エルデ村が変わっていた。なぜか俺の小屋の前に行列ができている
気づいたら、村が賑やかになっていた。
俺が精霊界から戻って三週間。
エリクたちの呪いを四日かけて解いて、四人を王都に送り出して、また畑仕事に戻った——はずだった。
なのに、ある朝起きたら、小屋の前に人が並んでいた。
七人だった。
老若男女、みんな荷物を背負って、神妙な顔で順番待ちをしている。
俺は扉を開けたまま固まった。
「……おはようございます」
「おはようございます!」
七人が声をそろえた。
なんだこれは。
一番前に立っていた初老の男が、丁寧に頭を下げた。
「グリフィンの一件を聞きました。アルトさんとおっしゃる方が、この森で農業をしていると。私、もともと王都で薬草師をしておりまして、歳を取って田舎に移りたいと思っておりまして……」
「あー」
「少し、いろいろと教えていただけないでしょうか」
俺はもう一度、列の七人を眺めた。
(誰が広めたんだ、これ)
後で聞いたら村のギルド職員、ヨシュだった。
ヨシュが「辺境の森にすごい農家がいる」という報告書を本部に提出したらしく、それがなぜか冒険者の間で面白おかしく広まって、さらになぜか王都の新聞の端っこに載ったらしい。
「……ヨシュさん、余計なことを」
「いいじゃない」とシルフィアが後ろから言った。「賑やかな方が楽しいわよ」
「シルフィアは賑やかなのが好きなんですか」
「……嫌いではない、という程度よ」
耳の先が少し赤かったが、深く追及しなかった。
*
一週間後、小屋の前の行列は十四人になった。
元Aランク冒険者の壮年男性・ガデル。
指を怪我して引退した腕利きの鍛冶師・ドーフ。
王都の貴族社会に疲れて逃げ出してきた元書記官・リリア。
親を亡くして行き場をなくした十代の兄妹・ノアとメレ。
みんな、それぞれの事情を持って、ここへたどり着いた。
俺にできることは限られている。
土に聞いてどこに住めるか教える。木に頼んで小屋を建てる手伝いをする。畑の始め方を教える。それだけだ。
でも、それだけで——みんなが根を張り始めた。
ガデルは村の外れに小屋を建てて、畑を始めた。
ドーフは鍛冶の腕が一本でも衰えていないと気づき、炉を作り始めた。土が「ここに石英が埋まってる」と教えてくれたおかげで、質のいい砂が手に入った。
リリアは村長に頼まれて帳簿の整理を始め、いつの間にか村の事務仕事を一手に引き受けていた。
ノアとメレはルナたちと仲よくなって、子どもの群れに溶け込んだ。
エルデ村は、静かに、でも確実に大きくなっていた。
*
変化は村の中だけじゃなかった。
ある夕方、シルフィアが畑の畝の端に腰を下ろして、沈んでいく夕日を眺めていた。
俺が隣に座ると、シルフィアがぽつりと言った。
「精霊たちが、最近よく来るの」
「そうですか」
「人間界の精霊たちよ。風の精霊とか、水の精霊とか。この村の周りに集まってきてる」
「居心地がいいんでしょうね」
「あなたがいるから、かしら」とシルフィアが言った。それから少し間を置いて、「……それとも、私がいるから、かな」と続けた。声が、少し小さかった。
「どっちもじゃないですか」
シルフィアが横目でこちらを見た。
「どっちも、ね」
「精霊王の娘が人間界で暮らしてたら、精霊たちも近くに来たくなるんじゃないですかね」
「……あなたは」
「俺は?」
「あなたは——私がいて、邪魔じゃない?」
俺は少し驚いた。
珍しく、真っ直ぐ聞いてくるな、と思った。
「邪魔なわけがないです。薬湯は効くし、子どもたちは喜ぶし、精霊たちも来てくれるし。俺には見えない部分でも、きっといろいろ助かってます」
シルフィアがしばらく黙った。
夕日が、地平に近づいていく。
「……私ね」とシルフィアが言った。「精霊界では、ずっと王女だった。王女らしくあれって言われて、王女らしく振る舞って、でも何かが……窮屈だった」
「そうですか」
「ここでは、誰も私を王女として見ない。ルナは『シルフィアおねえさん』で、ドーフさんは『銀髪のねえちゃん』で、あなたはずっと名前で呼ぶ」
「それが嫌でしたか」
「……嫌じゃない」
シルフィアが膝を抱えた。
「嫌じゃないのよ。むしろ——」
言いかけて、やめた。
「むしろ?」
「……なんでもない」
夕日が、完全に沈んだ。
空が深い藍色に変わっていく。
最初の星が、東の空に瞬いた。
シルフィアが小さく息を吐いて、立ち上がった。
「夕飯、私が作る。今日はあなたが動き回ってたから」
「ありがとうございます」
「感謝はあとでいい。席について待ってなさい」
そう言って小屋に向かいながら、シルフィアがぽつりと付け足した。
「……ここが、好きかもしれない」
聞こえているかどうかを確かめるような、小さな声だった。
俺は「俺もです」と返した。
シルフィアが一瞬、足を止めた。
それから何も言わずに小屋に入った。
扉が閉まる直前、耳の先が赤くなっているのが見えた。
*
その夜、エリクから手紙が届いた。
呪いが解けてから王都に戻った四人は、新しいパーティーを組み直して冒険を再開していた。エリクの文字は以前より丁寧になっていた。
手紙にはこう書いてあった。
『アルト。王都で妙な噂を聞いた。辺境に謎の人物がいる、という話が貴族の間で広まっている。Aランクのグリフィンを言葉で従え、精霊界の事件に関わり、追放者を癒した農家——そういう話だ。俺は内容を否定しておいたが、どうも出所が一箇所のようで、止められなかった。気をつけてくれ。P.S. シーナが「シルフィアさんによろしく」と言っている。バルドは「あの銀髪の人はアルトの何なんだ」と気にしていた』
俺は手紙を読んで、少し眉を寄せた。
(貴族の間で、か)
嫌な予感がした。
根源樹に毒を流した人間の魔力のこと。東の地脈から来ていたこと。
まだ、源を断てていない。
夜風が、冷たくなっていた。
『アルト』と、木が声をかけてきた。『村長が「王国から使者が来るそうですよ」と慌てておったぞ』
俺はもう一度、手紙に目を落とした。
賑やかになってきたエルデ村の夜に、遠くで狼の遠吠えが一声、響いた。




