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初恋

 5歳のミカゲは、シェイド以上に混乱していた。

 シェイドという本物が屋敷に来てから、ミカゲの生きる世界はひっくり返ってしまった。

 今まで信じてきたことが覆されたのだ。


 シェイドが現れる前、デンジはミカゲに言い続けた。



 ミカゲこそ、まことの黒を復興する先頭に立つ人間だ。



 デンジは、行方不明のシェイドを探す一方で、ミカゲを頂点とした一族の新たな結集を模索していたのだった。


 ミカゲの祖父デンデも、父デンジも、魔術の素質はほとんどなかった。

 デンデの兄ゴードンとその息子ダンテには、恐るべき魔術の才があった。まことの黒の直系を体現する二人を守るべく、デンデもデンジも武を磨きあげた。


 そうして捧げ尽くした直系を失ったとき、デンジは途方にくれた。

 シェイドが生きているなら、道は続く。

 だが、そうでないとき、己が必死に生きてきた道は意味を失う。

 ただの人として、違う道を生きるか。

 そんなことは、デンジのプライドが許さなかった。


 俺は、まことの黒。生き神たる力を継ぐ血筋を、俺が守るのだ。


 ミカゲには、魔術の素質があった。

 それは、ニア国ではよくある程度の力であった。

 しかし、ギルの例もある。

 血をつないでいくことで、まことの黒にしかあり得ない能力者が、いずれ必ず現れる。

 デンジはそう信じた。


 守るべき価値のある尊い血を継ぐミカゲ、お前はいずれ頂点に立つ。強くあれ。


 デンジはミカゲにそう言い聞かせた。


 デンジはミカゲを鍛えた。

 ともに山を登り野を駆け、川を泳いだ。

 暑さ、寒さにも耐えた。

 剣術と体術を行う時も、3才の時点から容赦はなかった。

 ミカゲは泣きながら食らいついた。

 デンジに期待されている。

 それがすべてだった。


 なのに、である。

 シェイドが現れた途端に、事情が変わった。


 お前は、まことの黒シェイドを守り生きるのだ。


 デンジは、ミカゲに与えていた役をあっさりと変えてしまった。

 主役だったはずのミカゲは、ただの代役に過ぎなかった。

 ミカゲはパニックに陥った。

 しかも、母親ルイまで言うのだ。


 よかったわね。これで、ミカゲはミカゲらしく生きられるのよ。


 何が、よかったものか。

 ミカゲの中で初めての反発心が大爆発した。


 絶対に認めない!まことの黒の頭首となるのは、俺だ!


 デンジは、ミカゲのパニックに一応の理解を示した。

 時が経てば理解できるはずだから、それまでシェイドの前には出るな。デンジにそう言われ、ミカゲは部屋に閉じこもることとなった。


 ミカゲの怒りは収まらなかった。

 その怒りは、生まれて初めて、恐ろしい父親デンジの言いつけに背かせた。

 こうして、ミカゲは、この混乱の元凶であるシェイドに、襲いかかったのだった。










 森の屋敷から更に森の奥に分け入った先に、大きな湖があった。

 静かな湖面は、周りの木々を見事に映しとっていた。

 小さな桟橋があり、3人乗りのボートが二つ、係留されていた。


 シェイドはソフィアに誘われ、初めて湖を訪れた。

 アオウミの森と、フロウ、ミカエルを思い出してしまうのは、仕方のないことだった。

 しかし、シェイドには物思いにふけっている暇などなかった。



「覚悟しろ!」



 ボートに乗ろうとソフィアと話していた時、シェイドは小さな黒い塊に襲われた。

 それはシェイドの背中に思い切り体当たりしてきた。

 シェイドは危うく湖に落ちそうになり、必死に足を踏ん張った。

 更にぐいぐい押してくる背中の塊に、シェイドは手を伸ばした。


「落ちるからやめろ、ミカゲ」

「うるさい!お前なんか、落ちて死んでしまえ!」

「ミカゲ、何です。その口のきき方は」


 シェイドはミカゲを力づくで引っぺがし、持ち上げた。


「お前、軽いな」

「うるさい!下ろせ!殺すぞ!」

「ミカゲ、口が悪いですよ」


 シェイドに持ちあげられジタバタするミカゲは、口を開くたびにソフィアに注意されるという憂き目に合った。

 シェイドはミカゲを草むらに下ろした。

 ミカゲはシェイドを睨んで、ポケットから折り畳みナイフを取り出した。

 シェイドは眉をひそめ、すかさずミカゲの頭にげんこつを落とした。


「あいた!てめえ!何しやがる!」

「ばか。刃物は禁止だって言っただろ?怪我したらどうする」

「ミカゲ、没収です」


 ソフィアが手を出すと、涙目のミカゲは、しぶしぶ折り畳みナイフを手渡した。




 ミカゲが最初にシェイドを襲ってから1週間経った。

 ミカゲとデンジの話がどうなったのか、シェイドにはよく分からないが、あの日以来、ミカゲは大っぴらにシェイドに襲いかかるようになった。

 最初にあった鬼気迫る殺気は、もはやなかった。

 ミカゲは自覚できていない様子だったが、誰から見ても、構ってほしくてシェイドにちょっかいをかけている状況だった。


 シェイドは、素手で来るようにとだけ伝え、ミカゲを受け入れた。


 シェイドの中には、アニヤの影があった。

 アニヤが、シェイドの滅茶苦茶な部分を引き受けてくれたから、今の自分がいる。シェイドはそう理解していた。

 アニヤがしてくれたように、自分もミカゲにしてやろうと思ったのだが、年少の者の相手をすることは、やってみると大変手間なことであった。

 シェイドは、アニヤへの尊敬を新たにしたのだった。





 シェイドはボートを桟橋につないでいるロープを外しながら、ミカゲに尋ねた。


「ミカゲも行く?」

「行かねえよ!」


 ミカゲは草むらであぐらをかき、プイッと横を向いた。

 シェイドは、準備のできたボートに足をかけた。


「ソフィア」

「あら」


 シェイドが手を差し伸べると、ソフィアはうれしそうに微笑んで、その手をとった。

 ソフィアがボートに座ると、シェイドはもう一度呼んだ。


「ミカゲ」


 ミカゲは座って、顔を背けたままだった。

 シェイドは小さくため息をついた。

 ボートに置いてあったゴム張りの手袋を、シェイドは拾い上げた。そして、手袋の片方をくるくる丸め、おもむろにミカゲに投げつけた。ミカゲの後頭部に当たった。


「いて!何しやがる!」


 ミカゲが顔を赤くして、怒って振り返った。


「それ拾って、持ってきて」


 シェイドが指さした先の手袋を見て、ミカゲはいきり立った。


「こんなもん、人に投げやがって!」


 ミカゲは手袋を拾い、明後日の方へ投げた。

 そして、つかつかとシェイドに歩み寄り、真っ赤な顔で殴りかかった。

 シェイドは易々とその腕をつかんで、ミカゲをボートに乗せた。


「何を!」

「暴れるなよ。ソフィアも沈むぞ」

「え」

「交代でボート漕げよ」


 シェイドもボートに乗り込み、両手でオールを握った。

 ミカゲが文句を言う間もなく、ボートは湖を進み始めた。

 ミカゲはふてくされた表情を作って横を向いたが、シェイドにもソフィアにも、隠し切れないうれしさが見えていた。

 ソフィアは、その微笑ましさに目を細めた。





 ボートは静かな湖面を割って、滑らかに進んだ。

 遠くに島が見えていた。そこを目指すようにソフィアが言った。


 シェイドはボートを漕ぎ、ミカゲはオールの動きや水のうねりを興味津々で見ていた。

 ソフィアが、そんな二人を見ながら口を開いた。


「シェイドのおじいさん、ゴードンの初恋の話をしましょうか」


 シェイドとミカゲは、キョトンとしてソフィアを見た。

 それから、ミカゲの顔がみるみる赤くなった。


「別に聞きたくない!」


 ミカゲの顔には、恥ずかしい、と分かりやすく書いてあった。

 火照る顔を見られるのも嫌がり、ミカゲはボートの中で、突如、立ち上がった。

 ボートが横揺れし、ミカゲの体がぐらついた。


「ばか」


 シェイドがオールから手を離して、ミカゲの体を抱え込んで座り直した。


「わあっ!」

「騒ぐな。落ちるだろ」


 ミカゲは、後ろからがっしりと腕を回された状態で、シェイドの膝に座ることとなった。

 ミカゲは何度かまばたきをし、その後、おとなしくなった。

 何しろ人の膝の上は、居心地が良かった。


「ソフィア、俺は聞きたい」


 シェイドの声が、体越しに聞こえてきた。

 ミカゲは、抱き込まれて心地よいので、黙っていることにした。

 ソフィアが、微笑んで頷いた。


「ゴードンのお父さんとお母さんは、流行り病のために、若くして命を落とした。祖父母も間もなく亡くなった。ゴードンは、とても寂しくて不安な子ども時代を過ごしたの」

「一族の他の人がいるのに?」


 ミカゲが思わず尋ねた。

 ソフィアは頷いた。


「大きな魔術の力を持つのはゴードンだけ。周りの皆は、好きなことを勝手に言うのよ。両親の分も必死に頑張れ。俺の指示に従え。いやいや、あいつの話は聞くな。正しいことを言っているのは私だ。それより早く子どもを作れ」


 ミカゲの体がビクッと動いた。

 シェイドは危なげなくミカゲを抱え続けた。ボートがわずかに揺れた。

 ソフィアは少し陰りのある表情をした。


「ゴードンはもともと気性が荒く好戦的な人だったから、我慢せず言い返したり逆らったりしていたけれど、それはそれで期待されてしまうのよ。その調子、その強さであの国を従わせましょう、あの敵をつぶしましょうとね」


 ソフィアは片手を頬に添えて、頬杖をつくような仕草をして続けた。


「弟のデンデは一族に馴染んで、ゴードンを支える戦士として己の道を定めていた。でも、そのまことの黒の看板を背負うゴードンは、10代後半にはすっかりひねくれてしまっていた。ゴードンの力を使って自分たちが得する事ばかり考える一族の傲慢、歴史と力を継ぐ責任を負えと迫る身勝手、ゴードンにはそうとしか思えなくなっていた」


 ミカゲは、理解しきれないながら、デンジから聞く話とのギャップに不安をおぼえ、思わずシェイドの顔を見上げた。

 シェイドがいつもと同じ顔をしていたので、ミカゲも普通の顔をすることにした。

 ミカゲが前を向き直すと、ソフィアは再び話し始めた。


「ゴードンは、信頼できる人を一族の中に見つけそびれた。孤独がこじれて、破壊衝動を抑えられなくなった。そして、思った。こんな危うい自分がこの世にいてはならない。こんな危険な力、この世にあってはならない。この力に群がる汚い利己主義を引き連れて、滅びてやろう。俺が、すべてを壊してやろう、と」


 ミカゲは、自分でも気付かないうちに、シェイドの腕をギュッとつかんでいた。

 ソフィアは続けた。


「ゴードンは無茶をして、敵を増やした。争いが起き、たくさんの命が失われた。死と憎しみが満ちた。それを目の当たりにすると、余計に止まれなかった。まことの黒の名を連れて、何もかもを巻き込み、滅び去ってすべてを終わらせる。それ以外に道は見えなかった」


 そこで、ソフィアは少し表情を変えた。

 何だか少し困ったような表情にもシェイドには見えた。


「そんなゴードンと私が出会った」


 ソフィアは小さく笑ったようだった。


「初恋ですって」


 ふいうちに、ミカゲの頬が赤くなった。

 そうだ、これは初恋の話だった。

 気恥ずかしさに、ミカゲはもぞもぞ動いたが、シェイドの腕の中から出ることはしなかった。

 ソフィアはやはり困ったような表情で言った。


「もともと、人を求める血筋ですからね。初恋に混乱した揚句、私は理不尽に怒られたものよ。何で今、俺の前に現れたんだ、とか、俺の気持ちをかき回すな、とか。知らないわよって私も怒って、まあよくケンカしたわね」


 再びソフィアの表情に陰りが落ちた。


「事情を知れば、ゴードンの葛藤の深さが分かるのだけれど。終わらせようとして、周りを巻き込んで突き進んでいるはずなのに、ゴードンは、私を求めることをやめられなかった。まことの黒が人を思う強さは激しいものだから、ゴードンの心は引き裂かれた。葛藤のうちに、まことの黒を引き継ぐ子を成した」

「俺の父さん」


 シェイドの口からぽつりとこぼれた。

 ソフィアは頷いた。


「ゴードンと私の間に、ダンテが生まれた。ゴードンは葛藤の中で命を落とし、その後始末に追われたダンテもその妻ラナも、いまや帰らぬ人となった」


 ソフィアは美しい湖面に目を向けた。

 それから、シェイドとミカゲに視線を戻した。


「私には何もできなかった。あなたたちはこれからを生きる。まことの黒が命を吹き返すことが正しいのかどうか、私には分からない。でも、あなたたちは、まことの黒という血から逃げることはできない。どう生きていくか」


 ソフィアはオールを指差し、話が終わることを知らせた。

 シェイドは、ミカゲを膝から下ろし、オールを構えた。

 ミカゲは不満そうにシェイドを見た。


「二人には、幸せに生きてほしい」


 ソフィアがそう言うのと同時に、ボートは動き出した。

 シェイドはぼんやりとしながら、半ば無意識にボートを漕いだ。

 ソフィアは、シェイドにもミカゲにも、少しずつたくさんのことを知らせ、何か感じ取らせようとしている。シェイドは整理しきれない頭の中で、そう思った。

 やがてボートは、湖の中にある島に行き着いた。






 島にも小さな桟橋があり、シェイドはそこにボートを寄せた。

 シェイドは立ち上がり、ボートから降りた。


 急に何を思ったのか、ミカゲがシェイドに飛びついて来た。


「おい!」


 シェイドは対処しきれず、ついついミカゲを投げ飛ばしてしまった。


「わっ!」


 ミカゲは湖にドボンと落ちた。


「あらまあ」


 ソフィアの声はのんびりしたものだった。

 ミカゲはすぐに湖面に顔を出した。シェイドは慌てて手を差し伸べた。


「お前、場所を考えろ」

「うるさい!てめえが落ちるはずだったのに!」


 差し出した手にしがみついてくるミカゲを、シェイドは軽々と引き上げた。

 ミカゲはずぶぬれで、桟橋に両手をついた。

 ミカゲはミカゲで、聞いた話を消化しきれず、もやもやをシェイドにぶつけた結果がこれだった。

 シェイドは呆れ顔でミカゲを見た。


「ばかだなあ。ほら、風邪ひくぞ。脱げ」


 シェイドはせめて、服を絞って水分を抜いてやろうと、ミカゲの服に手をかけた。

 ミカゲはふてくされながら、されるがままに応じようとした。


「だめ。いい加減にしなさい、ミカゲ」


 ソフィアが強い声で言った。

 思いがけないその声音に、ミカゲだけではなく、シェイドもソフィアの顔をパッと見た。






「女の子でしょ」






 めっ、と咎めるようなソフィアの口調に、ミカゲは気まずい顔でそっぽを向いた。

 シェイドは眉をひそめた。


「誰が」


 シェイドの口から出た言葉を聞いて、ミカゲは赤くなった。

 シェイドの目が丸くなった。


「女の子」


 シェイドはそう言って絶句した。

 ミカゲは、湯気がでそうなほど真っ赤になった。

 シェイドはそれを見て、すぐさま言った。


「ごめん」


 シェイドの様子に、まったくバカにするようなニュアンスがなかったため、ミカゲはハッとした。

 シェイドは、ミカゲにも事情があることを瞬時に察したのだった。

 確たる理解ではないが、どうやら、まことの黒の人間は、多くの他者の思惑を背負って生きざるを得ない状況に置かれるようだ、と感じ始めていた。


 ミカゲもその一人だ。


 シェイドは、ミカゲが恥じることに触れず、そのプライドを守ろうとした。

 ミカゲは訳も分からず、泣きたくなった。

 知られるわけにはいかないので、シェイドの腹に抱きついた。


「おい」

「お前なんか、濡れてしまえ」


 ミカゲは、シェイドの腹にゴリゴリと頭を押し付けた。

 シェイドの服もびしょ濡れになった。

 シェイドはミカゲを引きはがすことはしなかった。


 ソフィアは軽やかに一人で桟橋に立った。


「奥に小屋があるから、そこで休みましょう」


 ソフィアを先頭に、腹にミカゲを巻き付けたまま、シェイドは移動した。





 やがて到着した小屋で、シェイドはソフィアから、封印された古い本を受け取った。

 まことの黒直系にのみ引き継がれる書であると言われた。

 シェイドが見つからなければ、そのまま朽ち果てていたはずのものであった。

 厚みのある古い本だった。

 不思議なことに、ページを開けなかった。


 まじない歌の力によって、シェイドの黒い力は覆われている。その効力がなくなり、シェイドが黒い力を自分のものにした時、そのページは開くだろうとソフィアは言った。


 ミカゲはシェイドの腹に抱きついたまま、黙ってその様子を見ていた。

 デンジに報告しなければならなかった。

 シェイドが現れたことで、ミカゲには新しい役割がすでに与えられていた。



 シェイドの様子を報告せよ。

 直系たるシェイドを守り、盾となれ。

 いずれ、シェイドとの間に子を成せ。



 ミカゲはいまだ、混乱のまっただ中にあった。

 性別を捨て男として生きるべし、そう言われ続けてきたのに、それも含めて急に方向転換されてしまったのだ。

 どうしていいか分からないので、シェイドを襲い続けた。


 共に過ごしてみると、シェイドはミカゲにとってまぶしい存在だった。

 短期間のうちに、シェイドのようになりたいと思うまでになった。

 しかし、ミカゲはもはや男の子ではなかった。



 ミカゲは、この時はただ、シェイドの腹にきつくしがみつくことしかできなかった。













 出会ってから8年間、シェイドとミカゲは長い時間を共に過ごした。



 二人揃って、しばしばデンジにしごかれた。

 デンジが露骨にうれしそうにするので、ミカゲは少し癪だった。しかし、ミカゲにとっても、つらいだけだった父のしごきが、シェイドがいるだけで楽しいと感じられるように変わった。1人よりずっと良かった。




 また、シェイドがニア国を出て3カ月経つ頃、ギルが死んだという知らせがあった。

 ソフィアは黙とうを捧げ、ギルの冥福を祈ってから、シェイドとミカゲに言った。


 ギルは、本当に変わった男だった。

 まことの黒としての特徴を色濃く備えた人間であったにも関わらず、愛する人を手離すことができた。

 まことの黒の伴侶となる人は、その葛藤と闘争に否応なしに巻き込まれる。

 分かっていても、まことの黒の人間は、愛する人を手離すことができない。

 ギルは、一つの愛し方の可能性を示した、特別な存在だったのかもしれない。


 シェイドは、思わずソフィアに尋ねた。


「ソフィアはゴードンに愛されて、一緒にいて、もしかして不幸だった?」

「私もゴードンを愛した。でも、苦しかった。理解できない最初も苦しかったし、訳が分かった後も苦しかった。とはいえ、ギルとシメーヌもきっと苦しんだことでしょう。幸か不幸かは、簡単には言えないわね」


 シェイドは、ニア国にいる金庫バアの心の安寧を祈った。





 時折、キングがやって来た。

 そして、他国にいる一族の元へ、シェイドを連れていった。

 勿論、ミカゲもついて回った。

 いくつもの国を回り、何ヵ月も滞在した。



 概ねシェイドたちは歓迎された。

 デンジのように、まことの黒が返り咲くことを願う者たちも多かった。

 しかし、逆に、これ以上波風を立ててほしくないと話す者たちも少なからずいた。



 二人は魔術の使い方を学んだ。

 魔術の使い方に長じた一族の男が、丁寧に教え込んだ。

 シェイドは、自ら自分の力を隠すことができるようになった。

 まじない歌の効力は成長とともになくなってしまったが、問題はなかった。

 ミカゲも、ずいぶん魔術が上手になった。


 シェイドがまことの黒たる力を使えるようになると、ソフィアから渡された書の封印が解けた。

 シェイドは、古い本を開いた。

 恐るべき強大な魔術が、たくさん書き記されていた。

 後半のページは白かった。

 書き込まれている最後の魔術は、なんと、シェイドがミカエルと混ざり合った時の魔術だった。

 どうやら、強大な魔術を使うと、自動的に書き込まれる仕組みのようであった。

 この本自体がとんでもない代物だとシェイドは思った。




 また、カロナギ国の森は、一族が長い時間をかけて目くらましを施した、隠れ家の中でも特別に安全な場所だったことが、後で分かった。

 森を出ると、シェイドたちは多くの刺客に襲われた。特に、シェイドがまだ自力で黒い力を隠すことができず、まじない歌の効力が弱まった時期は酷かった。


 生き延びはしたが、そのために相手を返り討ちにすることに、なかなかシェイドは慣れることができなかった。

 デンジに甘いと言われても、なるべく命までは取らないように気を付けた。

 それは、相手を殺してしまうより、大変なことであった。

 生け捕りにできる技を持つだけではなく、捕虜を囲う財も必要だった。

 キングとソフィアが手助けをした。







 こうして、シェイドは18歳になり、ミカゲは13歳になった。


「シェイド、何してんの?」


 ミカゲは森の屋敷の書庫で、イスに座って本を読むシェイドを見つけた。

 ミカゲはシェイドに駆け寄り、正面から膝の上に乗った。

 シェイドは本を持った手で、ミカゲの顔を押し返した。


「ミカゲ、そういうことする年じゃないだろ」

「押すなよ。何これ、何を読んでるの」


 ミカゲはシェイドの制止を聞かず、シェイドの膝に跨ったまま、本を覗きこんだ。


「また、ニア国の本かよ」

「人が読んでる本まで、いちいちチェックするな」

「知らないと気が済まない。好きだよ、シェイド」


 ミカゲはさらりとシェイドに言った。

 シェイドはため息をついた。




 それは、周囲から見て必然とも言える結果だった。

 ミカゲはどこでもシェイドについて歩いた。

 強く美しく成長していくシェイドにあやされ、守られ、時には強く叱られ、ミカゲはすっかりシェイドに頼りきった。

 憧れと依存は、ある時期から恋に変わった。

 ミカゲは気持ちを隠さなかった。

 何しろ父デンジは、シェイドの子どもを生めと言っている。いわば公認である。


 それでも、ミカゲはなかなか女の子らしくはなれなかった。

 5歳までは男の子として生きてきたし、その後はシェイドに憧れて、同じように立ち振る舞った。

 10歳には恋を自覚したものの、だからと言ってどうしていいか分からなかった。

 華奢なミカゲは、小柄な少年のようだった。


 シェイドをつぶさに観察し続けているミカゲは、シェイドが栗色の髪の女を目で追う傾向があることに気づいていた。

 ミカゲの髪は真っ黒だった。

 早速、染めてみた。

 こげ茶色に染まった髪を見て、デンジは、まことの黒として恥ずかしくないのかと怒ったが、ミカゲは無視した。

 きれいな栗色にはならなかったし、シェイドの反応も微妙であったが、ミカゲは染め続けることにした。





 好きだと言ってくるミカゲに対し、シェイドも率直に言った。


「俺には心に決めた人がいると言っている」

「会わせろよ。殺してやる」

「ばかなこと言うな」


 シェイドは、本をミカゲに持たせたまま、軽々と持ち上げ膝から下ろし、立ち上がった。

 ミカゲは背の高いシェイドを見上げて言った。


「どこ行くんだよ」

「ソフィアの様子見てくる。具合悪そうだから」


 ミカゲは、このところ、自分から距離を取ろうとしているシェイドに対し、ひどくいら立っていた。

 今もミカゲから目を逸らし、逃げようとしている。

 近づこうとするほど遠ざかるシェイドに、ミカゲはとうとう癇癪を起こした。


 ミカゲは持っていた本を床に叩きつけた。

 大きな音に、立ち去りかけていたシェイドが振り向いた。


「ふざけんなよ!ニア国だろ?知ってんだぞ!その女、絶対殺してやる!人の気持ちを甘く見るな!」


 目を丸くしたシェイドが何か反応する間もなく、ミカゲはシェイドの脇をすり抜け、書庫のドアから外に飛び出していった。




 シェイドを観察し続けたミカゲは、シェイドが他に対しては見せない、情感のこもった表情をする時を知っていた。

 多くがニア国に関わる情報に接している時だった。


 シェイドは、ミカゲの気配に対して無防備なところがあった。

 その分、シェイドの思いつめた表情を、ミカゲだけが見ることができた。


 シェイドが繰り返し見ている本を、ミカゲは知っていた。

 最も反応しているページまで、分かっていた。


 ニア国トウトのミドリ地区にある、アオウミの森の写真が載っているページだった。


 その本のページを見るときも、好きな女がいると話すときも、シェイドは急に遠い存在になった。

 ミカゲは、そのシェイドに手を伸ばそうともがいていた。

 確かにシェイドは、ミカゲの気持ちを見積り損なったのかもしれない。

 ミカゲは皆が思う以上に、パンク寸前だったのだ。


 ミカゲは少年のような姿の中に、思春期の女の子らしい心を宿していた。それは、ひどくアンバランスで、危うい激しさを秘めていた。




 ミカゲは生まれて初めて、たった一人で屋敷を飛び出した。

 シェイドがひたむきに思う女を、見に行ってやろうと思った。

 それで何が起こるかなど、知ったことではなかった。

 殺してしまうだろうか。

 そうしたら、シェイドに自分が殺されるだろうか。

 その前に、まことの黒を狙う誰かに、やられてしまうかもしれない。

 そうなれば、シェイドはミカゲを思って泣くだろうか。


 ミカゲの考えていることも、やっていることも、滅茶苦茶だった。

 自覚はあるようで、ないも同然だった。

 一人は心細かった。

 それでも、ミカゲは単身、ニア国へ向かった。





 ミカゲは、初恋の小さな狂気の中にいたのだった。

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