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常春の華

 ある夜、ハクキン地区にある屋敷の書斎で、ミカエルは父ビヨンドと話をしていた。

 それは、ミカエルが複雑な気持ちになる話だった。





 18歳のミカエルは、去年、留学先から帰国し、ビヨンドの仕事に付き添い歩くようになっていた。

 8か国語に通じたミカエルは、語学力だけでもビヨンドの役に立った。

 また、政治や経済を学び、世界情勢にも明るくなったことで、ビヨンドの投げかける多様な話題に、ミカエルは応じられるようになっていた。


 ビヨンドはミカエルのそうした成長を喜んだ。しかし、実はそれ以上に、ビヨンドを喜ばせたことがある。




 留学先のイデアメル国で、ミカエルは、同じニア国からの留学生と友達になった。

 その友達は、常春の華と呼ばれる一族に連なる人間だった。


 友達の名はユウカリと言うが、ユウカリは、大変ミカエルを慕っていた。帰国後も、何かにつけて連絡をとることを惜しまず、その付き合いは絶えることなく続いていた。


 ユウカリの両親はミカエルのことを、もて余していた息子を導いてくれた恩人、と見なしていた。ユウカリが否定しないので、余計にそう思われた。

 結果、ユウカリの親から、ビヨンド宛てに礼状まで届く始末だった。



 ニア国において、通り名としての家名がある一族は、多くの場合、相当な有力者だった。

 侵略と移住の歴史の中、ニア国は半島でありながら、複数の人種が共存していた。人種による差異は多くの部分でほぼないのだが、家名のある家は、しばしば特殊だった。


 家名がある一族は、侵略を生き抜いた元来の土地の民であった。

 多くは黒髪だった。

 実際に土地を持っているというだけではなく、地に根を張る古いつながりを持ち、暗黙の排他的協力関係を築いていた。

 また、ニア国は、他国よりずっと、魔術の浸透している国であった。古き民の中には、遺伝しないはずの特殊な力を引き継ぐ一族もいた。


 ミカエルの家は、そのような家名を持たない。

 移住してきた民である証拠だった。ニア国ではすでにそうした人々の方が多かった。

 

 常春の華は、そういった中でも名の知れた古く格式ある一族だった。国の中枢に深く食い込んでいた。



 ビヨンドは、ぜひ名のある一族と縁を結びたいと願ってきた。だが、今までその機会がなかった。

 今回、ミカエルが常春の華のユウカリと友人になったことは、ビヨンドにとって、初めて巡って来た大チャンスであった。

 それが、冒頭のミカエルが複雑な気持ちに至る話へとつながるのだが、その前に、ミカエルとユウカリが、留学先で親しくなったいきさつについて触れておきたい。









 ミカエルは10歳でイデアメル国に留学した。

 そして、国立大学校という、6歳から入学できる学校に編入した。そこは、多くの留学生を受け入れている学校だった。年齢に関わらず、学力や興味によって授業を選択することができるという特徴があった。


 最初に学力テストを受けた。基礎学力に問題のなかったミカエルは、知的好奇心をくすぐる多様な授業を受けられる立場となった。ビヨンドには経済を学びたいと話したが、それにこだわらず、興味のあることには何でも食いついた。

 7年間、ミカエルはそれはもう生き生きと学んだ。


 ゴルド小学校では知的に飛び抜けていたミカエルだが、この学校では同レベルの人間がたくさんいた。それもやりやすかった。


 能力的にはある意味普通の子、となった中で、ミカエルがそれでも目立っていたのは、やはりその人好きする存在感だった。

 寂しい人間は、ミカエルの温かさを求めた。エネルギッシュな人間は、ミカエルの輝きを求めた。ミカエルはここでも多くの人に囲まれ、愛されていた。


 ミカエルはよく学ぶだけではなく、よく遊んだ。

 シェイドやフロウとの交わりから、人と関わることが、世界を知ることにつながると理解していた。いろいろな国の歴史、政治、文化、宗教、さまざまな人間の感じ方、考え方を知った。


 ミカエルの入った寮には、さまざまな国から多くの学生が集まってきていた。

 年齢もバラバラだった。

 個室か二人部屋があてがわれ、食事は共用キッチンでの自炊。何もかもが完備されている寮より、ミカエルはそういう場を選んだ。


 こうした生活の中で、ミカエルは、たくさんの友を得た。




 ミカエルが入寮して5年目、ニア国から新たに一人の学生がやってきた。ミカエルと同じ年だった。

 それが、ユウカリだった。

 ユウカリは、肩の長さに伸びた黒髪で顔を隠すように、うつむいていた。

 寮のリビング兼食堂に、通いの管理人に連れられてやってきたユウカリは、寮の皆とそこで初めて対面した。




「初めまして。僕はミカエル。僕もニア国から来たんだ。5年目になる。分からないことがあれば、何でも聞いてほしい」


 温かな笑顔を向けた初対面のミカエルに、ユウカリは暗く沈む紫色の目をしばたたいて言った。


「俺は、常春の華のユウカリだ。お前は」


 ミカエルはぽかんとした。少しして、ああ、家を聞かれているのかと理解した。


「ハクキン地区ゴルドエリア2のミカエルだよ。よろしく」


 ユウカリは鼻で笑った。


「一般人かよ」


 ニア国では、家名がない場合、住まいや仕事によって名乗りをするのが当たり前のことだった。家名がある方が稀だったので、ミカエルにとって、ユウカリの返事は予想外のものだった。

 それにしても、ユウカリの反応は唐突で無礼だった。


 ユウカリはふてぶてしい態度で、言い放った。


「俺と仲良くして、取り入ろうとしても、無駄だから」


 その態度は、ミカエルよりも、周囲の学生たちの心証を害した。


 ミカエルは、人の抱える痛みに対して、年に合わない驚異的な嗅覚を持っていた。

 そのため、ユウカリのその様子から、きっと家名についての屈折した思いがあるのだろうと、ミカエルは察したのだった。


 


 まったくもって、ミカエルの嗅覚は正しかった。ミカエルとユウカリが親しくなってから、ユウカリの事情は明かされた。


 ユウカリは、常春の華の直系跡継ぎのいとこだった。

 ユウカリは、家名に恥じない人間になれ、と常に言われて生きてきた。出来のいい跡継ぎと、事あるごとに比べられた。

 生来、明るい質ではなかったものの、何をどうするのが正解なのか分からなくなり、萎縮した。間が悪いのか、やることなすこと裏目に出るタイプでもあり、両親の期待を裏切り続けた。


 ユウカリは、不出来を責められなじられ、結果、すっかりひねくれてしまった。

 やる気をなくし、家でふんぞり返って黙りこみ、口を開けば文句を言うようになった。

 そうして、目に余るので、とうとう留学という形で家から放り出されたのだ。




 イデアメル国に来た当初、ユウカリは変わり者で皮肉屋だった。

 ユウカリは、周りと交わろうとせず、個室にこもりがちだった。

 たまに授業に出ても、机につっぷしていた。

 ミカエルはよく声をかけたが、無視か皮肉か噛みつくかという、取り付く島もない有様だった。





 関係が変わったのは、3か月めのこと。


 ある日の夕方、寮の一人の学生が、食堂兼リビングで話しているミカエルたちに言った。


「ユウカリの奴、ヤバい店に連れ込まれてた。いい気味だ。少しは痛い目をみて懲りたらいい」


 ミカエルは眉をひそめて詳細を尋ねた。


 どうやら、ユウカリは、酒を飲んでフラフラ歓楽街を歩いていたらしい。そこを、学生の間で悪い噂になっている店の呼び込みに捕まった。ぼったくられる。脅される。薬を盛られる。ろくでもない悪評の店だった。


「俺の彼女がバイト行くから送ってって、その帰りに見たんだけどさ。ユウカリの野郎、今頃びびって泣いてるかもな。生意気な態度もマシになるんじゃないのか」


 ユウカリを目撃した学生は、肩をすくめて見せた。

 その場にいた多くの学生たちが同意した。笑い出す者さえいた。


 ミカエルは、サッと立ち上がった。

 急だったので、周囲の学生たちは驚いた。

 ミカエルは、いつもと変わらない顔で言った。


「もう懲りたでしょ。ここまでで充分。さあ、迎えにいこう」


 さも当然のように言うミカエルに、皆は不満と疑問をのせて尋ねた。


「なんであんな奴、助けに行くわけ?」


 ミカエルは、あっさり答えた。


「同じ寮の仲間でしょ。ほら、暇な人、皆行くよ」


 あまりに気負いのないミカエルの声かけに、その場にいた5人の学生たちは、ついつい一緒に立ちあがってしまったのだった。




 そして、ぞろぞろと移動し、しばらくして問題の店の入り口が見える路地に到着した。

 繁華街は賑わっていたので、路地に6人が溜まっていても不自然ではなかった。

 皆でチラチラと見ると、看板もないその店の前には、屈強な男が一人、仁王立ちしていた。

 あれはヤバい、と誰かが口にした。

 ミカエルが言った。


「じゃあ、行くかな」


 血の気が多くノリのいい学生がその気になって、よし殴り込みだな、無傷じゃすまねえだろうがやってやるぜ、と息巻いた。

 ミカエルは笑った。


「それは最終手段ね。とりあえず、僕が行ってみる。中に入って30分出てこなかったら、警察呼んで。もし僕が店に入れてもらえなくて、皆から見ててヤバそうだったら、やっぱり警察呼んで。通報は僕の名前でいいから。で、警察が来たら、乱入しよう。その気のある人だけね。無理せず。ユウカリをかついで、逃げちゃおう」


 ミカエルの口調は、まるでいたずらを考える子どものように軽かった。

 皆、何となくその空気に染まった。

 じゃあ、いってきますと、軽やかに背を向けたミカエルを、皆、自然に見送ってしまったのだった。




「すみません、あの」


 店の入り口に立つ男は、突然声をかけてきた相手に目を向けた。

 10代半ばの少年が、蒼白な顔で立っていた。

 見上げてくるスカイブルーの瞳は潤み、同性の男でも一瞬ドキッとした。

 きれいな子だ、と感じ、どこかの高級店に所属していたか、と考えた。


「僕のいとこの兄さんが、ここに連れて行かれるのを見たという人がいるんです」


 男は顔をしかめた。面倒そうな用件だった。


「知らねえな」

「でも、見た人がいるんです。どうか、兄さんに会わせてください」


 男はいら立ちを含んだ声で言った。


「知らねえと言っている。てめえ、どこのもんだ?」


 男は、すぐさま売り飛ばすぞと言いたいところを堪えた。あまりにも器量がいいので、どこか裏の店に所属しているか、危険な後ろ盾がいる可能性が頭をよぎったからである。


「あなたには言えません。穏便に済ませたいのです。僕が兄さんを引き取って帰るのが、一番、穏やかな方法なのです」


 少年の頬を一筋の涙が伝った。

 文句なく美しかった。

 男は少し怯んで、声を抑えて言った。


「誰がからんでる」

「言えません。そう言っても、分かりませんか?」


 少年はかすかに震えながら、再び男を見上げた。

 男はごくりと唾を飲んだ。

 少年は男の目から見て、ランクで言うと極上だった。そういう趣味のある危険人物が何人か頭をよぎった。


「兄さんは、ご主人様の怒りにふれて、呪いをかけられています。周りを巻き込んで災いをもたらす呪いです。兄さんはヤケを起こしているから、危険なのです」


 男の中に危険信号が灯った。少年の言い始めた話は訳が分からなかったが、小悪党に過ぎない自分や店が触れてはならない種類の話に思えた。

 男は、無線のスイッチを入れ、襟元に止めたピンマイクに話し始めた。

 少しして、店の中から太ったスーツの男が現れた。首元の太い金のネックレスがぎらついていた。

 太った男は少年を上から下まで見た後、警戒するように尋ねた。


「この店の責任者ですが、あなたはどちらさまで?」


 少年は、プラチナブロンドの髪をふりふり、涙を堪えるように言った。


「ご主人様には内緒で来ているのです。後生ですから聞かないでください。どうか兄さんのことも。兄さんにかかった呪いが、皆さまにご迷惑をおかけする前に、どうか」


 太った男は腕組みをして、疑うように言った。


「いとこだと聞いたが、似ていない」

「血のつながりはありません。よくある話です。でも、僕にとっては、ただ一人の心許せる兄さんなのです。兄さんのせいで、誰かが死ぬなんて嫌なんです」


 少年は、怯えて周囲を見回しながら話した。

 通行人からチラチラ好奇の目が向けられていたが、立ち止まるほどのことはなかった。

 太った男は唸った。


「主人の名前も言えない。それに、呪いときたか」

「今、あなたの頭に浮かんでいるのがご主人様です。この世界で、ご主人様を間違う人はいません」


 苦い顔で笑い、唇を噛む少年は、はかない諦めの風情を醸し出していた。

 太った男は、入り口にいた男に顎で指図した。面倒はごめんだという頭が働いた。嘘にしては、少年の全体的な様子が素人離れし過ぎている。この美貌なら、今、頭に浮かんでいるあの危険人物の愛人でも頷ける。


 まもなく、男が、足取りも危ういユウカリを店から引きずり出してきた。

 太った男は、それでもまだ疑いをこめて、ユウカリと少年を見ていた。


「兄さん!バカ!バカ!こんなになって」

「おまえ、なんで、ここに」


 顔に数発殴られた形跡のあるユウカリは、腫れた目を驚きで見開いた。

 酒が回ったユウカリの頭は、現状を理解しかねていた。

 少年ミカエルはスカイブルーの瞳からハラハラと涙を流し、膝をついて立ち上がれずにいるユウカリに訴えた。


「うちのお店の人たちに頼んで見つけてもらったの。探したよ、バカ。ご主人様には、まだばれてないからさ、帰ろうよ、ね。呪いも解いてもらえるように、僕からお願いするから。やけになっちゃだめだよ」


 元来、不器用なところのあるユウカリは、さっぱり訳が分からずただ呆然としていた。

 ん?兄さん?ご主人様?呪い?何それ。

 一つ分かったのは、先ほどまでの絶望的な、一方的に殴られ、金を要求され、命の危険を感じるという状況から、人目のある場所にすくい上げられたということであった。


「兄さん、あんまり世の中を恨んじゃいけないよ。その呪いは本当に危険なんだから、ね。にっちもさっちもいかなくなったら、僕が一緒に死んであげるから、よそ様を巻き込んじゃいけないよ」


 こんな時なのに、ユウカリの胸の奥がギュッと痛んだ。

 泣き濡れた温かなまなざしを向けられ、本心からそう言っていると感じさせられた。


 ミカエルに、深く思われている。


 それは、ユウカリが欲しかったものだった。どこにもありはしないと諦めていたものだった。

 ユウカリはうろたえた。


 ユウカリの動揺を見て、太った男はミカエルに腕を伸ばした。


「おい、本当に」


 それを見た時、ユウカリの頭が真っ白になった。


 薄汚いクソ野郎が、俺の光に触ろうとしている。


 その時、信じられないほど、滑らかに口が動いた。



「俺は帰らない。こいつらを道連れに死んでやる」



 太った男の手が止まった。

 絶望のにじむ暗い声で、ユウカリは言った。


「お前は生きろ。俺はこの呪いを解く気はない。邪魔しやがって」


 ユウカリは日ごろの不摂生がたたり、頬はこけ、病的な顔色をしていた。しかし、ここに至って、それが功を奏した。


「俺はもう死んでいる」


 ユウカリの浮かべた凄絶な笑みは、死への暗い情熱を感じさせた。

 通行人も、ユウカリの不気味さに、店を避けるように歩いた。

 ミカエルがビクッとした。


「やめて、兄さん、呪いが」

「ひひ、ひひひ」


 ユウカリは、それはもう抜群に、薄気味悪かった。

 屈強な男たちが思わず引いた。


「営業妨害だ!さっさと行け!」


 太った男が声を荒げた。

 ミカエルはパッと頭を下げた。


「すみません。すぐに連れ帰ります」


 ミカエルはユウカリに駆け寄り、その背にユウカリを背負った。

 ユウカリは力なく四肢を垂らし、ひひひと笑い続けた。


 ミカエルはもう一度、ペコリと二人の男に頭を下げ、ユウカリを背負ったまま雑踏にまぎれた。

 ユウカリは、縁起が悪い、変なの連れてくんじゃねえよ、という、太った男の声を背中に聞いた。





 しばらくそのまま歩き、二人は繁華街を抜けた。

 すると、後ろから、大勢駆けてくる音が聞こえた。

 ユウカリは身構えたが、そんなユウカリを背負ったまま、ミカエルはクルリと振り向いた。


「お疲れ様!」

「やったな、ミカエル!」


 寮の学生たちだった。

 ミカエルは、ニッと笑って言った。


「大成功!」


 ワッと歓声が上がった。

 俺が代わるよ、と一人の学生がユウカリを引き取った。

 ユウカリが戸惑うままに、今度は別の学生に背負われた。

 皆でどやどやと騒ぎながら歩いた。


「あー、怖かった!」

「全然、そうは見えなかったぞ」

「まあ、一人じゃないからね。何かあったら、助けてもらえるって分かってたから」


 ミカエルと5人の学生たちは、興奮気味にガヤガヤと話しながら、寮に向けて歩いて行った。


「いとこはないだろー」

「確かに。つい言ってしまって、後から自分でも、しまったと思った」

「呪いってなんだよ!」

「突き抜けてた方が、ツッコミようがないかなと思って。でも、さすがに、よく通用したよね」


 実に盛り上がった。


 そこで、水を指すように、ユウカリが声を発した。


「なぜ助けた」


 暗い声に、皆がシンとなった。

 ユウカリの中に面白くない気持ちが蠢いていた。

 自分のことで、ミカエルと学生たちが盛り上がるのが、どうにも気に入らなかった。


 固まった空気を破り、ミカエルはあっさり答えた。


「仲間でしょ」

「ふん。人の不幸を笑いやがって。何でもできて結構なことだ。俺をダシにいい格好して、さぞかし気分がいいんだろうねえ」


 学生たちは鼻白んだ。

 ユウカリは、正直に言うと、死ぬほど怖い思いをしていたところを助けてもらい、本当にありがたく思っていた。

 しかし、口から出るのは、言い慣れた悪態ばかりだった。

 ユウカリ自身、言ったそばから、そんな自分に嫌気がさしていた。


 そんな時にも、ミカエルは変わらなかった。

 学生に背負われたユウカリに、何の含みもない顔を向け、ミカエルは言った。


「違う違う。大事件が起きて、皆で解決したのが面白いんだよ」


 ミカエルは、思い返して吹き出した。


「ユウカリの演技もすごかった。本当に呪いがかかってる人みたいだった。何あれ。打ち合わせもしてないのに、アドリブきくよね」


 ミカエルの様子に、場の空気が一気に暖まった。

 何しろ、まだまだ皆、さっきの話をしたくて堪らなかったのだ。


「確かに、こいつ、無駄に演技派。ユウカリ、お前演劇やれば?」

「けっさくだったな!あの店の奴ら。渋い顔して、本気で信じてたぞ、あれ」

「道連れとか、その顔で怖すぎ!」


 学生たちは、今度はユウカリについても盛り上がり始めた。

 嫌な感じはしなかった。

 よし交代、今度は俺が背負ってやろう。何だか分からない間に、ユウカリはまた別の学生に背負われていた。


 ユウカリは、自分に向けられる好意的な対応に戸惑った。

 ミカエルが、皆を見渡しながら、うれしそうにしみじみと言った。


「こういうの、皆でやると、楽しいよね」


 命がけで盛り上げるのはやめろよ、と軽く声がかかった。

 どっと笑いが起きた。

 ユウカリは震えた。

 初めての感覚だった。




 自分は今、この仲間の一員である。




 ユウカリは泣いた。

 何、泣いてんだよ、という声も胸に沁みた。

 そしてそのまま、頭が痛くなるほど、泣き続けたのだった。








 以来、ユウカリは演劇に目覚めた。


 演劇に関わる授業を受けるために、猛勉強し、基礎学力をつけた。

 劇団に入り、心身共に揉まれた。


 そこから2年、かつてないぼど必死に生きたユウカリは、とうとう劇団で重要な役をもらった。

 誰も彼もを恨んで文句ばかり言う老人役だったが、実に上手かった。

 巧みな脇役として、好評を博した。

 それは、ユウカリが生まれて初めて自力で手にした評価だった。



 千秋楽、ミカエルたちがその演劇に招かれて観劇する中、ユウカリは見事に演じきった。

 最後の幕が降りきる瞬間、ユウカリの大きな声が聞こえた。


 ユウカリは、あの事件でユウカリを助けに来た、ミカエルたち6人全員の名を次々と呼んだ。

 そして、ありがとう!と絶叫した。


 事情を知らない多くの人々がポカンとした。

 ミカエルたち6人は顔を見合わせた後、ユウカリ最高!と泣き笑いした。

 勿論、ユウカリはその後、劇団長から大目玉を食らった。





 

 ミカエルとユウカリは、17歳で同時期に帰国した。


 ユウカリの家族は、ユウカリの成長した姿に大変驚いた。まるで人が違っていた。

 ユウカリはニア国でも劇団に入った。十分に通用する実力を身につけていた。

 一皮むけたユウカリが、家族に何度も語ったのは、ミカエルのことだった。


 ユウカリは、ミカエルを家に招き、両親に紹介した。両親は、あっという間にミカエルを気に入った。


 ユウカリは、ミカエルに恩返しがしたかった。

 ユウカリは、自分が持っている最も価値があるものは、家名に他ならないと思うようになっていた。

 それをミカエルに差し出したかった。

 こうして、ユウカリの両親はミカエルの家に、礼状を出すに至ったのである。










 ここで、冒頭に戻る。

 常春の華の一族との縁である。

 機を見るに敏なビヨンドは、ミカエルが気に入られていることを千載一遇のチャンスと読んだ。

 ユウカリの家どころではない。それを超えて、常春の華の本家との縁をビヨンドは狙っていた。


 屋敷の書斎でビヨンドは、最近繰り返している話を、また、し始めた。


「常春の華だ。今までできなかった事業もできるようになる。メリットは計り知れない。やはり今しかない」


 ビヨンドは、眼光鋭く宙をにらんだ。




「フロウを迎え入れる」




 ミカエルは、何度目になるか知れないため息をついた。


「父さん、悪人顔になってる」

「父親になんて言い草だ」


 ミカエルは、テーブルに置かれたフロウの隠し撮り写真を手に取った。


「そりゃ僕も、おおっぴらに妹扱いしていいなら、そうしたいんだけど」




 写真のフロウは、美しく成長し、笑顔で接客していた。

 ビヨンドが密かに収集したフロウの情報を、ミカエルも折々目にしていた。

 後ろめたいが、フロウのことを知りたい気持ちには勝てなかった。


 実は、ビヨンドがフロウのことを知ったのは、ミカエルが10歳の時だった。母リリスが興信所を使い、マルタのことを調べ上げた時に、その存在が明らかになった。マルタは、フロウのことをビヨンドに隠していたのだ。

 以来、ビヨンドは、定期的に興信所を使いフロウの動向を探っていた。


 フロウのことは、ミカエルとビヨンドとの間では、もはやタブーではなかった。

 ミカエルとしては、ビヨンドの所業に不快と怒りを抱いていた。しかし、ビヨンドの不始末のおかげで、フロウがこの世に存在しているのも事実だった。

 ビヨンドのしたことは間違っているという気持ちは変わらなかったが、ミカエルは、最終的にそのままの事実を受け入れた。

 しかし、母リリスは当然ながらそういう訳にはいかなかった。


 フロウのことは、リリスの前でふれてはいけない話題だった。

 ミカエルは、いまだにフロウと会えずにいた。


「母さんのこと考えてよ。無理だって」

「常春の華だぞ。あれこれ言ってる場合か。フロウの器量は悪くない。本家の一人息子に決まった相手ができる前に、今なら狙える。結婚が何より太い縁組だ」

「フロウのことも考えてよ。無理だって」


 いろいろな困難をすっ飛ばして、ビヨンドは、常春の華本家との縁組ばかりを見ていた。

 ミカエルは複雑な気持ちだった。


 フロウを引き取って、常春の華の本家跡取り息子と結婚させる。ミカエルからしたら、どこをどう切り取っても、無理がある話だった。ユウカリは推奨しているが、友情を利用するようなやり方も、気持ちのいいものではなかった。

 しかし、ビヨンドは、人の気持ちを度外視し、無理を通し、困難に打ち勝って、今を築いた人である。本気になったら、ミカエルが必死に止めたところで、やれるところまでやるのだろうとも思えた。

 リリスがどれほど苦しむことか。

 フロウとて、親の身勝手で急に名乗り出られた挙句、結婚を押しつけられて、喜ぶはずもない。




 だが反面、これは、フロウを正式に妹とすることができる機会なのではとも思えてならなかった。




 ミカエルは、フロウに会いたかった。


 学校の長期休みに一時帰国するたび、ビヨンドはフロウの情報をミカエルに教えた。

 ビヨンドは、フロウのことをやけに気にしていた。どうやら、娘のことは可愛く思っているようだった。

 フロウのことを話せる相手がミカエルくらいだったため、ビヨンドは、知りえた情報を逐一ミカエルに伝えた。

 陰でこそこそ調べていることが本当に嫌で仕方がないミカエルだったが、聞かされると耳を傾けずにはいられなかった。

 聞けば聞くほど、会いたくなった。

 写真で成長した姿を見ても、会いたくなった。

 でも会えないから、余計に会いたくなった。


 そして、ミカエルは複雑だった。


 ビヨンドの暴走は、いい結果につながる気がしないにも関わらず、ミカエルの勝手な心は、無理にフロウを呼び込むことを求めてもいた。

 ミカエルは、自分のわがままが父親に似ている気がして、それも嫌だった。


 ミカエルは、フロウの写真をヒラヒラ振りながら、もう一度ため息交じりに言った。


「やめときなよ」

「お前はそれしか言えないのか。もっと建設的になれ」


 父子の不毛なやり取りは続いた。



 

 ミカエルは、テーブルにフロウの写真を置いた。

 薬師として働いてもいて、しっかりした娘に育っているという情報だった。

 師匠とのあやしい関係の噂には、ハラハラさせられた。

 しかし、ミカエルは、その線はないだろうと踏んでいた。

 シェイドとフロウとの経緯からして、フロウはそんなに適当なタイプではないと思っていた。


 とはいえ、あれからずいぶん月日がたった。


 あれほどの経験だったにも関わらず、ミカエルにとってシェイドの記憶は遠いものになっていた。

 情報を得ているフロウとは、現実感が違った。

 フロウのもとへシェイドが訪れた気配もなかった。


 シェイドとは、一体どんな人物だったろうか。

 記憶のシェイドには、子どもらしい空想が混ざってはいないか。

 いつか会いに来るという約束は、果たされるのだろうか。





 ミカエルの中で、シェイドの輪郭はひどくぼやけてにじんでしまっていた。 

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