27 巫女メルル
何故こんなことになったのだろうか、と恐怖に震えながら考える。目の前には王命により、犯罪者への刻印を行う魔法使い。逃げ出そうにも、両脇を屈強な男達に取り押さえられ、顔をそむけたくとも、髪を強くひかれ、無理矢理顔をあげさせられていては、メルルにできることはない。目に涙をため、恐怖に震えるだけ。
メルルは元は平民出身。出身も都市ではなく、山奥の村。20人少々の村人。両親は昔、飼っていた家畜を売ってしまい、誰かの小作人として働き、その礼として僅かばかりの食料をもらって過ごしていた。両親が唯一の財産である家畜を手放したのは、メルルが風邪をこじらせ、ポーションが必要となったからなのだが、まだ赤子だったメルルにその記憶はない。兎に角、そんな貧しい暮らしをしていた。両親の稼ぎだけでは冬は越えられない。幼いメルルも必死に働いていた。何故こんな貧しい暮らしをしなくてはならないのか、そんな不満を抱えながら。
変化が訪れたのはメルルが5歳の時。職業が発現し、村の教会で魔法陣を用い、鑑定してもらった。そして、それがメルルの運命を大きく変えたのだった。
メルルが発現した職業は巫女。教会の神父は王都に連絡をし、すぐに王都から迎えが来た。
両親共々城へ招かれ、侍女たちに囲まれ、何一つ不自由なく、大切に、大切にされた。司祭を名乗る男が現巫女と共に訪れた時も、両親は両手両膝をつき、頭を下げたが、メルルにその必要はなかった。司祭はメルルと巫女に跪き、挨拶したのだ。その時メルルは理解する。自分は誰よりも偉い存在なのだ、と。誰もが跪き、首を垂れるのだ、と。巫女がメルルに対し、自覚と責任を持つように話していたが、メルルには聞こえていない。自分を見下していた村人たちが、歯牙にかける必要もない存在だったという事に興奮していた。
自分は誰からも愛され、大切にされるべき存在。敬われ、傅かれ、それが当たり前。そう信じてしまった。巫女の訪問から数日後、王と謁見した際にも、王が頭を下げ、お願いをしたのだ。
「巫女メルル。女神イグニス様の御使いとして、この国に女神様の加護をもたらしください」
メルルは確信した。自分は王でさえ頭を下げる存在。自分より偉いのは女神様だけ。相手が神ならばメルルが敵わないのも当然だし、理解できる。でも、この国で一番偉い人間は自分だ! そう、確信してしまった。
美しい服を着るのも、美味しいご飯が食べられるのも、当然の事。毎日湯あみができ、美しい肌であるように、丁寧に、丁寧にマッサージされる。何かが欲しいと言えばすぐさま与えられる。それが当然の事なのだと、愚かにも思い込んだ。
巫女としての修行の為、と城から出るのは不満だったが、移動先も都市。田舎で生まれ育ったメルルは楽しみで仕方なかった。
メルルは巫女。虐げ、馬鹿にしてきた村人たちは、いかにその時は発現していなかったからとはいえ、巫女への侮辱を理由に全員捕らえられ、処刑されるところだったが、それを救ったのはメルル。命を奪うのはかわいそうだ、と。微塵も思っていないのに口にした。そうすれば周りが「流石は巫女。慈悲深い」と感動したから。処刑できないのはつまらないが、村人たちが一様に青ざめ、震え、俯く姿に溜飲が僅かに下がったからかもしれない。全員が奴隷として刻印を押されるのを笑って見た。そして、ウェスタの教会へ移動してきた。
両親はついてきていない。何故だか、メルルを自分の子ではない。と城から去った。しかしそれも仕方ないのだとメルルは思った。メルルは巫女。神の使い。あんな平凡なものが両親であるはずはない。きっと自分の親は女神様なのだと思った。その証拠に、並よりほんの少し上、程度の両親だったが、メルルは特上の美少女だったのだから!
ウェスタの教会でも誰もがメルルを敬った。しかし、毎日巫女としての言動を、巫女としての役目を、と教育されることに鬱憤が溜まる。一番偉いのは自分だ。その自分に偉そうに講釈垂れるな! そう喚き散らし、何人もの講師を首にした。
忙しいらしく、現巫女と会ったのは、ウェスタに来てから2回だけ。穏やかで優しい女性。40手前のはずなのに、その美しさは衰えていない。巫女が神の子だと思い込む原因の一つ。きっと巫女は不老なのだ、とメルルは思い込んだ。いつまでも永遠に美しいまま。そんなこと、あるわけがないのに。現巫女の美しさは、内面から滲み出る本人の徳の高さと、巫女として見られているという意識の下、本人の努力あってこそ保たれているもの。何もしなければ崩れ去ってしまう幻想。
耐えることも努力することも知らない子供。自分に逆らうものはことごとくクビにし、自分のいう事を聞く者を可愛がった。結果、彼女の周りには彼女に媚を売るだけのくだらない人間だけが残った。しかし幼い彼女には理解できない。自分によくするのは当然として受け入れる。
現巫女が忙しく、会えたとしても殆ど会話ができなかったのもメルルの不幸かもしれない。もし、もっと時間がとれたら、メルルの言動にも追及できたのだろうが、彼女が伝えることできたのは、女神への尊敬と感謝を忘れず、神託は真摯に受け止めよ、ということだけ。
周りから甘やかされ、逆らうものもなく、我儘に育つこと5年。その日は閉じこもっているのが嫌になったメルルが、街中へと飛び出した。慌てて追いかける側仕え達。何人もの従者を引き連れ歩くメルルに、行き交う誰もが跪き、首を垂れた。それに気分よく、つんと顔をそらして得意げに歩いていた。
そんな中、メルルの進行方向を遮った影。無礼者! と声を張り上げる。しかし、遮った男はメルルに侮蔑の目を向けた。
「メルルは巫女なのよ! 道を開け、頭を下げなさい!」
「私は夢幻王国の民。貴女に跪く必要はありません」
男は冷たく言い放った。それが当時、ウェスタのギルドマスターとして派遣されてきたグロムスだった。
毅然とした態度。けしてメルルを敬わない。それどころかあからさまな侮蔑の目を向けてくる。許せなくて捕らえるように言うが、誰一人動かない。それどころか、あれには手出しができないのだ、と窘められた。そんなことは初めてで、許されることではなかった。
その日から、毎日のように冒険者に突っかかりに行った。どんどん都市から冒険者が減ったが、いい気味だった。グロムスがメルルに不遜な態度をしたから、こんなことになったのだ、と。
メルルは知らない。冒険者が人々にとってどれほど大切な存在なのか。魔物が街に入り込まないのは、彼らが依頼という形で危険種を狩っているから。もしも魔物が攻め込んで来たら、この都市にいる兵士達では人々を避難させることはできたとしても、戦うには技量が足りない。頼りになるのは冒険者達だけ。けれども、どれだけ冒険者の存在理由を伝えたところで、魔物の恐怖におびえた事のないメルルには理解ができない。
冒険者全てを都市から追い出してやる。
そう決めて、毎日毎日冒険者達に罪をなすりつけようとした。その度、ゴミでも見るかのような冷たい視線を向けるグロムス。あの男だけは、処刑では済まさない。奴隷にして、自分の下でこき使ってやる。そう決めていた。
そして今、罪人として裁かれるのはメルル。
一週間もの間、広場にたてられた杭に縛り付けられた。罪人として。誰も助けてくれなかった。それどころか、メルルが罪人となったことを喜ぶものばかり。晒しものの罪人とはいえ、暴力を振るう事は許されていない。暴力を振るう代わりに唾を吐きかけるものが多かった。暴言をはく者も。
自分がいかに嫌われていたのか知る。誰からも愛されているはずだったのに。
村にいたころよりも貧しい食事が日に2度。トイレに行くことは許されず、汚物はその場に垂れ流し。惨めな姿に飛ぶ嘲笑。
いつの間にか、目の前に魔法使いの手が迫っていた。
輝く魔法陣が浮かんでいる。
近づいてくる熱に、歯の根が合わない。
恐怖に目は見ひらかれ、涙と鼻水塗れの汚い顔。魔法陣が、触れた。
「あ!!!! ぎゃぁああああああっ」
じゅう、と肉の焼ける音。酷い臭いが広がる。それでも、見物人は減らなかった。はやし立てるような声さえ聞こえる。
魔法使いの手が離れても、痛みは消えない。顔中が熱く、痛い。手で顔を押さえ、転がりまわりたいが、取り押さえられていてはそれもできない。醜く傷ついた顔を晒し、汚物塗れの身体で悲鳴をあげるだけ。余りの激痛に、いつの間にか足の間が濡れていた。もうそれが何度目かわからないメルルには気づけない。取り押さえている兵士は汚さに嫌そうに顔をしかめるも、仕事だ。手を離すことはない。
「巫女メルルはその罪により奴隷へと落ちた! これにより、この者には永遠に巫女を名乗ることを許されない!」
わ、と湧き上がる歓声。魔法使いの宣言を歓迎する声。
誰も、齢12歳の少女の身におこったことを憐れまない。
何故、と呻く。
自分が言ったことは事実だ。遠視とアナライズで見た灰色髪の少年は勇者で、その後ろの二人は魔族だった。確かに何度かは虚偽の発言で罪に落とした人間もいたかもしれない。けれども、今回の件は紛れもなく事実。にもかかわらず、何故。
だらりと力なく兵士達に身を任せていた身体が投げ出される。十分お披露目が済んだ。メルルには最早抗う気力はない。そう判断した兵士達が手を離したのだ。一応処刑前にスライムにより綺麗にされた周りの土だが、つい今しがた、メルルが漏らした液体を吸い込み汚れた。そこに伏しつつも、動くことができない。
無様に呻くメルルの前に影。気づく余裕もなかったが、無理矢理髪を掴んで顔を上げられた。歪む視界に僅かに認識できる、白に近い灰色の髪。
「狼少年という話がある。毎日毎日嘘を言い続けた少年は、最後の最後は真実を語ったにも関わらず、誰にも信じてもらえない、という話だ。お前はまさにそれだな」
「あ、ぐ、ぐぅぅ……め、るるわぁあ……」
「罪人の奴隷ふぜいがSランク様に口をきくな。お前は今後上位者に許可されるまで口を開くことを許されず、誰からも侮蔑の目で見られるんだ。自らの行いがどのような結果をもたらすか、自らの言動にどれほどの責任があるのか、精々覚えられるよう努力するんだな」
少年の口元が歪む。嘲りの笑みの形に。
こんな悪意、村にいるときにさえ向けられたことがなかった。見下され、馬鹿にされ続けたあの日々が、いかに生温かったのか。
少年の目を初めて真っすぐに見た。ぞっとするほど深い暗闇。口元は完全に嘲りの笑みを浮かべているのに、その眼には何の感情もこもっていない。メルルのことを道端の小石程度にも思っていない。
自分は何に喧嘩を売ったのだろうかと考える。
女神は、勇者は魔王に洗脳された。操り人形になった。そう言っていた。だとしたらこれは人形なのだろうか。否。目の前の少年には意思がある。怒り、侮蔑、軽蔑。淡々とした中に時折見せた感情。少年には、意思があった。人形なら有り得ない。
女神が嘘をついた? それこそあり得ない。女神様だ。メルルが唯一首を垂れる存在。精錬で潔白。敬愛せし、清浄なる神がそのような事をするとは思えない。神は人ではないのだから。
ではあれは何だろうか。
確かに勇者だった。
勇者はあんな冷たく、残酷な存在だろうか? そんなはずない。数多ある英雄譚――勇者の話――で、勇者は神の如き存在だった。神のように清廉で潔白。弱きを助け、強気を挫く。嘘はつかず、己の正義の為、逆境に立ち向かう。常に正しい事を言い、行動する者。ではこれは?
メルルが堕ちていくのを、とても楽しい余興のように感じているのを隠しもしない。けれどもその眼に感情はない。感情があるのに感情がない。なにか、違う生き物。人でも魔族でもない。何か、別な。
魔族でも魔王でもなく、あれこそが人間の敵なのではないのだろうか。そんな事を考えながら、メルルの意識は闇の底へ落ちて行った。
意識を失ったメルルを放り出し、アオはギル達の下へ戻る。
「何を話していた?」
「これからはいい子になりな、と。反省はなかったようだ」
「根性だけは一人前ってことっすか」
呆れたように肩を竦めるグズに頷き、ちらりとアオは振り返った。俯せになったメルルは長い髪を掴んで引きずられていく。もしも意識があれば悲鳴をあげたであろうが、今は意識がない。されるがまま、引きずられていく。
「問題があるか?」
「あるかもしれない。……いつか、大きな問題になるかもしれない。あれが生きていたら」
「そうか」
「今はこれ以上は仕方ない。私達は先へ行こう」
わかったと頷き、しかし、グズとギルは視線を一度合わせた。一瞬の目くばせで会話を成立させ、けれども何食わぬ顔でアオと共にウェスタの街を出ていく。遺跡の近くへゆっくりと旅していく。それが女神達と我慢比べ中のアオ達が決めた方針。旅人の印象をつけるために町から町へ、都市から都市へ、渡り歩きつつ。
騒ぎになった場所は早々にお暇するに限る。
山道の途中で安全そうな洞窟を見つけ、今晩のキャンプ地にした。奥はない。浅い穴は、おそらく昔の旅人か何かが一晩のキャンプの為に掘ったのだろう。明らかに人工的に掘り出したことが解る。
シズカの料理を食べ、テントは止めてマントに包まって眠りにつく。グズの結界があるから見張りはいらない。アオが完全に眠りに落ちてしばらく、グズがアオに眠りの魔法をかける。そしてギルを見た。
言葉はない。小さく頷くと消えるギル。
今日は新月。夜は闇に沈み、ギルが最も動きやすい日。闇という影の中に潜り、ウェスタに戻った。
人気のない道を、影に潜ったまま移動する。この都市の中は既に十分に把握している。迷いなく、罪人が押し込められる牢へと近づいた。
トイレ代わりの壺が一つ。他には何もない粗末な牢。寝台も毛布代わりの布もない。端には両ひざを抱いてうずくまるメルル。他には誰もいない。見張りさえ。誰もが近づきたがらなかったのだ。
牢の中に入り込んだギルは、擬態を解く。本来の自分の姿に戻った。
醜悪なほど醜い顔。それは、見たその瞬間に殺せ、と誰かに何を言われるでもなく実行にうつしたくなるほどの醜さ。鋭い牙の生えた口。下の牙は口から突き出している。もともと大きかった身体はさらに膨れ上がって、絶対に人族ではありえない異形の影をおとしていた。
気配にのろのろとメルルは顔を上げる。火傷あとは適切な処置をされていないのだろう。酷く腫れ上がり、周りにも水ぶくれが沢山にあり、元が美しかっただけに、より一層醜く成り果てていた。
暗闇の中に何かがいた。ぼんやりと見ていた目が、焦点が定まったその瞬間、大きく見開かれる。
「まままままぞ、まぞ、ぐぅうう!!!!」
恐怖と混乱に上手く呂律が回らない。口から唾を吐き飛ばし、悲鳴のように声を上げるが、誰も来ない。メルルは狂言の巫女と知れ渡っている。何を言っても、叫んでも、誰も耳を貸すことはない。
ギルはゆっくりと近づき、その首に短剣を刺した。
ごぼり、と口から血がせりあがる。ぐるんと目が白目を剥き、舌がだらりと垂れた。力を失った体を、手をナイフに絡め、まるで自分で突き刺したように見せる。
ギルが突き刺した短剣は、どこででも手に入るようななんの特徴もないもの。誰が持っていても不思議ではない。それこそ村人でも持っているようなもの。長さもなく、子供でも扱える。
するりと影に潜れば、どさりと崩れ落ちる身体。
翌朝、朝食を持ってきた兵士が見つけるまで、誰もメルルの死に気づかない。そして、それが蘇生の明暗をわける。
誰にも見つからず、誰にも知られず、殺されたメルル。その死は状況的に自殺と断定され、調べられることもなかった。
王の命令で奴隷となり、巫女の下女となることが決まっていたメルル。王に対し、女神の名を出してまで嘘の宣誓をし、その上、命だけは免除された温情に報いることもなく、反省することなく、最後に聞いた声も狂言扱い。
権力に溺れ、他者を踏みつけ続けた幼い巫女は、最後の最後まで汚名をかぶされ、12歳という早さでこの世を去った。そして死後、その悪名は長く語り継がれたのだった。




