第八十八話 祝福
非常に遅れました。申し訳ありません。
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その日、私は初めて負けた。
齢12で戦場に降り立ち、7年あらゆる敵を殺して来た私が初めて地に伏した記念すべき日(笑)
それは名高き"光姫"、そして"戦姫"の手によって成し遂げられた。
「私の負け、殺しなさい。」
あれ程までに忌避していたはずの敗北。
泣き喚くのだろうと、恐怖や悲しみが胸を覆い尽くすのだろうと、そう思っていた。
けれど...敗北の末に訪れる死を前にしても私が抱いたのは、意外にも「無」だった。
そう、何も感じなかったのだ。
だから案外すんなりと、死を享受出来た。諦めの言葉は口から零れた。
「ええ、勿論。重ねた罪を抱いて、死になさい。」
無慈悲に告げる執行人の言葉も、振り下ろされる刃も、全てが虚しく映る。
「はいストップ〜。ダメよシルフィ。」
だが私の命を絶つはずだった断罪の刃は甲高い音を響かせて受け止められた。他ならぬもう一人の執行人の刃によって。
「...姉上、なぜ止めるのです。」
執行人の片割れは悪態をつきながら愚痴を零す。
「だって凄かったじゃない。正に魂すら侵しうる毒。生きる為に磨き続けたヒトも魔物も殺す魔法。そんな魔導士がここで死ぬなんて勿体ないわよ。」
「.....それは否定出来ません。けれど、彼女は殺し過ぎています。裁かねばなりません。」
その通りだ。私ですら私が殺し過ぎていることを自覚している。身に降りかかる火の粉を払うように、私は戦場で数多を殺して来た。
だからいつかこういう日が来るかもしれないと、死ぬなら戦場なのだろうと。漫然的に考えていた。
「あら、殺した数を罪とするなら私たちは彼女を超える大罪を抱えてることになるけど?」
だが不意に告げられたその一言が、私の心を打つ。
『無茶苦茶だ...けれど、正しい。』
その言葉の主、"戦姫"の言葉は妙に私の心に入り込んできた。
「それ...は...。それを...言ってしまえば全ては終わりでは無いですか...!!!」
激情に駆られ、想いを叫ぶのは"光姫"
彼女の言うこともまた正しい。だがこの問答に答えなどないのだろう。...そのはずだった。
「そうよ。私が言ってるのは身も蓋もないことだもの。けどね、私たちがそうであるように、彼女の魔法はヒトを殺す魔法でもありヒトを救う魔法でもあるってこと。
それに貴女がいつも言ってるじゃない、ヒトの命は平等だって。なら彼女の命一つじゃ天秤は釣り合わない。殺した数だけ、救わなきゃいけない。死は断罪にも救済にも非ず、生きてこそ。違うかしら?」
"戦姫"はけらけらと笑い真理を綴る。
その言葉に、"光姫"はギリっと歯を鳴らす。
その言葉は、空虚な私の心に響いていく。
死を望み、死を望まれていたはずの私に彼女はあろう事か生きろと言うのだ。
僅かな沈黙がその場を支配する。
「はぁ.....私は返せる言葉を持ち合わせてはいません。姉上の勝ちです。」
"光姫"はやれやれと刃を納め
「それで?この子はどうするの?」
"光姫"からただのシルフィオラに戻り、姉に問い掛ける。
「一先ずは私の下僕にしようかしら。シルフィがこないだ一人拾ったじゃない?それで私も欲しくなってね。」
「な!?エドはペットなんかじゃないわ!
あの子は勇敢な魔導士に育てるんだから変なこと教えたら許さないわよ!?」
倒れている私の事など眼中に無いかのように二人は話に花を咲かせ始める。
『くだらない...実にくだらない。なのに...これで7度目。』
7回、無防備に見える二人に仕掛けようとした回数。だが私は動けなかった。全ての起こりを"戦姫"に潰された...イメージだけで私を抑えてみせたのだ。
だがその事実が、私の身体を動かした。
無気力な心にふと湧いた願望。抗いたくなった。
だから私は、培った暗殺術を昇華させ意を消し、存在を消し、そうして...
己の胸に、ダガーを突き立てた。
【アイオス】
溶かし、解す、其は万殺の毒。それを自らに施す。
「ヒヒッ...死をもって、抗うとしましょう。」
今際の際に笑えた、笑ってみせた。
なら、私の人生に悔いは無い。
なのに...そのはずなのに、またしても訪れるはずの死神はその姿を見せることは無かった。
魔法は正しく作用している。この身を侵す痛みが、揺らぐ感覚が、それを証明している。
けれど最後の死だけが訪れない。
「馬鹿ねぇ...私が死なせないって言ったんだから死なせるわけ無いでしょ。」
「いや、防いでるの私だから。姉上じゃこの毒治せないでしょ...。」
その会話に更に頭痛が加速する。有り得ない。あらゆる治癒魔法を貫通する私の絶毒が.....いや、あった。眉唾なはずのそれは、目の前で起きなければ到底信じられないものだった。
「神聖魔法。」
私は伝説を口にする。
それは光魔法の極致、その更に向こう側。
「あら、博識ね。ますます欲しくなった。」
柔らかくも力に満ちた掌が頬に触れる。
そして今まで培ってきた技術が、静かに真実を告げる。
「呼吸、脈拍に微塵も揺らぎが見えない。わざと防がなかったとは...ヒヒッたまらない。」
およそ記憶に無い、自分自身の心からの笑みが浮かぶ。
「死ぬくらいならその命貰い受けるわ。
生きなさい、我が名の元に。」
最早差し伸べられた手を拒む理由があろうものか。
"光姫"は噂通りの化け物で、"戦姫"は噂以上の怪物だった。
『このヒトを理解したい。』
そうして初めて零れ落ちたヒトの欲望と共に、私は生まれ変わった。
激痛がはしるはずの身体で迅速に跪き
ただ、一言。
「名を頂けますか?」
それは在りし日の追憶。
まだ、私がただの「痛」だった頃。
そして「毒蛇」の始まりの日。
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『まさかあの日の事を思い出すとは...やはりこの子は。』
そんな記憶を辿る毒蛇の目の前にて、怪物は成る。
魔に愛され魔の祝福を受けし者は今、生誕の息吹をあげたのだ。
曰く、己の真髄、確固たる魂の輝き。それを理解した魔導士と理解し得ない魔導士では、その魔力操作に手が届かないほどの差が生まれると言われている。
真に己を理解したことで、成った者たちは道が見えるのだと口を揃えて告げる。
今まで必死に作り上げ、整えてきた魔力回路と称される複雑な道。ふとその横に、完璧に舗装された魔力回路が作られる...否、初めからそこにあったのだと、ようやく気が付くのだと。
そうして彼ら彼女らは一線を画す。
薄皮一枚の精密な魔力操作を無意識下にて成し遂げるのだから。
「絶好調。」その言葉は正しく、偽りである。今なお身体を侵す「痛み」によって生じる怒りと湧き出る高揚感。その二つは溶けて、交わり狂気へと至る。身体はヒトならざる熱を帯び、限界以上の力を発揮する。
「あはっ...お兄ちゃん!お兄ちゃん...!お兄ちゃんっっ!」
更に加えて兄と離れておよそ1ヶ月。
テレジアは完全に兄欠乏症だった。
故に、ここに狂愛者は顕現する。
兄という最も純粋な欲望にしてテレジアの【起源】。
その狂気の示すままに、獣は駆ける。
そして本能の示すままに、己が魔法を昇華させるのだ。
"一を識る者 千へと至れ"
【魔弾・一矢千散】
"千を識る者 一を極めよ"
【魔弾・千束一矢】
テレジアが唱える魔法を前に、ハイドラの額に一筋の汗が伝う。
どんな魔法も使い手次第。
テレジアが発動した魔法は初等魔法、【魔弾】の派生に過ぎない。発動、修得難度はどれだけ高く見積もっても中等魔法の域を出ないだろう。
『にもかかわらず、第六感はその魔法が危険であると囁いている。つまりテレジアが放つ初等魔法は私の魔法防御を破る可能性があるということ...。』
「ヒヒッ...よもやこれ程とは。少々まずいですねぇ。」
毒蛇が零す初めての焦燥。
その呟きを受けて、狂気は嗤い...千と一つの矢を番え、獣は静かに告げる。
「死ね。」
瞬間、嵐が到来する。
それは端的に言えば手数の暴力。
対の光剣を携え、先程よりも更に鋭く、深い連撃を繰り出す。だがそれでもハイドラは崩れない、その連撃を受け止めてみせる。ここまでは先程と同じ光景。
だが違うのはここからだった。テレジアが番えた【魔弾】はその連撃に呼応する。まるでそれぞれが意志を持つように。
『ははっ!大仕事だ皆!操る属性を間違えるなよ、そらいけ!』
まぁ実際に精霊たちが操作しているのだから意志を持っていると言っても過言ではないのだが。
そうして【魔弾】はテレジアの光剣を受け止めるハイドラのあらゆる死角からその身に纏う障壁を削り取っていく。
重なる剣戟の中で二人は互いに一つの事実を共有していた。
テレジアの千の矢が尽きるのと時を同じくして、ハイドラの障壁は砕かれる。
その時こそ、決着の時であると。
静かに、されど力強く、テレジアは千を束ねた一を握り締める。
対するハイドラはその掌に華を咲かせる。
紫毒に満ちた、かの血に咲く華を。
最後の三矢が戦場に散る。
一矢をもって罅を、二矢をもって亀裂を
そして終幕を告げる三矢により、けたたましい音と共に障壁は砕かれる。
マナの欠片が舞い散る中、両者は示し合わせた訳でもなく互いに距離を取る。
「いくよ。」
"解放【千束一矢】
「きなさい。」
"其は昏らき地に咲く華 其は紅き血に咲く華" 【獄蓮】
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「危ない危ない。」
互いに渾身の魔法。
その激突によって訪れるであろう余波に備えてアイリスは倒れているユウリたちに結界を施す。
だがそのほんの一瞬、気を取られた隙にて、魔導王すら見通せなかった事態が起きていた。
「あらあらぁ(笑) ほんとに退屈しないわぁ。」
アイリスが見据えるその先で.....
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「.....zzzzz」
テレジアはハイドラの腕の中で眠りについていた。
「ヒヒッ...怒りのままに精魂燃やし尽くすとは...実に度し難い。」
ハイドラは敵を前にして眠りに落ちたテレジアに侮蔑の視線を落とす。
「だがそれでいい。魂を焚べた輝きでなくては私の心は踊らない。
努努強くなりなることです。その為ならば、何度でも立ち塞がってあげましょう。」
だがその次に零れ落ちた言葉は慈愛に満ちたものだった。
「ヒヒッ...にしても憎たらしい程にスヤスヤ寝ますねこの子は。未だその身を毒に侵されているというのに。」
先程までがまるで夢幻の如く、慈しむように、愛でるようにハイドラはテレジアの赤髪を梳く。寝ているにも関わらず煌々と立ち上る魔力を感じながら。
「その痛み、苛酷、全ては超克の為に。
けれどアナタなら成し遂げるでしょう、見せつけてくれるのでしょう。アーニャ様を...数多の英雄たちをも超える、運命の子。」
凡人たちの積み重ねを一瞬にして塵に変えてみせる。そんな最悪で、最高の景色を。
積み重ねや努力なんてものは唯の凡人や天才を真似た凡人の為にある言葉。
天から渡された才を余すことなく使いこなし、その上で昇華させる。
そんなひと握りの本物の天才。
鍛錬を積み、修練を重ね、力を手にした魔導士は一目見れば理解する。己の力は、天が齎した祝福を導くためにあるのだと。
我々ヒトに与えられた天からの祝福、それがテレジアなのだから。
「与えられた配役がペテン師なれば、存分に全う致しましょう。私には憎まれ役ぐらいが丁度いいのですから。」
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「よく分かってるじゃないハイドラ。素晴らしい自己犠牲ね。ホントは愛しくて堪らないでしょうに。」
満足気に頷きアイリスは微笑む。
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「.......暗いよ、痛いよ...ねぇ、何処にいるの...お母さん。ねぇ...お兄ちゃん、なんで私たちにはお母さんもお父さんもいないの...?」
そんな中、不意に零れ落ちたテレジアの言葉にハイドラは眉を顰める。
「...魔力と熱が引き痛みだけが残りましたか。」
その頬に触れることでその容態を、そして緩んだ精神防御の隙間からハイドラはテレジアを理解る。
【ダチュラ】をはじめとした精神干渉系の毒にも長けたハイドラはその応用で触れた相手のマナからそのヒトを理解ることが出来る。まあ相手が一方的に気絶しているとかそういう場面でしか成功はしないのだが...。
「望めば全てをその手に掴めるというのに...。誰もが持ち得る母の温もりを知らないとはなんとも皮肉なことです。」
どれだけ強く、魔法に愛されていようと未だ15歳の少女。けれどもその若さで、その若さ故に愛を、温もりを求めて愛に狂う少女。
「私はアナタに痛みを届ける者。けれどどうか...今だけは安らぎを与えましょう。【聖浄】」
その手の輝きと共に、ハイドラはテレジアをただ優しく撫で続ける。「痛み」が消えるまで。
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迷宮に朝日は差さない。
けれども陽は昇る。
「あはっ!いつにもまして快眠っ!
さ、今日も張り切って毒蛇退治といこうかな!」
「...元気だこと。ヒヒッ、けど威勢だけでは私には勝てませんよ?
何度でも、幾度でも、撫でてあげましょう。」
欺き、欺かれ、化かし合う。様々な思惑、願い、祈り、策謀が交錯する。
されど全てはヒトの為に。
灯火を絶やさんが為に。
平和な世界の為に。
その積み重ねの果て、次代の王は成る。
アルゴノゥトが読みたい定期




