第52話 幕間 死なないで(セリナ視点)
アオトの体が、崩れ落ちた。
「アオト!」
悲鳴に近い声が、自分の喉からこぼれる。
体が勝手に動いた。
とっさに抱きとめる。
軽い。
いつもより、ずっと軽く感じた。
呼吸はある。
鼓動もある。
でも――乱れている。
呼吸も、心拍も、不安定だ。
義手の光が、不規則に明滅している。
「しっかりして……!」
回復魔術を展開する。
淡い光がアオトを包む。
癒しの波が、何度も重なる。
だが、変化はない。
表層は安定している。
だが、その奥が――空洞のように感じる。
「……どうして?」
都市の鼓動も、不安定だった。
ファランシアが、かすかに震えている。
共鳴の反動。
境界を守った代償。
「セリナ様!」
カイが駆け寄る。
「敵は!?」
空を見上げる。
旗艦《アーク=テンレア》。
砲門は閉じている。
そして――ゆっくりと陣形を変え始めた。
「……撤退?」
信じられない。
だが艦隊は高度を上げ、雲海へと消えようとしている。
理由は分からない。
分からないけれど――
今は。
「医師を呼んで!」
エリーナが叫び、空へと飛び上がる。
「誰か、医師はいないの!? お願い!」
外縁は壊滅状態。
医療班も負傷者の対応に追われている。
アオトの呼吸が浅い。
唇が、かすかに震える。
「死なないで……」
思わず、声が漏れた。
あなたが倒れたら。
あなたがいなくなったら。
この都市は。
この戦いは。
私は――
その時。
「……私でよければ」
静かな声が響いた。
全員が振り向く。
瓦礫の向こうに立つ、一人の女性。
白衣のようなローブ。
淡い桃色の髪。
冷静な、深い瞳。
「医師。リム=サクラと申します」
迷いなく、アオトの傍らに膝をつく。
義手に触れ、目を閉じる。
情報の流れを読み取るように。
「共鳴過負荷。境界保持の反動ですね」
淡々と告げる。
「命に別状はありません。ただ――限界を越えただけです」
限界。
胸が締め付けられる。
「助かるの……?」
声が震える。
リムは一瞬だけ私を見る。
「ええ。今は休ませることが最優先です」
指先から、静かな魔術が流れる。
義手の明滅が、ゆっくりと安定していく。
アオトの呼吸が、少しだけ深くなった。
エリーナが、その場で崩れ落ちる。
「よ、よかった……」
カイが、バルドが静かに息を吐く。
私は、アオトの手を握ったまま動けなかった。
その温度を、確かめるように。
空を見上げる。
旗艦は、完全に雲海へと姿を消していた。
なぜ撤退したのか。
なぜ撃たなかったのか。
理由は分からない。
だが、確かなことが一つある。
次があれば、今度は守れる保証はない。
守るだけでは、足りない。
リムが静かに立ち上がる。
「しばらくは安静に」
その声は穏やかだった。
だが、その瞳の奥に、微かな決意が宿っているのを私は見逃さなかった。
「あなたは……どうしてここに?」
問いかけると、彼女はほんのわずかに微笑んだ。
「必要とされたから、でしょうか」
それ以上は語らない。
だが、その横顔はどこか懐かしさを帯びていた。
私はアオトを抱き寄せる。
廃都の上に、夜の帷が降りる。
戦いは、終わっていない。
むしろ、ここからだ。
それでも、今だけは。
アオトは、生きてここにいる。
その事実だけが、今の私を支えていた。




