第二部 第57話 盤上を差配する黒魔女は、微笑まない
旗艦《アーク=テンレア》情報層。
壁一面に広がる投影盤に、赤と青の点が浮かぶ。
その一つの青が、静かに消えた。
ロスヴァル外縁監視砦。
「……陥落?」
低く、乾いた声。
ジュリア・マクミルランは、ゆるやかに扇子を開いた。
報告官が跪く。
「通常聖導軍守備隊、制圧されました。
敵兵力、およそ五百。レグノル王女の旗を確認」
沈黙。
室内の温度が、わずかに下がる。
「五百……」
ジュリアは笑わない。
「七聖の名を出さずに落とされたのね」
「は、はい。直属部隊の派遣は――」
「必要ないわ」
即答。
扇子が、静かに閉じる。
「彼らは“見られていない”と判断した。
それを利用しただけ」
投影盤の前をゆっくりと歩く。
消えた青点の位置に、細い線を引く。
「問題は規模ではない。
動いたこと、そのものよ」
視線が、わずかに上を向く。
「王女は、旗を掲げた」
それは軍事行動ではない。
思想の宣言だ。
◆
別室。
アルディアスは、静かに報告を聞く。
「誤差だ」
一言。
「放置しますか」
「まだだ」
それだけ。
だが、完全な無視ではない。
判断は保留。
秩序は揺らがない――今は。
◆
再び情報層。
ジュリアは椅子に腰を下ろす。
「直接、私が出向くわ」
報告官が息を呑む。
「ご自身で?」
「盤面は遠目では読めない」
扇子の先が、ロスヴァルの座標を叩く。
「勢いだけで落とせる場所ではない」
目が細くなる。
「誰が配置を組んだのかしら」
王女か。
それとも――
「……眠る鍵」
小さな呟き。
だが、都市側から大規模反応は出ていない。
同期値は低い。
「動いていない?」
そこが、引っかかる。
報告官が続ける。
「戦闘中、異常魔力の検出はありません」
ジュリアは頷く。
「“ありませんでした”ではなく、“検出できませんでした”でしょう?」
沈黙。
怖いのは、見えるものではない。
見えないものだ。
◆
ロスヴァル砦。
夜明け。
兵が倒れた石壁を片付けている。
崩れた塔の根元に、黒い煤のような痕跡が残っていた。
焼け焦げではない。
侵食のような、微細な染み。
誰も気づかない。
風が吹く。
その黒が、ほんのわずかに揺れた。
まるで――呼吸するように。
◆
旗艦甲板。
ジュリアは外套を羽織る。
「準備を。
今回は“叱責”で済ませない」
微笑はない。
ただ、冷たい決意。
「王女に会いましょう。
――どちらが盤を動かしているのか、確かめるために」
旗艦が、わずかに進路を変える。
雲海の下。
レグノル奪還戦は、次の段階へ入る。




