森の中
フロウは目覚めた。
目と鼻の先に端麗な男の顔があった。
フロウはドキリとした。
男は目を閉じ、彫像のように動かなかった。
二人並んで向かい合い、横たわっていた。
一体、どういうことなのか。
目覚めたばかりのフロウには、状況がよく分からなかった。
フロウは地面に手をついて上半身を起こした。
手は、柔らかく湿った苔の感触をとらえた。
フロウが見渡すと、そこは深い森の中だった。
木々が立ち並び、葉が生い茂り、湿った清涼な空気が満ちていた。
世界は、どこまでも深く濃い緑色に埋め尽くされていた。
フロウと男が倒れていた場所は、大きな木の根の間であった。
フロウが上半身をひねって後ろを見ると、どれほどの樹齢を重ねたものなのか、森の主のような大木がそびえ立っていた。
苔むす巨木の根元にフロウと男は抱かれるように横たわっていたのであった。
意識が清明になってきたフロウは、はたと気がついた。
あれほどフロウをさいなんできた疲労と飢餓感が消えている。
思わずお腹に手を当てた。
その手を見ると、ワンピースの白さが目についた。
フロウは目を見張った。
ワンピースは黒茶色に染まったはずだ。
それなのに、今はシミひとつ見つけられなかった。
フロウは傍らに横たわる男に視線を戻した。
白かったはずの男のシャツが、薄汚れていた。
フロウは突如として悟った。
自分はこの男に救われたのだ、と。
フロウは、稲妻に打たれたかのように衝撃を受けた。
指先まで震えた。
なぜ男を、奪う者であると決めつけてしまったのか。
正気ではなかった。
男をにらみつけて暴言を吐いた。
疑惑と敵がい心と保身しかなかった。
そんな自分に対し、男は何を返してきたというのか。
フロウは肌で感じ取った。
全身に満ちる力、この世界に行き渡る密度の濃いエナジー、何もかもフロウがひとりでいたときには、存在しなかったものだ。
隣には、薄汚れ、ピクリとも動かない男がいる。
フロウは慌てて、男の口元に耳を寄せた。
うっすらと呼吸している気配があった。
今にも消えてなくなりそうな呼吸であった。
フロウはそこに死の気配を感じた。
ゾッとした。
それは男との永遠の別れを意味する。
どこにも行かないで。
もう離れたくない。
フロウの胸に唐突に浮かび上がってきたその思いは、強烈なものであった。
鮮烈で鋭く、痛みまでも伴う思いであった。
熱く、苦しく、切実な。
それはたちまち、フロウのあれこれ諸々、事情、感情、すべてを超越した。
あの世に消えていきそうな男を引き止めたい。
フロウのただひとつのその強力な願いに応えるように、1つの変化が訪れた。
フロウの膝の上に、黒い小箱が現れたのだ。
フロウは驚いて、その箱を落としそうになった。
慌てて手を添えて、膝に留めた。
黒い小箱は、禍々しい気配をまとっていた。
しかし、フロウはひるまなかった。
その邪悪をねじ伏せる思いが働いた。
ここにあるのは希望。
目の前の恐怖に負けたくない。
黒い小箱の中身について、フロウは理解しているわけではなかった。
しかし、恐ろしげなこの小箱の中に、男を救う希望たる何かがあるのだ、と察知していた。
この小箱を呼び寄せたのは、フロウ自身だ。
フロウは膝の上の黒い小箱の蓋に手をかけた。
そして、一気に蓋を開け放ったのであった。




