女子力講座
ミカゲはアオウミの森にある、岩の洞窟に身を潜めていた。
つらくて動けなかった。
傷の手当ては、昨日、フロウにしてもらった。
身動きできない理由としては、心のつらさの比重が大きかった。
初めての一人旅、半ば家出だが、この生活にミカゲは疲れ切っていた。
一日中、敵を警戒し、敵に会ったら対処し、衣食住を確保し、次にすべきことを定める。
やりきれなかった。
今までいろいろな国を渡り歩いた。
もう子どもじゃない。たくさんのことが分かっているし、自分でできる。
そんな気になっていた。
でも違った。
自分がどれほどシェイドに甘えていたのかを思い知った。
今も心によぎるのは、きっとシェイドが探しに来てくれるという他力本願な願いばかりだった。
シェイドが来てくれて、この無茶な旅は終息する。
ばかと叱られて、カロナギ国の森の屋敷に一緒に帰る。
しかし、気持ちとしては早く見つけてほしいのだが、気配を露わにするのは危険を伴うことでもあった。
シェイドに見つかる前に、まことの黒を敵視する相手に見つかっては、元も子もない。
ミカゲは本当に疲れていた。
目的地であるアオウミの森に辿り着くまでは、必死だった。
襲撃者をかわして、へとへとになったところで、フロウの手当てを受けてしまった。
結果、すっかり心が折れた。
見ないふりをしてきた心細さも不安も戻ってきた。
こうなってしまうと、一人は耐えがたかった。
「そうだ。あの女かもしれないし」
ミカゲは小さくつぶやいた。
それは、シェイドの想い人のことである。
ニア国トウトのアオウミの森、栗色の長い髪、18歳前後。
フロウはちょっと変な女だが、わりときれいだ。
まさかの、いきなりの、当たりかもしれないじゃないか。
フロウは、何かあったらおいでと言った。
そうだ、あの女が当たりか外れか確認しないといけない。
そうしよう。
すっかり力を失っていた体に、血が巡るようだった。
ミカゲは体を起こした。
シェイドの想い人かどうかの確認という名目は、ミカゲのプライドを守った。
本当のところ、ミカゲは意識せず、フロウの保護を求めていたのだった。
その日、裏通りの古書店の店主ハシマは留守にしていた。
王立魔術学院の学院祭に、ハシマは出かけていた。
ここ2年ほど、ハシマは学院祭に顔を出すようになっていた。
学院祭は1週間行われるのだが、今回は3日間の外泊予定だった。
ハシマはフロウに、店は閉めても構わないと言った。
フロウは、一人でも店番をやってみたいと答えた。
『3日間、白魔術は休業で、薬だけを取り扱います』と書いた張り紙を、飴色の引き戸に掲示した。
ハシマは家を出る朝、フロウに言った。
「フロウちゃん。何かあったら、すぐに僕を呼びなさい。どこにいても、僕は駆け付ける」
「はい。そうならないように、頑張りますね」
「気をつけて。店は途中で閉めてもかまわないから」
「はい」
ハシマの心配をくすぐったく思いながら、フロウは頷いた。
こうして、フロウは一人で店番に立った。
去年までは、心配性のハシマに対し、フロウも自信が持てなかったので、やってみたいと言えなかった。
今年は頑張ろうと思えた。そうすると、ハシマは心配しながらも応援してくれた。
その心遣いを受け、本当にハシマはお母さんみたいとフロウは思ったのであった。
つつがなく店番を終えた夕方、フロウは飴色の引き戸の戸締りにかかった。
「フロウ」
突然、呼ばれてフロウは驚き、振り向いた。
「ミカゲ君!」
古書店脇に生えている木の後ろに隠れるように、ミカゲが立っていた。
そうだ、事情があって身を隠している子だったと思い至り、フロウは、大きな声を出した口を慌てて閉じた。
フロウはきょろきょろと辺りを見回した。
人気のない状況だった。
むろん、ミカゲがそんなタイミングを見計らって声をかけたのである。
フロウはさささとミカゲに駆け寄った。
「来てくれたのね。さ、こっちよ」
ミカゲが何も言わないうちに、フロウはミカゲを古書店裏のドアへと連れて行った。
あれよあれよという間に、ミカゲはダイニングテーブルに着席し、温かいミルクを振舞われていた。
ミカゲは少し呆然としながら、その状況にいた。
一応、ためらいながら、やっとフロウに声をかけたところだった。
これは、どうやら、歓迎されているようだ。
いそいそとクッキーを皿に開けているフロウは、妙にうれしそうだ。
大丈夫か、この人。こんなに警戒心が薄くて、どうやって生きてこられたんだ。
ミカゲは、こんなに簡単に他人を家に招き入れるフロウに対し、むしろこれは敵の罠なのか、とまで勘ぐった。
「どうぞどうぞ、ほら、遠慮なく飲んで、食べて」
フロウがニコニコとクッキーの入った皿も差し出してきた。
実は毒が盛られているとか。
ミカゲはボサボサの髪の隙間から、フロウを窺った。
フロウはニコニコしていた。
それはないな。
ミカゲは素直にクッキーを食べた。
フロウは、ミカゲのことが気になっていた。
ミカゲが、信頼できる大人にきちんと会えたかどうかを確認したいと思っていた。
そうであったので、ミカゲが来てくれてホッとした。
人を頼るばかりの自分が、頼ってもらえたこともうれしかった。
実は、フロウの気付かない裏では、封じられた記憶と魔術が作用していた。
ミカゲに対する親しい気持ちは、シェイドやまことの黒の気配に対する反応でもあった。
未知に対する不安の欠如は、もともとの持ち味に加え、昨夜ハシマに施された恐怖の記憶を封印する魔術の影響があった。
それらの結果、ごく単純に、頼って会いに来てくれてうれしいという気持ちが前面に出た。
その明快で単純な歓迎の雰囲気は、疲れ切ったミカゲの緊張を緩めた。
ミルクもクッキーもおいしかった。
「あのさ」
「うん」
「迎えが遅くなるみたいなんだ」
「うん」
「迎えが来るまで、匿ってくれない?」
「いいよ」
簡単に話がついてしまった。
ミカゲは不覚にも泣きそうになった。
慌ててミルクを飲み、やるべきことを思い出し、心を引き締めた。
「シェイドのこと知ってる?」
ガンッ。
「あいたた!」
フロウはミカゲの向かいの席に着こうとして、テーブルの足にすねを打ち付けた。
フロウの方が涙目になりながら、すねをさすっていた。
どうしたらそんな器用な痛め方ができるのかと、ミカゲは呆れた。おかげで、泣きそうな気持ちは引っ込んだ。
「ごめん、何?誰だっけ」
「シェイドだよ」
「シェイドさん。有名な人なのかな。ごめんね。私、そういうの、すごく疎くって」
「知らないならいいんだ」
ミカゲは自分が思う以上にホッとしていた。
フロウは嘘がつけるタイプではない。
フロウを観察し、本当にシェイドを知らないのだと確信できた。
嫌な可能性が潰れた。後はフロウに匿ってもらえばいいと思えて、ミカゲは心から安心したのだった。
「可愛いフロウ!久しぶり!会いたかった!」
ミカゲは呆然として立っていた。
目の前で、フロウが美人に抱きしめられていた。
匿うというのは、他の誰にも知らせない、ということを含まないのだろうか。
自分の認識が間違っているのだろうか。
ミカゲは、そんな疑問を抱いていた。
「お母さん、帰ってたのね。ごめん、ちょっと、シー、静かにして」
「何よ、つれないわね」
「お客さんがいるの」
「あら」
華やかな美人が、初めてミカゲに気付いた。
ミカゲは、美人の隣に立つフロウに聞いた。
「若いけど、フロウのお母さん?」
「そうなの。本当にたまにしか家に帰らないから、いると思わなくて」
「ラッキーだわ。フロウも来てくれたし、こんなに可愛いお客さんまで」
「うちのお母さんはこう見えて口が堅いし、小さいことは気にしないから、大丈夫だよ」
「私はフロウのお母さんのマルタ。いらっしゃい。大歓迎よ」
訳の分らぬうちに、ミカゲはフロウの母親にまで存在を知られてしまった。
やっぱり罠か、と一応思ってもみたが、あくまでも念の為の思考だった。
ミカゲはすっかり毒気を抜かれていた。
何だか、いろいろ気にすると、余計に疲れそうな気がしたのだ。
フロウが声を潜め、真剣な顔でマルタに言った。
「お母さん、よく聞いて。ミカゲ君には事情があるの。お迎えの人がくるまで、ここで匿うことにしたから、他の誰にも言ってはダメよ」
「任せて。お母さん、そういうのは得意だから。だてに人生経験豊富じゃないわよ」
「よし。というわけで、大丈夫だからね、ミカゲ君」
フロウは一瞬にして、自分の知りうるミカゲ情報をマルタにすべて伝えてしまった。
ミカゲは、それもどうかと思うと同時に、それに納得してしまうマルタもどうかと思った。
そうか、二人は親子だった。
疲れていたミカゲは、考えすぎたら負けだと思い、はい、とだけ返事をした。
「やーん、今日は盛り上がるわね、女子会ね」
「お母さん、ミカゲ君は男の子だよ」
「どこが。可愛い女の子じゃない」
「え?」
ミカゲは驚いた。
薄い体に、黒いTシャツ、カーキ色のズボン、ボサボサ髪の自分は、どこからどうみても男の子であると自負していた。女の子と見られたことは一度もなかった。
ミカゲの驚きを受けて、フロウはマルタの観察眼の正しさを知った。
「ごめんなさい!私、てっきり」
「いや、別に」
「ハシマさんは何を教育しているのかしらね。やっぱりフロウの教育を任せたのは間違いだったかしら」
マルタが色っぽい流し目でミカゲを見た。
ミカゲはぞっとした。
「私は、原石を磨くのも得意よ。ミカゲ、あなた光るわよ」
変な親子に関わってしまった。
ミカゲは落ち着かなかった。
フロウは、いずれハシマが帰ってくる古書店よりも、マルタと住んでいたアパートメントにミカゲを匿うことを思いつき、ミカゲを連れてきた。
フロウとマルタは、それぞれ時々、このアパートメントの一室に帰って来ていた。
たまに行きあうと、マルタは大喜びした。フロウもうれしかった。
フロウとマルタは、すでに別の道を歩いていたが、ともに生きてきたこの部屋が、二人をつないでいたのだった。
フロウは早速、お風呂の準備をした。
マルタは食料品を調達してきた。
ミカゲは、久しぶりに安心して入浴した。
この家は、とても香りのよい石鹸を使っていた。
体中、浅いとはいえ傷だらけで、お湯も石鹸も沁みたが、心地よさが勝っていた。
フロウが子どもの頃に着ていたというパジャマを用意された。
黄緑色のパジャマは、フリルがついた女の子らしいデザインで、気後れした。
「あの、お風呂、ありがとう」
ミカゲが用意されたパジャマを着てリビングに行くと、フロウとマルタがミカゲを見て固まった。
「何」
ミカゲは二つの視線を浴びて、怯んだ。
「可愛い」
「可愛いわね」
フロウが頬を染めて、うれしそうにミカゲを見ていた。
マルタは髪をかき上げて、嫣然と微笑んでいた。
ミカゲは、恥ずかしくて真っ赤になった。
可愛いなど、生まれてこのかた一度も言われたことがなかった。
リビングのテーブルには、所狭しとごちそうが並んでいた。
マルタとフロウはぶどう酒を用意し、ミカゲにはぶどうジュースを手渡した。
乾杯の後、皆で大いに飲んで食べた。
しばらくすると、マルタとフロウが交代で風呂に入った。
マルタは、上は白いタンクトップ、下はスウェットのズボンで、長い髪をタオルでグルグル巻きにして現れた。
フロウは、紺色のパジャマを着ていた。
「さあ、皆で私の部屋に行くわよ!」
勢いづいたマルタが、フロウとミカゲを引き連れて、自分の部屋へと向かった。
マルタの広くもない部屋の真ん中を、大きなベッドが占領していた。
あとは、鏡台とクローゼットがあるだけだった。
皆でマルタのベッドにダイブした。
疲れたミカゲの頭は、難しい思考を停止していた。
すると、マルタの圧倒的な存在感に飲み込まれた。
気がつくと、3人でキャアキャアとはしゃいでいた。
「お母さん、ミカゲちゃんにぶどう酒、飲ませたでしょ」
「ちょっとくらい、ねえ」
毒じゃなく、酒を盛られた。
ミカゲは分かっていて飲んだ。初めてでもなかった。
妙に、やぶれかぶれになっていた。
寂しかったのだ。
怖かったのだ。
安全と思える場所でハイになって、何が悪い。
「どーれ、ミカゲ。お化粧してあげる。その髪もなんとかしましょう」
ギョッとする間に、鏡台の前のイスにミカゲは連れて行かれ、マルタがミカゲの後ろにスタンバイした。
マルタは慣れた手つきで、ミカゲの髪をまとめたり流したりし始めた。
フロウはベッドにうつぶせの姿勢で、頬杖をつきながら、興味深く見ていた。
ミカゲの顔が丸出しになって、黒い瞳が現れても、フロウはもう動揺しなかった。
マルタがつぶやいた。
「きれいな顔してる」
「本当。ミカゲちゃんってきれいね」
生まれて初めて、今度はきれいと言われた。
ミカゲはまた真っ赤になった。
「俺、別に、そんなこと」
「あら、照れ屋さん」
しどろもどろのミカゲの羞恥を物ともせず、マルタは手を動かした。
髪の毛を頭の上でひとまとめに仮結びして、化粧品を取り出した。
「少し色を乗せるだけで違うから。自信を持ちなさい、ミカゲ」
確信を込めたマルタの強い瞳が、鏡越しにミカゲを捕らえた。
心も体も、むずがゆいのに動けない。
ミカゲは、固まる以外になかった。
下地クリームを顔に薄く伸ばした。
まぶたに黄色と緑色と茶色で、グラデーションが描かれた。
まつげをカールし、マスカラを塗った。
ごく薄い桃色のルージュが引かれ、透明なグロスが落とされた。
「やりすぎないで、あとはこれだけね」
マルタはミカゲに頬紅を乗せて、簡単にメイクを完成させた。
次にマルタは、ミカゲの髪を横に流した。
ゴムでまとめ、ピンで型どり、クローゼットから持ち出した、大振りな花飾りを止めた。
「できあがり、どう?」
マルタがミカゲの肩に、ポンと手を置いた。
鏡の中に、ミカゲが見たこともないミカゲがいた。
フロウが感嘆の声を上げた。
「妖精みたい」
ミカゲはショックを受けていた。
彩られた瞳は、いつもよりずっと存在感があった。
頬と唇が、可愛いらしい印象を強めた。
花飾りでまとまった髪の毛は、短くても、男の子の要素はゼロであった。
鏡に映るミカゲは、しっかりと間違いなく女の子だった。
ミカゲの中に、どっと何かがこみ上げてきた。
止める間もなかった。
勝手に涙がこぼれ落ちた。
「ミカゲちゃん」
フロウが慌ててミカゲの側にやってきた。
止めようと思っても涙が止まらず、ミカゲは困惑した。
「ごめん。何で泣いてるのか、自分でも分かんない」
「あなたの年頃は、そういうものよ」
マルタが大輪の花のような笑顔で言った。
ミカゲの傍らに膝をついて、フロウは気遣わしげに声をかけた。
「お化粧、とても似合っているけど、イヤだったら、すぐ落とせるよ?」
ミカゲは首を横に降った。
「違う。イヤじゃない。そういうことじゃない」
マルタがミカゲの手を引いて、ベッドへと移動した。
3人は、マルタの大きなベッドの上で輪になって座った。
ミカゲの涙もやっと止まってきた。
ミカゲは小さくため息をついて言った。
「俺は、男みたいに生きてきたから、化粧も初めてだし、ちょっとびっくりしたんだと思う」
マルタは、そんなミカゲを見て小首をかしげた。
「好きな人でもいるの?」
ミカゲはぎょっとしてマルタを見た。
ミカゲの顔は、みるみる赤くなった。
マルタは、そんなミカゲの様子を肯定と受け取り、頷いた。
フロウはポカンとした。
「お母さん、すごい」
「得意分野だから」
マルタは先をうながすように、ミカゲを見た。
ミカゲは動揺した。
「俺はあんたたちみたいに女らしくないし、好きになってもらえない」
動揺のあまり、つい言うはずもない話を、ミカゲは口走ってしまった。
言ってしまうと、余計に動揺した。
本心だった。
好きだとシェイドに何度も言いながら、ずっと思ってきたことだった。
止まっていた涙がぶり返してきた。
じんわりにじむ涙を、慌ててミカゲは拭った。
「あらあら、アイメイクしてるときは、こすったらダメよ。メイクが崩れちゃう。ほら、これで押さえるのよ」
マルタがハンドタオルをミカゲの目元に当てた。
フロウが腕組みをして、不満そうに言った。
「ミカゲちゃんは可愛いよ。確かに、ちょっと男の子っぽいところもあるけど、だけど、好きになってもらえないことはないんじゃない?」
「何回も振られてる」
「え!」
フロウは驚いた。
マルタは、ハンドタオルをミカゲに手渡して、聞いた。
「どんな男なの?」
「年上だ。ずっと一緒に生きてきた。俺を守ってくれる。俺を大事にしてくれる」
ミカゲは言葉を切った。
声が震えた。
「好きな女がいるんだって」
フロウは困ってしまった。
フロウの経験からは、何も言えることがなかった。
フロウは思わず、マルタを見た。
マルタが、力強く頷き返してきた。
この時ばかりは、マルタが異様に頼もしく見えた。
「ミカゲ、今のままのあなたではダメよ」
まさかの、ダメ出し。
フロウはサーッと血の気が引いた。
「あの、お母さん」
「どうしたらいい、俺は、どうしたら」
フロウの心配をよそに、ミカゲはマルタに食いついた。
え、今のでいいの、とミカゲを振り返るフロウは、すっかり置いてけぼりにされた。
マルタは頭に巻いていたタオルを取り去り、長い髪をかき上げながら、勢いよくミカゲに言った。
「ミカゲの中にある、女を磨くのよ。放っておいたら、ただの石ころ。人が思わず手を触れたくなるような、そんな宝石になりなさい」
「よく分からない」
「宝石にもいろいろある。ミカゲはそうね」
マルタは、両手の親指と人差し指で指鉄砲の形を作り、組み合わせてフレームのようにして、ミカゲを覗きこんだ。
お母さん、やりすぎ。
フロウの心の声は、勿論、誰にも届かなかった。
マルタは、顎に右手の指鉄砲を当てて、ミカゲに言った。
「ミカゲは、ギャップを生かしなさい」
「どういうこと?」
「普段は男の子っぽい、いつも通りのあなたでいい。それで、時々、女の子の自分を出すの。大事なのは、その時の女の子が魅力的であること。仕草、目線、言葉づかい。それに、今日のようなお化粧もそうだし、後は服装も。自分に何が似合うのかを知っておいて、効果的に使うのよ」
「うん。ちょっと分かった気がする。でも、女の子の仕草か」
マルタは、いきなりフロウのわき腹に指鉄砲を突き立てた。
「きゃあ!」
フロウは驚いて、悲鳴を上げた。
そんなフロウを置いたまま、マルタはミカゲにも同じことをした。
「うお!」
ミカゲは声を上げた。
マルタがすかさず言った。
「今の、女の子としての正解は、フロウの方よ。うお、じゃなくて、きゃあ、でいきましょう」
「無理」
「いいから、やんなさい」
マルタは、有無を言わさずミカゲのわき腹をつついた。
「きゃ、きゃあ」
幾分、わざとらしく言って、ミカゲはマルタを見た。
マルタはフロウに聞いた。
「フロウ、どうだった?」
「びっくり。可愛い」
ミカゲは驚いてフロウを見た。
フロウは頬を上気させて、ミカゲを見ていた。
フロウの言葉は、嘘じゃないと分かった。
フロウはしみじみと言った。
「ミカゲちゃん、恥じらいも込みで可愛い」
「そうね。これがギャップよ」
マルタが自信に満ちた顔で言い放った。
ミカゲは圧倒された。
そうなのか、これが正解なのか。
マルタは畳みかけた。
「普段は、いつものミカゲでいいから、ここぞという時に、弱弱しく、きゃあ、と言いなさい。さあ、これで武器を一つ持ったわね」
武器と聞いて、ミカゲはハッとした。
そうか、これは、戦なのか。
そうであれば、頑張れる。
ミカゲは変な方向に納得し始めた。
「頑張る。俺は、好きな人と両想いになりたいんだ」
「ミカゲ、よく言った。フロウ、あなたもちょっと見習って」
「はい。すみません」
「フロウは両想いじゃないの?」
「この子、初恋もまだなのよ」
「え!」
「お母さん!ダメよ、ばらしちゃ!」
フロウがあたふたと手を振った。
ミカゲは驚いた。
ちょっと変だけど、わりときれいだし、わりと人もいいし、結構年上なのに。
そんなものかと、ミカゲは妙に安心した。
「恋愛って、簡単じゃないんだね。俺の親、たぶん両想いじゃないからさ。俺は好きな人に好きになってもらいたい。憧れてんだ」
ミカゲの心身は緩み、抱えていたものが思わず漏れ出してしまった。
フロウとマルタとは、きっと今だけの一時的な関係で、いずれ見ず知らずの他人に戻るという気持ちも後押しした。
ミカゲの声のトーンが変わると、フロウもマルタも静かに耳を傾けた。
「父さんのほうが、母さんに惚れたんだ。父さんは望んだものを決して諦めないから、母さんは今も昔も、それに引きずられているんだと思う」
ソフィアが言っていた。
まことの黒の人間は、人を想う気持ちに苦しめられると。
まことの黒らしい特異な力を持たない父デンジであるが、人を愛する気持ちは深く鋭く、まことの黒としての特徴を有していた。
両親の想いの差に気づいた時、最初は、母親がかわいそうだとミカゲは感じた。
しかし、その後、自分が思うほどには思ってくれない、そんな相手を縛りつけずにはいられない父親もかわいそうだとミカゲは思った。
「どっちもそんなに幸せじゃないだろ?俺は、好きな人と幸せになりたい」
ミカゲは、不思議なくらい素直な気持ちで話していた。
マルタが微笑んで言った。
「いい顔してる」
「本当。私が男の子だったら、今のでミカゲちゃんを好きになると思う。ミカゲちゃんのお相手は、見る目がないのかな」
フロウは間接的に自分をけなしているのだが、勿論、気づいてはいない。
ミカゲは素直な気持ちのまま、二人に言った。
「俺、自分が女の子になれるような気がしてきた」
ミカゲは少しうつむいて、照れくさい気持ちを隠しながら、二人を見て言った。
「ありがとう」
フロウとマルタが一瞬止まった。
ミカゲは何事かと訝った。
フロウが口を開いた。
「可愛い」
マルタが頷いた。
「可愛いわね。これも武器にしましょう」
ミカゲは赤くなった。
一晩のうちに、何度可愛いと言われたことか。
マルタは鮮やかな笑顔で拳を握った。
「お迎えの人が来るまで、しばらくここにいるのよね。私に任せて。帰るころには、うふふ」
ミカゲはぞっとした。
ちょっとミカゲが身を引いたことに気づいて、フロウはフォローした。
「大丈夫だよ。お母さんはこう見えて、話せば分かる人だから」
マルタが指を鳴らした。
「さあ、次は何をしようかしら!」
「お母さん、ミカゲちゃん、疲れているから、今日はもう寝ようよ」
「ええ、つまんない。じゃあ、ほら、マッサージしてあげる!」
マルタが両手をミカゲの肩に乗せた。
ミカゲは、うおっと言いそうになり、ハッと気づいた。
「きゃ、きゃあ?」
「よくできました!ミカゲは飲み込みが速い」
マルタがケラケラと笑った。
女3人、キャアキャアと騒ぎながら、夜が更けていった。
やがて、ミカゲは疲れ果てて、何も考えずに眠りに落ちた。
フロウとマルタに挟まれた真ん中であったが、全然気にならなかった。
ミカゲは本当に久しぶりに気持ちよく眠った。
不思議な夜だった。




