表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
禁書図書館の七鍵守り 〜世界が壊れるたび、僕は一冊を「読んで」直す〜  作者: 文倉 栞


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/15

第5話:鍵守協会の掟

 鍵守協会の大書庫ホールは、見上げても天井が見えなかった。


 壁という壁が、書架だった。螺旋を描いて上へ上へと伸び、灯りは背表紙の金文字にだけ落ちて、闇の奥で無数の星のように瞬いている。その一冊一冊が、世界の法則の写しなのだという。空気は乾いて、古い紙と蝋の匂いがした。ここは、原初書を守る者たちの総本山だった。


 僕は、その中央に、罪人のように座らされていた。冷たい石の床が、膝から体温を奪っていく。まわりを鍵守たちが半円に囲み、手にした細長い封じの杖を、僕の喉元へまっすぐ向けている。身じろぎ一つで、穂先が肌を掠めそうだった。


「無登録の読み手が、単独で、重力の章を丸ごと読み切った」


 審問の席で、老いた女が言った。銀の髪を隙なく結い上げ、背筋は槍のようにまっすぐだった。鍵守協会の重鎮、ドロテア。名前だけは、師匠から聞いたことがあった。


「わかっているのか、小僧」老女の声が、石の床を這って届く。「章を丸ごと読むというのは、世界の法則に素手で触れるということだ。一文字違えれば、街どころか、世界が裏返る。だから我々は、読み手を管理し、一人に一章しか許さぬ。それが掟だ」


「でも」僕は、顔を上げた。「読まなければ、街は空へ落ちて、何万もの人が死んでいました」


「結果として救った。それは認めよう」ドロテアの目が、細くなる。「だが、貴様が読み損じていれば、救うどころか、とどめを刺していた。偶然の英雄と、必然の破滅は、紙一重だ。――そして貴様は、その紙一重を、無許可で踏んだ」


 周りの鍵守たちが、低くざわめいた。杖の穂先が、わずかに揺れる。反論しようと開きかけた口が、その視線の重さに塞がれる。誰の目にも、僕は英雄ではなかった。掟を破った、危険な異物だった。命を賭けて街を止めた夜が、この場所では、罪状に数え直されていく。


「その本を」ドロテアが、僕が抱えたままの、擦り切れた本を指した。「見せなさい」


 僕は、迷った。師匠が最後に託した、たった一つの形見。腕の中で、表紙が僕の鼓動に合わせて温いのがわかる。でも、隠しても仕方がない。僕は、両手で本を差し出した。


 ドロテアは、それを受け取って、表紙を撫でた。半分消えた金文字を、皺の寄った指で、一文字ずつなぞる。その手が、ほんの一瞬、止まった。


「……この本は」老女の声が、初めて、揺れた。「ガランの、副本か」


「師匠を、知っているんですか」


「知っているとも。あれは、協会がついぞ御しきれなかった、ただ一人の男だ」ドロテアは、書架の闇の、さらに向こうを見た。皺の奥の目に、遠い日の光が差したようだった。「七章すべてを読める、と嘯いていた。掟を蔑ろにし、庫に籠もり、そして――ある日、消えた。背教者を、追うと言ってな。それきり、生死も知れなかった」


 背教者。ヴァイス。その名が、喉の奥で灼けた。師匠が最後に見上げた、あの静かな横顔が、瞼の裏をよぎる。


「師匠は、死にました」僕は言った。声が掠れないよう、腹に力を入れて。「ヴァイスに。目の前で。重力庫の鍵を、奪われて」


 ホールが、静まり返った。杖のざわめきも、止んだ。


 ドロテアは、長いあいだ、何も言わなかった。差し出された本を胸の高さに掲げたまま、まぶたを伏せる。それから、静かに、長い息を吐いた。


「……そうか。あれも、逝ったか」


 その声に、ほんの少しだけ、掟ではないものが混じっていた。囲む鍵守たちも、老女のその横顔からは、目を逸らした。


「師匠は、最後に言いました」僕は、続けた。言わずには、いられなかった。「『次は来るな』と。意味は、わかりません。でも、僕は、読み切りたい。師匠が遺したものを、ヴァイスが狙うものを、全部」


「――『次は来るな』」


 ドロテアが、その一言を、確かめるように繰り返した。眉が、わずかに動く。何かを知っている。そう感じた。老女の指が、本の背を、一度だけ強く握った。でも、それ以上、何も言わなかった。ただ、僕を、値踏みするように見た。


「小僧。一つ、報告が入っている」ドロテアは、話を変えた。抑えた声だった。「救われたはずのアレクサが、また、わずかに浮きはじめている。地に着いた家々が、髪一本ぶん、宙へ。……庫の鍵が、失われたままだからだ」


 モルグの言葉が、蘇る。鍵がなけりゃ、庫は完全には閉じねえ。じきに、また落ちはじめる。


「鍵は、街のどこかにあります」僕は、立ち上がった。喉元の杖を、恐れずに。膝の震えは、両手を握って抑えた。「モルグが、投げ捨てた。あの男は鍵の価値を、弄ぶ玩具ほどにも思っていない。だから遠くへは運んでいない。僕なら――いえ、僕たちなら、探せる。どこに何が『書かれているか』を、知っている道しるべが、いるんです」


 ヨミのことは、言わなかった。あの子が何者なのか、協会に知られてはいけない。理由はわからない。でも、そう直感した。掟でものを裁くこの人たちに、名も過去も失った少女を差し出したら、きっと無事では済まない。舌の先まで出かけた名前を、僕は飲み込んだ。


 ドロテアは、しばらく僕を見つめて、それから、片手を挙げた。杖が、いっせいに引かれた。喉に張りついていた冷たさが、ようやく退く。


「貴様を、暫定の鍵守候補として、監視のもとに置く」老女は、本を僕に返した。「期限は、三日。三日のうちに鍵を取り戻し、重力庫を完全に閉じてみせろ。できねば――貴様は掟破りとして、読む力を封じられる」


「……いいんですか。僕を、信じて」


「信じてなどおらん」ドロテアは、背を向けた。銀の髪が、書架の薄明かりに一度だけ光る。「だが、ガランの弟子が、あれの本を抱えて、あれの遺言を口にした。それを見過ごせるほど、私はもう、若くない」


 それだけ言って、老女は螺旋の書架の奥へと歩み去った。足音が、高い天井にいつまでも反響していた。監視役だという若い鍵守が一人、無言で僕の背後についた。信頼ではなく、鎖だった。それでも、僕の腕には、本が戻っていた。


 ホールを出ると、夜が明けかけていた。石の回廊の窓から、灰色の光が、細く差している。


 僕の胸で、擦り切れた本が、かすかに温かかった。その隙間から、消えかけていた光が、ふわりと滲み出す。


「……協会、こわかったです」ヨミが、光のなかから、小さく笑った。ホールにいるあいだ、あの子の姿はいつもより淡く、薄れそうに揺らいでいた。それが今、頬に少しだけ色を戻している。「でも、セン。わたしのこと、隠してくれて、ありがとう」


「三日だ」僕は、東の空を見た。まだ、ほんのわずかに、屋根が浮いている街を。夜明けの光に、いくつもの家の影が、地面から髪一本ぶんだけ、剥がれて見える。「三日で、鍵を見つける。手伝ってくれ、ヨミ」


「はい。――どこに落ちたか、たぶん、読めます」


 ヨミが、指を一本立てた。その先が、まだ目覚めきらない街のほうを、まっすぐに差していた。三日。僕は、腕の中の本を、そっと抱え直した。師匠が遺したものへ、また一歩、近づく三日でもあった。


 お読みいただきありがとうございます。


 世界を救っても、掟の前では罪人。センに与えられた猶予は三日。そして師ガランと協会、そして「次は来るな」の遺言に、何やら因縁がありそうです。


 次回、第6話「落ちない街で」。三日の期限、モルグとの決着、そして重力庫はついに閉じるのか。第一章の区切りです。


 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。続きも、ぜひ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ