第24話 変わっていくもの(セリナ視点)
最初に気づいたのは、声だった。
違和感、と言うほど大きなものじゃない。
ただ――
アオトの反応が、ほんの少しだけ遅くなった。
「アオト、外縁の見張り、交代できる?」
「……うん」
一拍。
考えてから出たような返事。
それだけのことなのに、胸の奥がひやりとする。
ファランシアは、静かすぎるほど静かだ。
包囲が始まったわけじゃない。
砲撃もない。
七聖の兵影も、今日は見えない。
なのに、人の出入りが止まり始めている。
「……来ないわね」
焚き火のそばで、誰かが呟いた。
食料を求めて、あるいは避難先として。
昨日まで、細々と人が流れ込んできていたはずなのに。
今日は、誰も来ない。
空は低く、雲は重い。
まるで、街の外側に透明な壁が張られたみたいだった。
アオトは、地面に触れていた。
膝をつき、義手を石畳に添えたまま、じっと動かない。
目は閉じている。
「……アオト?」
呼びかけると、ゆっくり顔を上げた。
「大丈夫。……ちょっと、聞いてただけ」
「聞いて?」
「街の音」
その言葉に、私は返事ができなかった。
街の音。
瓦礫が軋む音でも、風の音でもない。
彼は――
私たちには聞こえないものを、聞いている。
「何か、変?」
私がそう聞くと、アオトは少し困ったように笑った。
「変、というか……増えた」
「増えた?」
「情報。通路の構造、地下水の流れ、壊れかけた配管の圧力。
昨日より、ずっと細かく分かる」
それは、便利なことのはずだった。
守るためには、必要な力。
なのに。
「……それ、辛くない?」
問いかけると、アオトは一瞬、言葉を探した。
「辛い、っていうか」
視線を逸らす。
「たまに、自分の考えなのか、街の判断なのか、分からなくなる」
胸が、締め付けられた。
夜。
見張りに立つカイの背中が、いつもより硬く見えた。
「……アオトの様子、どうだ」
「……変わってきてる」
正直に答える。
「強くなってる。でも、それと一緒に――遠くなってる」
カイはしばらく黙り込み、低く言った。
「兵士なら、ああいう兆候は知っている」
「……」
「“役割”に身体を持っていかれる時だ」
私は思わず拳を握った。
「彼は、兵士じゃない」
「分かっている」
カイは夜空を見上げる。
「だが、街が“兵器”になりつつあるなら……操る者も、同じ場所へ引きずられる」
言い返せなかった。
焚き火のそばで、アオトは地図を見ていた。
紙じゃない。
地面に、指先で線を引いている。
「ここ、塞がれてる」
「え?」
「七聖の包囲線。まだ見えないけど……
物流の流れが、外側から切られ始めてる」
私は唇を噛んだ。
「三日、って言ってたわね」
「うん」
淡々とした声。
でも、その横顔は――
どこか、諦めに似た静けさを帯びていた。
「アオト」
名前を呼ぶ。
「あなたは……あなた自身でいられてる?」
アオトは、すぐに答えなかった。
義手を見る。
地面を見る。
そして、私を見る。
「……セリナ」
「なに?」
「もし、僕が間違った判断をしたら」
一拍。
「止めて」
その言葉が、胸に突き刺さった。
「……当然よ」
私は即答した。
「あなたが仮に街と同化しても、私はあなたの味方。
でも――あなたが消えるなら、私は許さない」
アオトは、少しだけ笑った。
「ありがとう」
でも、その笑顔が、どこか遠かった。
その夜。
私は、眠れなかった。
焚き火の向こうで、アオトが再び地面に触れる。
街と繋がるたび、彼の呼吸が、ほんのわずかに浅くなる。
(……奪われている)
力じゃない。
時間でもない。
彼自身が。
七聖は、分かっている。
だから、急がない。
追い詰めるのは、街じゃない。
この少年の“限界”だ。
私は剣の柄を握りしめた。
滅びの王女としてじゃない。
一人の人間として。
(……守る)
街でも、秩序でもない。
彼を。
そう誓った瞬間。
遠くで、微かに鐘のような音が鳴った。
ファランシアの外縁。
見えない包囲が、ひとつ、閉じた音だった。




