第39話 前夜(セリナ視点)
都市は、静かだった。
七聖との戦いの前だというのに、風は穏やかで、空は不自然なほど澄んでいる。
ファランシア。
かつて七聖によって滅んだ都市。
そして今――アオトによって、再び息を吹き返した都市。
私は、そのファランシアの中心に立っていた。
崩れていたはずの塔は修復され、瓦礫だった街路は整然と再構成されている。
だが、それは“復興”ではない。
もっと正確で。
もっと、無機質な“再配置”。
まるで都市そのものが、自らの姿を思い出しているかのようだった。
「……すごいわね」
思わず呟く。
誰に聞かせるでもなく。
ただ、この光景を前にして。
それでも。
胸の奥に、消えない違和感があった。
振り返る。
塔の上。
アオトが立っていた。
風に黒髪を揺らしながら、空を見上げている。
その姿は、変わらない。
小さな背中。
細い肩。
私が最初に出会った、あの少年のまま。
――なのに。
何かが、違う。
「アオト」
名前を呼ぶ。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
彼の反応が遅れた。
わずか、コンマ数秒。
けれど。
それは確かに、“遅れ”だった。
彼が振り返る。
灰色の瞳が、私を見る。
そして――
「セリナ」
一言を発して微笑む。
その笑顔は、変わらない。
変わっていないはずなのに。
なぜか、胸が締め付けられる。
「どうしたの?」
「……ううん」
私は首を振る。
「少し、話したくて」
彼の隣に立つ。
空を見上げる。
灰色の雲の向こう。
何も見えないはずなのに。
なぜか、そこに“何か”があると感じた。
「来るのよね」
私が言う。
アオトは否定しない。
「うん」
短い答え。
「七聖が」
その言葉を口にするだけで、胸の奥が冷たくなる。
すべてを奪った存在。
国を滅ぼし。
民を殺し。
私から、すべてを奪った存在。
「……怖い?」
アオトが聞く。
私は少し考えてから答えた。
「怖いわ」
正直に。
「でも、それ以上に――」
一度、言葉を止める。
「もう、失いたくない」
それが本音だった。
国を失った。
家族を失った。
居場所を失った。
そして今。
ようやく手に入れたものがある。
この都市。
この仲間たち。
そして――
アオト。
「私は戦うわ」
はっきりと告げる。
「王女としてじゃない」
彼を見る。
「あなたと一緒に戦う」
沈黙。
風だけが吹いている。
アオトはしばらく何も言わなかった。
まるで、言葉を選んでいるように。
あるいは――
何か別のものと同期しているかのように。
そして。
「……ありがとう」
一瞬、間があった。
「僕も、僕なりにセリナを守るよ。」
そう言った。
その声は、少しだけ掠れていた。
人間の声だった。
私は、少しだけ安心する。
まだ。
彼は、ここにいる。
完全に都市の一部になったわけじゃない。
まだ。
“アオト”は、ここにいる。
空を見る。
その向こう。
見えない場所で、何かが動いている。
戦争が来る。
避けられない戦いが。
それでも。
私は、逃げない。
もう、逃げない。
彼の名前を呼ぶ。
「アオト」
彼が振り返る。
今度は、遅れなかった。
私も、いまできる最高の笑顔で微笑む。
「一緒に生きましょう」
それが、祈りだった。
それが、誓いだった。
それが――
私たちの運命を決める、戦いの前夜だった。




