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理想と現実

 カロナギ国の森の奥にある小さな屋敷に、シェイドの祖母ソフィアは、隠れ住んでいた。

 敵の多かった祖父ゴードンがこの世を去ってからも、その妻であったソフィアは命を狙われ続けた。そのため、身を隠す必要があったのだ。


 ゴードンの弟デンデは、まことの黒の頭首たる兄を守り、ゴードンよりも先に命を落としていた。その一人息子であるデンジは、父の遺志を継ぎ、ゴードンに仕えた。そして、ゴードン亡き後は、次の頭首となったその息子ダンテを守ることに命をかけた。

 しかし、ダンテも討ち取られ、一族は散り散りになった。


 ダンテの息子シェイドは、ダンテの妻ラナが連れて逃げた。

 その時デンジは、ソフィアをカロナギ国へ逃がした。


 以来、ソフィアはずっとデンジ夫婦に匿われてきたのだった。







 森の屋敷には小さいながら、大広間があった。

 本来であれば、ダンスフロアにでもなったのだろうが、この屋敷では違っていた。


「せい!」


 ソフィアの持つ細い木剣が、素早い動きでシェイドに迫ってきた。

 シェイドは両手に持った木剣を動かし、何とかソフィアの木剣を受けた。

 すぐさま、ソフィアの次の手が来た。

 シェイドは不格好ながら、見事に受け止めた。


 ソフィアはシェイドが体勢を崩した隙を見逃さず、更に鋭く斬り込んできた。

 シェイドは勘を頼りに木剣を振り抜き、ソフィアの木剣を弾き返した。

 そして、素早く距離を取り直し、ソフィアが追いつく前に木剣を構えなおした。


 ソフィアは木剣を下ろし、呆れた声で言った。


「力も強いし、とても素早い。型は滅茶苦茶だけど、私の剣を防いでしまう。あなたとはケンカしたくないわ」


 シェイドは、息を切らしながら額の汗を手で拭った。


「おば、あさんは、ずっと剣を習っていたのですか」

「おばあさんと呼びにくいなら、ソフィアでいいのよ」


 シェイドは気恥ずかしい思いで、ぺこりと頷いた。

 ソフィアが楽しげに笑った。




 シェイドがこの屋敷に来て、3日めのことだった。


 昨日までは、とにかく体を休めるようにとソフィアに言われ、そうした。確かに、心身ともに疲れきっていた。

 シェイドは、屋敷の2階の角にある部屋を与えられた。

 生まれて初めての一人部屋だった。

 タタやカラカラと暮らしてきた3人部屋よりも、少しだけ広かった。

 ベッド、洋服ダンス、姿見、机とイス。すべてシンプルなデザインで、余計なものはなく、居心地がよかった。

 シェイドは、タタとカラカラを思いながら眠った。


 最初の2日間は、屋敷を案内され、ソフィアやデンジ夫婦と食事をとり、折々話をする中で過ぎた。

 キングは初日のうちに、また来るとだけ言って、風のように去って行った。


 食事を作ったり、掃除や洗濯をしたりする使用人が4人いることも知った。初日に挨拶を済ませた。

 その他に、この屋敷には、デンジ夫婦の子どもがいるとキングは言っていたのだが、まだ紹介もされず、姿も見えなかった。

 ソフィアに尋ねると、デンジにも考えがあるから、と語尾を濁した。

 聞かない方がいいのかと、シェイドはそれ以上、追及しなかった。




 ソフィアは、シェイドに今までどのように生きてきたのかを聞いた。

 この家には、食事を始め、堅苦しいマナーがなかった。

 食事やお茶の席で、問われるままにシェイドは話をした。


 ソフィアは時には涙を拭きながら、時には笑い声を上げながら、シェイドの生きてきた日々を聞き取っていった。

 シェイドはただソフィアが耳を傾けてくれるだけで、何もかもが報われる思いがした。


 デンジの聞き方は、ソフィアとは違っていた。

 デンジが最も反応を示したのは、四ツ辻の肉屋との戦いのくだりであった。

 シェイドに起きた不可思議な現象を話すと、デンジは身を乗り出して言った。


「素晴らしい!これぞまさに、まことの黒の真髄。余人をもって代えがたい、まことの黒直系のみに宿る神なる力!」


 デンジの興奮は、デンジを別人のように変えた。

 普段のデンジは、真面目なおじさんにしか見えなかった。しかし、ひと度スイッチが入ると、その目には恐るべき狂気と闘気がみなぎった。近寄りがたい戦士の様相を呈し、デンジが死線を越えてきた人なのだということを、シェイドに知らしめた。


 シェイドは、自分の身に起きた出来事を、正直に話すことしかできなかった。

 話せば話すほどデンジの興奮は、度を越していった。

 ソフィアは、シェイドは来たばかりなのだから、と何度かデンジをたしなめた。

 シェイドは、そんなデンジをどう理解してよいのか、いまだ計りかねていた。




 シェイドが屋敷を訪れて3日めになる朝食の席。ソフィアがシェイドを誘った。


「剣の手合わせをしてみない?」


 そして、シェイドは不慣れな手つきで木剣を握ることになったのだった。



 大広間で最初の手合わせを終えて、ソフィアは壁際に置いたイスに座った。

 シェイドも従った。

 昨日まで、何かとついて歩いたデンジはおらず、シェイドとソフィアの二人だけだった。

 シェイドは呼吸がしやすいように感じた。


 この大広間も、屋敷全体と同じく質素な造りをしていて、シェイドを気後れさせなかった。

 飾り気のない壁紙、板張りのフロア、がっしりとした窓枠。

 そして、数個のテーブルとイスが、壁際に並べるでもなく置かれていた。

 広くスペースのとられた部屋の中央の床には、凹みや傷がいくつも見えた。

 この大広間は、剣の訓練にばかり使われているのだろうと、シェイドは察した。



 今日のソフィアは、白いシャツに深緑色のパンツスタイルだった。

 木剣を振るう姿は年を感じさせなかった。


「私は昔、この国の魔術剣士だった」


 シェイドはそれを聞いて、幾重にも驚いた。そのうちの一つが、口をついて出た。


「ソフィアは、カロナギ国の人だったの?」

「そうよ。まことの黒は、いくつかの国に隠れ家を持っているけど、ここはその内の1つ。私の故国でもあるから、私には馴染むけれど、シェイドにはどうなのかしらね」


 ソフィアは立ち上がり、少し離れた所にあるテーブルの上の水差しを手に取り、コップに水を注いだ。

 ソフィアはコップを2つ持ち、1つをシェイドに差し出した。

 シェイドは水を飲んで、ソフィアを見た。

 ソフィアは話を続けた。


「カロナギ国は、長い間、戦争をせずに済んでいる。だから、剣士といっても、実戦経験はほとんどない。むしろ、そうであることが誇りでもあるのだけれど」


 ソフィアはコップの水を少し飲んだ。


「まことの黒ゴードンと結ばれたおかげで、私はその誇りとお別れして、戦うことになってしまった」


 ソフィアはコップをテーブルに戻すと、壁際に立てかけて置いた木剣を左手で取った。

 そして、ソフィアの右手人差し指が、木剣に何かを書き込むように動いた。


 シェイドが目を見張る中、ソフィアは木剣を両手で握り込み、フロアで舞い始めた。

 ソフィアの動きに合わせ、木剣は美しい軌道を描いた。

 最後に素早さを増した木剣は、床に突き立てられた。

 ソフィアが手を離しても、木剣は自立した。


「今、この剣は、真剣と同じ硬度を持つ。私が使える魔術はこの程度。魔術が使える剣士を魔術剣士と呼ぶけれど、カロナギ国の魔術のほとんどは、この水準なのよ」

「お見事でした」

「あら、うれしい。でも、今の話だけでも、ニア国の魔術の水準の高さが分かるでしょう。まして、まことの黒の直系が使う魔術は、桁外れとしか言いようがない」


 ソフィアは木剣を引き抜き、シェイドの隣のイスに戻ってきた。

 ソフィアはシェイドをまっすぐに見て尋ねた。


「シェイド、強大な力を持つ人間は、どんなふうに生きると思う?」

「思うままに生きられるのではないのでしょうか。自分のことも、自分が大事に思うものも、しっかりと守ることができる。どんな理不尽にも負けず、敵を打ち倒すことができる」


 それは、幼い頃からシェイドが思ってきたことだった。

 ずっと、力が欲しかった。

 痛い思いをして悔しさに歯噛みする度に、シェイドは、もっともっと力が欲しいと願ってきたのだ。


 ソフィアは優しい目でシェイドを見た。


「そうね。そういう一面もあるでしょうね。でも、人並み外れた力を持つことには、負の部分、影がある」

「ありますか」

「あります。それは、孤独です。大きな力を持てば持つほど、人は孤独になるのです」


 さらりと伝えられたが、シェイドには理解できなかった。

 ソフィアの言い方は確信に満ちていた。

 シェイドは不満だった。自分には大きな力があると知らされ、それを手にするためにここに来た。自由に生きていける、そんな未来しか思い描いてはいなかったのだ。


 ソフィアは続けた。


「力を持つ人が、自分と大切な仲間を守る。そこまではいい。そのうち、仲間にとって大切な人も守らなければならなくなる。やがて、力を持つ人に、助けてほしい人々が寄ってくる。見捨てる?もし、そうした時、仲間はその行為をどう受け取るかしら?力があるのに、なぜそれを使わないのかと責められる。気がつくと守るべき人や物は、一人の手に余るほど膨れ上がっている。いつまで、どこまで、誰を、何を守り続ける?力を持つ人は、たくさんの人の思いを背負い過ぎて、自分が本来、望んでいたことも分からなくなる」


 シェイドはショックを受けた。

 思ってもみない話だった。

 ソフィアは、そんなシェイドを見て頷いた。


「これからのあなたの話でもあるし、あなたのお父さんやおじいさんの話でもある。あなたのおじいさん、私の夫ゴードンは、一人の人間が驚異的な力を抱える、その苦しみを終わらせようとした人だった。まことの黒の名を連れて、滅びようとした人だった」


 シェイドの頭に、ギルの言葉が甦った。



 先々代は気性が荒く、多くの敵を作った。結果として、まことの黒は、方々から攻撃されるようになった。憎しみの連鎖が起こり、戦争状態に至った。



 シェイドは混乱した。

 ソフィアはその戸惑いを受けて、苦笑いをした。


「少しずつ、知っていけばいい。そして、自分で考えるのよ。さあ、もう一度、剣を持って。軽く打ち合いをしましょう」


 ソフィアは、シェイドに、剣の持ち方や振り方、足の運び方を簡単に指示した。

 そうして、シェイドが上段から打ち込む剣を受けながら、ソフィアは一歩ずつ下がった。

 フロアの端まで行くと、今度はソフィアが打ち込み、シェイドが受けながら後退した。


 カンカンという、小気味良い音が響いた。

 シェイドは、そのリズムの中で、次第に無理なく木剣を振るえるようになっていった。


 その様子を見て、ソフィアは打ち込みをしながら再び話し始めた。


「まことの黒には、その血筋に特徴的に現れる性質がある。強い力を持つ直系に特に顕著なのだけれど」


 フロアの端に着き、丁度折り返した。

 今度は、シェイドが打ち込んでくる剣を受けながら、ソフィアは話した。


「人1人の身に強大な力を抱える分、まことの黒は不安定な破壊衝動と、大きな孤独にさいなまれる。そのせいなのかしら。まことの黒は、信頼できる他者を求め、それによって己を保つ。まことの黒は、ひとたび信頼した他者への思い入れが、通常より遥かに強い」


 シェイドは話の行く末に眉をひそめた。

 ソフィアは淡々と続けた。


「おぼえておいてほしいの。まことの黒であるあなたが思うのと同じくらい、相手もあなたを思うとは限らないということを」


 シェイドの手が思わず止まった。

 ソフィアはシェイドの木剣をなぎ払った。

 シェイドの手から木剣が飛んだ。

 ソフィアは木剣の切っ先を、シェイドに突き付けた。




「あなたが思うほど、相手はあなたを思っていない」




 ソフィアの目は優しかった。

 シェイドは息をのんだ。

 ソフィアは木剣を手元に引いた。


「覚悟しなさい。そして、相手を恨まないように。すでに出会った大切な人たち。あなたは今と同じ強さで大切に思い続けるでしょう。でも、相手はきっとあなたへの思いを忘れる。あなたは思い出になる」

「そんな」

「ひどいことを言ってごめんなさい。まことの黒は、人を想うことにも苦しめられる。おじいさんを理解するためにも知っておいてほしいことだし、シェイドに愛する人ができた時のためにも知っておかなければいけないことだから」


 シェイドの脳裏にフロウが浮かんだ。

 シェイドは青ざめ、拳を強く握った。

 ソフィアはシェイドの変化を見逃さなかった。


「まさか、いるの?」


 指摘されてシェイドの頬が赤くなった。

 ソフィアは目を見張った。


「もう、愛する人がいるのね」


 ソフィアは複雑な表情をした。

 シェイドはその表情を見て、また、これまでの流れからも、話の行きつく先を悟った。

 強い力を手に入れることは、厄介事から解放されることにはつながらない。むしろ面倒も増える。愛する人がいても、単純に祝福してはもらえないし、簡単に幸福になれそうにもない。


 なんだそれ。


 さすがにシェイドはカチンときた。

 これは、今後も苦労しますよ、という話に他ならない。

 今までだって、ずいぶん苦労してきたのに。ソフィアだって、それは知っているはずだ。

 しかも、愛する人がいるという話に、そんな顔しなくてもいいじゃないか。


 抗議したい気持ちがムクムクと湧き上がり、シェイドは声を上げかけた。





 ドドドという、激しい音が突然鳴り響いた。

 音と共に大広間の扉が開き、弾丸のように何か黒いものが、飛び込んできた。


 シェイドはドアに背を向けていたため、視認が遅れた。

 しかし、発達した感覚が、明確な殺気をとらえた。


「シェイド!」


 ソフィアの悲鳴のような声が聞こえた。


 シェイドは、直感的に横に飛びのいた。

 シェイドがいた場所に、小さな剣が振り下ろされた。


 シェイドは素早くフロアを駆け抜け、相手から距離を取った。

 ソフィアになぎ払われた木剣を拾って構え、初めて相手を見た。

 シェイドは驚いた。


 それは、小さな子どもだった。

 ボサボサの黒髪の下から、激しい憎しみを乗せて、シェイドを睨んでいた。

 歯を食いしばり、剣を構える様子は、いっぱしの戦士の気迫を備えていた。


「よしなさい、ミカゲ!」


 ソフィアが強い声で言った。


「皆、こいつに騙されてんだ!こんな奴、まことの黒じゃない!偽物だ!」


 ミカゲはソフィアに怒鳴り返した。

 シェイドは、事態を理解はできなかったが、自分を狙う相手が本気であることは分かった。

 ミカゲは体勢を低くし、シェイドに牙をむいた。


「殺してやる!」


 ミカゲは、驚くべき速さでシェイドに迫った。

 ミカゲが突き出してきた剣を、シェイドは木剣で防いだ。

 剣は、次々に繰り出された。

 シェイドは剣を避けて、蹴りを放った。

 ミカゲは素早く後ろに飛んでかわした。



「このバカ者が!」


 走り込んできたデンジの怒声が、大広間に響いた。


 デンジは、ミカゲの正面に立ち、その頬を張り倒した。

 ミカゲの小さな体が飛んだ。


 シェイドが呆気にとられている間に、床に倒れたミカゲの腕をデンジはつかみ上げた。

 ミカゲから、ぐうっという呻き声が上がった。頬が腫れていた。


「シェイドに手を上げるとは。しつけが足りないようだ。大変、失礼した」

「そんな奴、偽物だ、あいたたた」

「偽物ならば、いつも通り俺が八つ裂きにしている。シェイドは、本物だ。見分けもつかないのか。未熟者め」


 デンジはミカゲの腕をつかみ、引きずるように大広間の扉へと向かって行った。

 デンジは扉を出る前に、一度振り返った。


「これはミカゲ。俺とルイの子どもだ。今後、シェイドを守る人間となる。しつけが間に合ってないことをお詫びする。いずれ改めて紹介しよう」


 ミカゲは涙目で、デンジのつかみ上げる腕の痛みを、必死にこらえている様子だった。

 シェイドは戸惑った。

 ソフィアが厳しい顔で言った。


「デンジ、ミカゲには、私からも話をするから。あんまり手荒なことはしないでちょうだい」

「口出しはしないでいただきたい」


 デンジは聞く耳を持たず、ばっさりと話を打ち切った。

 ミカゲが青ざめた顔で、デンジを見上げた。

 ソフィアの制止とミカゲの様子から、デンジの言うしつけとは、かなり苛烈なものなのだと、シェイドにも想像がついた。


 足から力が抜けた様子のミカゲの腕を持ったまま、デンジは大広間を出て行こうとした。




「待ってくれ」




 シェイドの声に、デンジは足を止めた。

 涙目のミカゲが、驚いてシェイドを見た。


「しつけなくていいよ、デンジさん」


 シェイドの言葉に、デンジが振り向いた。


 デンジには、シェイドの言動を何かしら見定めようとしている様子があることに、シェイドは気づいていた。

 シェイドがどういう考え方をして、どのように振る舞うのか、試されているようにも感じた。

 そうであるから、デンジはシェイドの言うことには、一応耳を傾けるだろうと思ったのだ。


「しつけなくていい」


 シェイドはもう一度、繰り返した。

 実際、デンジはそれに答えて、話をし始めた。


「しつけは必要なのだ。ミカゲは私の跡を継ぎ、シェイドを守り抜く使命がある。まことの黒の直系を見極められないなど、もってのほか。そもそも、俺の指示に従わないなど論外。骨の髄から使命を理解するように、教え込まねばならない」


 話す内に、デンジからは異様な威圧感が立ち上ってきた。

 ソフィアが苦痛に耐えるように、目を伏せた。

 ミカゲはカタカタと震え始めた。

 シェイドは、圧倒されてしまわないよう、できるだけ落ち着いたトーンで話した。


「デンジさんの指示に逆らえるなんて、チビなのにすごいと思う。俺は、生意気なガキは嫌いじゃない。大体、こんなチビに襲われて傷を負うようなら、俺の命は長くない」

「自分の命を狙った相手をかばうのか?」


 デンジは、蔑むような目をシェイドに向けた。

 シェイドは怯まずに、その視線を受け止めて答えた。


「何を言っても、はい、としか言わないガキよりも、俺に襲いかかってくるガキの方が面白い」


 デンジは目を細めてシェイドを見た。

 シェイドはまっすぐに見返して、一言一句はっきりと伝えた。




「しつけなくていい、と俺は言っている」




 シェイドとデンジは、しばし、目と目で見合った。

 ソフィアは心配な顔をして、そんな二人を見ていた。


 デンジの目から、蔑みの色が消えた。

 徐々にデンジの口角が上がった。

 デンジは突如として、笑い始めた。


「あっはっは!そうか!聞いたか、ミカゲ!あっはっは!」


 ミカゲは戸惑いを浮かべて、デンジを見上げた。

 デンジは、迫力を増した声で言った。


「これが、まことの黒の直系だ。お前が仕えるべき主人はこの男だ。ダンテの子だ。ダンテも求心力のある男だった。まことの黒は復活する!」


 ソフィアがため息をついたのを、シェイドは聞き逃さなかった。

 デンジは恐るべき笑顔でシェイドに言った。


「しつけの件は考え直そう。さあ、ミカゲ行くぞ」


 デンジはミカゲを引きずるようにして、大広間を出て行った。

 デンジが扉を閉めると、大広間には静けさが満ちた。

 嵐が通り過ぎた後のようだった。





「ありがとう、シェイド。私ではデンジを止められなかった」


 静けさを破り、ソフィアが言った。

 シェイドの肩の力が抜けた。


「ソフィア、俺にはさっぱり訳が分からない。頭が混乱する」

「そうよね。ごめんなさい」


 シェイドの素直な言葉に、ソフィアはすまなそうな顔で頷いたのだった。





 こうして、三日目にしてやっと、シェイドは屋敷の全員に出会った。

 この時には、思い描いていたバラ色の世界と現実との間には、ずいぶん隔たりがあるのだということを、シェイドは理解し始めていた。


 正直、心の中は文句でいっぱいだった。

 苦労の予感しかしないなんて、どういうことだ。

 シェイドは、それをソフィアにぶつけたくて仕方がなかった。

 しかし、そんな自分がとても恥ずかしくもあった。

 シェイドは、ソフィアに対し、自分があっという間に気を許し、甘えを抱いていることに気がついていた。




 シェイドは、現実を受け止めようと決めた。

 文句を言っても始まらない。ソフィアが困るだけだ。

 自分で道を選べるように、力をつけていく。

 やるべきことは、何も変わらないのだから。




 ただ、時々、ソフィアの声が聞きたくて、用もないのにソフィアに呼びかけてしまうことがあった。

 それについては、シェイドは自分を許すことにしたのだった。

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