まことの黒直系に引き継がれ、祖父の代から本格的に準備されてきた大きな魔術をひも解くことを考えています。さっき話していた、開かずの間のことです」


 それは、ソフィアから手渡された古い書の一か所に記されていた。

 その魔術は未完のまま代々引き継がれてきた。筆跡の異なるいくつもの呪文が書き連ねてあった。

 シェイドはそこに、まことの黒の直系が織り成してきた長い軌跡を見た。

 そして、ゴードンからダンテにまで受け継がれてきた願いを汲み取った。




 キングも軽やかに立ち上がった。


「ミカゲというまことの黒に連なる子どもが、実はニア国に来てしまっている。ミカゲをカロナギ国に出すためには、シェイドがある程度、表で動いた方がいい」

「陽動か」

「ついでに。言うなと言われましたが、金庫バアも巻き込めと言ったのは、確かにギルさんです」

「何なんだ、あいつは。あたしを巻き込みたいのか巻き込みたくないのか」

「開かずの間の魔術に着手する時には、巻き込めと」

「何たる勝手さだ」


 金庫バアは吐き捨てるように言うと、足元の黒い小石を見た。





 金庫バアはおもむろに、靴のへりを使って半分顔を出していた小石に土をかけ始めた。

 やがて、小石は完全に土の下に隠れて見えなくなった。


 それから、金庫バアはしゃがみ込んだ。

 小石がしっかりと埋まるように、両手でギュッと土を押した。





 金庫バアは、しばらくそこで動きを止めた。





 その背中を見て、金庫バアは泣いているのだろうかとシェイドは思った。

 一陣の風が吹き過ぎた。

 金庫バアはスッと立ち上がり、両手をパンパンと打ち合わせ土を落とした。


 金庫バアは泣いてはいなかった。




「行くよ」




 金庫バアは先頭を切って歩き出した。








 やはり、金庫バアは泣いたのだろうとシェイドは思った。


 黒い小石の埋まった地に向かいキングは一礼した。

 シェイドもそれに倣った。

 それから二人は金庫バアの後を追った。




 誰もが、二度とここに来ることはないのだと知っていた。 

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