第二部 第76話 アルヴァ砦再進軍
アルヴァ砦の爆発から、一夜が過ぎた。
谷の外に設けられた野営地では、まだ煙の匂いが残っていた。
負傷兵のうめき声。
簡易の担架。
包帯に染みた血。
戦場の余韻は、静かに広がっていた。
◆
軍議用の天幕の中。
カイが地図を見ていた。
「被害は……」
副官が報告する。
「戦死者四百名」
「重軽傷、百六十」
沈黙が落ちた。
アルヴァ攻略戦は、勝利ではなかった。
誰もがそれを理解していた。
◆
セリナは黙って聞いていた。
拳を強く握っている。
やがて静かに言った。
「……もう一度、アルヴァへ向かう」
天幕の中の視線が集まる。
◆
バルドが腕を組む。
「姫様」
「俺も同じこと考えてた」
カイも頷く。
「同感です」
「昨夜の爆発で砦の戦力は壊滅している可能性が高い」
「今なら、占拠できる」
◆
エリーナが不安そうに言った。
「でも……」
「あの黒いものは」
カイは短く答える。
「わからん」
「だが」
地図を指す。
「放置するわけにもいかない」
ここを押さえなければ、レグノルにはいけない。
◆
セリナが頷く。
「行く」
それだけで十分だった。
◆
昼。
レグノル軍は再び谷へ入った。
昨日と同じ道。
だが――
戦場の空気は違っていた。
◆
崩れた城壁。
焼け焦げた石畳。
倒れた塔。
アルヴァ砦は、半壊していた。
兵の姿はない。
聖導軍の気配もない。
◆
バルドが周囲を見回す。
「……静かすぎるな」
カイも同じことを思っていた。
兵に指示を出す。
「警戒しろ」
「罠の可能性がある」
◆
だが。
何も起きない。
レグノル軍は、抵抗もなく砦の中へ入った。
◆
中央制御塔。
崩れた石を乗り越え、セリナたちは中へ入る。
◆
そして。
全員が足を止めた。
◆
魔導炉があるはずの場所。
そこにあったのは――
巨大な空洞だった。
◆
床が抉り取られている。
まるで、何かが下から持ち去ったように。
魔導炉の残骸は、どこにもない。
◆
エリーナが呟く。
「……なくなってる」
カイがゆっくりと床を見下ろす。
その穴は、地下へ続いていた。
◆
闇。
底は見えない。
ただ。
奥から、微かな風が流れてくる。
◆
バルドが低く言った。
「昨日の黒い奴……」
「ここから出てきたのか?」
◆
カイは答えなかった。
ただ、床の縁に手を置く。
石の表面をなぞる。
◆
削られている。
爆発ではない。
何かが――
通った跡だ。
◆
セリナが穴の奥を見つめる。
その時。
胸の奥に、あの言葉がよぎった。
◆
――世界は、動いている。
◆
リンシアの声。
あの静かな瞳。
◆
セリナは小さく息を吐く。
「……まだ終わっていない」
◆
谷の外では、風が吹いていた。
アルヴァ砦は落ちた。
だが。
戦いは終わっていなかった。
◆
その地下深く。
黒い染みは、ゆっくりと移動していた。
レグノル王城の方向へ。
◆
テンレア同盟情報局執務室。
夜だった。
窓の外で、旗が風に揺れている。
ジュリア・マクミルランは、机の上の報告書を読んでいた。
「アルヴァ砦」
「中央制御塔、崩壊」
「魔導炉、消失」
ジュリアは紙を机に置く。
指先で軽く叩いた。
「……消失?」
それは、爆発の結果ではない。
報告書の記録。
床の穴。
地下へ続く痕跡。
まるで――
何かが持ち去ったような跡。
◆
ジュリアは立ち上がる。
壁の地図へ歩く。
リーデル。
グラナス。
アルヴァ。
指でその三点をなぞる。
その線は――
レグノルへ向かっていた。
◆
「……おかしい」
ジュリアは小さく呟く。
これは計画にない。
アルヴァの爆発は
「空城の計」
そのはずだった。
だが。
盤面に
知らない駒がいる。
◆
ジュリアは、ゆっくり笑った。
だがその目は笑っていない。
「面白いじゃない」
窓の外を見る。
「世界が――」
少しだけ間を置く。
「動いている」
◆
遠く。
レグノルの方向。
ジュリアの視線はそこに向いていた。




